広島市で起きた土砂災害は、8月25日現在で死者50人、不明者38人を出す被害となった。
市街地とも呼べる地域で起こった災害であり、地元の人々をはじめ、日本中の人々の、心理的なショックは、とても大きいところである。
報道を読むと、もともとこの地域は、山肌の地盤が弱く、以前にも同じ土砂災害を起こしていた地域であるという。
そういった地盤に、再び住宅地を建てて人が住んでいたことは、人災に当たるといわれてもしかたのないところがある。
私がテレビ映像で見ていても、あるいは、ときおりその地域を旅してみても、「どうしてあんな、山の災害のありそうなところに、住宅地を建てるのかな?」と不思議に思うときがあった。
北海道では平原、平地が広かったから、平地に家を建てるのは当たり前のことであったけれども、日本の特に海沿いでは、平野部がとても狭くて、山に向かって、段々畑よろしく、段々住宅地を建てるのが、当たり前になってきているという。
それにしても、近年でずいぶんと無理な開発をしたものだと思う。
都市部への人口集中はこうした危険を持っている。
これから、地方の創生といった政策も始まるという。
昔から人が暮らしていた、地盤の安定した場所で、人々が暮らしを営めるような、そうした政策が今後、功を奏していくだろうと思われる。
政治という仕事は、とても昔の、守護、地頭、豪族、荘園主、地元の有力者、といったころから、一番の仕事は、「治水」であったといわれる。
また、政治を司る人が、「天帝」と呼ばれ、天と地をつなぐもの、と呼ばれたのも、人々がずっと以前から、人として暮らしを営むために、天すなわち自然とのつながり、付き合い方を、とても必要としていたからだろう。
その、「天と地をつなぐ」大役を果たしていたのが、政治家である。
利根川の治水もそうであるし、小さな農村の段々畑の水の割り当ても、そこから人間のコミュニティと、文化が始まった、と呼べるものであった。
川には、護岸工事が施され、川に沿って、お寺が建てられた。
このお寺は、水をめぐる人々の争いを治める役所であり、水害で亡くなったかたを弔う役割もあった。
水と人、自然と人との付き合いは、とても昔から始まっていて、その付き合いは今もまだ、終わるということがない。
今回の、広島土砂災害も、天と地をつなぐ政治の役割は、政治家としての手腕を発揮すべき、大きなテーマとなるだろう。
政府に期待したい。