白蓮事件・その本質にせまってみる。

このところ、いわゆる「白蓮事件」に関して、話題が高まっているようだ。
白蓮事件とは、大正時代に、福岡の炭鉱王のところに嫁いだ女性・柳原白蓮が、東京の若い男性・宮本龍一と、かけおち、出奔を起こした一連のいきさつである。
この出奔の際に、白蓮が、新聞紙上に、夫である炭鉱王に対して、離縁状を掲載したことも、とても大きな行動であり、話題となって残っている。

今、NHKの通称「朝ドラ」で、「花子とアン」が放送されている。
物語のヒロイン・安東花子は、女学校の時代に、この柳原白蓮と交流があったようだ。
ドラマのなかでは、花子と白蓮が、強い友情で結ばれていた、と描かれている。
それは、互いに女学校時代の輝くばかりの夢や希望、将来や運命への不安、その不安な未来に挑戦する気持ちや、夢をかなえたい気持ち、愛する男性と一緒になりたいという、強い気持ちがあると思う。
また、共通して、若いころから学問を身に着けた女性であり、学芸や文芸にも優れていた。
日本や外国の文学も読み、音楽や語学もたしなみ、また明治から大正という、時代が大きく変化して、女性の人権も生き方も、大きく変化しようという時期である。
そういった時期に、学問を身に着けた女性が、どのように人生と仕事と恋愛、そして結婚を選択していくのか、悩み苦しみ、決断していくのか、これは女性の自立への、死闘ともいうべき、戦いの時期なのだと、私は思う。

柳原白蓮は、侯爵家・華族の家柄である。
家柄に縛り付けられて、自らの望まない男性と、家の定めにより、結婚をすることになった。
このことが、白蓮にとって、最大の苦痛になったようである。
女学生の時代に、西洋から入ってきた文学や新しい文化に触れた白蓮にとっては、「愛する男性と結婚したい」ということが、強い望みとなっていたが、それは、この時代にしては、「新しい望み」でもあった。

そうして、白蓮は、家の定めた結婚の呪縛から逃れて、「愛する男性」と巡り合い、家から出て、「愛を成就する」ということになっている。
これが、白蓮が思い描いた人生であり、愛であり、望みであり、新しい自立した女性の姿であった。
この白蓮の姿は、現代の女性たちからも、「愛を貫いた女性」として、支持されているようだ。

しかし、本当に興味深いのは、この「愛を貫いた女性」という見方が、女性のものだけのことだ、という問題である。
男性からみた「白蓮事件」は、まったくちがう様相を呈している。
そのことを知らなければ、男性と女性は、永遠に分かり合えないかもしれない。

男性から見た、「白蓮事件」は、こうである。
簡単に言うと、誰が見ても、この若い社会主義者が、ブルジョア階級を憎いと思うあまりに、その妻を、泥棒したのである。
そして、思想と討論と正論によってではなく、男の世界の掟によって、勝負をつけたのである。
この場合、あらかじめ確認しておくが、「勝ち」は社会主義の若者のほうに、軍配が上がったということになる。

女性たちは今も、気が付かないのかもしれないが、「女性」という存在は、男たちの勝負の世界において、「戦果」そのものである。
「戦利品」そのものである、と言っても差し支えないかもしれない。
男性心理から見ても、「自分の妻」である女性のすべてを、別の男性に泥棒されるのは、一生の恥であり、社会的な失脚を意味する。
男性同士の社会は、厳しい上下関係であり、この若い社会主義者は、ブルジョアの炭鉱王を相手に、戦いを挑んで、上下関係をひっくりかえそうとしたのである。
その戦いに使ったのが、戦利品である、美しい妻だったのである。

この若い社会主義者の心は、大金持ちのブルジョアに対する嫉妬と、うだつのあがらない気勢ばかりさかんな自分自身に対する劣等感で、いっぱいであった。
この劣等感をひっくりかえすために、白蓮を利用したのである。

白蓮の心に、巧みに取り入って、あたかも白蓮本人には「愛」があるかのように思わせた。
もともと、お金があってもなくても虚ろだった白蓮の心に、自尊心をたかめるようなことつまり、「あなたの短歌は素晴らしい」というようなほめ言葉をささやいたら、蓮子は「あなたこそ本当の運命の人、だって私をほめてくれるこの世でただ一人のひとだから」となってしまったのである。
白蓮の自意識過剰の「素晴らしい」ところは、まずこの若い社会主義者が、歌集をほめたあたりで、心が急変したあたりに見て取ることができる。

白蓮は、この炭鉱王から、充分に愛されていた。
夫婦として、努力と忍耐の心があれば、立派に添い遂げることができたと思う。
どこからか、何か幻想のような「たった一人の理想の人」を夢見るようになってしまったのではないか、と思う。

心の自由や、愛というものを実感したい気持ちから、こうして、男性の気持ちや社会のなかでの立場、男性なりの愛情表現というものを、察知しまちがえている女性は、多くはないだろうか。
こうして、夫の社会的立場を踏みにじるようなことを平気で、あるいはまったく無意識に、気づかずにしている妻は、多くはないだろうか。
男性のがわからすると、本当に愛すべき妻には、妻らしい配慮や、言動や、男性社会の厳しさ、上下関係の厳しさへの既知がある。

「自分が、自分が」と、愛と自由を追い求めた白蓮が、若い野心家の罠にはまってしまって、それを最後まで「愛」だと思い込んでいたのは、愚かであると、男性陣からは、評価されるものなのである。
それは、現代の社会においても、まったく変わることのない、原理なのである。

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