2015年11月26日木曜日

フィギュアスケート・NHK杯2015。

明日11月27日と、あさって28日、そして29日と、
フィギュアスケートのNHK杯が開かれる。
明日27日金曜日は、女子と男子のショートプログラムが行われる。
あさって28日土曜日は、女子と男子のフリースケーティングが行われる。
とても楽しみである。

特に今年は、日本でもテレビとインターネットの同時放送を始めるための、今回は、試験放送ということで、パソコンのインターネットでも、タブレットでもスマートフォンでも、リアルタイムに競技の放送を楽しめる、というわけである。
私もさっそく、NHKのサイトから、スマートフォンの視聴ができるように、アプリをダウンロードしておいた。
準備万端である。

今年のNHK杯の見どころは、いろいろあるが、各種スポーツ新聞、スポーツサイトなどでたくさん書かれている。
私もそういった、詳しい競技の記述を読むのが大好きである。

男子のショートプログラムでは、金メダリストの羽生結弦選手はもちろんとして、そのライバルである、無良崇人選手の演技も、とても楽しみである。
先月のアメリカでの演技を、動画で観たのだが、ショートプログラムの「黒い瞳」は、とても素晴らしかった。
ロシア民謡は、フィギュアスケートの定番であるが、無良選手は、どんな女性の「黒い瞳」を思っていたのだろうか、奥さんであろうか、まだ幼い娘さんであろうか、地に足の着いた、しっかりとした、男の愛情を感じさせるものであった。
指から、エッジから、あふれるような、「真冬の男の愛情」が、感じられた。
明日もとても楽しみである。

無良選手の、フリーの曲は、シルク・ド・ソレイユの「O」である。
「O」は、「オー」であり、フランス語の「水」を意味するそうだ。
シルクドソレイユといえば、現代の前衛の大道芸で、世界的にとても有名で人気がある。
前衛というのは、カウンターカルチャーとも呼ばれる類の芸術である。
その本質というのはなんなのか。
なんなのかわからないところが、前衛的、というところだろうか。
カウンターカルチャーと言えば、「今あるものに対抗する」「今まであったもの、既成概念に抵抗する」というような意義がある。
そして、シルクドソレイユの舞台もそうであるが、ボーダレス、つまり、国境のない文化芸術を表現している。
「国境のない」という言い方も、さまざまな解釈があるだろうが、私の感じるところでは、たとえば、西洋的であるとか、東洋的であるとか、あるいは、民族的であるとか、時には政治的であるとか、そういったことのすべてを超越したところに、新しい芸術を求めたものである、と思える。
しかし、無良選手の「O」にも見て取れるように、「西洋でも東洋でもない」というよりは、「西洋であり、東洋でもある」というふうに、たくさんの複雑な要素を取り入れたもの、といえそうだ。
このあたりを、無良選手がどのように表現するのか、とても興味深い。

ところで、町田樹選手はどうしたのだろう?
昨年、シーズンの途中で引退表明をして、それっきりである。
とても惜しい選手である。
しかし、町田選手の昨年の選曲には、少し無理があった。
というのは、ベートーベンの第九合唱付きを選んだからである。
合唱というのは、たくさんの人数が集まって表現するものである。
それを、ひとり氷上で表現するには、かなりの技術が必要とされた。
町田選手はそこに挑んだわけであるが、惜しくも引退である。

実は今年の無良選手にも、同じようなことが言える。
無良選手のフリー曲「O」は、たくさんの劇団員が集まって表現するものなのである。
舞台というのは、友情の集まりである。
実は、前衛的である人たちというのは、話をしてみると、人懐っこく、和気あいあいとしているチームである場合が多い。
同じ感性を持ち、同じ舞台をやり遂げようとする、目的意識や連帯感があるかもしれない。
「前衛」それ自体は、とてもシュールで時には「なんかこわい」ものであるのに対して、それを演じる人たちは、むしろ明るくて陽気で、底抜けに楽しいのである。

考えてみれば、ボーダレスというのも、「みんなで仲良くやろうよ」という意味かもしれない。
それくらい、今の世界は、ボーダレスな気心で満ちている、とも言える。

明日のNHK杯は、夕方4時にはスタートである。
各種情報をかき集めて、冬の夕暮れの寂しい時間帯には、鍋でも囲みながら、アイススケートを楽しみたいものである。
私も、そんなふうに、冬の夕べを迎えることにしようと思っている。


フィギュアスケートNHK杯公式サイト →

http://www.nhk-trophy2015.jp/


NHK杯 ネットで観るには →

http://www.nhk.or.jp/figure/