このごろのアニメやテレビドラマの、わたしなりの観方
このところ、文学や歌謡、映画や芸能の、新しい流行というのが、
始まりかけているような気がします。
それは、コロナ後のなにか新しい文化が生まれるような、
予兆のようなものかもしれないです。
このごろのアニメの「観方」として、
わたしが心構えとして持っている考えは、
「世相をみる」ということです。
とても人気の高い、「噂の」「評判の」アニメやドラマは、
「一応見てみる」というのが、わたしのスタンスです。
それは、「どんなものが流行っているのか」ということを、
知りたいからです。
どんなものが流行っているのかわかれば、
一般に「みんな」と呼ばれる人たちが、
何をどんなふうに感じて考えているのか、
なんとなく、だったとしても、わかってくるからです。
たとえば、「鬼滅の刃」というアニメがあります。
絵柄はそれほどきれいなものだとは、思いませんでした。
コンビニエンスストアなどに、ポスターが貼ってあっても、
それほど興味はわかなかったです。
アマゾンプライムビデオで配信されていたので、見てみると、
本当に、思いがけずに「こわい」ものでした。
それで、友達にも、「これ、信じられないほどこわいから」と、
伝えておきました。
新海誠監督の、アニメ映画「天気の子」これも観ました。
わたしは、「今、たくさんの人が興味を持っているのは何か」ということを、
知るために、「一応観てみる」というスタンスはいいと思います。
木村拓哉さんの新しいドラマ「教場0」では、
ホラー映画なのか、と思うような題材が描かれていました。
これは、見ていて気分が悪くなるかもしれないですが、
社会やメディアからの、何らかのメッセージあるいは、
「注意喚起」だと思って観てみることもいいと思います。
新聞やテレビニュースには出せないけれども、
「あくまでフィクションです」という位置づけで、
社会に起こっている問題を、視聴者に報せている、というふうに、
受け取ってもいいと思います。
「こんなドラマがあるから、こんなアニメがあるから、こんな文学があるから」
社会が歪んでしまうのだ、という考え方もあるでしょう。
自分だったら、こんなテレビドラマは作らない、
自分だったら、こんな文学は書かない、という内容のものがあるでしょう。
わたしは、先ほど何回も書きましたとおり、
「今、たくさんの人が、こんなふうに感じて、考えている」ということを、
知るために、流行りのアニメ、ドラマを観てみるのは、いいことだと思っています。
それが、わたしの、スタンスです。
話は前後しますが、アニメの「天気の子」と、「鬼滅の刃」に共通するのは、
未成年の少年や少女が、きょうだい、妹や弟の世話をしている、ということです。
本来は、未成年は親御さんが保護をし、世話をするべきですが、
その親がいない状況で、生活をしています。
これは、フィクションだから、という舞台設定ではなく、
現実に、未成年が、きょうだいの世話をしている家庭が、
多いのではないか、と思われます。
わたしは、政治の仕事にたずさわって、よかった、と思っています。
政治の仕事は、予算をどのように使うか、ということですが、
社会のために、法律を作って、それを施行することで、
少しでも、社会の問題を解決に近づけていくことができます。
報道があり、アニメ化があり、そこに人々の共感と癒しがあり、
そして、法律の制定がある、ということです。
「鬼滅の刃」というような、青少年の生活状況、精神状態が、
なぜ生じたのか、まだまだわからないところです。
社会的責任のある、いわゆる「大人」にとっても、
「今、できることをする」
「大人にも限界はあるが、できるだけのことをする」という状況です。
もっともっと、世界をよくしたい、と念願して行動する人もいます。
グレーゾーンと呼ばれますが、
戦争があるのか、ないのか、わからない状況が続いています。
わたしは、なぜ戦争が起こるのか、どのようにして戦争が始まるのか、
ここ数年、確かめて、記録してきました。
最初に起こったのは、「誰かが」米や麦の作付けを減らした、ということです。
それは、「誰か」からの命令や誘導だったのかもしれないです。
その、コメ不足の状況が三年続いたときに、
飢餓や貧困、争いが起こり始めた、と思います。
それは、世界的に起こったと思います。
それから、コロナと呼ばれた、感染症の拡大です。
コロナウイルスは、やはり「誰か」が、作って拡大させたものかもしれない、
とわたしは思うときもあります。
わたしたちが、コロナ対策をしている間に、
たくさんの絶望を感じ、人生観が変化し、そのあとに、
経済的な問題が深刻になってきました。
国と国との、相互の不理解や誤解がありました。
その誤解は、やはり「誰か」が、誘導したのではないか、
とわたしは思うときがあります。
時間をかけて、あたかも何かのマニュアルがあったかのように、
戦争を始めさせるために、数々の策が行われたように感じています。
それらに対して、わたしたちがしてきたことは、
先に述べましたように、「できることをする」
「自分の身のまわりから、守っていく」ことだったと思います。
きょうは、群馬高崎で、G7のデジタル大臣会合が行われます。
世界の最先端技術であるデジタル、そしてインターネット、
これを「支配」した人が、世界一の権力を持つのだ、と言われています。
グレーゾーンである戦争状態は、
デジタル技術とインターネットの奪い合いから始まったといっても、
過言ではない、とわたしは思います。
その、デジタル技術を、世界中の国々で、世界中の人たちで、
共有し、意見交換しあい、友好を深めて、
戦争の火種を、ひとつひとつ、消していきたい、とわたしは思います。
きょうの、G7群馬高崎デジタル大臣会合を、成功させましょう。