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登山に関して思うこと。

日本は、諸外国に比べて、休日が少ないのではないか、と言われているらしい。
国民的に祝日となれば、休みも取りやすくなるし、いろいろな形で祝日が増えるのは、喜ばしいことである。
今、国会では、「山の日」の制定を目指しているそうである。
そういえば、7月に「海の日」ができたのは、けっこう最近であったような気がするから、そうして法律で祝日が制定できるのは、楽しい試みであるように思う。

今回の「山の日」に関しては、憂慮すべきことがらも、いくつかあるようだ。
ひとつは、山岳遭難事故の多発である。
以前から思っていたことだが、大みそかの「紅白歌合戦」を見ていると、間にニュースが5分間くらい入るのだが、それがほぼ必ず、冬山の遭難のニュースであるような気がする。
「なぜ山に登るのか」…。
登らない人たちにとっては、わざわざ危険な山に登るのは、単なる趣味にしか思えないところもあり、そこで遭難して命を危険にさらすのは、理解に苦しむことがある。
しかし、このところ、「森ガール」「山ガール」など、自然に親しもうという若い人たちの流行も出てきて、自然に親しむのは、積極的に行いたいこと、となってきた。

私が、この登山ブームと、遭難事故の多発に関して思うことは、いくつかある。
ひとつは、以前、海難救助をする専門の人たちをテーマにしたドラマ「海猿」を見ていて、感じたことである。
海上保安庁の特殊訓練を受けた海難救助の専門家たちは、命がけで救助活動をしている。
そして、特別に災害がないときには、海に関する安全広報活動をしている。
ある日、遊泳禁止区域の海岸を巡回していた。
そこに、若いおにいちゃんたちがいて、テントを張って、バーベキューをしている。
この人たちに、海上保安庁の人たちが「ここはとても危険な場所です」「ここでキャンプをしないでください」「危険に遭うことがあります」「すぐに退去してください」と必死の思いで呼びかける。
しかし、海を甘くみたのか、海上保安庁を甘くみたのか、彼ら若者たちが、言うことをきかない。
撤収をしないのである。

ドラマであるから、その続きはあきらかである。
案の定、海が荒れ始めて、その遊泳禁止区域には、高波が押し寄せる。
そして、キャンプの若者たちは、海に流されてしまうのである。
さっき、注意勧告をしたばかりの海上保安庁の特殊部隊の専門たちが、「命がけで」救助にあたるのであるが、彼らにはなにか割り切れない、もやもやとした気持ちが残るのである。
そして、救助活動をしながら、すっきりと集中できないのである。
こうした、救助にあたる人たちの、気持ちまでも、よく扱ったドラマであったと思う。

また、登山に関して思うのは、よく北海道の大雪山で起こる、遭難事故である。
地元にいて思うのは、こうしたニュースは本当に残念であるが、率直に言って、迷惑である、とも思ってしまうのである。
というのは、大雪山というのは、地元北海道の人たちであっても、登らない山である。
危険であり、おそろしい山である。
藻岩山ぐらいならなんとかなるが、大雪となると本当に熟練したプロでなくてはならない、そんなことは常識である。
プロにとってもおそろしいのではないか、と思う。
そうした山に、地元にも雪にも慣れていない、本州の登山家たちが、やってきて、挑戦をするのだ。
彼ら挑戦者たちは、もともと仕事を持っていたりして、グループで来ることもあって、あらかじめ日程を決めて、飛行機に乗り、宿を予約している。
そして、遠くからお金をかけてやってきた、ということが理由で、登山予定の当日の朝、山の様子が雨であっても霧であっても、嵐が近づいていても、「せっかく遠くまできてもったいないから」という理由で、強引に登り始めてしまうのである。
こうして、山のご機嫌をうかがわない態度が、遭難に直結しているとしか思えない。
本当に山を知っている人なら、絶対に登り始めないような気候、天候、条件のなかで、登山を始めてしまうのだ。
起こるべくして起こった遭難事故である。
だから、どうしても、同情のしようがない…としか言いようがない…。

また、北海道の地元では、遭難救助のために、山を好きだという人たちが、ボランティアと地元自治体の税金で、救助活動を行っている。
本州から来た、無謀な旅行者のために、税金を救助に使うのは、なんだか割り切れないものである。
また、救助隊も、そのために命と体力を使うのは、全然、割り切れない気持ちでいるのである。

そうした状況を踏まえて、登山を楽しむということを、いま一度、考えてみてはどうなのだろうか。
自然に、それもとても厳しい自然に、立ち向かっていくということ、上手に付き合っていくということ、そうしたことを、心と身体と予備知識とで、覚えていきたいものである。