師走の人々の気持ちがどんなものかに関係なく、クリスマスイブに第三次安倍内閣が発足した。
この内閣がめざすところは、憲法改正であるらしい。
年末、暮れも押し迫り、来年の手帳や日記帳を買い求める。
新しい年はどんなふうにしようか、どんなふうになるのか、想像してみる。
でも、私の想像は、とてもゆううつなものだ。
今年は、集団的自衛権で、さんざんな目に遭った、と思う。
私がかつて目指していたものは、北欧のような高福祉社会であった。
もしも今から来年にかけて、高福祉社会を目指すなら、一生懸命書いて、書くことに喜びも生きがいも見出すことができたかもしれない。
けれども、結局は、消費税は、国防軍に使われることになった。
これではあの、野田内閣のときに、がんばったことが報われないどころか、私が目指していた社会制度からはますます遠ざかることになる。
そんな仕事を来年も続けるのか、と思うと、新年のことを予想してみても、ゆううつなだけなのである。
もともと、集団的自衛権も、無茶だと思ってきたし、やりたいとも思っていなかった。
それが、あっという間に決まってしまって、その後のフォローをしなければならなくなった。
国民の大半が反対であった集団的自衛権の、私自身も反対であった自衛権の、論理的な裏付けの仕事をしなければならなかったのは、苦痛であった。
今年はまったく面白くない一年であった、とつくづく思うのである。
これで、朝ドラの感想、という記事に思い入れがなかったら、とっくにやめていたであろう、ブログ記事作成の仕事である。
いっそ、今年いっぱいで朝ドラ感想の未練を断ち切って、政治からは一切手を引こうか、と真剣に考えている。
安倍内閣は、暴走していると言われているが、少なくとも、急ぎすぎている。
急進派、というのは、こういうものなのか。
世の中の混乱や社会不安は、見えていないのだろうか。
東日本大震災から、3年と9カ月の時が流れている。
震災のあとは、政府もメディアも国民も力を合わせて一生懸命立ち向かった。
復興のために力を合わせた。
けれども、メディアというのは、政府に常に反抗して、政治に鋭く目を光らせているのが、本来の姿なのではないだろうか。
このところは、政府VSメディア、という構図もようやく見えてきたかんじがする。
これが、一番自然な形なのではないだろうか。
大震災の傷跡が、ようやく4年経って、本格的に表れてくるころだ、と言われている。
私も正直言って、今年は身体がまいってしまって、お医者さんにもかかった。
「震災の疲労が出てくる時期なんですよ」と言われた。
休養を勧められているなかを、ひとり、書かなければならず、本当にまいってしまった。
なかなか休みもとれなかった。
メディアの人たちがたくさんの人が、順番で記事を書けばよいところを、私はひとりで書き続けてきたと思う。
心身共に、疲労してしまった、というのが、実情である。
これから、国民大反対の憲法改正に取り掛からなければならない、となると、来年も仕事をしたら、まさに命を削って、もう長生きできないのではないか、と悲観的な気持ちにもなってくる。
私が書けば、なんでも実現できるように錯覚している人たちが、どこかにいるのではないか、と思えて、その欲求の暴走に、哀しくなってくる。
憲法改正など、やめようではないか。
私も、やめたい。
世の中がそのように進めば、ついていくしかないのかもしれないが、以前のように、瞳をキラキラ輝かせて、毎日毎日、ブログを書くことが楽しくてたまらなかったときとは、うってかわった様相である。
このようなゆううつな仕事を、来年もいやいやながら続けていかなければならないのだろうか。
メディアの人たちも、本当に心から、これを実現したい、と強い思いとエネルギーを持っている人たちが、いったい何人くらいいるのだろうか。
本当はみんな、休みたいのではないだろうか。
私も、休みたい。
静かで穏やかな、新年を生きていきたい、と思うのだ。
心から望んだ文章を書いていきたい、と思うのだ。