2015年8月31日月曜日

デモ隊のバックに付いている大物政治家とは誰か。

デモ隊のバックに付いている大物政治家とは誰か。
昨日、8月31日、日曜日に、国会議事堂周辺で、大規模なデモがあった。
これらのデモ隊、さまざまな「安保反対」を訴える団体には、これといった代表者がいない。
リーダーシップを執っているのは誰なのか。
学生たちに、ハンガーストライキを起こさせるほどの、影響力を持った人物は誰なのか。
背後に、安倍政権と対立する、大物政治家が、存在するのではないだろうか。
デモ隊は、その大物政治家にうまく利用されているのではないだろうか。
反安倍勢力を作って、安倍政権を脅かしたい人物がいるのではないだろうか。
このところ、あちこちで、不可思議な事件や事故が起こる。
大物政治家なら、こうした事故を、人為的に起こすことも可能だろう。
それは、政治家が一番よく知っていることだろう。
「安倍政権になってから、社会不安が大きくなった」と言われるほどの、こうした状況を生み出したのは、いったい誰なのか。
誰かが、作為的に、社会不安を作り出し、国民の心を不安に陥れ、コントロールしようとしているのではないだろうか。
その「誰か」を私は考えてみた。
安倍総理大臣にも、心当たりがないか、考えてみてほしいと思う。
私は思い当たった。
小沢一郎氏である。
考えてみれば、3年前の選挙で、滋賀県知事であった嘉田氏を、たった一か月で考えを変えさせて国政選挙に出させたのが、小沢一郎氏である。
なんらかの、心理的なトリックを使う人物なのではないだろうか。
宿命の対決は、今ここにある。


2015年8月30日日曜日

9回裏ツーアウト満塁。

9回裏ツーアウト満塁。
8月も、もうすぐ終わる。
12年ぶりの「寒い夏」だそうで、気象予報士も予測ができなかったそうである。
火山の噴火、地震、台風、何かが起こりそうな、起こっているような、2015年の夏である。
安保法案の参議院での審議も、もうすぐ100時間に達しようとしている。
あと2週間で、「60日ルール」の適用である。
安保法案、成立目前という日程であるが、反戦派も黙っているわけがない。
負けの風が吹いている。
選挙もそうであるが、風が吹く、ということはある。
安保法案の廃案に向けて、風が吹いているような気がするのは、私だけではないと思う。
反戦派もがんばっている。
あの結束力の高い創価学会に、反乱の署名運動を起こさせたのは、反対派の活動家たちだろうと思う。
これで、創価学会と公明党の間にすきま風が吹き始め、土壇場での採決反対票になりかねない状況となってきた。
あるいは、最後の最後に、キャスチングボードのカードを切って、連立を離脱するのかもしれない。
そういった状況を想定してか、自民党は、維新の党と、結びつきを図っていたようであるが、その維新の党も、事実上分裂して、安保法案で協力体制を組むことは、不可能になってしまった。
昭恵夫人へのバッシングは日ごとに、激しさを増している。
もともと、「家庭内与党」を公言していた昭恵夫人だが、いつの間にか、ご主人である安倍総理大臣を守るようになった。
安保法案に協力してくれるように、特に女性を集めての講演会で支援を願っているようであるが、それが、この状態である。
いかに政治家の妻といえども、こうしたバッシングには、心身ともに疲れ果ててしまうだろうと思える。
ご主人である総理大臣も、心労が絶えないだろう。
自民党の若手議員に関するスキャンダル、そして離党問題も持ち上がった。
もともと、若者たち、SEALDsのデモ運動を批難して、ツイッターが炎上したわけであるが、それとは別に、献金問題が浮上した。
これらはすべて、安保反対派の活動の成し遂げるところだろう。
沖縄での協議は成功しているのだろうか。
もうすぐ、工事再開の時期である。
沖縄に、エンタテイメントの施設、沖縄ユニバーサルスタジオジャパンを作ってあげる、というのは、甘い儲け話であるが、沖縄の筋金入りの平和活動家が、このような「飴をしゃぶらせる」ような方策に、むしろ激昂している姿が、目に見えるようである。
8月14日には、安倍総理大臣から、談話の発表があった。
わかりやすく歴史を解説した話ではあるが、「おわび」の文言などは、反対派の言うことを聞いた、ともとらえられかねない。
すでに、平身低頭の姿勢である。
そして、経済の失速である。
世界的な株価の下落は、安倍内閣の柱である、経済政策にボディブローを及ぼした。
これからどのような展開になるか、経済政策に関しては、不安材料でいっぱいである。
そうした状況におびえてか、来年の参議院選挙を不安に思った自民党議員からは、すでに弱気な声が上がり始めているようである。
9月の総裁選も、自民党議員の弱気を反映して、無投票当選となりそうだ。

