イスラム国人質事件に思う。

このごろ、思うことがある。
このごろ、思ってみてほしい。
このごろ、インターネットをしていると、こんなふうな広告が目に入らないだろうか。
ほこりだらけの小さな男の子が、涙を流している。
そして、その横に「この子はもう、家族と二度と会えることはありません」と書いてある。
こんな言葉もある。
「この子たちはみな、家族を誰かに殺された経験を持っています」

中東、シリアを取り巻く難民への援助の広告である。
私は思った。
こうして、難民となった子どもたちが、大きくなって、イスラム国の兵士になるのではないか、と。
ひとりひとりを見てみれば、皆が飢えた孤児なのである。
彼らに一番必要なのは、給食と学校である。

「憎しみの連鎖」という言葉をよく耳にする。
憎しみは、新たな次の世代の憎しみを生み出して、肥大していく。
彼らに必要なのは、温かい母親のかいなと、温かい食べ物と、真実を学ぶ校舎なのである。

その道を導くためには、今は、掃討作戦をするべきではない。
空爆をするべきではない。
ひとりひとりを、確実に預かって、裁判をして、教育をほどこすことである。

自爆テロというのは、自らの命を犠牲にしても、それで疑うことがないのであるから、教育というのは、恐ろしいものだ。
イスラム過激派では、アメリカや異端者を殺戮するためなら、それを聖戦と呼び、そこで命を使えば、天国に、神のもとに召されると、教育されているのである。
そうした、あやまった教育を、たださなければならない、と思う。

「十字軍」というのは、とても昔の出来事である。
中世ヨーロッパのことであったろうか、もう900年も前に始まった、ヨーロッパのキリスト教徒による、エルサレム聖地奪還である。
しかしこれは、ヨーロッパによる、中東アジアへの侵略にほかならない。

ナポレオンもエジプト遠征を行って、この地から、たくさんの宝物を、フランスに持ち帰った。
それらのほとんどが、今もパリのルーブル美術館にある。

こうして、何千年も、中東アジア、アラビアは、ヨーロッパに侵略され、搾取されてきたのである。
こうした歴史を踏まえて、彼らイスラムの人々の、心の痛みや屈辱を、理解しなければならない、と思う。

今こそが、歴史をきれいに洗い流して、新しい出発に向かうべき、歴史の転換点であると、私は思う。
ヨーロッパも、エゴや驕りを捨てなければならない。
中東アジアの自立のために、世界中が、力を合わせるべきときであると、私は思う。


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