2014年6月29日日曜日

在日コリアンとヘイトスピーチについて。

日韓関係には、本当に困ったものだ、と思う。
お隣の国であるから、貿易や人の交流もある、そして、政治と歴史の問題もある。
頭を抱える問題が多いのは、それだけ近い国だからかもしれない。
アメリカやヨーロッパに対しては感じない、考えない問題が、お隣の国だと湧き上がってくるものだから、不思議なものだ。

ほんの20年前までは、韓国はとても遠い国だった。
お互いに閉ざされていて、そこにどんな人が暮らしているのか、日本でも一般の国民が、韓国の国民の暮らしを知ることはなかった。
また、歴史についてもほとんどが知らされておらず、在日コリアンの存在も知らないという人が多数だった。
朝鮮学校やコリアンタウンの由来も知らない、という人が多かった。
私は北海道にいたので、朝鮮学校もコリアンタウンもなかった。
また、いわゆる「教科書問題」があり、事実も真実も、学校では教授されることはなかったと思う。

その後、社会活動家の人たちが中心になって、これらの問題を取り上げるようになった。
私が初めて、在日コリアンの存在を知ったのは、映画が好きでインディーズや自主制作の映画を観ていたころだったが「潤の街」という映画の題名だったと思う。
これは、「ユンのまち」と読む。
在日コリアンの「潤」という少女の名前は、韓国語で「ユン」と読むのだそうだ。

その後、日本の政府も、日韓関係に関しては、積極的になったと思う。
2002年ごろ、日本の、特に女性たちの間でとても話題になったのが、韓国ドラマの「冬のソナタ」というドラマである。
これは、韓国の現代に生きる若い男女の、群像劇である。
日本においては、NHKが、日韓関係の友好的な、文化的な交流を目的に放送を始めたものである。
当時、日本でも韓国でも、歴史や政治の問題はさておいて、まずは文化交流から、ということで、お互いがお互いに、同じ人間同士であるという視点から、友好関係をはかっていったのだと思う。

そうした状況のなかで、まずこうした、他国の文化を、柔軟な心でキャッチしたのが、日本の若い女性たちであったと思う。
韓国ドラマを見ていて感じるのは、「韓国の人も、私たちと同じ人間なんだ」という強い実感であり、先入観を見事に打ち破られる、という感覚である。
人として、親を愛し、愛する人を思う、携帯電話も使うし、病気になれば苦しむ、仕事に打ち込み、あるいは時には、「韓国でも電車が走っているんだ!」と驚いたりもする。
こうして、まず女性たちが、開かれた心で、隣国の文化を受け止めたのだと思う。
その後、海外旅行の行先としては、とても近くて2泊3日で友達同士で気軽に行ける、とか、エステ体験は、韓国の薬草や針灸の文化でとても貴重な体験ができるとか、民族料理でとても、おいしいものを口にすることができる、という理由で、楽しくでかけたものである。
また、サッカー選手の交流もあり、日本のJリーグにも、韓国から優秀なサッカー選手が来てプレーをしていた。

こうした、歴史も政治も「まずは抜きにして」という状況での、人的交流が、功を奏したのか、それとも裏目に出たのか、今はヘイトスピーチの状況である。
それでも、いずれ隣国と良い関係を結ぶための、通過点であるようにも思える。

ヘイトスピーチをするのは、主に男性であるらしい。
この気持ちというのは、日本女性がこうして、韓国ドラマなどに傾倒して、韓国の俳優にぞっこんほれ込むあたりから、「日本女性を韓国男性に盗られた」的な心情が生まれたようである。
これは、男性の心情と女性の心情とでは、ずいぶんと複雑な状況である。
女性が、ドラマや料理などから「みんな同じ人間じゃないの」と言うと、日本人男性はますます憤慨して、「他国の男に心を動かすのはいかん」「キャーキャーうれしがるな」というわけである。

こうしたことから、まずは日本女性が、多少はこの状況をわきまえて、ファンになったり、アイドルタレントとして好んだりするのは、あくまで日本人男性を対象とすべきである。
…というのも、なんだかどうなのかな、という話ではあるが…。

私は、思う、本当に20年、30年前までは、人的交流も少なく情報もまずほとんどないお隣の国だった。
それが、新しい関係を構築するための、通過点であるのだろう、と。

アジアには海があり日本は四方を海で囲まれている。
ヨーロッパでは、国と国とが地続きになっていて、国境がある。
ヨーロッパでは、とても近い隣国と、どのように関係を維持しているのだろうか。
私は、今の日本におけるヘイトスピーチの、あるいは韓国側からの強いヘイトアピールは、互いに独立したい、という要望の表れであるように思うのだ。
ヨーロッパでは、フランス人といえば、遠いアジアの日本からも「フランスのイメージ」が定着している。
フランスと国境を接するドイツに対して言えば、これもまた、ドイツはドイツなりのイメージが定着している。
それぞれに、それほど面積の大きい国ではなく、文化としても、源流は同じところから出ているのだと思う。
それでも、何かこう「フランス人としてのアイデンティティ」は、しっかりと確立されているようなのである。

日本と韓国も、それぞれの、自分で思うイメージでもいいし、外国から思われるイメージでもいいから、それぞれが「とてもちがった独立性を持っている」と感じ取れるような、アイデンティティ、イメージ的なアイデンティティを持っていくようにしてはどうだろうか。

それは、フランスにおいては、フランス革命やファッション、料理、フランス語、に代表されるものであり、ドイツにおいては、ビール、歴史、気質、に代表されるものかもしれない。
言語というのはとても大事なのだろうと思う。
また、どんな偉人、ヒーローを輩出したか、どんな文学・思想があるか、という点でもあるかもしれない。
それぞれがそれぞれの「いいところ」「長所」を大きく広げることで、それぞれの国民が、自国のアイデンティティをしだいにつかめていくのではないだろうか。

今、起こっているヘイトスピーチの心の叫びとその意味を、よく捉えて、よい方向へ引っ張ってあげることで、このエネルギーが形として、新しい日韓関係の構築へと、向かっていくのかもしれない。