かつて、明治維新、という時代があった。
あれは、時代ではなくて、変革そのものだったのか。
あるいは、歴史だったのか。
あるいは、駆け抜けた青年たちそのものだったのか。
アメリカからの黒船を前にして、男たちは、新しい時代、新しい日本を模索した。
ときには出会い、ときには語り合い、ときには畏れ、ときには、果し合いをした。
そうして、時代を作っていった。
明治維新という時代は結局、尊皇攘夷派と開国派に分かれていった。
攘夷とは、外国や外国からの文化を拒否する、という意味合いが強い。
今の日本と相通じるものがあるように思う。
時代の中で、男たちは、どのように選び、どのように生き、どのように死んでいったのか。
そして、どのように時代を造っていったのか。
私は、その男たち、青年たちの群像に、女性ながら、一歩でも二歩でも、参加したいと思った。
そして、友達であるか恋人であるか、そんなことは時代の波のなかでどうとでもなるような状況のなかで、言論を重ねていった。
けれども、やはり私は今は思う。
時代変革というのは、男の仕事である、と。
今の私は、激動とも激流ともいえる時代のなかで、ただただ、押し流されて引っ張られていくしかない。
とても、「参加」とは言えない状況である。
私は、この明治維新の時代の激動と変革から、離れることにした。
それは、私には、私自身にとって、一番思いがけないことだった。
けれども、潮流というものには逆らい難い。
憲法改正は、男の仕事である。
その仕事に、ひとことも、口をはさむまい、と思った。
これからも私は、ときおり、時代の波の下にある穏やかな生活を、ここに書いてくかもしれない。
けれども、憲法改正は男の仕事である。
遠くから近くから、見守っている。