朝の連続テレビ小説「マッサン」も、佳境にはいっている。
演劇というのは、客席と一緒になって、ひとつの物語を紡ぐものである。
「マッサン」も、客席つまり、視聴者と一緒に、物語をつないでいるように思える。
それは、時代の呼吸、民意の呼吸ともいえるかもしれない。
今週「親思う心にまさる親心」は、ニシン番屋のクマさんの長男・一馬の出征に、すべてが注ぎ込まれていた。
主人公である、政春やエリーの出番が、ほとんどないかのようであった。
一馬の出征に関して、数日前から「三日前」「前日夜」と表示され、周囲の人々の心の動きが、丁寧に描写される。
NHKとしては、戦争に賛成なのだろうか、反対なのだろうか?と、首をひねる場面もある。
というのは、ストーリーとしても心情としてもそうだろうが、上司である政春はもちろん、恋人のエマも、エリーも、親も、姉も、「生きて帰ってきてほしい」という願いを強く持っていて、ドラマにそれが表される。
しかし、今週のドラマのタイトルは「親思う心にまさる親心」で、これは、現在の安倍総理大臣の出身地である、山口県の吉田松陰の名言である。
また、ニシン番屋のクマさんは、会津の出身で、戊辰戦争で敗北し、「長州」という言葉も飛び出す。
そして「戦争というのは、国と国とのケンカだ。ケンカは勝ってこそだ」とも発言する。
また「勝てば官軍」とも発言する。
クマさんの本心はどこにあったのか。
それは、親の自分が「生きて帰ってこい」と言ったら、息子の決心がにぶってしまうことを心配していて、励ましていたのであった。
本当は、生きて帰ってきてほしいのである。
ヒロインのエリーは、クマさんの親心を察して、「蛍の光」を歌って送り出すところを、スコットランド語の原曲「オールドラングザイン」を歌う。
「蛍の光」は別れの歌であるが、「オールドラングザイン」は、再会を祝う歌である。
歌詞を翻訳する際に、こうした微妙なちがいが現れたのだろうと思う。
英語の歌を歌ってはいけない時勢のなかで、エリーのオルガンと、恋人・エマの歌詞カードと一緒に、政春のウイスキー会社の社員と家族全員が、「オールドラングザイン」を歌う。
週のなかばの放送回では、一馬の幼いころのビデオも上映されて、現代にもし、「徴兵」「出征」ということが起こったら、こうしたこともあるのだろう、と思わされた。
実に見事な演出である、と思った。
私自身は、今の日本と世界情勢が、どこに向かおうとしているのか、よくわからない。
自分自身が、どちらに賛成か、どちらにつくか、ということも、なかなか決定できない。
集団的自衛権も、自衛隊の後方支援も、戦争かもしれないし、そうとは呼べないかもしれない。
けれども私はやっぱり、「親思う心にまさる親心」のタイトルは、NHKとドラマ制作者が、日本の為政者に、なんらかのメッセージを送ったものであるように、私には思われる。
私も、集団的自衛権に関しては、肯定したひとりであるが、やはり、こうして親子の心や、命、ということを考えると、「世界中の親子が、幸せに暮らしていける社会を」と思う。
今の世界情勢は、グローバルガバナンスを目指している、ともいえるかもしれない。
最終的に平和社会を築けるのなら、その途中の道筋に戦争と命の破壊が、あってもよいものなのだろうか。
私は今も、それを真剣に悩んでいる。
未だ勉強不足で未熟であることを、痛感させられる。
もちろん、そうした問題提起を含んだテレビドラマなのだろう。
見事に、問題提起させられた視聴者のひとりである。
ただ私は、目の前にテロリストがいたとして、どのように対処すればよいかわからないとしたら、「わかりませんでした」と未熟なままで、いいと思う。
未熟なまま、神様に頭を垂れて、たとえ負けても、平和を貫きたい。
不戦を、非武装を、貫きたい、と思う。
世界中の人が、親を持っている。
私も、心のなかで「お母さん」「お父さん」と呼びかけてみた。
どんな高邁な理想を掲げても、やはり尊い一つの命を、犠牲にするという手段は、私の心のなかで、成立しなかった。
「親思う心にまさる親心」
私は、この美しい春に、本当の平和を問題提起させてくれた、「マッサン」のドラマに、感謝した。