安倍自民党の、この8月は、天気と同じく、失速気味というか、反対派の圧勝目前、野球の試合でいうなら、9回裏ツーアウト満塁で、一打サヨナラ、というあたりである。
こうなると、9月の予定はどうなるだろうか。
安保法案の廃案である。
安保反対派の勝利、となる。
廃案の責任をとって、安倍総理大臣は退陣、そして、衆議院解散総選挙、となるだろう。
しかし、ここに、チャンスがある。
安保反対派は、反対ばかりしているだけで、次の選挙で、政党も党首も議員も、準備することができていない。
昨年末の選挙がそうであったように、安保反対派は、烏合の衆なのである。
平和政策を主眼とした、政党を作ることができないし、候補者を擁立することもできない。
次の選挙も自民党の勝利である。
来年の参院選も、もし、民主党に多数とられたとしても、「軽いねじれ」が起こるだけではないか。
大勢を見れば、安倍自民党の勝利である。
もしも、反対派が、今から政党や候補者を準備して、特に女性候補などを擁立する準備ができていたら、これは本当に、安倍政権が「倒れる」ということになる。
昨年末には、準備期間が足りなかっただけで、今はもう議員になれる人材がいるのかもしれない。
潜在的には、新しい政党が準備されているのかもしれない。
サヨナラ本塁打とは、次の政権のことである。
とても心配である。

2015年8月26日水曜日

世界的な株価の下落について。

世界的な株価の下落について。

ここ2か月ほど、世界的な株価の下落が、続いている。
ギリシアの債務危機もあり、中国の市場が不安定になったこともあった。
ユーロ圏では、賢明な対策の手が打たれた。
しかし、世界的な市場の混乱は、すぐには収まりそうにない。

本当の原因はどこにあるのか。
どのようにして、この下落を、止めたらいいのか。

政治は、長い歴史の間に、経験によって、法則を得てきた。
経済もまた、長い歴史の間に、経験によって、商法という法則を得てきたのである。

この法則に違反すると、市場経済が混乱する。

つまり、現在の、世界的市場の混乱は、「商法に関する違反」が、原因だと思われるのである。
この違反を取り去り、厳しく対処すれば、市場経済の秩序が取り戻せるとみてよいと思う。

では、商法に完全に違反しているのは、どこの取引なのだろうか。

私は思う。
中国である。

中国は、株式市場に、政府当局が、介入している。
政府の、市場への介入は、商法の違反である。
これを厳しく取り締まれば、この株価の混乱は、収まると、私は思う。

2015年8月24日月曜日

東京オリンピックのエンブレムのこと。

東京オリンピックのエンブレムのこと。

秋の気配が感じられるようになった。
変化、また変化の時代である。
人々の気持ちは、先行きへの不安が増しているように思う。
そんなときに、希望の光として、それは一筋の光というより、
大きな松明として、輝くのが、2020年の東京オリンピックである。
すでに、新国立競技場は、計画の見直しにはいった。
スポーツのための、本当に高度な競技場へと、計画が進んでいるようで、
頼もしいかぎりである。
本当にうれしい。

