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羽生結弦選手、「オペラ座の怪人」素敵でした!

きょうも、とても寒い。
本格的な冬のシーズンが始まろうとしている。
冬には冬の楽しさがある。
それが、私も大好きな、フィギュアスケートである。

男子選手で、その演技を楽しみにしているのは、
ソチ五輪で金メダルをとった、羽生結弦選手である。
圧倒的な強さで、昨シーズンも絶好調であった。
昨シーズンは、フリーの曲は、「オペラ座の怪人」であった。
「怪人」の恋する悲しみとその切ない思いが、
美しく表現された、素晴らしい演技だった、と思う。
私も、テレビ画面の前で、拍手をおしまなかった。
感動をたくさんもらえて、
本当に、フィギュアの選手の素晴らしさを思った。

今年もシーズンが始まり、
羽生選手の演技を見ていると、
本当に、すがすがしい冬の凛とした北風を思わされる。

ソチで金メダルをとったころよりは、
体格が、よくなったと思う。
これは、きっと誰からも言われることだろうと思う。
年齢的に、身体がどんどんできていくときなのだろうと思う。
今の羽生選手は、男らしい力強い演技ができる。
そういう体つきになっていると思う。
これも日ごろの訓練のたまものである。

ショートプログラムのショパンのバラード。
ショパンは、鍵盤の詩人、とか、ピアノの詩人、
とか呼ばれてたくさんの人から愛されている。
たとえば、浅田選手もソチのショートプログラムで使った
「ノクターン9番」などは、
繊細なピアノのメロディと、和音が奏でられる。

しかしショパンは、繊細さと同時に、
男らしさ、力強さのある、作曲家である。
たとえば、祖国ポーランドで革命がおこったときに、
エチュード「革命」を、作成している。
この、激しさと情熱は、
繊細さの裏側にある、ショパンの「底力」とも呼べるものである。

フリーの曲では、映画「陰陽師」から、SEIMEIを選ばれている。
これは、映画「陰陽師」の主人公「安倍清明」のテーマである。
日本的で、アジア的な、また横笛を使ったオリエンタルな、
そういったところに、今年の羽生選手は、挑戦している。

「陰陽師」「陰陽道」というと、
現代の日本人には、ちょっとなかなか、理解しずらいところもある。
「日本的な」ということで、歌舞伎や狂言でも、現代ものとして、
新作でトライされているのであるが、
日本の思想というと、仏教や神道が、主として思われるところであるので、
私たちの日常には、陰陽道が息づいているとは言い難い。
しかし、平安時代には、陰陽道が実際にあったわけである。
古代の日本人の「思い」を表現するには、
とてもよいテーマ曲であると思う。

平安時代というと、現代では考えられないことであるが、
まずは、電気がなかった時代である。
また、発達した医学や科学もなかった時代である。

だから、たとえばある日突然に、日食が起こったりすると、
それはそれは、恐怖であった。
明るかった昼間が、みるみる薄暗くなり、
太陽に影がさすのである。

また、今年も冬が来てインフルエンザが流行り始めるが、
こうした、目に見えないウイルスというのが、
まだわからなかった時代であるから、
いつの間にか罹患する病、はやり病というのは、
悪夢との戦いだった。

そして、何よりも恐ろしかったのが、
闇、である。
現代では、24時間、真夜中でも、
道路には街路灯が照らされ、
コンビニエンスストアの明かりが遠くからもまぶしい。
しかし、平安の時代には、夜となると、
小さな揺れるろうそくの光以外は、
すべて「闇」なのである。

古代の人々は、この「闇」と闘っていた。
闇のなかにうごめく、さまざまな目に見えない敵と、
力いっぱい戦っていた。
それは、おのれの心の中の、恐怖心と戦っていた、
ということかもしれない。

陰陽師は、そうした怖れに打ち勝つための、
まじない師である。
誰もが彼に頼り、そして、闇と病に打ち勝つことができた。
平安の都の、医師でもあり、祈祷師でもあり、
誰よりも頼れる、正義の味方であったのだろう、と思う。

古代の人々は、真冬を乗り越えるのもこわかった、
と言われている。
今度こそ本当に、もう二度と春は来ないのではないか、
このまま冬が続くのではないか、とこわくなったそうである。

フィギュアスケートは、氷のなかに咲く、春である。
冷たい北風の季節、心を熱くさせて、
今年も、私は、じっと、スケートリンクを、見つめている。