朝倉聡子・日々のつぶやき
たくさんの文章を書く、ということ。
わたしは、作家になりたい、と思っていました。
たくさんの文章を書いて、書き溜めて、いつか、本を出版して、
ベストセラーを出したい、と思っていました。
でも、自分にとって、「なかなか越えられそうにない壁」というものがありました。
それが、「自分の本が、ないがしろに扱われたらどうしよう?」ということです。
売れなかったらどうしよう、とか、そういう前に、大切に出版した本が売れなかったり、書評で、悪く書かれたら、きっと、自分の気持ちが立ち直れないんじゃないかな、と思っていました。
それは、今、選挙で立候補しているかたがたに対する、尊敬の気持ちにも表れています。
わたしは、たくさん書いてから、ある作家の先生に出会えて、お話をさせていただく機会があったときに、まっさきに尋ねたのが、この問題でした。
「自分の文章が新聞に載って、その新聞が、風に舞って、そのうちに、誰かのお弁当の包み紙にされてしまう、それでも書くのですか? そういうとき、どうするのですか?」
でも、その作家先生に出会える前から、ずっと、自分で自分を訓練していたのは、ラジオ番組にファクシミリを投稿して、「メディアに出る」ことに、慣れておいた、ということです。
たくさんの人に、自分の考えを書き表して、聞いてもらって、読んでもらって、その上で、たくさんのお叱りの言葉、たくさんの批判、批難、中傷、それらを受けても、それでも書いていきたいのか、ということです。
いつも、自問自答しています。
大新聞のかたも、タブロイド紙のかたも、いつか紙切れになってしまう小さな新聞紙に、思いを、考えを書いて、捨てられています。
そして、読まれて、また、捨てられています。
わたしにとって、作家というのは、自分の考えを、人前に、強く強く、何度も何度も、しつこいと言われても、言われるまで、出す、ということです。
そして、いつか、書いたことさえ忘れてしまうほど、たくさん、たくさん、書くということです。
書いても書いても、書きたいことがなくならない。
筆が、太い、ということです。
後生大事に自分の本をとっておいて、高く売れなければ気が済まないようなら、それは、きっと、伝えたいことが、あまりないのだと思います。
古本になっても、デジタルになっても、誰かに読ませたい、だから、たくさんたくさん、しつこく書く。
これが、わたしが、思うことです。
読んでもらえるまで、書く。出す。
お嬢様作家は要りません。
誰も読みたくありません。
お嬢様作家の文章は、読みたくありません。
買いません。