NHK「マッサン」第15週「会うは別れの始め」感想。

大好きな朝の連続テレビ小説「マッサン」も、一番寒い季節の放送となっている。
こうして、現実社会にどんなことがあっても、プライベートにどんなことがあっても、毎日15分ずつ、ドラマが進んでいくのは、実に淡々としていて、一日の日常性を保つのに、とても効果的である、と私は思っている。
思い返してみれば、昨年一年どんなふうだったっけ?などと振り返るときも、とにかくどんな日にも、朝ドラだけは欠かさず見ていた、と思うのである。

さて、第15週の「マッサン」は、前の週の「渡る世間に鬼はない」からの続きである。
政春は、鴨居商店で造っていたウイスキーが全く売れず、セールス担当となる。
そして、実家の母が亡くなり、国際結婚のエリーはその時初めて、鬼のようだった姑に認められる、という話である。
この姑、政春にとっては実の母親であるが、この母の最期の一言が「おまえの造ったウイスキーはまずい」という言葉だった。

世の中にはいろいろな人がいて、いろいろな母親がいるものだ、と思う。
可愛い息子さんが一生懸命作っているウイスキーである。
せめて最期にほめてあげるか、おいしいウイスキーを造れるように励ますか、どちらかにしたらよかったのに…と思う。
エリーはこの言葉を善意に解釈して、「おいしいウイスキーを造りなさいっていう励ましよ」というのだけれど、政春にとっては、やはりショックだったのではないだろうか。

そして、セールスで全国を巡回し、特に北海道に行ってきたときのことを忘れられずにいる。
「北海道に行きたい、でもやめようか」
「売れるウイスキーを造りたい、でもやめようか」
「自分の理想のウイスキーを作りたい、でもやめようか」
その葛藤、板挟み状態が、この「会うは別れの始め」というタイトルに表されている。
「会う」は、北海道と、そこに暮らす人々との出会いだろうか。
そして、新しい出会いに向かっていくには、大阪や広島の人たちとは別れなければならない、ということだろうか。

政春は、とてもおとなしくなり、鴨居商店での仕事にも打ち込むようになる。
そして、家には直帰でまっすぐ帰り、幼い娘エマに絵本を読んで聞かせたりして、よい父親、よい夫となっているのである。
あまりにもおとなしすぎて、妻のエリーが胸騒ぎを抱くほどである。

男のサクセスストーリーを考えるとき、この一週間の「惑い」「おとなしさ」は、とても大切であるように思われる。
政春は、仕事中に過労で倒れて、自宅まで運ばれてくるのだが、こうした体調不良も、一種の、今風で言えば、「ウツ」ということかもしれない。
しかし、ウツにはさまざまな意味があって、たとえば、エンゲージブルーとか、マリッジブルーというような「ブルー」の意味がある。
心が沈んでいるようであるが、その実は、心のなかで、大きな変化が起こっている時期なのではないか。

結局のところ、北海道に行くこと、北海道で自分だけの工場を建てることを決める。
あとは、金策である。
このときほど、政春が世間というものを知った時もないのかもしれない。
しかし、政春もすでに三十代なかばである。
いまだ三十代半ば、ということかもしれない。
若くて何も知らなかった二十代から、鴨居商店での数年を務めることで、日本でウイスキーを実際に作ってみたり、工場長としてリーダーとして勤めてみたり、後輩を育てたりもしている。
また、鴨居社長から教わってきたのは、「経営」ということだろうと思う。

政春と鴨居社長の決別のシーンはとても印象的である。
以前から方向性のずれが気になっていたふたりであったが、ここで断絶することになるわけだ。
しかしこれは、政春の、男のサクセスストーリーとしての、自立のときであった、と思える。
鴨居氏の「経営者には、社員とその家族を食べさせていく責任がある」という言葉は印象的である。
一方で、政春は「誰にも媚びないでウイスキー造りをしたい」という言葉も口にする。
このあたりは、とても考えさせられるところであった。

お客さんの喜ぶ商品づくり、というのは、「媚びる」ことなのだろうか?
マッサン、何かまちがってはいませんか?と思ってしまった。
しかし、商売も、モノづくりも、その店その店で、いろいろな方針がある。
ここが、政春の譲れない自立の分岐点だったのだろうと思う。

また、三十代なかばまで、住吉酒造や鴨居商店で仕事をして、世間とか仕事とかいうものを習得していったことも、大切な過程であったろうと思う。

とうとう、政春は、北海道に旅立つことになる。
出会いと別れを繰り返して、人は大人になるのだろうと思う。


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