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アジアのなかの日本という誇りについて。

アジアのなかの日本。
私はこのところ、いやここ数年、とても考えていることがある。
それは、二年半前のアジア危機と、そこから続く世界情勢のことである。
この状況と、今、日本が向かおうとしている方向がわからないと、本当に世の中が真っ暗闇になってしまう。

しかし、このところ、世界情勢が少しずつ見え始めている。

私がひとつ、自分自身の心を見つめて思うのは、まず「心の傷」を癒さなければならない、ということである。
二年半前のアジア危機において、自分自身が何を感じたか、ということが、とても長い間、自分でもわからなかった。
でも、時間をかけたら、わかってきた。
それは、深い悲しみであり、ショックであり、恐怖でもある。

あのとき、日本は東日本大震災に見舞われていた。
お見舞いに来てくれる世界中の国々の友情にとても感謝したものだ。
しかし、世界情勢はそんなに甘いところではなかった。
一年と少ししか経っていないのに、世界は、日本を中心としたアジアを侵略しようとしてきた。
人間、というものに、多少でも信頼感があるのなら、こんなに意地悪な考えを持つ人々がいまだ存在する、ということが、たいへんなショックである。

また、世界、というものを痛感させられた。
学校で習った地図くらいしか頭になかった。
知識でしかなかった「世界」というもの、そして「世界のなかのアジア」「アジアのなかの日本」として、国を守らなければならなくなった。
それは、知識だけで、とっさに守ったことであるが、あとあとになって、心に大きなダメージを与えたように思う。

それは、「日本である」「日本人である」という誇りが、自尊心が、とても深く傷つけられた、ということである。
誇りが破壊された、といっても過言ではない。

これまで、親に可愛がってもらった自分。
自分の家や、部屋、大切にしている食器までが、とてもつまらないものに見えてきた。
誰かに常に「いじめられている」という気持ちがした。
これは、アジア人である、日本人である、黄色人種である、ということを、痛感して、日本人の世界での立ち位置を、改めて確認してしまった、その痛みである。

常日頃、自分が日本人であることに、疑いを抱いていなかったし、誇りも持っていた。
日本は先進国であるし、また勉強もたくさんしている。
倫理道徳もきちんとしている。
自然も豊かで人情も厚い。
そうした日本人であることに、誇りを持ってきた。

しかし、二年半前のアジア危機のときから、世界情勢を痛感するにあたって、本当にアジアはバカにされている、小さな存在である、と痛いまでに感じずにはいられなかった。

そして、考えてみれば、テレビでもメディアでも、日本文化の良さを、世界に向かって発信する動きがさかんである。
懐古趣味か、と思うくらい、日本固有の、日本伝統の、という風物に、こだわり始めている。
私も、英語なんか使うものか、と思ったこともある。
黄色人種で何が悪い、と思ったこともある。
しかし、すべてが劣等感にすぎないのかもしれない。

こうした、世界のなかのアジア、アジアのなかの日本、その立ち位置がとても低いものであることを認識したときに、何かが心のなかで、壊れてしまったような気がする。

でも、気を取り直した。
私は、地球市民である。と思うことにした。
地球市民はすべてが平等である。
ここまできて改めて、日本が島国であることや、単一民族であることを思った。
そして、どんな肌の色であっても、人間は平等である、と改めて考えを持ち直した。
そして、傷ついた自尊心を取り戻せた気がする。

ところで、先日、NHK大河ドラマで「花燃ゆ」が始まったのだが、ご覧になってみただろうか。
NHKはいろいろないきさつがあって、今回の「花燃ゆ」のドラマは、安倍晋三総理大臣の肝いりだ、と言われている。
安倍総理は、以前から「長州魂」というような言葉を発することがあるようだ。
果たして、長州魂というのは、どういうものであったか。

ドラマを見て、改めて、安倍総理からのメッセージの発信であるように思えた。
それは、明治維新の当時、と現代とが、とてもよく似通った時代背景にあるからかもしれない。
日本人としての誇りを持ち、日本を守り、世界と堂々と外交をしていく。
また、日本国内としては、世直しをしていく、これが長州魂であるように思えた。

そう考えると、今の日本社会に起こっていることは、長州魂のそのままの実践であるように思う。
世界のなかで、欧米列強につぶされない日本を作ること。
そして、日本人は日本人らしく毅然として倫理道徳を守ってくらすこと。
日本の世直しをしているようなのである。

それは、なるほど、と思えた。
確かに、あまり総理大臣の信条などは、聴く機会もないものだが、こうして考えてみると、戦争をしようとか、世の中を混乱させようとか、自分の利害のために権力を使おう、とかそういうことを考えているわけではなさそうである。

しかし、私は、あまり賛成できない。
「全日本長州化」というのは、いかがなものか。

私は、長く北海道にいた。
北海道にいて、自分が日本人だ、と意識することはほとんどなかった。
どこの国にいるかも、あまり考えたことがなかった。
というのは、とても広い大地のなかにあって、北はすぐにサハリン、日本海の向こうには中国大陸、海は広く、地平線は果てしなく、そこに国境を見ることはできなかったからだ。
自然のなかに、国境線はない。

そして、北海道は自由と平等の天地である。
どこの出身であるとか、どんな職業であるとか、関係なく、人々が自然のなかで、豊かに仲良く暮らすことができた。
でも長州では、長州出身であることや武士であることが、とても重要であるようだ。

日本文化というのも、伝統文化ということでは、とても素晴らしいものであるが、こだわりすぎるのはどうか、とも思う。
小さな中庭に、小さな竹、小さな井戸、小さなシシオドシに、小石をしいて、日本庭園、というのは、せせこましい、と思えないこともない。

北海道の、ただただ地平線が広がり、木々が立ち並ぶ様子に比べると、日本文化にそんなにこだわるのは、たいして面白くもないような気がしてくる。

西日本ではそういうものなのかもしれないが、東日本とか北海道では、もっとおおらかで、平らかな、こだわりのない、くつろいだ気持ちがあったように思う。

国境にこだわって、国の誇り、と言っているよりも、世界市民として、どんな人種も平等に暮らせるほうが、よいのではないだろうか。
私には、「わが国を守る」ということが、理解できない。
地球市民としての、もう一歩大きな広い視点も、必要であるように思う。

付け加えて言えば、日本と欧米、という関係と位置付けを考えると、日本はがんばって欧米化しようとすることは、どうなのか、と思う。
アメリカやヨーロッパに虐げられ搾取されてきた、という点では、イスラムや中東と同じ立場ではないか。
ここは、イスラムと一致団結して、欧米を倒す、という立場にあるのが、日本の位置づけではないのだろうか。
私は、イスラムの人々の、アメリカに屈してきた悔しさのほうが、自分の気持ちに近い気がしている。