しかし、次に話題となってしまったのが、
オリンピックのエンブレムの問題である。
いわゆる、盗作疑惑、というものが浮上してしまった。

この盗作疑惑のニュースに触れて、たくさんの人々が、それぞれに、東京オリンピックのエンブレムを、自分なりに考えたりデザインしたり、あるいはそれを、ツイッター上で公開したりしている。
また、それらの仮エンブレムが、「これも素敵」「これもいい」と、話題になっている。

こうした状況は、たくさんの人々が、「私も、オリンピックに参加したい」と思う気持ちの表れであると、私は思う。

疑惑のほうの話題が持ち上がったときに、一番先に感じたのは、「いったい、いつ、そんなコンテストがあっただろうか?」という疑問である。

参加するには、たくさんの大きな条件があったのかもしれないが、もしかすると、有名なデザイン事務所にだけ知らされた、コンテストだったのかもしれない。

日本には今、イラストやデザインの旋風が巻き起こっている。
これは、私だけが思うことではないと思う。

私は、活字文化という方向性で、絵やイラストよりも、活字と文章を主体として表現活動をしてきた。

しかし、今は若い人も、子どもも、ちょっとしたイラストが描けない人のほうが珍しいぐらいである。
美術大学も、アニメーション専門学校も、大人気である。
一億総イラストレーター、といっても過言ではないかもしれない。

こうした状況を踏まえて、「私もオリンピックに参加したい」という気持ちを汲んで、もう一度、エンブレムのコンテストを、やりなおしてはもらえないのだろうか。

くだんの疑惑の件は、判別にまだまだ時間がかかりそうである。
こうなったら、氏のことはまた別の問題として決着をつけることとして、東京オリンピックのエンブレムのほうは、早く決めたほうが良いと思う。

そこで、エンブレムデザインの再募集をしてほしい、と思う。

新国立競技場だって、計画を白紙からやりなおしているではないか。
よりよい、より主体的に参加できる、オリンピックのために、ぜひともお願いしたい、と思う。


それから、楽しみなのは、大会キャラクターである。
オリンピックまであと5年をきっている状況である。
キャラクター商品となると、市場価値も大きい。

おりしも、日本では「ゆるキャラ」ブームである。
市町村や企業が、オリジナルの「ゆるキャラ」を作っている。
「ゆるキャラグランプリ」も開催されていて、私も投票して、グランプリがどの子になるか、楽しみにしている。

日本を代表するキャラクターを、選んでほしい。
そして、できるだけ早く決めてほしいものである。

日本全国のイラストレーター、デザイナーが、「うずうず」している状況である。
かわいらしく、愛されるマスコット、キャラクターのコンテストも、大規模に開催してほしい。

スポーツだけではなく、みんなが実際に参加できるオリンピックに、楽しみを広げていきたいものだ、と思う。


2015年8月8日土曜日

安全保障法案の参議院審議について。

安全保障法案の参議院審議について。

今日の日本は、明治維新の時代の様相である。
国際貢献をするか、しないか。
これは、世界に開かれた日本国になるか、それとも、世界に目を閉ざしたままの日本で居続けるか、という選択である。
つまり、現在の日本は、開国派と鎖国派に分かれて、戦っているような状況なのだ、と私は思う。
どちらが正しいのか。
勝ったほうが、正しかったことになるだろう。
歴史が証明する、というが、勝てば官軍、というわけである。

日本が国際貢献のために安全保障法制を可決すれば、いずれ長い将来にわたって、日本は世界に開かれた国となる。
そうすると、開国派が、「正しかった」という結論になる。
歴史が証明する、というは、こういうことなのかと、改めて思う。

今の日本は、国内で内乱が起こっているような状況である。
社会不安も内乱の影響であるといえるだろう。

ところで、あなたは、鎖国派、開国派、どちらだろう?
私は、開国派である。

明治維新の時代では、開国への時代の流れ、世界情勢の流れには、誰も逆らえなかった。

今、インターネットの普及というツールを介して、世界のグローバル化が進んでいる。
この時流を止められる人は、誰もいないだろうと思う。
いずれ、10年先か20年先かわからないけれども、開国の流れが実現していくことになるだろう。
そうした意味で、現在にどのような批判をされても、私は開国派なのである。

