2014年2月15日土曜日

ソチオリンピック・女子フィギュア・フリー


冬季オリンピックも、開会式から一週間の日程が過ぎた。
今朝は、私もライブで見ていたが、男子フィギュア・フリーでは、
日本の若い期待の新星、羽生結弦選手が、金メダルに輝いた。
とてもうれしかった。
アナウンサーも、「爽やかな笑顔」「爽やかな演技」と称賛していた。
本当に素晴らしい金メダルだったと思う。

こうなると、なんだか心配というか、期待が重くなってくるのは、女子のフリーである。
今季のオリンピックでは、女子選手が、なかなか力を発揮できない状況のようである。
遠いロシアのソチのことではあるが、私なりに思ったことを、書いてみようと思う。

ひとつは、ソチの環境のことである。
オリンピックが始まる前から、ちょっとしたニュースにはなっていたことであるが、
ソチの環境は、突貫工事のためか、あまり良くないようだ。
たとえば、化粧室の問題があった。
それから、エレベーターが故障して閉じ込められた、外国人男性選手がいたそうである。
男子選手なりに、力でこじ開けたらしい。
それから、選手村のクリーニングの体制が追いつかないようで、ウェアをクリーニングに出しても、誰のものかわからない、という状況もあるようだ。

これらの状況は、男性選手にとっては、かえって発奮材料になるものかもしれないが、女子選手にとっては、厳しいものである。
また、暖房設備が充分なのかどうか、これも心配である。
ソチは、ロシアのなかでもまだ暖かい気候のところである、ということだが、
画面で見る限り、とても寒そうである。
羽生選手は東北出身ということで、寒さ対策に慣れていたのではないか、と感じられるところがある。
日本人選手、女子選手だけでも、そのあたりの肌理細かい配慮をしてあげられないものか、と思う。

次に、今回の大会の雰囲気として、欠かせない状況は、テロ対策と、ドーピング検査である。
オリンピック大会は、年々、問題を大きくふくらませる状況になっている。
国際情勢も無関係ではいられない。
特に、ロシアの黒海地方は、ロシアとヨーロッパ、中近東を結ぶ場所にあり、テロが頻繁に起こっている地域でもある。
ロシアも、国の威信をかけて、テロが起こらない、安全な大会として成功させようと、力を尽くしていることだろう。
前回の夏季五輪、ロンドンでも、テロ対策が一番の問題であった。

次に、選手たちの、演技の問題である。
まず、浅田真央選手である。
この緊張した雰囲気のなかで、ホッケーやスノーボードでは、むしろ良い戦いのエネルギーになるところであるが、フィギュアスケートでは、特に女子では、ここで、エレガントさや、芸術性が要求される。
浅田選手の、ショートプログラムでは、ショパンのノクターンを選曲している。
ここで、浅田選手が、ノクターンを演じるには、やはり極度の緊張は、周囲の環境から伝わってくるものだ、と思う。
私は、この雰囲気のなかで、「演じやすい」と思うのは、「悲しみ」という感情の表現である。
ソチ、ロシア、テロ、という環境のなかで、世界情勢や紛争に対する「悲しみ」という気持ちを、つなげて行って、持てないだろうか、と思う。
特に、韓国のキム・ヨナ選手には、技術はあっても、感情表現がない、と言われている。
ここで、美しい、訴えるような「悲しみ」を表現してはどうか、と思う。

次に、鈴木明子選手である。
鈴木選手のフリーの曲目「オペラ座の怪人」は、題名からは想像がつながらないが、恋愛ストーリーである。
これは、フリーの演技の、日本時間の前日に、衛星放送で、映画が放送される。
これを、日本の人たちが、みんなで観て、「オペラ座の怪人」とは、どういうストーリーなのか、よくよく理解して応援していきたいものだ。

次に、村上佳菜子選手である。
村上選手のとてもよいところは、元気さとはつらつとした性格である。
演技が終わった後に、ガッツポーズをとらないように、優雅さを気品をプラスしたいものである。

また、浅田さんのフリーは、ラフマニノフである。
やはり、オリンピック前の選考会でもそうであったが、演じきれない、と葛藤している状況がうかがえたように思う。
私が思うのは、まず、三回転半ジャンプである。
これは、曲の流れとして、リズムやタイミングがつかみずらいところで、ジャンプとなっている。
会場の音響効果にもよるのかもしれないが、どの音でジャンプのタイミングを決めるのか、音楽と楽譜と、よく相談して、決めておいてはどうか、と思う。

また、ラフマニノフは男性の作曲家であり、ロシアの荒々しい真冬の大地のイメージがあり、浅田選手の個性では、どうにも合わないように、思えるところがある。
以前にも私は、「嵐のイメージ」と思ったのだが、やはり、前回の大会では、男性的な、森の木が荒々しく揺さぶられるような状況になってしまった。

私は、ここに、やはり、女性には女性が感じ取る嵐があるのではないか、と思うのである。
たとえば、嵐が怖いとか、あるいは、悲しい、せつない、つらい、という気持ちである。
腕にも悲しみとせつなさを表現するのがよいかもしれない。
また、実際にロシアに行って、感じ取った、雪原の寒さ、凍りつくような大地のなかで咲く一輪の花、をイメージしてはどうかと思う。
一輪の花は、吹雪のなかで、はかなげに、切なく、頼りなく揺れるのである。