2014年7月4日金曜日

NHK朝ドラ「花子とアン」第14週「ゆれる思い」感想・後編

毎朝、楽しみに見ているNHK朝ドラ「花子とアン」も、きょうが放送第83回である。
脚本家の中園ミホさんが、おそらくは自分自身の体験に基づいて、恋愛心理を描写してくれるのではないか、というところが、このドラマの見どころとなっているので、私も、こういった状況における、男性と女性の心理と行動、そして周囲の心理と行動などを、よく知りたいと思い、熱心に観察させていただいている。
ひとつは、昨日よく自分でも整理して書いてみたからか、ずいぶんと筋が通ってきたように思う。
ここで、すでに、英治(男性側)で、妻の側から言い出して離婚が成立しているならば、何の問題もなくなる。
英治の側でもともと個人の問題として抱えていたのが、結婚も仕事もうまく行っていない、という状況である。
人間であれば誰もが、仕事がうまく行かない、結婚もがんばって努力してみているがうまくいかない、という時期があるものである。
またここで、上司の編集長も、「私も結婚に一度失敗している」と体験を語っている。男性としてもそうしたことはあるだろう。
ということになる。
それに、花子も英治もとても悩んでいるのだし、ここで何の罪悪感も感じないというなら、そのほうが問題であるが、こんなに苦しんでいるのだから、許してあげてもいいではないか、という心情になってくる。

昨日、私のブログに関しても、感想をいただいて、男性陣を含めて何人かの友達と、花子の状況について、話してみた。
すると、ちょっと驚くようなことを発見した人がいた。
つまり、NHKということもあり、朝ドラということもあったのか、表現が抑えられているが、「あの夜」つまり、花子が雷鳴を聴いただけで赤い傘を思い出すフラッシュバックのような「あの夜」であるが、傘を落として抱擁したそのあとは、温泉マークのお店に行ったのだ、という話なのである。
私も、同座した友達も「えっ!」「まさか!」と驚いてしまった。
ここで、花子と英治がしたことが「ハグ」であるとしても、家族やご近所もいる、玄関前のお稲荷さんの前でというのも、ずいぶんと間の抜けた話である。
絶えず周囲の状況に目を配るのが男性の習性なので、男としてはまともな判断力ではない、というのが男性陣のご意見なのだ。
しかし、もっと驚くのは、ここで「あの夜」あったことが、「ハグ」なのか、湯気のマークのお店なのかは、これは大問題である!

全然、状況がちがってくるではないか。

しかし、英治はなんだってこんなときに、温泉に行こうと思い立ったのか。
奥さんは三年前から結核で寝込んでいる。
これも、男性陣の忌憚のないご意見を聴くと、もっともである。
また、英治は、もともと絵描きになりたかったのを、挫折している。
そんなこんなで、英治というのは、やさぐれのろくでなし、ということになるのだ。
しかも、相手女性の上司にばれている、この上司は取引先である。
こういうあたりで、出世もできない、仕事も家庭もうまくいかない、かなりダメンズな英治像が浮かび上がってくるのである。

また、当時の時代背景を考えると、「奥さんのほうから離婚を言い出した」というよりも、奥さんのご両親が、「うちの娘は、もう嫁として役に立たないので、申し訳ないので、家同士のやり取りをやめましょう」と引いたわけである。
旧習のなかに縛られている女性像が、確かに描かれているが、こうして旧習から抜け出せないお嫁さんの状況だったからこそ、花子も英治も救われた、ということになる。
女性の人権は、こんなにも踏みにじられている。当時の状況が本当によく描かれている。

男は女を幸せにしないと、自分の男としての価値を試されていて、その「男度」に自信が持てないのだそうだ。
花子は、新進気鋭で東京に出てきて、出版社、女流作家としてデビューする綺羅星だったわけだが、挫折と劣等感のダメ男英治に、ダメにされた、ということになる。

よく考えてみれば、花子はその後も翻訳を続けるのだが、もともと作家として、童話や小説を書きたいという気持ちがあったはずである。
作家として、翻訳の仕事は、二番目に派生してくることもあるけれども、もともと翻訳を目指していたならともかく、作家をあきらめて翻訳家になった、と取れなくもない。

「ゆれる思い」という題名で思い出すのは、ZARDの坂井泉水さんの曲「揺れる想い」である。
坂井さんも、不倫の恋に苦しんだ女性であった。
坂井さんに、シンガーソングライターになるように、強く言った男性がいた、という話である。
彼女の本来の行きたかった道、きらきらと輝いて可能性に満ちていた道を、閉ざして方向性を変えさせたのは、この挫折にうちひしがれた英治のような、年上の男性だったのだろうか…。

もしも、英治に出会わなければ、花子は女学校教育と英語教育を活かして、オリジナルを描く女流作家になっていたのではないか、と思われる。