2014年8月23日土曜日

これからの暮らしのこと。

8月もお盆を過ぎ、子どもたちの夏休みも終盤である。
9月からは2学期、そして秋となる。
2年前の8月そして9月には、アジア危機があった。
あのとき、日本と、日本の国に暮らす、愛する家族を守るために、とにかく必死で夢中だったことを思い出す。
ラジオで語学講座を、4月から五か月も続けてきたのに、あと一か月で修了という9月の一か月を、アメリカとのやりとりと、戦争が始まるかもしれない強い不安と、その戦争に負けるかもしれないという畏れとで、いっぱいになって、語学に集中できなかった。
あの夏から、もう2年も、世界情勢が続いているようである。
それは、外交と呼ぶべきなのか、それとも、絶え間ない戦争なのか、あるいは絶え間ない、上位争い、下剋上の争いなのだろうか。
日本は、その争いを、せざるをえない状況になったのだろうと思う。

私はあのとき、ともかく、アメリカの、アジアに対する戦略をやめさせればよい、と思っていた。
でも、その続きは、必然的に流れがあったということだろう。
それだけでは、終わらなかったのだろうと思う。

そのあと2年間、私は、アメリカを含めた世界情勢が、勢力分布図を変化させていくための、大きな変革の時代にはいっていたことはわかっていた。
しかし、絶え間ない、日本への攻撃や、あるいは日本からの反撃があるとは、思ってもみなかった。
戦争には、いろいろある。
交通戦争も「戦争」と名がつくものであるし、また各国間の経済戦争もまた、「戦争」である。
それらを含めた戦争が、もうすでに2年も続いていたとは、知る由もなかった。
それでも、続いてきたことに、まちがいはないのだろう。
私がただ、「今の世の中どうなっているのか、よくわからない」と、世界に心を閉ざしていたのかもしれない。

今も、あのアジア危機のときのように、なんらかの状況分析や、あるいは、戦略を述べたりが、できたらよかったのかもしれない。
しかし、今の私には、情報が少なすぎることもあって、何がなんだか、さっぱりわからない。
それに、やはり、戦争は男性の領域であると私は思う。
日本に暮らす愛する人たちの命を守るために、という意義では、女性らしい、命を守る気持ちが強く働いたのかもしれないが、今、外に打って出るような積極的な行動には、どうにも気持ちが向かない。
どうしても、できない。
女性には女性の領域があり、守るべき立場や、居るべき場所があるのだ、と涙をのむしかないのかもしれない。

これから、戦争はいったい、何年くらい続くのだろうか。
あのときの、対アメリカの日本の対応を考えると、世界各国からの日本へのやっかみは、とどまるところをしらないように思う。
それでも、アメリカを「やっつけた」日本は、世界一の上位を誇っているはずなのだが、と思う。

この2年間、私たち一般の国民は、戦争が起こっていることも、あるいは、2年前にアジア危機があったことも、まったく知らないで来た。
そして、市内の食料品店は通常通りに営業をし、電気もガスも水道も、まるでなんの滞りもなく、使うことができた。
私の趣味というか、好きなことである、雑誌の小さなふろくも、今でも続いている。
女性向けの雑誌は、今でもファッションや料理、秋冬物のバッグや靴のきれいなカラー写真を掲げている。
テレビ番組も、楽しそうに続いている。

あれから2年、さまざまな形で、メディアの報道もとても「厳しく」なり、あまり油断して浮かれて遊んでいないように、というような自覚を呼び覚ますようになってきている。
これは、治安維持法とまではいかないが、治安に対してもっと警戒心を持ちましょう、という意味であると、私は常々思ってきた。
それで、本当にここ2年は、行動なども、不要不急の外出はしないように、心掛けてきた状況である。

これから、あと何年に渡って、こうした状況が続くのだろうか。
以前のような平和な状況にはならないのだろうか。
もっとも、以前の日本社会は、「平和ぼけ」とも呼ばれたくらいの、気の抜けた状態であったかもしれない。
私が知りたいのは、これからの、私自身の暮らしについてである。
あるいは、私自身の仕事についてである。

仕事について言えば、私はどうしても、ここ一年、あるいはここ二カ月悩んだ通り、戦争や戦略には、どうしても気性が向いていない。
それでも、国内のことや、女性の教育、子どもの教育など、できることはあるかもしれない。
国内の情勢がある程度守られるのなら、教育や社会構築など、実際にできることはあるはずである。
そうした仕事をしていくのがよいだろうか。
しかし、本音といえば、戦争が終わるまで、自宅でおとなしく暮らしていきたい、という気持ちである。

もうひとつは、暮らしのことである。
食料品や衣料品、医薬品やライフラインは、守られるのであろうか。
もちろん、戦況によっては、さまざまな状況へと変化していくこともあるだろう。
しかし、たとえば、私は、秋の気配を察すると、秋冬物の衣料の支度を始めるのが常であった。
年末に向けて、来年の手帳やカレンダー、冬物衣類の買い物などを始めるのが、私の秋の習慣である。
しかし、戦争ということになれば、これから物資不足や、あるいは、ぜいたくは慎むとか、ぜいたくを慎むのは当たり前としても、本当に、食料品や必要な衣類や生活用品まで、数が少なくなる、ということは、あるのだろうか。
もしそうだとすると、生活に関して、もっともっと、注意事項があるはずである。
これまでと同じ生活態度でよいはずがないと思う。
これから、一般庶民としては、どんな生活態度を心掛ければよいのだろうか。
冠婚葬祭も慎むべきなのだろうか。
たくさんのたくさんの、「わからないこと」があって、心はまだ、薄暗い闇のなかにいる。
もしもこれからの、暮らしのこと、生活態度、ライフラインや食料、仕事のことを、よく教え、導いてもらえたら、目の前は少し、明るくなる。
そして、今なにをどうすればよいのか、確かな行動指針が見えてくる。