おかあさん。ありがとう。

きょう、5月11日は、母の日である。
毎年5月11日が母の日、と決まっているわけではなくて、「5月の第二日曜日」という設定のしかたである。
冬が終わり、桜が咲いて、五月の青空が広がるこの、一年で一番いい季節に、母の日を決めたことを、とても楽しく思う。
子どものころの母の日は、幼稚園や学校で、お母さんの似顔絵を描いたり、お母さんへのプレゼントを、折り紙で作ったりした。
似顔絵を描こうとすると、どうしてこうもまた、お母さんと似ていない絵になるのだろう、と本当に悲しくなったものである。
ずっと以前、昭和の時代であるが、サトウハチローという詩人がいて、「母という字のむずかしさ、やさしさ」と言っていたように思う。
母の似顔絵は、むずかしくて、やさしくて、ときどき涙が出てしまう。

年齢があがるにしたがって、母の日への思いも変わってくるものだ。
女の子として生まれ育てば、母と同じように、女性を生きることになる。
そして、年齢それなりに、そのときの母の思いが、わかるようになってくる。

そして面白いのは、年齢が上がるにしたがって、母に似ているところが、むしろクローズアップされてくるところである。
子どものころは、「お母さん似ね」とか、「お目目がそっくり」などと言われると、うれしかったものだ。
背の高さや、あとは、電話での声がそっくりだ、と言われると、そうなのかも?と笑ってしまう。

もっとずっと大人になってくると、物の考え方や口調が、母とそっくりになってきて、自分でも苦笑してしまう。
そして、大人になって世間を知るようになると、子どものころに母からの教育を受けたと思っていたのとは、またちがうことに、気づかされる。

それはたとえば、私の大好きな編み物である。
編み物がちょっとした流行になってくると、編み物を初めてしてみたい、という人がとても多いことに気付く。
そして、自分はいつから編み物をしていたのだっけ?どんなふうに覚えたのだったかな?と改めて考えてみるのである。
そうすると、初めての編み物は、母が、自分の道具と毛糸を使わせてくれて、手取り足取り、教えてくれたのだった。
確か、小学校2年生ごろだったと思う。
お人形さんのマフラーを編んだのだった。
お母さんから何かを教えてもらうのは、とても楽しかった。
憧れのお母さんに、一歩近づくわけであるし、編み物などは特に針を使うので「もっと大人になってから」と言われていたのである。
ちょっとだけ、大人に、お母さんに近づくのは、本当にうれしい楽しいことだった。

そういえば、子どものころは背がまだまだ小さくて、早く大きくなりたい、ととても強く思っていたとは、思わないだろうか?
一歩また一歩と、大人と同じことを始めるのを、お母さんはいつも、導いてくれたと思う。

そう考えてみると、お料理も、洗濯も、掃除の仕方も、花瓶に花を生けるのも、シャツのたたみ方も、全部、今も、お母さんと「おんなじ」である自分に気づくのだ。

母の日に、お母さんが、どんな思いで娘のわたしからの、カーネーションを受け取ったのか、ということを、今はなんだかよくわかる。
そうして、あの日、あの年、どんな贈り物をしたのか、全部覚えているのは、娘の私ではなくて、母のほうであると、よくわかるのである。

私の母は、赤いカーネーションというよりは、大輪の真っ赤なバラのように、気丈なところがあった。
一方で、やさしく風に揺れるコスモスのような、可憐なところもあった。
やさしい、明るい、気丈で、ときどき頑固で、泣き虫でもあったお母さんを思い出すと、ひとりの女性の人生とその生きた時代を、生き生きと、我が身で感じるのである。

お母さん。ありがとう。


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