武力を使った国際平和の維持、国際貢献、という意義を、特に女性たちが理解しないようである。
非常にむずかしい理論だからである。
複雑である、ということだろうか。
また、男性の発想である、ということもあるかもしれない。
「あなたの息子さんも、世の中には悪い人がいることをいずれ知って、お母さんあなたを守るために、命を投げ出して戦いたいと思うようになるんですよ」と、伝えたい。
実際に現在でも、息子さんたちは、女性であるお母さんたちを、陰に日向に、守っているのである。
守ってもらっている「お母さん」たち、女性たちが、そのことに気づかないだけなのである。

戦後70年、「平和」と一言ですべてが語られてきた日本社会においては、「世の中には悪い人がいる」「国際貢献をするべきである」という正当な考えが、通じない。
もう、頭が固くなって硬直してしまっているのだろう。
それに、自分が正しいと信じ込んでしまっているのだから、人権侵害も考慮に入れないで、激しい攻撃をする。
本当に平和を願う人が、人権侵害まがいの活動をするだろうか?
人の心を傷つけ、命をねらうようなことを、するだろうか。
それが本当に平和を願う心なのだろうか。
私は、疑問である。

特に女性たちは、もともと「私は政治には興味がありません」と公言していた人たちが多い。
なかば「いばっている」かのように「政治には興味がない」と言っていたのである。
投票にも行かなかったのだろう。
政治に興味もなく、理解の程度も浅く、感情的になって、「わが子が」「わが子が」と連呼している。
こうした女性たちを、理屈で納得させようとすることは、骨折り損のくたびれ儲けになってしまうので、もうやめたほうがよいのかもしれない。
「わかる人たちだけで決める」のも、リーダーシップである。
多数決がすべてではない。

すでに、参議院の審議に入っている。
60日ルールもあることだし、9月には、国会の、政治のトップの人たちの、国際貢献の気持ちと、積極的な平和建設の気持ちが強い人たちで、安保法案を可決することが、可能であるように思う。
そのようにして、明治時代にも、国の方向性は決定されてきた。
今回の、歴史の選択にも、そうした手法でよいのではないか、と私は思う。

しかしここで、気になることがひとつある。
反戦原理主義の人々の、戦略である。

共産党を主体としたデモが各地で行われている。
この共産党の反戦原理主義活動は、創価学会の切り崩し、という戦略に向かっているようだ。
創価学会は宗教団体であるが、いわずとしれたことだが、公明党の支持母体である。
この、創価学会の会員が、自発的行動で、共産党や民間の主催するデモ行進に、参加しているようだ。
それも、創価学会員であることを、公表したうえでこうした行動に出ているようである。

創価学会は内部規律のとても厳しいところである。
特に、宗教はどこもそうであるが「裏切り行為」というものを、固く禁じている。
私も、友達の創価学会員から聞いたが、裏切り行為は、「地獄落ち」ということなのだそうである。
その「地獄落ち」の行為を、公然と行っているのだから、これは、内部規律が働かなくなってきた、とみるのが、判断できるところである。


創価学会といえば、公明党の組織票、大票田として有名な活動団体である。
こうしたところで、内部規律がきかなくなり、個人が行動を起こし、インターネットで裏組織を作って、「反戦平和」のために、融通の利かない行動を起こし始めたとすると、公明党にとっては、大変な危機的状況となる。

すでに、来年の参議院選挙では公明党には投票しない、選挙運動にも協力しない、と公言する人がいたり、雑誌やサイトのインタビューに答えたりする会員がいる状況である。
公明党に対して、請願書を送ったりしている。
署名運動も始まっているようである。

こうした状況を、公明党はどうとらえているのだろうか。
公明党が、選挙のことを恐れて、創価学会の会員の運動のために、連立を離脱することがあったら、どうなるだろうか。
反戦運動をしている創価学会員は、公明党に、連立離脱を要求しているようである。

