2023年10月5日木曜日

連載 40 「若草物語」 末の妹 エミー

連載・40 名作文学に読む素敵な女性たち。 末の妹エミー。女の子たちの派閥作り。 オルコット作「若草物語」。 四人姉妹の少女たちが成長していく物語である。 そこには、女性たちが十代で身に着けなければならないたくさんの教訓としつけが描かれている。 もともとこの家では、父親が牧師であり、母親も敬虔な信仰を持つ女性である。 それで四姉妹たちに、厳しく温かいしつけをする。 生まれ持った困難な性質を、おだやかな方法で矯正していくこともする。 子どもたちのしつけにおいて、あるいは人間として自分自身が成長していく過程において、生まれ持ったあまりよくない性質を克服することは、とても重要な課題かもしれない。 「ほめて育てる」面もあるが、「ここはいけない」という点も、きっちりと克服していかないければならないのである。 可愛らしい女の子に対しては、親としてもたいへんかもしれない。 そこをしつけていくのが、この四姉妹の母親である。 父親が戦争に行って留守の一年間に、この四姉妹が成長していけるのは、何よりもこの母親の、しっかりと筋の通った教育方針に理由があるのだろう。 四番目の妹エミーは、とても美しい娘である。 自分の顔かたちが美しいことでとても自信を持っているし、 きれいなもの、たとえばドレスや指輪が大好きである。 気の強いところもあり、次女の作家志望ジョーと争ったときには、ジョーの原稿を燃やしてしまうような激しい面も持っている。 このエミーの、欠点を克服するエピソードは学校のワンシーンである。 当時のアメリカの学校では、もちろん女の子たちだけのクラスであるが、 そこで休み時間に「塩漬けのライム」をおやつにすることがはやっていたらしい。 誰かひとりがライムを持ってくると、それをクラスのお友達に分けて、 一緒に楽しむ。 ライムを分けてほしくて、「私のビーズアクセサリーをあげるわよ」などと、 友達が集まってきて、クラスの中心人物、つまりお姫様というか女王様になれるようだ。 こういうことは、小学生、中学生のクラスの女子では、よく起こることだ。 私が幼いときには、さまざまな模様の千代紙がはやり、それを配ってくれる女の子は女王様であったし、親が千代紙を買ってくれない女の子は、みじめな思いをしたものである。 みじめというより、仲間外れになってしまうのだ。 女性社会において、仲間外れは一番に酷いしうちだ。 現在の小学校、中学校においても、女子生徒たちのサークルのなかで、 「仲間外れ」が行われ、それが「いじめ」と呼ばれ、深刻な問題になる。 親としても教師としても、この少女たちの「仲間づくり」「仲間外れ」に関しては、どうにも手出しができないというか、理解しにくいところがあるのだろう。 エミーは、24個持ってきたライムを、好きな女の友達にはあげるけれど、 常日頃ライバルであった女の子にはあげない。 それでライバル女子は、担任の教師に告げ口をして、エミーは罰を受けるのである。 エミーは家に帰ってきて泣きじゃくる。 なぜ私だけがクラス全員の前で罰を受けなければならないのか。 なぜ、親にもぶたれたことのない、きれいな白い手を、ムチで打たれなければならないのか。 姉のジョーは、気丈で積極的な性格を持って、担任に立ち向かっていく。 「小さな女の子にそんな仕打ちはないでしょう!」 エミーの気持ちとプライドは少しだけいやされる。 そこへ母親が「でもね、学校にライムを持っていくのは規則で禁止されているでしょう」と優しく諭す。 エミーの、「女王様になりたい」エゴはこうして矯正され、 大人になってもそれで威張ったり、トラブルを起こしたりしないように、 しっかりと胸に刻まれる。 現代日本の女性社会も、同じ問題がたくさん起こっている。 たとえば、携帯電話、携帯メールがそうであった。 携帯を持っていない女の子だけ、「呼び出せないから」という理由で、 遊びの集まりに誘ってもらえなかったりする。 どんな時代にあっても、女性たちは「仲間づくり」と「仲間はずれ」で気持ちを傷つけられる。 それを知っていて心にとめて、しないように心配りをしていこう、と、 姉妹たちのお母さんは、優しく教えきかせている。 末娘エミーの、幸せなエピソードである。