スキップしてメイン コンテンツに移動

高齢化社会を考える。

高齢化社会を考える。

これから、ますます、高齢化社会へと向かっていく。
高齢化対策は、「今、作っている政策を、自分が体験する」と思って、考えなければならないと思う。
高齢者は、他人ではない。
いつか、そうなる自分自身の姿であり、家族の姿である。
心を込めて、「わたしはこういう老後を生きたい」と思えるような、思いやりのある政策を考えたいと思う。

一昔前と比べて、自由の気風が広がって、画一化された社会の枠組みがなくなっている。
それは、いいことでもあるが、損なってしまったものも、あるのかもしれない。

人間は、家庭のなかで生まれ、家庭のなかで死んでいくものだ、と私は思っている。
その「家庭」つまり、大家族制度が崩壊してしまってから、人はさまよい始めたように思う。
子育ても、老後も、温かい家庭のなかで、というわけにいかなくなってしまった。

これからは、家庭の代わりになるものを探さなければならない。
あるいは、家庭の代わりになるものが、社会制度なのかもしれない。
ある人は、自分自身の個人の力で、子育ても老後も乗り越えようとする。
しかし、ある人は、社会の庇護なしでは、子ども時代も、老後も、豊かに生活することが、むずかしい、となる。

こうした世のなかで、すべてを自己責任とする気風は、もう終わってしまったようである。
血がつながっていてもいなくても、手を取り合い、助け合う社会が必要である、と考える人のほうが、多くなってきたように思う。

老後のライフスタイルも、個人の自由を追求すればするほど、さまざまな形に変化してきた。
個人の自由であるから、誰も干渉できない部分が多いと思う。

生き方、ライフスタイル、老後、すべてを自分で決められるようにしなければならない。

豊かな老後、というよりも、安心の老後、トラブルのない老後を、社会が、それなりに準備してあげる、というのが、母性の強い社会かもしれない。

具体的には、私はこんなことを考えてみた。
老後を「第二の人生」と呼ぶことが多い。
ということは、「第二の学校」があってもよいのではないか、ということである。

時代は次々に新しいものが発明されて、刷新されていく。
老後の生き方も、変化してきた。
そうした老後に関して、公的な、あくまで、民間ではなく、公的な機関で、平等な「老後教育」が行われたらよいのではないか、と思う。

年金や健康、医療や家事にわたるまで、老後の人生を考えるべく、学校を作ってはどうかと思う。
そして、定年退職後、半年ないし、一年の間、その学校に通って、豊かで安全な老後を、準備するのである。

「第二の学校」で、教えたいこと、教えてほしいことを、具体的に、箇条書きしてみた。
こうしたことで、豊かで安全な老後を、健康で楽しい老後を、生きていけたら、素晴らしいのではないか、と思う。


高齢者学校
健康管理の仕方。
認知症予防の仕方。
健康診断の検査値の読み方。
資産管理の仕方。
相続の仕方。
お料理、家事の仕方。
家計簿の付け方。
老前整理の仕方。
お葬式についての知識。
○趣味いろいろ試してみる。
その後、公民館教室を選んで、趣味クラブに付く。
(人は社会的な生き物なので、どこかに所属していることが大事ではないかと思う。
自分に合った趣味サークルが見つかるまで、いろいろな趣味を試してみてはどうか、と思う。ボランティアもとてもいいと思う。)

「きょういく。きょうよう」=「今日、行く」「今日、用」

インターネットの仕方。
お悩み相談。