原発のない暮らし。


反原発派が、世の中を荒らしまわっている。
思い通りにならない不満でうっぷんがいっぱいであるようだ。
それなので、もしも彼ら反原発派の言い分が通った場合のことを、シュミレーションして、彼らに提示してみたい。
原子力発電がまったくなくなるとすると、他の電力源に頼ることになる。
火力、水力、太陽光、自然的発電などいろいろあるが、火力発電は大量の二酸化炭素を排出する。
エコライフを目指す反原発派にとって、二酸化炭素を増やしてでも火力発電をしようというのは、つじつまの合わない話であるからやめてもらうことにしよう。
貿易赤字も膨らんで大変である。

また、こうして原発がなくなったあとどうするのか、代替案を示してくれというと、その代替案を考えるのが政治をする人たちの仕事であるから、我々は示された政治に対してただ「いやだ」と言えばいい、言う権利がある、という理屈がある。
とんだ甘えん坊さんである。
その甘えん坊さんのために、原発がなくなった暮らしを、シュミレーションして提案してあげなければならないだろう。

太陽光をはじめとする天然資源を使った発電はとても不安定である。
私も自宅で、ソーラーの電灯を使っているが、きょうのような雨の日にはまったく役に立たない。
蓄電池の生産も、20年、30年がかりとなるが、それでも代替できなくはない。
しかしそれでも、原発をすべてフル稼働していた当時の電力量には到底追いつかない。
そのときの、日本人の生活は、現代とは一変してしまうことを、具体的に想像してみよう。
まず、電車は動かない。新幹線も動かない。空港の設備が動かないので、飛行機にも乗らない。
夜、深夜のコンビニは開いていない。
夜間トラックは配送をしない。
夏の間、エアコンは使えない。
夏の間、冷蔵庫は使えない。
冬、暖房器具は使えない。灯油や火を使うものは二酸化炭素を排出するのでこれもダメである。
そしてもちろん、パソコン、携帯電話、スマートフォン、インターネットは使えない。
ファクシミリも使えない。
電話交換手は夜間は電力節減のために、お休みをしているので、電話は使えない。

美しいエナメルの靴は、工場で電気を使って作られているものである。
こうした靴はもう履けない。
機械織りの繊維を使った安価なスーツ、これを着ることはできない。
服を着たい人がいたら、自分で機織りをするのがベストである。

今、オーブンは電気が主流であるが、オーブンで焼いたパンやクッキー、ピザは食べてはいけない。
電子レンジを使うのは、もってのほかである。

そうすると、生活の状況は、ほぼ江戸時代、となる。
これもまた趣があってよいものだ、というわけであろうか。
ライフスタイルの変化が強要されるのが、原発廃止論である。
原発廃止論者はまず、これら江戸時代生活を、自らが実践するべきである。
インターネットを使ってデモを呼びかけるなど、電気を使用することは、してはいけない。
一軒一軒、昔のように歩いて声をかけに行けばよいではないか。

原発廃止論者の皆さんが、今からたとえば試行期間として、半年なり一年なりを、こうした電気なしの生活を本当にすることができるなら、多少はその声に耳を傾けてもいいかな、と思う。
一年をその生活で耐える。
反原発派が、今の日本に一万人いるとしたら、その一万人には、どこかの過疎地域に集まってもらって、そういった暮らしをしてもらうことにしよう。
主義主張を持った彼らにできることなら、主義主張のない私たちにも、できることかもしれない。
でもまずは、言い出した本人たちから、電気なしの生活を、試みて、実証するべきではないか。
そこまで言って、反原発運動をするならできるはずである。

彼らに本当にもし、電気なしの生活が耐えられたら、私たち原発推進派も、ちょっとは耳を傾けてあげてもいい。
でもきっと、無理だろうと思うから、反原発派のインテリジェンスな皆様の生活も考えて、「原発も電気もあったほうがあなたのためですよ」と言ってあげているのだけれども、思いやりの心というのは、なかなか通じない人たちのようである。