2014年8月18日月曜日

「不思議」な時代。


よく眠っていた夜中に、ふと何か重苦しい気配がして、目が覚める。
暗闇のなかで電灯をひとつ灯すと、まるで、誰かにじっと見つめられているような、不思議な気配がする。
物音はひとつもなく、シーンとしていて、普段なら遠くのバイパスを車が通る音くらいはするのだが、なんの音もない。
映画の無音場面のように、とても静かだ。
お茶でもいれようかと思うが、あまりの重苦しさに、そんな気持ちになれない。
冷蔵庫に何か冷たい飲み物でもあったかな、と思うが、食欲もない。
こんな夜に、ほかのみんなはどうしているのだろう?と思う。
ツイッターのタイムラインをのぞいて、みなが、テレビを観ていたり、ゲームをしていたり、高校野球の結果をつぶやいているのを見て、少しほっとする。
それでも、なにかこの時間に、どこかで誰かが、何かとても思い悩んでいるのではないか、と心配になる。

「死」という文字がこのところ、たくさんのところで目につくようになったような気がする。
「死」の時代、「殺」の時代なのだろうか、と不思議に思う。
これまで、それ相応に長く生きてきて、こんな世相はなかった。
つい先月には、世界各地で飛行機の墜落事故が次々に起きた。
大きな事故、小さな事故、社会事件、せっかくの夏祭りも台風や事故で、楽しめる状況からは程遠くなっている。
いったい、何が起こっているのだろう?いったい何がどうなっているのだろう?
いろいろな仮説を考えてみる。
実はどこかでひそかに、戦争が起こっているのだろうか。
ウクライナでの飛行機墜落事故は、本当は第三次世界大戦の始まりで、どこかの国が戦略的に墜落させたのではないだろうか?
次々と起きる飛行機事故も、本当は、どこかの国の作戦なのではないだろうか?

世の中を社会不安に陥れるような、誰かの策謀があるのだろうか?
もしそうだとしたら、誰が何のために、そういったことを行うのだろう?

あるいはもしかしたら、キリスト教で言われていたように、最後の審判のときが来たのだろうか。
ハルマゲドン、ということなのだろうか。
キリスト教では、ハルマゲドン、最後の審判のあとに、復活があり、地上の王国が築かれるのだという。
だけど、そこで生き残らないとならない。
宗教的な話であり、これまでは意に介さない説話であったが、その予言が、当たってきたのかもしれない、とさえ思ってしまう。

いったい、この時代の、この「死」「殺」という重苦しい空気は、どこから生じたのだろう?
時代の節目なのだろうか。
転換点なのだろうか。

私は、思う。
やはり、新しい次の戦争が始まったのだ、と思う。
今度は、ヨーロッパ対アジアの戦いなのではないかと思う。
アメリカを打倒した日本を、ヨーロッパが虎視眈々と狙っているように思う。


あるいはもしかしたら、西洋文明と東洋文明の、「文明の衝突」なのかもしれない。
「挑戦と応戦」は、そんなにたやすい戦いではない。