「喜びを表現する」ということ。

きょうは、日曜日。
師走となれば、いろいろと忙しい。
貴重な日曜日である。
私はきょうは、年賀状の住所録を打ち込みをしていた。
毎年、少しずつ引っ越しなどがあって、正確に住所を打ち込むのは、
根気のいる作業であるが、
お正月を思うと、それも師走の日曜日ならではの楽しみである。

昨日、土曜日には、「ミュージックフェア」を見た。
たくさんの、素敵な歌があった。
私の大好きな松田聖子さんの歌もあった。
「生きてるって素晴らしい」!
松田聖子さんにしか表現できないフレーズである。

人生には、山があって谷がある。
人にはいろいろな感情があって、喜怒哀楽がある。
表現者というのは、喜怒哀楽のすべての感情を、
表現できる技術力がなければならない。
それがすべてできないと、優秀な表現者とはとても言えない。

松田聖子さんは、特に「喜び」「楽しさ」を表現する力がある。
作詞家の松本隆さんも、松田さんのことを、「天才」と高く評価している。
作詞家としては、「恋をした喜び」「恋がかなったうれしさ」「恋人と一緒にいるときのときめき」を、歌手に表現してほしい、と願うものだ。
それを、頭のてっぺんから足のつま先まで、「うれしい」と表現できるのが、松田さんだ、ということである。
私も、松田聖子さんの歌からは、恋をする喜び、歌う喜びが伝わってくる。
そして、生きる元気が湧いてくる。
湧いてくるというよりは、元気をもらえるのだろうか。

表現者としては、視聴者や読者を、悲しい気持ちにさせたり、落胆させたり、暗く沈んだ気持ちにさせたりするほうが、技術的には、簡単なことである。
これは、映画でも言えることであるが、たとえば、コメディ映画などを、「お笑い」といって、ちょっと低く見る人もいるけれども、実際には、視聴者を泣かせるよりも、視聴者を笑わせるほうが、ずっと難易度が高いのである。

日本には伝統的に、話芸というものがある。
落語である。
この落語は、さまざまな種類はあるものの、お客さんを「笑わせる」ところに、高い技術が求められている。
人を泣かせることは簡単だが、笑わせることは、伝統芸能として弟子入りして習い、そして襲名するほどの、高い高い技術だ、ということである。

笑い、喜びというのは、ポジティブシンキングである。
ポジティブでいる、ということは、絶え間ない努力の結果である。
一方で、悲観的である、悲しんでいるということは、運命や人生に流されている、ということである。
人生は、自分の手で切り拓き、自分の手で建設するものである。
流されている人は人生を、「与えられるもの」という言い方をする。

私は、表現者としての松田聖子さんの特徴を、「愛される喜び」特に、「男性から愛され守られ、大切にされている女性の喜び」だと思う。
これは、特別な才能でもあるかもしれない。
フィギュアスケートの浅田真央さんも、この「愛される喜び」を表現できる才能を持っている。
そして、それを演じて、視聴者に、元気と勇気を与えることができる。

一方で、ひねくれて、ふてくされて、陰気で暗い表現者は、愛されないつらさ、愛されないみじめさしか、書けない。
というのは、体験が浅いからである。
人生体験が浅く、思索も浅薄である。
だから、「人生は喜怒哀楽」などと言いながら、実際には「人生は、怒と哀しかない」のである。

こうした表現者が、なにごとかを表現して、それを読んだり聞いたり見たりすると、結局のところ、不幸になる方法はわかるけれども、幸せになる方法はわからない。
これは作者自身が、幸せになる方法を知らないからである。

私は、幸せというのは、努力してその上に建設して、一生懸命がんばったところにある、と思う。
そういう女性が、たくさんの男性たちから、愛され、守れていると思う。
松田聖子さんの歌は、たくさんの男性たちから支持されている。
それは、聖子さんが、元気で、生きる喜びに満ち溢れているからである。
愛される喜びがある女性は、美しくて気品がある。
そして、絶賛されている。
これからも、私は、松田聖子さんを応援したいと思う。

天国のキッス →

https://www.youtube.com/watch?v=xZvqFEDguV0

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