もし今、公明党が連立を離脱すると、参議院で議決ができなくなる。
採決を行っても、過半数をとることができない。

60日ルールで衆議院に送られても、採決を行うときに、公明党の議席がなくては、規定の三分の二に達しない。

このとき、もしも維新の党が、公明党の代わりに連立を組むとか、あるいは採決の際にだけ自民党に協力するとしたら、それで、規定の数には達する計算になる。

しかし、今から9月の採決に、間に合うだろうか。

共産党や反戦活動家の戦略には、「勝ち目」が、あるのである。
創価学会員の短絡的平和主義者の切り崩し、ここが、ねらい目であり、この作戦がうまくいくと、共産党と反戦活動家が、安保法案を、台無しにすることも、可能なのである。

公明党としては、意思を固く持って、連立離脱をしないで審議、採決するように、と思うものである。

沖縄地域で、共産党、民主党、反戦活動家、創価学会員の「まとまり」があるようである。
リーダー格も存在するように思われる。
また、共産党、公明党、沖縄県という地域性から、誰もが見て取るように、低所得者層の不満が、反戦運動のエネルギーになっているようである。

この時代を、新しい世界の平和の方向へ、乗り越えていきたい。
たくさんの人々の、時代を切り拓く思いと行動で、世界へと開かれた国づくりを、していきたいものである。


2015年8月3日月曜日

安保法案と、新しい国造り。

安保法案と、新しい国造り。
安全保障法案が、衆議院を通過した。
先週からは、参議院での審議が始まっている。
国民世論が、大きく揺れている。
政治問題としては、「盛り上がっている」という見方もできるだろう。
安全保障法案に対して、賛成意見も反対意見も、これだけたくさんの考えと意見が出てくることは、民主主義国家として、とても頼もしいことだ、と私は思う。

ところで、安倍総理大臣は、安保法案が可決されたら、すぐにでも戦争を始める気持ちでいるのだろうか?
このあたりで、国民の疑心暗鬼は深まるばかりである。
何しろ、秘密情報保護法案もあるし、政治家というのは、昔から、選挙のときだけの口約束、と相場が決まっている。
本当に、信じて大丈夫なのだろうか?

私は、こういうときに、安倍総理大臣という人の、人柄や性格を、じっくりと考えてみる。
人々は、「政治家」というだけで、腐敗や汚職の色眼鏡で見てしまう傾向があるように思う。
けれども、私は、日本の政治家は、高潔で理想肌であるように思う。

特に、震災後の日本の政治家は、若手も含めて、理想と情熱に燃えているように思う。
そして、安倍総理大臣という政治家は、やはりとても、理想の高い政治家であるように、私は思う。

たとえば、安倍総理大臣は、山口県の出身であるが、山口県には、高名な吉田松陰がいる。
安倍総理大臣の演説には、この吉田松陰の名前が、何回も出ている。
「松陰のように、やろうではないか」という呼びかけもある。

現代の日本は、時代が変化変化のときである。
それはあたかも、明治維新の変化の時代と、重なるものかもしれない。
そして、安倍総理大臣は、現代の吉田松陰となるべく、理想を掲げて政治を行っているのではないか、と思うのである。

吉田松陰は、国内にあっては、改革、革新を進めた。
そして、国外にあっては、「強い日本」を造ろうとしていた。
明治維新の時代は、長い間の鎖国がほどけて、黒船が来航していた時代である。
「外にあっては」「国際的には」という点は、とても大切な視点だったのだろうと思う。

安倍総理大臣は、外務大臣を歴任している。
御父上の安倍晋太郎氏も、外務大臣であった。
若いころから、外務の仕事として、海外へ何か国も渡航して、仕事をしている。
それで、外務大臣的なものの観方が身に付き、時には海外で悔しい思いも情けない思いも体験して、「日本はもっと国際的にならなければならない」「日本は、海外の欧米諸国とも肩を並べられるくらいにならなくてはならない」と強く思っていたのではないか、と私は考える。

