2015年3月20日金曜日

憲法改正は不可能。

今、日本は岐路に立っている。
4月からの、アメリカのイスラム国空爆に関して、日本から自衛隊を派遣するかどうか、来週には結論を出さなければならない。
その決定の期日が近づいている。

そのあとの日程と言うとどうだろうか。
日本は、なだれこむようにだんだんと、確実に、戦争へ向かうようである。
来年の夏の参院選のあとには、憲法改正のための国民投票が行われる、との見方もある。
この国民投票の結果はどうなるだろうか?
誰も予測できないのだろうか?

私は思う。
今の日本国民に、憲法9条の改正を求めるのは、不可能である。

アメリカやドイツ、フランス、中国のように、最初から法による規制がなく、当たり前のように軍隊を持っている国なら、そのまま続けることもできるだろう。

しかし、もともと、軍隊を持たない、国際間の紛争を武力で解決はしない、という憲法を持っているものを、覆して、武力を持つように説明することは、理論的に不可能である。

国際的には、日々ますます、人権意識の高まりがみられる。
さまざまな差別やハラスメントへの「目覚め」がある。
これは、人類の意識の向上である。

そういった時勢のなかで、紛争解決のために、他者の命を奪ってもいい、とする正当な理屈が、私には思い浮かばない。
特に、平和教育を受けてきて、第二次世界大戦や核爆弾の恐ろしさを、忘れない運動を続けてきた日本国民にとっては、絶対に不可能な話である。

集団的自衛権に関しては「自衛」の二文字で説明することもできた。
しかし私は、紛争の武力解決を正当化する理論を、どうしても持つことができない。