2014年7月2日水曜日

世界的平和への最終決戦。

昨日、7月1日、日本において、集団的自衛権の解釈変更が閣議決定された。
これに対して、日本国民の、かなりの多くの人たちが、反対の声をあげている。
正直、「閣議決定されてからの平和シュプレヒコールなのか」と思うこともあるし、「今になって憲法を学ぶのか」と思うこともある。
自国の憲法を知らないのは、日本人くらいだそうである。
だから、今からでも学びなおすことは、とてもよいことだろうと思う。
これを機会に、学んでほしいと思う。

日本国政府は、集団的自衛権を、国際情勢のなかで、とても必要なことだと認識して、これを推し進めてきた。
この、日本から集団的自衛権をもって、国連軍に参加するまでの過程は、そんなに短い道のりではない。
しかし、国際情勢に足並みを揃えて、国際的な紛争や課題を解決するために、とても大切な道のりである。

国民に理解を求めたいところであるが、これは、「平和観」「人間観」であり、ひとつの思想でもある。
だから、とても説明がむずかしいところであるし、その説明に対する理解と納得も、とてもむずかしい、ということになるだろう。

ヨーロッパでは、ナチスドイツ、あるいは、ロシアのスターリンという、とても痛いい歴史的な体験がある。
そして、人間観の確立は、ナチスドイツとユダヤ人迫害の歴史とその反省、研究を踏まえたところがある。
それで、「ヒットラーのような」人物が、独裁的な政権を持って、人々を扇動することがある、とよくわかっている。
そして、それらの兆候やあるいは、ヒットラーのような独裁者に飲み込まれてしまう大衆の心理もよく研究されている。

それらを踏まえたうえで、「人間の世界には、悪い人たちがいて、その人たちが人々を扇動し、武器を持ち、とても悪いことをする場合がある」とよく理解しているのである。
私たちに必要なのは、この、人間観とその理解である。

世界情勢は今、まるでそこに引き寄せられるかのように、中東、イラン、イラク、シリア、ウクライナ、クリミア半島、というところに、国際的テロ組織が集まっている。
そして彼らは、ツイッターなどインターネットを通じて、仲間を増やしつつある。

この状況は本当にまるで、中東というこの一帯に、悪の集結があるかのようである。

私は、私自身の人間観に基づいて、これまでもいろいろな人物に関して、このブログで書き綴ってきた。
そのひとつが、日本国内において、特に政治の世界においての「小沢一郎」という人物とそれを取り巻く心理と人々である。
私たちは、日本の国の政治世界において、「小沢一郎」という人物を「壊し屋」「破壊が目的の人」と位置付け、小沢氏の甘言にだまされないで、この「ただ壊すことだけが目的の人物」を、排除したりやっつけたりしてきた。
その結果、政治はまとまるようになり、政治は、先に進むようになった。

すべての社会において、こうした理論は、あてはまることではないか、と思う。
ひとりの人物を、「悪い」と決めつけ排除することは、人間として倫理道徳にかなっていないかもしれないが、そこを「悪い」と判断して、徹底して戦うのである。

今、世界というレベルに拡大して、「悪い」「破壊屋」を、排除して、駆逐するべきときなのかもしれない。
その彼らは、中東地域に集結しつつある。
これが、世界的平和への、最終決戦になるのではないか、と思うのだ。

そういった、人間観、世界観というのは、先に述べたようにヨーロッパを中心とした国連が、先導しているのだと思う。
安倍総理の積極的平和は、この世界観に基づいているのだと思う。
逐一、指導を受けて、世界情勢のなかで行動しているのだろう。

日本国においては、7月1日に、憲法の解釈変更によって、集団的自衛権を持つことになり、国連軍への参加の見通しもたった。
次にするべきことは、日本国内で、おそらく反論が起こって、憲法に対する裁判が起こるだろうと予測されるので、国内世論としては、次の展開があると思う。

しかし私は、何よりも国民に対する、まだよく国際情勢まで考えない国民に対する理解というのは、先手先手で、世界的平和を目指して、次の行動を起こすことではないかと思う。

中東のテロリストは、今も人数を増やしている。
このあたりの、心理的なところを、次に次にと、対応していくこと、世界的平和を進めていくことが、日本国民への根本的な、説明となり、納得に導いていけることではないかと思う。