貧困問題とノーベル経済学賞。

いかに温厚な紳士を相手にしても、その男性を、怒鳴るまで怒らせる、これが、DVを誘発する女性の特徴である。
男性に対して、必要のない攻撃を行い、必要もなく挑戦的な物言いをする、これが、DVが女性にも原因がある、と言われる理由である。

貧困問題は、今現在のところ、人類の英知を結集しても、つまり世界トップレベルの学問においても、解答のないテーマである。
これは、人類始まって以来のテーマであるが、人類は、二千年かけても、この問題を克服することが未だできていない。

たとえば、共産主義は、マルクス、レーニンといった、世界最高峰の学者が、精魂傾けて成し遂げた学問であり、その人類的実験が、共産主義国の樹立である。
中国もロシアも、東欧諸国も、「貧困の撲滅」「経済的に平等な社会」を目指して、東西冷戦というリスクをもっても、この実験に取り組んだのである。

その結果が、共産主義の崩壊である。
中国を見ても、ロシアを見ても、あるいは東欧諸国、キューバの現状を見ても、共産主義という、「富の分配」は、成功しなかった。
実際にしてみて、成功しなかったのであるから、貧困問題に関して、「富の分配」は、成り立たない、ということが明らかになったわけである。

角田光代、という女性は、その著作「紙の月」で、ヒロインに悩みを持たせている。
それが、貧困問題、お金の問題である。
角田光代という女性は、一風変わった、「ヘンナオンナ」で、こうした、人類が、時にはキリストが、時には釈迦が、厳しい修行を行ってまで解き明かそうと取り組んだ「悩み」を、持っているのである。

すなわち、人はなぜ貧困にあえぐのか、人はなぜ病気になるのか、人はなぜ、生まれながらに平等ではないのか、という問いである。

角田氏の一番「ヘンナ」ところは、こうした問いかけに対して、自分で、経済学なり医療なりを学ぶことをしないで、小説という形で、世の中に呼び掛けながら、「誰か」にそれを「やってもらおう」としているところである。

角田氏の考えは、お金に関して、「あるところから、ないところへ、受け渡してあげればいい」という考えである。
これは、誰でも考えつくような、短絡的な考えである。
人類二千年の思索と経験でも、成果があがらなかった、この短絡的考えに固執して、時の為政者に「べきだ論」で、迫る。
それでも、自分では、経済学理論を学ぼうとしないのである。

昨年、2015年のノーベル経済学賞の受賞テーマは「貧困と健康の関連について」であった。
角田氏は、この論文を読んで勉強したのだろうか。

国連本部、つまり、世界最高峰の学問を、ひととおり修めてから、こうした短絡的な、「富の分配論」を唱えているのだろうか。
富の平等分配論は、お隣の中国を見て明らかなとおりである。
もしも、政治に対して、持論や、独創的な見解があるなら、それを、私たちに申し渡してほしいものである。

最後に、私が思うのは、こうした疑問や問いかけを、恋人や夫、父親や上司、政治家といった人たちに、「気軽に問いかける」「気軽に頼む」「べきだ論でやれという」こうした女性が、社会からも男性からも、嫌われるということである。

「紙の月」の感想でも意見表明した通りだが、要するに、世間知らずで、不勉強、そして、怠け者で、「誰かにやってほしい」とすがる性質があるのだ、と私は思う。

これからの女性は、自立しなければならない。
そのために大切なのは、依存したり命令したりするのではなく、まず自分で、謙虚な気持ちで、勉強することである。

私たちの長年の経験からわかっていることは、貧困の人に、恵んであげるのは、よくない、ということである。
そして、貧困の人ほど、変にプライドが高く、傲慢だ、ということである。
謙虚な気持ちで、素直な気持ちで、まず言葉遣いと態度から、改めるべきである。