NHKドラマ「紙の月」第二回・感想。
昨夜、NHKドラマ「紙の月」第二回の放送を見た。
何かと話題になっているドラマで、現代の30代、40代女性の、抱えている問題を、表現している、と言われているようだ。
第二回の放送では、「平凡な主婦」である、ヒロイン梨花が、どんどんと、罪を重ねていく様子が描かれている。
出会った年下男性との恋愛関係、そして、仕事で扱う、「お金」の問題である。
また、そこにつながる、消費の問題、そして、少子高齢化社会の象徴でもある、高齢者と財産、遺産相続、認知症のひとり暮らし女性の問題など、現代が抱える問題が、余すところなく描かれているように思う。
今回、第二回のテーマは、ひとつは「お金」という問題であると思う。
ヒロイン梨花は、「お金なんて、お金でしかないのに」という言葉をつぶやいている。
これが、梨花の、「お金」観である。
私も、「お金」というものに関しては、ずいぶん考えたことがある。
「お金と愛とどちらが大切か」という問いかけをする人もいれば、「お金よりも愛だ」と断言する人もいる。
私は、お金というのは、ヒロイン梨花が「お金でしかない」というような、ことではない、と思う。
お金に関しては、商売繁盛を祈願して、たとえば、金色のお財布に、金色のお守りをつけたりするような、あるいは汗を流して働いた結果であるような、あるいは、もっと何か、強いエネルギッシュなものである、ともいえるように、私は感じている。
「たかがお金」というような価値観では、この社会を、自ら生計を立てながら、生きていくことは、とてもむずかしい、と私は思う。
次に、家族関係の問題である。
関わっている人間であり、そこに正義感を感じたとしても、他者の家族関係に「こうあるべき」というような価値観を押し付けるような考えには、やはり世間知らず、常識知らずの女性、という点が、はっきりしているのではないだろうか。
このドラマのなかでは、祖父が、孫に、遺産をあげない、というところで、孫が、借金をしながら、学生生活を続けている、という事情が描かれている。
そこには、たくさんの、たとえば、お金持ちの祖父なら祖父の、思いがあるはずである。
こうして、学生でありながら、借金をして映画製作を続けているような孫に、教育的配慮が、何もないとは言い切れない。
ヒロイン梨花は、そこになにがしかの正義感を持って、解決に取り組もうとするのである。
また、ヒロイン梨花の、若かったころ、高校生のころの、夢や希望、あるいは、生きるためのひとつの信条のようなことが、語られている。
世界情勢を見ては、学生でありながら、自分のおこずかいを、寄付したり、ボランティアしたりするところがある。
ほんの小さな、社会のなかのひとりの人間でありながら、世界のため、困っている人のために何かしたい、何か役に立ちたい、役に立てるはずだ、という、不思議な正義感を持っている。
その正義感は、社会の仕組みというものが、よくわからない、という一種の幼さと、裏表になっているように思えてならない。
ヒロインは、お金と恋愛、それだけの変化で、気持ちが、万能感と虚無感を、行き来してしまうところがあるようだ。
それは、たとえば、あの、大震災のときに、何かすべてを助けたい、と思ってボランティアに足を踏み入れてみたものの、何も手につかなかった、そういった人の、虚無感と自信のなさ、自信のなさと、過剰な自信の間を、行き来している気持ちに、とてもよく似ているように思える。
ひとりの人間の「小ささ」を謙虚に見つめれば、できることは限られているものだ、そうした、「限られている」という点で、今度は、自分がまるっきりダメだという、奈落の底に落ちてしまうようでもある。
現代人の、世界情勢を眺めたとき、現代社会を眺めた時の焦燥感が、描かれているのかもしれない。
しかし、ここで、このドラマではとても正確に描かれているようにも思うが、ヒロインの行動や言動の端々に、優越感とでもいえるような、人との間に上下関係を作ろう、そしてその上位に立ちたい、と願うような、不思議な性格が描かれているように思える。
その優越感と劣等感の行き来が、万能感と虚無感の行き来と、重なっているようにも見える。
夫との間では、妻として、自分の働いた賃金で、腕時計のプレゼントを贈ってみる。
あるいは、その賃金で、若い男性を、高級レストランにランチに連れて行ってみる。
あるいは、そのまだまだ、世間の常識を知らない学生に、家族の在り方や、お金の使い道まで、教えてあげたくなる。
そうした、「優位に立ちたい」という性格が、行動のあちらこちらに、見え隠れするのである。
また、夫が、一生懸命働いて、昇進が決まったと、その報告をするときに、笑顔で本心から喜ぶようなことをしないのである。
外国に出張となると、自分の家は、仕事は、どうなるのだろう、とあるいは、「許可してあげる」「私は大丈夫よ」と、まず「私」が先に出てしまうところは、何か思いやりのなさ、自分中心な性格を感じる。
謙虚な気持ちと、尊大な気持ち、時には、教養や、財産があることを、ひけらかしたくなる、そうした女性の気持ちに、何かしら傲慢な、救いようのない、虚栄心を、感じた、ドラマ「紙の月」第二回であった。