7月1日からこれまでのこと。

2014年7月1日。日本において、集団的自衛権の解釈が、閣議決定された。
その日から、もう一か月と22日が過ぎようとしている。
私は、この4月から、ずっと集団的自衛権については、悩んできた。
昨年末の、秘密情報保護法案から、ずっと悩んできた。
私は、今の政権を支持してきた。
私は、決して右翼だったわけではなく、東日本大震災のあとの日本に、求心力の強い政権が必要だと思ったからであり、国民であるかぎり、政権というリーダーのもとに、力を合わせるべきだ、と信じたからである。
それが、国をよくしていくただひとつの道であるし、大震災という天災を乗り切るための、たったひとつのよい方法であると信じてきた。
現在の政権は、衆議院、参議院の数を考えても、絶対的多数であり、安定政権であり、ともすると、「独裁政権」とも呼ばれかねない政権である。
独裁は、危険なことである。
しかし私は、「よい王様」の「よい政治」という可能性を考えて支持してきた。

今年の6月は、集団的自衛権を考えて、どうしても納得できなかったし、支持しかねるところがあった。
権利として持っていることを大事に考えているのか、それとも、すぐにでも戦争を始めたいのか、私には判別できなかった。
そして、まさか戦争はしないだろう、と政権を信じることにした。
そして、自分の頭の中で論理をひっくりかえしてはつじつま合わせをするかのように、集団的自衛権と正当防衛について考えて、書いてきた。
それでも、戦争を始めるだろうとは思わなかった。
露ひとつ、疑わなかった。

しかし、7月1日に集団的自衛権の閣議決定がなされると、すぐに、戦争は始まった。
ウクライナ上空でマレーシア航空機が爆撃されたときに、私にはすぐにわかった。
たくさんの日本国民にも、すぐわかった。
そして、次々に世界中で、飛行機が撃墜され、大規模な事故が起こっていった。
これらが、集団的自衛権の解釈変更を得たばかりの日本国が、日本政府が行った戦争であることは、誰の目から見ても、明らかだった。

戦争は、サッカーゲームとはちがう。
そこには、人の命がかかっている。
マレーシア機でも、たくさんの子どもたちの命が失われた。
悲しみと心の痛みで、私は、寝込んでしまった。
それ以来、一か月と22日、私は自室から、起き上がれない毎日を送っている。
昼もカーテンをひいて、エアコンをかけて、ただただ、亡くなった子どもたちのために、祈る日々を続けている。

これまで、どんないやがらせをされても、政権を支持してきた私は、いったい、なんだったのだろう?
なんのために、3年間もブログを書き続けてきたのだろう?
すべて、「平和のため」だった。
日本が平和であっても、世界のどこかで、戦争の惨禍が起こっている。
そういったことをなくして、世界中が平和になるように、世界中の人々が幸せになるように、みんなが笑顔で暮らせるように、それが私のずっと前からの、たったひとつの、生きる目標であり、生きがいであった。

しかし、私のしてきたことが、戦争に直結してしまった。
私が支持していた日本国が、日本政府が、率先して戦争を始めてしまった。

自分の生きている間に、世界の平和は実現できないかもしれないが、それでも、平和に向かって一歩一歩、進むことができるだろう、と確信していた。
しかし、結果は無残だった。
ふたたび戦争が始まった。この戦争は何年続くのかわからないが、世界の各地では、以前にも増して、破壊が始まっている。
私の生きている間に、平和になることは、もう絶望的になってしまった。
あとはただ、戦争、戦争、人為的な事故、そして、神がお怒りになったように自然災害が起こるのである。

なんとかして、自分で自分の筋をつけようとしてみた。
つじつま合わせをしてみようと思った。
こうして、一時期はたいへんに犠牲者が出たとしても、いずれ世界政府のようなものができて、国連は平等になり、平和な世界が構築される、そのための一時的な通過点である、と考えようとした。
しかし、事態はよりいっそう、悪くなるばかりである。

そして、日本が戦争をしていることはこんなに明白なのに、反対運動を恐れてなのか、政府はそれを宣言しようとしない。
国内は守り、国外で戦争をする、というつもりだったのかもしれないが、当然ながら、国内も荒れてきている。
人の心が荒れて荒んできている。
何よりも、希望がない。
こんな戦争の世の中を生きて行って、何が楽しいものか。

私は、7月1日以来、一か月と22日で、すべてを失ってしまった。
まずは、健康状態を失ってしまった。
ほとんど食べていないし、眠ってもいない状態で、お医者様のお世話になっているが、エンディングノートを日々、書いては消している状況である。
そのエンディングノートを書くためのペンを持つ手もおぼつかない。
私のしてきたことが、たくさんの人の命を奪うことになったなんて、私は「人殺し」ではないか。
私に、生きていく資格などないのだ、という強い慙愧の念が、心と身体を、むしばんでいくのがわかる。
もう今年いっぱい、命はないのかもしれない。
生きていたとしたって、なんの希望があるものだろうか。
これまで、3年間書いてきたこと、生きてきたこと、そのすべてが、世界中のたくさんの人たち、未来ある人たち、子どもたちの命を奪うペンだったというわけだ。
あまりにも罪深く、生きている資格のない私は、家族とも孤立し、たったひとりの夜を、闇の中をさまよっている。

あんなに楽しかった、家庭菜園では、ミニトマトの赤い実が、たくさん実っては落ちる。
ピーマンも茄子も、たくさん実をつけた。
春にはあんなに楽しく、夏の実りとお料理を楽しみにしていたのに、人命を奪った私には、これらの美しい実を手にする資格がないのだ。

友達に言われて、男性たちは、あるいは政府の人たちは、日本国の女性たちを守るために、ひいてはあなたを守るために、戦争を始めたのだ、ということも考えてみた。
二年前のアジア危機を考えると、アメリカを撤退させただけでは、日本も世界情勢も終わらなかった、ということだろう。
私にとっては、アメリカの野心を終わらせただけで終了であったが、その続きがあった、ということなのだという。

あるいは、男性は、基本的に、戦争が好きなのだという。
戦争が好きだという、男性の心理を、理解しようと、この一年間、とても苦しみ悩み、苦闘してみたが、最後の最後までわからなかった。

私は思う、戦争はやめてほしい。
たとえどんな理由があったとしても、戦争はやめてほしいのだ。
これ以上、私に咎を与えないでほしい。
これまで政権を支持してきた私には、何よりもつらい罰となってしまった。

男性たちが、競争心や闘争心があるのは、素晴らしいことだと思う。
しかし、戦争は、行き過ぎではないだろうか。
どうか、やめてほしい。
そして、私に、以前のような豊かで明るい日々を、返してほしい。
以前のように明るく、朝の光を浴びて、木々の梢に吹く風に笑顔し、小鳥たちと歌い、花を育て、ピアノを弾いて、おいしいお料理を作って、詩歌に親しんでいた生活に、かえしてほしい、と思うのだ。
今の私はそれらのすべてを、暗黒の絶望のなかに、失ってしまった。
闇をさまよう私に、誰か、道しるべを教えてくれないか、と思う日々なのです。