国家主義。

国家主義とは何か。
きょうは、このテーマを論じてみようと思う。

国家主義とは、簡単なたとえをとってみれば、
家が大事、そしてそこに暮らす人々の健康や幸せ、命というものは、
家の次に大事、という考えである。

箱が大事で、その箱の中にある命は、二番目だ、という考え方である。

かつての日本の家制度、家父長制度は、
そこの家の娘さんが、好きでもない男性のところに嫁いで、
泣いて暮らしたとしても、
「家のため」ということで、彼女の気持ちを踏みにじることは、平気だった。
優先順位として、家という箱が大事で、命はその下にあったのである。

老舗の店の暖簾も、そうかもしれない。
老舗の店を継続し繁栄させていくために、
跡継ぎの息子がどんなに学問ができても、
どんなに好きな女性がいても、
まずは老舗の店を継続させることが大事で、
息子の気持ちや時には、相手の女性を選択する権利まで、
二番目三番目になってしまうのである。

本来は、人を幸せに、健康に生きさせるために、
家や店があるのではないだろうか。
箱だけ残っても、そこに暮らす人々が幸せでなければ、
何の意味もないのである。

今、オリンピックのさなかである。
オリンピックは、世界中からそれぞれの国が、代表選手を出して、
国対国、の戦いを行うところである。
スポーツというルールのあるゲームに昇華しているけれども、
本質的には、国と国との戦いという点で、
世界大戦に近いところがあるのかもしれない。
「国の威信をかけて」「国の名誉をかけて」という。

こうしたときに、人は自然に、自分の出身国を応援する。
これは、健全な愛国心(パトリオティズム)である。
健全な愛国心は、自分自身が依って立つところの、
母系集団を、自然に愛する、大切にする、という意味である。
自分の母国は、自分のアイデンティティの基盤を作る、
とても大切なものである。

このごろ、こうした「郷土愛」「健全な愛国心」が、
失われているかもしれない。
東京に出てくると、出身地を隠そうとする人がけっこうたくさんいる。
自分が生まれて育った場所、地域を、愛せないどころか、
憎む人もたくさんいる。
これは、心が、あまり健全ではない、ということである。

このパトリオティズムが、行き過ぎたところが、
ナショナリズムつまり、国家主義となる。
健全か、健全ではないか、の境目は、
「命と比べて、優先順位はどちらか」という点である。

国が勝てれば、ひとりひとりの兵の命は二の次、これが、
ナショナリズム、歪んだ母国愛である。

ナチスのユダヤ人収容所では、
本当に最後の最後まで生き残った人たちは、みな、
最後の最後まで、食べるものを分け合った人たちである。
「私ひとり生き残ればそれでいい」という考えの人は、
どんどん先に、死んでいったのである。

そうなると、幸せとは何か、という論法になってくる。
それは、次の機会にゆずることにしよう。
ただ、「幸せ」という概念は、そのものとして存在する、ということが、
とても大切だと思っている。