2016年9月24日土曜日

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第25週「常子、大きな家を建てる」感想。

NHK連続テレビ小説「とと姉ちゃん」第25週「常子、大きな家を建てる」感想。

半年にわたる、長い物語の、幕が閉じられようとしている。
今週は、これまでの放送を振り返るようなシーンも多かった。
ヒロイン・常子も、人生の後半生を迎えている。

これまでずっと一緒だった、母・君子が亡くなった。
そのとき、常子は44歳である。

母、というのは、年齢がまだ若いころは、対立したり、反抗したりする相手である。
常子たち姉妹の場合は、父が早くに亡くなったために、母と三姉妹が結束して人生と社会に立ち向かうしかなかった。
そのためか、母親に反抗するような場面は描かれなかった。
その母と三姉妹の結束の象徴のように、常子が大きな家を建てたときには、三姉妹とそのお婿さん、そして生まれてきた子どもたちも一緒の、大家族となる。

大きなリビングに、みんなで集まって食事をとるシーンは、本当にほほえましい。
こんな大家族を作ることができること、自分と家族の「居場所」を作ることができたのは、母・君子の、家庭構成力によるものかもしれない。

あたたかい言葉、あたたかい食事、社会の荒波に出ても、帰ってくれば、そこに居場所があり、笑顔があること。
母・君子が作っていたのは、そうした、社会から逃れる避難所であり、そして、子どもが成長し、男性たちが癒される、「帰り着く場所」であったと言える。

女性が、社会に出て働くことは、とても素晴らしいことだ。
そのために、家庭構成力が落ちてしまうのは、残念なことではないか、と思う。
大事なのは、バランスであると思う。

もともと、癒しやあたたかさ、安らぎの言葉と雰囲気、というのは、女性に特有のものかもしれない。
もちろん、男性でも癒し系の性質を持っている人もいるとは思う。

でも、家庭と仕事の両立というときに、女性にとって一番むずかしいのは、「社会の顔」と、「家庭の顔」の、スイッチの切り替えではないか、と私は思う。

社会に出れば、男性と同等に戦力として仕事をしなければならない。
それは、ライバル社との競争でもあるかもしれない。
その勢いや「よろいかぶと」を付けたままで、家庭に帰ってきたときに、平穏と調和を醸し出す、家庭構成力を発揮できるか、というと、とてもむずかしい。

母・君子が常に持っていたのは、平穏な家庭の雰囲気のムードメーカーという役割である。
そのムードを醸し出す力の強さは、それぞれの女性によって、少しずつちがうものかもしれない。

君子それ自身が、家庭そのものだった、と言えるのかな、と思う。

その君子が、73歳で亡くなった。
充実の人生だったと思う。

常子は、以前から、「常子さん自身のファンもついたことだし、何か書き始めれば」と、花山から進言されていたとおり、エッセーを書き始める。
人生も後半戦になって、新しいことを始めること、新しいことに挑戦する、この姿勢は、とても見事なことだと思う。

亡くなって初めて気づく、母の人生、ひとりの女性の人生の、「幸せ」について、常子は、「小さな幸せ」という題名で、エッセーを書き始める。

誰もがそうかもしれないが、人生の後半になると、姿形が母親と似てくることもあって、自分の人生と、母の人生を、そっと重ねるようになる。
そして、今生きている自分自身は、まぎれもなく、母から教わったすべてのことから出来上がっていることに、気づくものである。

気づくのかもしれないが、素直に受け入れるのかもしれない。
時には、母親ゆずりの性質を、褒められたりうらやましがられたりするのも、この年齢なのではないか、と思う。

それも、家も建てて目標を完遂したからこそ、「お母さんのおかげです」と言えるものなのかもしれない。
成功はたくさんの感謝を生み出す。

そうして、母から受け継いだ、ひとつひとつのことを、仕事に、エッセーに伝え残していく。

常子が、エッセーを書き、そして、社内で女性に対して親切に優しくするのも、その時代にめずらしく、女性が働きやすい会社を作るのも、すべて母の気持ちに寄り添っているからなのではないか、と思う。

後輩も増え、部下も増え、責任も大きくなり、仕事はますます多忙となっていく。
そのなかで、常子は、人生そのものを考え、女性の幸せを考え、それを後世に、つまり自分がいなくなったあとにも、残す形へと、これまでよりもっと大きな「残す」という方向へと、進めていく。

高齢化社会といっても、年齢は、本当は、若いころからの積み重ねの結果かもしれない。
子どもにとって、社会は機会平等であるべきだが、その機会を、どのように生かせたかは、高齢になって、結果が出る、ということではないか、と思わされる。

君子の人生のその終わり方も、充実も、常子の人生の充実も、若いころから一生懸命、丁寧に生きてきたことの、積み重ねであり、結果である。
年齢を重ねたらもうあとは結果だけ、とか、高齢者に機会はない、とか、いうつもりもない。
ただ私は、半年間、ヒロイン常子と一緒に、悩み、考え、行動してきて、やはり、人生の後半生は、結果を受け取るときなのではないか、とも考えさせられた。

ドラマもあと一週間の放送である。
どんなふうにしめくくりを描くのか、楽しみに、大事に大事に、時を積み重ねたい、と思う。