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NHK「マッサン」第10週「灯台下暗し」感想。

毎朝楽しみな「マッサン」も、もう2か月も見ていることになる。
このところは、すっかりキャラクターたちとお友達になってきた。
大好きなエリーも、日本語がとてもうまくなり、ときおり、英語もまざったセリフが、とても自然なかんじになってきた。
友達が言うには、このごろアドリブが多くなってきた、ということである。
私は演劇にはあまり詳しくないので、アドリブなのか、最初から脚本に書いてあったのか、よく見分けがつかない。
それくらい自然で、元気闊達なドラマ展開になっている。

今週は、いよいよ政春の仕事が始まった。
これまでにもいろいろな仕事はしてきたが、今度こそ本当に、ウイスキー造りの仕事である。
仕事に打ち込んで活き活きしている男の姿というのは、本当によいものだ。
妻のエリーもほっと一安心であるし、これまで支えて来てくれたご近所のご婦人たちも、心から喜んでくれている。
そして、広島の実家のほうでも、それは同じであるようだ。

職がなくて、とても辛い時代、まさに「辛抱の時代」もあったけれど、人生も世の中と同じく、いろいろなカラーに包まれた、「時代の色」というのが、あるのかもしれない。

エリーはご褒美として、家の改築をすることになる。
かまどをはずして、ガスを入れるし、ミシンもオルガンも買ってもらえる。
古い日本家屋だったものが、あちこちに大工さんの手を入れることになる。
これは、この時代が進歩してきたことを表すというよりも、やはり夫である政春の「稼ぎ」がよくなって、夫婦ともども、生活が向上してきたことを、表すものだろうと思う。
しかし、夫の政春は仕事で頭がいっぱいになり(男性にとっては幸せなことであるが)なかなか妻のエリーとの会話の時間がなくなる。
「男のサクセスストーリー」を考えるうえで、妻との会話の時間もなくなるほど仕事で頭がいっぱい、時間もいっぱい、というのは、実はとても大切なことである。
家のことはすべて妻に任せておけるのが一番いい。
そして、仕事だけに専念できる状況が、夫の仕事にとって、ベストな状況だと思う。

仕事を持つ人は、その仕事に専念したことがあれば体験しているだろうが、本当に仕事以外は見えなくなる。
家族の存在や言葉はもとより、食べ物の味もわからないし、趣味の道具もぼうっと眺めているだけになる。
聞いた話であるが、本当にフロー状態になるほどひとつの物事に専念すると、ほかのことは脳が排除してしまうらしい。
このくらい打ち込める仕事があれば、幸せである。
もし男性が、この状態になっていたら、妻としても女性としても、それを喜んで見守ってあげるべきかもしれない。

それで、エリーは、夫の政春に相談なしに、ご近所のご婦人たちと相談して、どんどん、家の改築を進めてしまう。
これは現代用語で言えば、リフォームである。
妻がリフォームに打ち込むようになると、夫婦仲がうまくいかなくなる、という説があるから、エリーも要注意状態になってきた。

エリーはエリーで、女性の幸せ、妻の幸せを構築中、というところであるが、こうしたときに、夫婦の仲に、溝ができやすいのではないだろうか?と思う。
それでも、時間を見つけて、ハイキングに出かけるところは、とてもよい。
自然のなかで、ふたりきりの時間を持てたのも、とてもよいシーンだった。

ここでエリーのリフォームの面白さを考えておきたい。
大工さんに日本家屋の造りというか、思想というものだろうか、思想というにはあまりにもおこがましいだろうか、それでも、日本の考え方というのを取り入れて、すべてをヨーロッパ式にしてしまわないところが、とても素晴らしいと思う。
日本に来たからには、日本の良さを取り入れたいという気持ちが、エリーというひとりの女性を日本で活かしてくれる根本姿勢となるのかもしれない。
また、こうした和洋折衷の家の改築は、エリーと政春の国際結婚を形にしたもの、とも呼べそうだ。
エリーと政春の、さまざまな挑戦が、新鮮である。
新鮮ではあるのだが、実際には、現代の世の中が、結局はどの家も、どのマンションも和洋折衷になっているのだから、この試行錯誤はのちの時代の人たちに受け継がれていく、新しい時代への格闘となるわけである。

新しい時代への格闘、といえば、政春と鴨居氏の、ウイスキー造りもそうである。
ウイスキーを造るということは、ウイスキーを好む日本人を作る、ということであり、日本にウイスキーを広めるということであり、新しい時代を作る、ということである。

いまだ、ウイスキーを知らない日本人に向って、世界レベルであるウイスキーの味を一口一口味わってもらう、そして、ウイスキーを日本のスタンダードにするのは、これは、単なる仕事の成功ではなくて、新しい時代を拓く、作る、ということなのである。
「いまだウイスキーを知らない日本人」というのは、心のなかに壁があるものだ、と思う。
「これまで日本人は日本酒だけを味わってきた。日本人なのだから、これからも日本酒で行くべきだ」という頑固で強固な考えである。
それは、過去を懐かしみ、古い時代に固執する、ある意味、悪い性癖のようなものである。
現代の日本にも、「和」を尊ぶことはよいことなのだが、そこに固執する方向性があるように思う。
そして、広く世界から飛び込んでくるものや、新しいもの、新しいライフスタイルに、なじもうとしない。
それは、「一口も味わったことがないもの」を、「新しいから」という理由だけで拒否しているのと同じではないだろうか。

鴨居氏も政春も、「一口も味わったことがない」「体験がない」という人々に、新しい味を一口一口、広げて行こうとしている。
それが、新しい時代を拓く、ということなのだと思う。
日本一の、日本で最初の、仕事をするには、人々の心の壁を崩して、新しい時代を実際に味わってもらうことが、必要なのである。
これは、壮大な夢の実現でもあるだろう。

時代は、誰が連れてくるもの、とも、誰が作るもの、ともはっきり言えないときもある。
政春が生きた、大正から昭和にかけての時期は、まさに時代が大きく変化しようとしていた時期であった。

政春と鴨居氏は、その新しい時代の息吹を体中で感じながら、新しい気風を日本中に広げようとしている。
それは、まさに、古い時代との格闘である。

政春の「男のサクセスストーリー」は、こうして、古い時代との戦いをして、勝って、新しい、いまだかつてない時代を構築することなのだ、と思う。