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シングルマザーとその子どもたち。

子どもの貧困が今、わたしたちが抱える問題となっている。
子どもの貧困について、テレビでも新聞でも、インターネットでも、詳しくその内実が語られている。私もそれをよく読んでみる。
子どもの貧困には、いくつかの典型があるようだ。
ひとつは、以前は「母子家庭」と呼ばれた「ひとり親家庭」である。
母子家庭も父子家庭も、一様に子どもを育てるには、課題を持っている、という意味で、名称を「ひとり親」にしたのだろうが、やはり、ずっと以前からそうであったように、母子家庭つまり、「母ひとり子ひとり」という家庭において、貧困の度合いが、強いようである。

私が気になったのは、これらのニュース記事を読んでいて、その詳細が語られているにも関わらず、この家庭が、どうしてひとり親家庭になったのか、その理由については、ほとんど触れられていないことだ。
子どもが産まれた以上は、今は母子家庭であったとしても、必ず父親の存在があったはずである。
なぜ、結婚したにも関わらず離婚をしたのか。
あるいは、なぜ結婚をしなかったのか。
そのいきさつについては、ほとんど触れられていない。

しかし、新聞ニュースが触れても触れなくても、だいたいのところは想像がつく、というところだろう。
ひとり親家庭になった母は、結婚しても夫婦関係がうまくいかなかったので、離婚したのである。
夫婦関係がうまくいかなかったのはなぜなのか。
その理由は千差万別だろうと思う。
なかには、夫のDVを挙げている記事もあった。
あるいは、インターネット上で匿名の記事があって、夫の浮気が原因で離婚した、という例がある。
いずれの場合でも、夫つまり、男性の側に原因があって、離婚せざるを得なかった、ということである。
けれども、子どもには何の罪もない、夫は憎いが、子どもは可愛い、というのが、母親たちの気持ちである。

また、もうひとつの、ひとり親家庭の理由としては、もともと結婚しないで、子どもが産まれた、という状況である。
「シングルマザー」という言い方には、結婚してから子どもが産まれて、それから離婚した場合と、最初から結婚をしなかった場合と、両方が含まれている。
私が特に、いろいろと思いを至らせるのは、後者の、「結婚をしなかった」場合のほうである。
シングルマザーのなかには、結婚をして産まれた子どもも、結婚をしなかった場合も、どちらも同じように扱ってほしい、という願いがあるようだ。
それで、「シングルマザー」という言葉でひとくくりになっているが、子どもが産まれるまでの過程は、ずいぶんとちがうように思える。

私が、ここで、シングルマザーに至る「いきさつ」にこだわるのは、ひとつ大切な理由がある。
それは、母親となった女性が、それで本当に幸せだったのか、よい選択をしたのか、という大きな疑問があるからである。
やはり、子どもを持つほど、父親となった相手の男性を愛したのならば、結婚したかったのではないだろうか。
結婚したかったのに、できなかった、それは、女性として、幸せなことなのだろうか。

「いろいろ事情があって結婚はできなかったけれど」
という言葉で、自分が持つ複雑な恋愛状況を、正当化して、見えるものも見えなくしてしまってはいないだろうか。
「子どもをもつくらいに、私たちは愛し合っていた」
そういった理屈をつけて、結婚できなかったこと、結婚した夫婦や結婚後に産まれた子どもとの「ちがい」があることを、なんとか自分の気持ちに、整理をつけたいのではないだろうか。

同じことは、結婚したけれども離婚した母子家庭にも言える。
なぜ、他の夫婦はうまく関係が続いて、生涯にわたって伴侶でいられるのに、なぜ「うちの」家庭だけが、うまくいかなかったのか。
本当に、「男が悪い」「男性の責任」なのだろうか?
本当に、妻の側、女性の側に、なんの責任も原因もなかったのだろうか?

私は、こうした問いに対して、なかなか答が出てこないことを、残念に思う。
そして、彼女たちの、「いろいろ事情があって」「愛し合ってはいたのだけれど」という気持ちの整理のための理屈を、正当化して、「男性が悪かった」ことにすることを、よくないことだと思う。
このところの、特に女流文学のほうでは、こうした理屈を、正当化するような文学が多いと思った。
そして、そこに愛があったから、という理由で、何か自分を楽にしたい、あるいは、愛という言葉で、人生から逃避しようとしているような気持ちを、思った。
それは、「楽な方向に流されたい」という気持ちでもあるし、女性としての母性本能、つまり、「本能に流された生き方」とも言えるのではないか、と思った。

けれども私は、そうしたシングルマザーや、離婚に至った母親たちを、責めているわけではない。
まして、生きている価値がないとか、人権もない、とか、自由な発言もできない立場だ、と言っているわけではない。

私は、彼女たちが一様に抱えている「なぜ?」の問いに、答えようと思ったのである。

私は昨年、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」の感想を書いていた。
脚本家の中園ミホさんは、結婚しなかったシングルマザーである。
中園さんが、「花子とアン」の放送が始まる前から、シングルマザーであることを宣言して、「大いにやらかそう」みたいなことを言っていたのを知って、私は、中園さんに、教えてあげたくなったのである。
「なぜ、ワタシの恋愛は、結婚に至らなかったのか?」
というその理由である。

「花子とアン」の放送を見ていて、ヒロインの花子の行動や言動をつぶさに見て、私はそこに、「結婚に至らない恋愛」のたくさんの兆しを見て取った。
それを、ひとつひとつ、ブログに書いて、アップしていったのである。
そうすると、ストーリーが、誰が見ても、つじつまが合わなくなってきたと、思わないだろうか?

シングルマザーになった理由を、「なぜ、私の両親の恋愛は結婚に至らなかったのか?」というテーマとして考えてみることもできる。
私はここがよく見える。
このあたりがわかると、自分自身の出自も、自分自身の存在価値も、よくわかってきて、すっきりするのではないだろうか?

もし、要望があれば、それを何回かに分けて、書き綴ることにしようと思う。