きょうは、師走も28日となった。
官庁は御用納めの日である。
大掃除などをして、あとは忘年会であろうか。
明日からは本格的に、Uターンラッシュとなる。
こんなに暮も押し迫ったときに、外交は年末の最後の最後まで、とても忙しそうだ。
28日のきょう、岸田外相が訪韓して、日韓外相会談を行う予定だ、という。
慰安婦問題の妥結をはかっているらしい。
ところで、私もあらためて、友達や先輩に尋ねてみたのだが、慰安婦問題というのは、結局のところ、事実だったのか?
誰にどう尋ねてみても、答は明白で、今、日本政府がしようとしていることは、友好的な外交問題ではなくて、歴史をねじ曲げようとしている、ということらしい。
未来志向で考える、という意味はよいことだと思うが、韓国の人々の気持ちを考えると、これは、非情な国家的策略で、TPPやこれから起こるであろう戦争に関して、韓国を脅した、取引だと思う。
韓国は、中国や北朝鮮に挟まれたが、経済のこともあって、アメリカ組に着くことにしたようだ。
それにしても、安倍総理の「おわびの手紙」というのは、なんなんだろう?
心から謝罪するつもりは毛頭なくて、ただ、この場を丸く収め、あとあと利益を収めるための、演技で行う「おわび」というわけだ。
思い起こしてみれば、8月の広島、長崎での「おわび」も、そのあとの談話も、あとあとの利益、権益を思えば、簡単に頭を下げることができた、というわけなのだ。
どこからどこまでが嘘なのか、まったくわかりかねる。
ここ数年の安倍政権で、どの団体も、どの個人も、政権から「飴」と「鞭」の両方をもらったのではないか、と思う。
そう思うのは、私自身がその「個人」であるからだ。
テレビの報道番組では、有能なキャスターが、降板を明らかにした。
言論の封じ込めも甚だしい。
このテレビ局もきっと、「鞭」をくらったのだろうが、同時に、「飴」もたくさんもらっていたのだろう、と思うと、なんだか人間って、こんなものなのか、と思ってしまう。
だけど一番情けないのは、安倍政権である。
支配力はとても強めているが、その内容は、飴と鞭による拘束であり、「志を共にして集まった」とか、「尊敬の気持ちで集まった」というわけではないのだ。
何よりも確かなのは、安倍政治の内容を理解して支持しているわけではない、ということである。
「仕方がないから言うことを聞いている」のであって、「素晴らしい理想に共鳴している」というわけではない。
安倍氏の演説は、カリスマめいた、独特の調子を放っているが、これらのすべてが、甘い言葉と、なんとなく理想的に見える、へんてこな理屈に基づいているのだ、と思うとぞっとする。
民主主義、ばんざい、である。
これでもし、選挙制度がなかったら、権力者というのは、何をどこまで行ったのであろうか?
あとは、安倍政権が怖がっているのは、選挙だけ、ということになるだろうか。
しかしここに、マイナンバー制と国政調査が加わっている。
おそるべし、おそるべし、恐怖政治の時代となったわけなのである。