2014年12月21日日曜日

連載・83 玉子焼き。

お料理エッセー・そら豆のひとりごと。

とかく物事は、極めれば極めるほど、シンプルになっていくような気がする。
職人技といわれるものも、極めた人の腕は、とてもシンプルである。
たとえば、大工さんが、木の枝を一本切る。
小さな子どもにはとてもむずかしいその一本の木が、大工さんにとっては、いとも簡単に、そして美しい動作なのである。

お料理にも、同じことがいえるように思う。
極めれば極めるほど、お料理はシンプルに素朴になっていく気がする。
たとえば、玉子焼きである。

小さな子どもが、初めて挑戦する料理が、玉子焼きかもしれない。
小さな手には、この玉子が、とても大きくて繊細に感じるのではないだろうか。
こわごわと掴み、こわごわと割る。
こわごわとかき混ぜて、そこまでで肩で息をつくほどの緊張である。

あるいは、今から料理を上達させたい、という若い奥さんがいる。
どんな玉子焼きを作ろうか、と思案する。
調べる。
試す。
あれやこれや、と調味料もお皿も付け合せも工夫する。

それでも、やはり、プロの料理人だったら、この玉子焼きを、きわめてシンプルに作るにちがいない、と思う。

なんの映画だったか、題名は忘れてしまったが、モノクロだったと思う。
男性の料理人が主人公であった。
すべての物語の終わりに、映画フィルムの長回しが行われる。
10分間くらいあったと思う。

料理人がキッチンに入ってきて、自分のランチをとるのであるが、そのときに、パンと、それから玉子焼きで、ランチをとるのである。
まずフライパンをとる。
火にかける。
オイルを注ぐ。
玉子を二個、片手で割る。
フォークでかきまぜる。
玉子焼きができる。
皿にすべらせる。

パンをかじりながら、この玉子焼きを、フォークでちぎって食べる。

料理人が作った玉子焼きの味が、物語のエピローグからよくわかった。
いつでも、いつまでも、どこか心の片隅で、この料理人の玉子焼きが、消えていかない。
きょうもできるだけシンプルな玉子焼きをめざして、なんだか悪戦苦闘しているのが、私のお料理エッセーである。