日本中をにぎわせた「白蓮事件」のエピソードも幕を閉じて、物語は次々に進んでいく。
ここまで来ると、放送もあと2か月となり、ラストスパートに向けて、花子の人生を、着々と進めていかなければならない状況のようだ。
これまでも、NHKの朝ドラを見ていて、こうした、何か「人生早送り」の場面も慣れてきて、あら、と思ったらナレーションと字幕が出てきて「大正12年」と、数年も飛んでいたりする。
これも朝ドラの見どころである。
朝ドラは、ひとりの女性の一生または半生を描くものであるが、やはり人の人生というのは、「飛ばせる時期」と、「刻銘に描きこむべき時期」とが、あるのではないかと思う。
結婚をして、子どもが生まれて、白蓮事件があって、その次としては、関東大震災は欠かせない。
これまでも、明治から大正、昭和を描いたドラマや小説があるが、必ずその時期に、関東大震災は入ってくる。
時代背景として欠かせないものである。
これから先、平成という時代を舞台にしてドラマや小説を描くとき、あるいはひとりの人の人生を描くとき、東日本大震災は、やはり欠かせない時代背景になるのだろう。
「そのとき、ヒロインはどうしていましたか?」という問であり、「私はどうしていました」の答でもある。
また、作家の腕が問われる場面でもあるだろう。
今回の朝ドラでは、関東大震災を一週間で扱うことにしてしまった。
これは、ドラマの筋書きを進める上での、必要悪か、やりたくない宿題のように扱われるような状況でもある。
ただ、時間の関係で、簡素に描くしかなかったのかもしれない。
関東大震災では、花子の夫・英治、その弟である郁弥が、震災の犠牲になる。
花子の妹かよの、恋人でもあった、郁弥であった。
ここでは、花子が震災で受けたショックが描き切れず、ただ、「どんなつらい境遇でも、涙のあとには笑顔になる」という、テーマが強調されたように思う。
また、子育てでは、大正時代としては、「これ本当?」というくらい、育児に熱心な父親が描かれた。
平成の時代では、お母さんだけが子育てをしているようなシーンは、視聴者からお叱りを受けてしまうのだろうか。
花子・かよの姉妹の対比が、あまりにも単純で、そこに、姉妹らしい女性らしい、感情の葛藤が見えてこないところもある。
ただ、ここで花子は、とてもつらいときに、子どもたちにお話をする、という経験をする。
花子の、児童文学への道は、このあたりをきっかけに始まったようである。
花子が、白蓮のように恋愛短歌に進まず、宇田川満代のように現代小説に進まず、翻訳と児童文学に進んだ、なんらかの芽生えが、見え始める週であった。