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NHK「マッサン」第11週「子に過ぎたる宝なし」感想。

NHKの朝ドラ「マッサン」も、12月なかばとなった。
10月から始まった放送であるから、3か月目に入った、ということである。
「花子とアン」のときを考えてみると、4月・5月・6月と物語が続いてきて、7月には「花子とアン」の一番のクライマックスである「白蓮事件」が、起ころうとしているところである。
だから、半年間の朝ドラの、一番のクライマックスが3か月目から4か月目ということになるので、「マッサン」も今、半年間の一番の盛り上がりに入ろうとしているところである。
その盛り上がりのテーマが、ご夫婦のお子さん問題である。

お子さん問題といえば、このところは、「お子さん問題」と言葉を選ばなければならないほど、慎重で繊細な問題である。
世の中には、不妊医療やマタハラ問題で、裁判も起こっている。
また、子どもを授かったなら授かったなりに、お受験や、ママ友カーストも起こっている。
子どもがほしくても授からないご夫婦の悲しみ、というのも、クローズアップされている時期である。

もともと、現代がこうした課題を抱えていなくても、ご夫婦と子ども、という問題は、口にするにはタブーを含んでいることである。
それを、あえて直面して詳細に描くのは、ドラマとしてどうなのか、というところである。
白蓮事件なら、恋愛沙汰として、食事や酒の席でも笑って口にできることであるのだが、お子さん問題というと、どうなのか。
だが、そこを丹念に描きこむところに、この「マッサン」というドラマのクライマックスがある、ということなのである。

これから先の物語が、インターネットのホームページでもある程度、公開されているので、先を見越すことができる。
年明けの放送からは、北海道の余市で、本格的にウイスキー工場を作って、政春オリジナルのウイスキー造りを始めることになる。
その時期に、政春の母親であり、エリーにはお姑さんとなる早苗が、亡くなることになっている。
これは、早苗役を演じる泉ピン子さんが公言していたのだから、きっとまちがいないだろうと思う。
そのころに、政春とエリーは、養女を迎える。
この養女は、政春の実の姉の、子どもさんである。
その子を、北海道に迎えての、ファミリーとなって、物語が続いていく。

それなので、ご夫婦がどのようないきさつで、養女を迎えることになったのか、という点は、とても大事な話となる。
それを描いているのが、今週から来週、12月いっぱいにかけて、ということになるだろう。

ご夫婦の物語としては、お子さん問題に触れないわけにいかない。
たとえNHKだとしても、ご夫婦の寝室に大きなベッドがふたつ置かれていたとしても、なかなか触れられない問題だと思うが、そこをNHK朝ドラなりに、「人間として」という視点で、できるだけ追及して描こうとしているように思える。

それにしても、この「マッサン」というドラマは、とても濃く、人間関係が描かれているようである。
ご近所もそうであるが、親子とか、夫婦とかきょうだい、とか、血縁のある人間関係を、ある意味「ごみごみと」描いているように思える。

それは、日本初のウイスキー造りを成功させた男の物語、夫婦の物語としては、ピントが多少ずれているようにも思う。
だが、これも、脚本家の描き方であるから、どうこうは言えない。
脚本家の羽原大介氏は、つかこうへい劇団の出身だということだが、やはりここでどうしても「つかこうへい」という劇作家の影響を見て取れらないわけにいかない。

つかこうへい氏は、血縁の人間関係とそこから生じる人間の苦悩と憎しみ、愛情と親愛の情を描いた人であったように思う。
それが作風であり、テーマであったように思う。

そして、今週の「マッサン」にも出てきたセリフであるが、「私たちは一生懸命生きているのに、どうしてこんな辛い目に遭わなければならないのか?」これが、つかこうへいが乗り越えられなかった、一生の問題であったように、私には思える。
乗り越えられなかったのかどうかは、わからないが、もしかすると、「それでも笑って暮らそうよ」「人間、生きていればいいこともある」というのが、結論だったのかもしれない。

その、つか劇団の影響をもろに受けたのが、「マッサン」である、と言えるように思う。

しかし、日本初のウイスキー造りをした人の悩みは、血縁や人間関係や「私たちはまじめにやっているのに」という悩みでは、なかったのではないだろうか。
「ごま粒のようなひとり」ではなく、「きらきら輝く一等星」になるための苦闘が、そこにあったように思うのだ。
そのあたりで、この「マッサン」のドラマのクライマックスに、もう一工夫、ほしいところである。