「婚活」という言葉が、社会に通用するようになって、しばらく経つように思う。
「婚活」という言葉が、当初とても珍しく思われたのは、結婚のために、積極的に活動をする、ということが、とても不思議なことであるように感じられたからだ。
というのは、男性と女性は、自然な形で出会うのがふつうであったし、親や社会がときにはどんなに反対しても、出会うべき男女は出会い、結婚に向かっていくものであった。
だから、やはり、結婚や男女の出会いは、自然な形が一番であるように思われる。
また、日本には伝統的にお見合い結婚というのがあったが、これも、女性本人が、積極的に行うものではなかった。
そうした意味で、「婚活の時代」は、不思議な時代である。
出会いに関しては、昔は、地域の「おせっかいおばちゃん」や、親戚のおばちゃんなどがいて、年ごろの男女の仲立ちをしてくれたものだ。
しかし、現代では、お見合い結婚は否定される傾向にあり、恋愛結婚が主流となっている。
こうした、恋愛、結婚の環境が、とても変化しているように思う。
女性の人生は、ふつうに考えて、恋愛、結婚、妊娠、出産、子育て、と進んで続いていく。
この人生の課程を、順調に進めていこうとすると、積極的に、まずは恋愛をして、次に結婚をしよう、ということになる。
そして、25歳も過ぎたら、周囲の人たちもあれこれ言うようにもなってくるので、積極的に、計画的にこの人生の課程を進めていこうとする。
女性にとっては、ある意味、当たり前のことである。
女性の人生は、普通に考えて、これから先、恋愛、結婚、妊娠、出産、育児、
と続いていく。
この人生の過程を順調に進めていこうとすると、積極的に、まずは恋愛をして、結婚をしよう、ということになる。
そして、25歳すぎたら、積極的に、計画的に、この人生の課程を進めていこうとする。
女性にとっては、普通のことである。
この、女性の人生課程を、よりよく積極的に進めようとすると、たとえば、学校を選んで、進路を選んで、受験勉強をして、エントリーシートを提出して、受験して、面接を受けて、結果を受け取り、合否を判定する、ということになる。
それと全く同じ方程式で、婚活を、熱心に行うことになる。
その際、自分の能力を高めたり、能力をアピールすることにもなる。
また、相手=志望校に対して、どれほどの能力があるいか、詳しく調べて、そこにいきたいかどうか、綿密に調査して、調べることになる。
しかし、実際には、恋愛、結婚というのは、人と人との感情や、相性や、縁結びということが関係してくる。
だから、どれだけ努力して、熱心に行っても、それが実を結ぶとは限らない。
綿密に調べて選択した結果の相手に、どうしても好意を抱くことができなくて、本当に好きじゃなくてもいいのかどうか、悩む人もいる、と聞く。
また、とても好きな人に、経済的な力がまだついていなくて、結婚しても生活の基盤がない、とか、あるいは、「思う人に思われず」ということにもなる。
男女の仲は、コンピューター見合いが発達したとしても、なかなかうまく運ばないようだ。
あるインターネットサイトで、某国立大学の大学院に進学した女子学生が、専業主婦になりたい、と、婚活をしていると、そういう記事を読んだ。
私は思った。
せっかく大学まで行かせてもらって、たくさん勉強をしたのに、その学力や知識を、社会に出て、世のため、人のために、役立てようとは思わないのだろうか。
女性の生き方として、人間の生き方として、どうなのかと思う。
女性の生き方が、問われる時代であるように思う。