2014年6月30日月曜日

「平和を守るために、悪魔を倒す」

集団的自衛権の解釈変更が、大詰めを迎えているきょう、6月30日、安倍総理は「悪魔を倒す」と発言した。
正義の味方である。
この場合の「悪魔」とは、経済政策におけるなんらかの障害のことを指したのだと思う。
この安倍総理の考え方は、集団的自衛権に関しても言えることのようなので、ここでこの「悪魔を倒す」という言葉を引用させていただいた。

集団的自衛権の解釈が、そのまま「戦争」に直結する、と思い込んでいる人がとても多いようである。
そしてその人たちは、「戦争」に反対し、平和を望んでいる。
その人たちにとっての「戦争」の概念、「平和」の概念が、安倍総理と日本版NSCのメンバーの思うところとは、ずいぶんちがうようなので、改めてここで、まとめの意味で書き記してみようと思う。

シリアやイラクでは、今も、平和に暮らしてきた一般市民、女性もお年寄りも子どもたちも含む一般市民が、反政府軍というテロ組織によって、住むところを追われ、銃によって脅され、市街地や自宅を破壊され、難民となってとても困っている。
シリアではこの難民の数は、300万人にもなるという。
平和だったシリア、この国の社会と暮らしを破壊したのは、まさに「悪魔」とも呼べるテロ組織の人たちである。
彼らは、強力な武器を持っている。
彼らテロ組織に対して、この、「一般市民の平和な社会への破壊行為」をやめさせるには、武力をもって、これを制するしかないだろう。

それが、「正しい」かどうかは、わからない。
それに、「悪魔のような人たち」が、果たして存在するのかどうかもわからない。
もしかすると人間はすべて平等で、話せばわかるのかもしれないし、何らかの教訓によって救われるのかもしれない。人間として生まれてきた者を「悪魔」と呼んではいけないのかもしれない。
また、これらのテロと平和社会の破壊に対して、根本的解決策がほかにあるのかもしれない。
でも私たち人類はいまだ、その根本的解決法を知らない。

今の時点で、最善を尽くすというと、これらのテロ組織に対して、武力をもって制圧して、平和な社会と、一般に暮らす人々を守る、ことである。
今、日本は世界の「親」の立場になろうとしている。
日本の国じたいは、自立した強い国となった。
これからは、世界的な問題に、対応していける、開かれた国になろうとしている。
それで、特に国際問題である、シリアやイラクの問題に対して、具体的で実行力のある、武力行使をしようとしている。
これは、国連軍とも位置付けられる。
国際的な警察組織とも呼べるだろう。

この国連軍、国際武力軍が活動を始めたからといって、今すぐ、第二次世界大戦の日本の状況のようにはならない。
ここが、大切なところである。
集団的自衛権の解釈を、すぐに戦争に直結させる人たちがいる。
その人たちにとって、戦争は「イメージ」である。
あるいは、年齢の高い人たちにとっては、過去の体験である。
すなわち、日本の本土が戦場となり、一般市民(軍人ではない人たち)に、戦火が及ぶことである。
市街地に爆弾が落ちて逃げ惑ったり、食料不足になったり、家を焼かれたり追われたり、あるいは、それまでどんな職業に就いていた人たちも、すべて兵隊として雇われるという状況である。
農家の仕事をしていた人、魚屋の仕事をしていた人、鍛冶屋さん、あるいはときには、学徒まで、兵隊として、戦地に送られた。
このような状況を、体験的に「戦争」と呼んでいるのである。

しかし、繰り返しになるが、今、日本が集団的自衛権に基づいて活動を始めたとしても、それは、遠くシリアやイラクに派遣される、特別な専門訓練を受けた職業軍人の人たちが行うことなのである。
第二次世界大戦の、市民が巻き込まれた戦争とは、ちがう形のものなのだ。
むしろ、そうして、かつての日本のように、平和に暮らしていた一般の市民、市街地を、戦争好きなテロたちから守るために、送り出される軍隊なのである。

そして、この軍隊では、繰り返しになるが、特別に訓練した兵士がこれに対応する。
もちろん、目的を認識したうえで、覚悟を持って職業に就く。
そして、現代の戦争に必要な知識と技術と体力を、訓練によって身に着ける。
身を守るための特別な技術も訓練して身に着ける。

「職業軍人」という概念は、日本で今、仕事を持って暮らしている市民が、ある日突然に徴兵されたりしない、という意味で、強調するべきだと思う。

集団的自衛権の解釈変更が、国防軍の作成につながり、それが「戦争」「武力行使」となるときに、第二次世界大戦での、日本の古い記憶に基づいて、先入観によるイメージで、ショックを受けたり、やみくもに反対するのは、あまりよいことだとは思えない。
また、政府のほうでも、じっくりと説明をすることが必要であると思う。
今、武力や武器、軍事をめぐる状況は変化しており、100年前とはまったくちがう状況なのだ、ということを、理解するべきである。

そして、日本は、いつも守ってもらう側の、子どものような立場でいるべきではない。
国際社会のなかで、国際貢献できる、もう一歩大人の立場に立たなければならない。
よそからやってくる戦争におびえるのではなく、戦争を起こす、「悪い人たち」に、積極的に対抗していける、力と覚悟を身に着けることが、とても大切であると、私は思う。