2014年6月24日火曜日

男女平等の社会を目指して。

このところの日本社会の目指すべきテーマとして、「今あらためて」ということだろうか、男女平等の社会、がある。
男性と女性は、人間として本来対等で、平等であるはずなのだが、どういうわけか、女性のほうが、「下」に見られている、という現状があるので、男女が平等であるように、と目的がある。
どうにもまわりくどい書き方をしたのだが、私個人は、この社会のなかで、それほど一方的に、女性のほうだけが、「下」に見られているとか、あるいは、立場が低いと感じたことは、あまりない。
それなので、この「男女平等」というテーマだけは、いろいろな女性たちの幸せや教育を思ってきた私にも、どうにも雲を掴むような話なのである。
その理由まで、さかのぼって考えなければならなかったのだが、自分自身を振り返って、ひとつは、北海道という地域性があり、北海道は男女平等であった、ということである。
北海道で暮らしていて、私が女性だからという理由で、ある意味「不当な」扱いを受けた、という経験はない。
調べてみたところ、北海道は、明治以降の開拓文化であり、その際に欧米の価値観が持ち込まれたために、男女平等の思想と雰囲気が根付いているのだそうである。
また、北海道は自然環境がとても厳しいために、男性も女性も、ともに働かなければならなかった。
たとえば、真冬の厳しい寒さから身を守るのも、「女性だから」という理由で、雪と氷に立ち向かわなくても済むということは、なかったのである。
また、原生林の開拓のためには、男女問わず、同じ労働と責任を受け持ったのである。
女性も働いていて収入もあり自分で自分のことができる、という状況のなかで、男女の平等が成立したのではないかと思われる。
これは、男性が「女性も立派に自立して働いている」と認め、尊敬した結果であると、私は思う。

今回、問題提起されている、ある女性議員が、議会つまり職場において、「女性だから」という理由で、不当な言論を受けた、という件であるが、私はなにかといろいろなことを思う。
ひとつは、こうした男性議員の言論は、本州の男性に独特の価値観から発生するものであり、北海道にいたときに、こうした発言をする男性は見かけなかった、ということである。
私自身は、本州に来てからは、こうした価値観を持つ男性に遭遇することはある。
内心は思っているのだろうが、言葉にしない、というタイプの男性もいるが、たいていの場合、そうした発言、つまり、仕事に関係のない、プライベートな発言が出るときには、女性が、とても良い仕事ぶりを発揮したとき、とても才覚や知識のある仕事をしたときである。
男性のほうは、こうした才気煥発な女性の仕事ぶりを見ると、つい、プライベートな面をつつきたくなる傾向があるようだ。
こうした男性なりの「性格」をよく知って、対応していくこともまた大切であるように思う。

今、女性たちに脚光が当たろうとしている。
女性の社会進出、活躍、生き生きとしたライフスタイルが、求められているし、男性たちもまたそれを支えようとしている。
そのときに、仕事を持ち、男性社会に羽ばたいていく女性本人も、強く気持ちを持たなければならない、と思う。
対等に見られたかったら、対等な仕事をして、がんばろう、と思う。
風当たりの強さは、承知の上ではないか。
ユーモアでかわすくらいの、潔さも持ちたい。
これからの男女平等社会に向けて、まず女性たちが、誇りをもって、がんばっていきたいものだと思う。