それで、今回の安保法案も、世界情勢のなかで、すぐにでも戦争の後方支援に乗り出したい気持ちもあるかもしれないが、どちらかというと、「新しい国造り」という意味合いが、とても強いのではないか、と思うのである。

憲法改正に関しても、国の枠組みを、基礎から変える、ということである。

私自身は、憲法改正には、賛成である。
戦後70年もたって、憲法は、時代にそぐわないほど、古くなってしまった感がある。
しかし、憲法9条を変えるべきかどうか、というと、はてなマークがついてしまう。
それでも、憲法改正の問題に、取り組むことはとても大切で必要なことであると、私は思う。

2011年に中東で、チュニジアやエジプトの市民革命が起こった。
インターネットの普及とともに、たくさんの市民が集まって、腐敗した政治にNOを突きつけ、デモを起こすことが、世界中で行われるようになった。
しかし、ただの怒りをもとにしたデモは、政治と社会秩序を破壊するだけで、建設的な新政府の樹立にはつながらない。
もしも、政治に不満があるのなら、民主的な手続きを踏んで行うべきであると、私は思う。

そうした点から、新しい国造りを、憲法の改正、という民主的で合法的な手段で行うことを、これまでも提案してきた。

憲法の改正は、新しい国造りそのものである。

安倍総理大臣は、来年には憲法改正を行いたいそうである。
それは、安倍総理大臣の思い描く理想であるところの、「外にあっては強い国造り」という目標の達成への道筋である。
これは、合法的で民主的な道筋である、と言えるだろう。

ところで、私たち国民は、この安倍総理大臣の理想とする「強い日本の国造り」に、賛成して協力する気持ちになるだろうか。

考えてみると、総理大臣は政治の長ではあるが、王様でも神様でもない。
天と地を創造したのは、神様であるが、そうした権限を持っているかどうかは、首を傾げてしまうところである。

「もし私が王様だったら?」と考えてみたことはあるだろうか。
もし、あなたが王様だったら、どんな国造りをしたいだろうか。

私だったら、北欧型の、高福祉社会にしたい、と思う。
実は、ずっと以前からこうしたことは考えて来ていて、それで、高負担高福祉、という意味で、消費税の増税に賛成した。
税・社会保障一体改革である。

消費税の増税は決まったが、残念ながらその後、税の使い道は、国土強靭化、武力の強い日本、という方向へと向かってしまった。
本当に残念である。

もし私だったら、高福祉社会にしたい。
お年寄りや小さな子ども、病気の人や障害のある人が、心豊かに暮らせる国を造りたい。

これは、個々人によって、理想がちがうようである。
私の友達に、こうした問いかけをしてみたら、その友達は「貧困対策をしっかりした、安心な国造りをしたい」と答えてくれた。

今年の夏は、猛暑である。
この暑さのなかで、エアコンもつけられない、エアコンのついた場所にいられない人たちがいる。
そうした人たちが、熱中症で運ばれるニュースを聞くたびに、心痛む思いがするそうである。
貧困は、とても重要な社会的な課題である。
日本中の人が、経済的に豊かに暮らせるような国造りをしたい、これが、その友達の願いだそうである。

私たちひとりひとりが、安倍総理大臣、という王様ひとりの理想に、賛成や反対をするだけでなく、国造り、ということを、考えてみてはどうだろうか。
それは、もちろん、国際的な対応法を考えることも含まれる。
グローバル化の世界にあって、どんな日本でありたいだろうか。

新国立競技場の問題も、たくさんの人が、まず興味を持ち、よく知り、自らの考えを述べることで、民主的に建設されようとしている。
これは、本当によいことだ、と私は思う。

本当に、安倍総理大臣の国造りの理想に、賛同できるか。
できないとすると、どんな日本を造っていきたいか。
いま一度、民主的に、みんなで考えていきたいものだ、と私は思う。

未来の子どもたちへ、最大のプレゼントをしていきたいものだ、と私は思う。