NHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」感想。

NHK大河ドラマ「おんな城主・直虎」感想。

2017年も、新しく年があけた。
NHKの日曜夜の大河ドラマは、毎年、歴史ものを扱っていて、昨年は「真田丸」で、とても素晴らしい高い評価があった。
昨年のドラマは本当に楽しかった。

さて、今年、年頭から始まった、新しい大河ドラマ「おんな城主・直虎」である。
まだ、2回の放送であるが、これは…ちょっと…。
誰もが見ていて思うことだと思うのだが、昨年の「真田丸」の盛り上がりに比べると、落胆してしまうかもしれない。

ドラマの問題点のひとつは、「テンポ」である。
ストーリー展開がのろのろしていて、テンポの良さが感じられない。
テレビを見ながら、ついつい時計を見てしまうような、遅い展開で、脚本の腕を、もっともっと磨いてほしいところである。
視聴者を飽きさせない、素早い展開や、スリリングなエピソードをもっといれる工夫は、してもよい、と思う。

次に思うのは、ヒロイン・直虎の性格の問題点である。
「おてんばで、やんちゃで、勇気のある少女」というあたりで、キャラクター設定をしているのかもしれないが、これはただの「ダメな女の子」である。

親の言うことをきかない。
親が「これは危ないから気をつけなさい」と言ったら、そこで、危険を察するのが、ごく当たり前の女性の感性である。
しかし、このヒロインには、その大事な、女性としての感性が抜け落ちている。
そして、深夜の深い森に入ることに、恐怖を感じない。
これは、人間として、当たり前の感受性が、ない、麻痺している、ということなのである。

「やんちゃ」「おてんば」とはちがって、メンタルに少し問題のある、無防備な少女として、ヒロインの性格を描いたところは、ドラマとしてもストーリーとしても、これからの展開が、まったく期待できないところである。
つまり、ヒロインに魅力がないのである。

こうしたドラマ展開、少女時代のエピソードとしては、NHK連続テレビ小説「べっぴんさん」の第一週目でも、見られた。
親の言いつけに背いて、街に出かけた女の子が、変質者と思われる男性から目をつけられるのである。

今の世の中に対して、社会派と呼ばれる作家たちは、警告を発しているのだろうか。
問題提起しているのだろうか。
私はそうは思わない。
解決策を示さない問題提起など、なんの価値もないのである。

世の中が、女の子がひとりで歩いてもなんの事件も起こらないほど平和であるべきだ、とこれらの作家たちは、思い込んでいて、離れられないのである。

そして、「答はいくつもある」という考え方に縛られているのである。

実際には、幸せの形は、ひとつしかない。
幸せになるためには、幸せを守るためには、親の言うことをよく聞き、社会の仕組みをよく知り、厳しい社会のなかで、生き抜いていくための、必要な知識を手に入れて、慎重に生活するべきなのである。
身を慎み、よく勉強して、厳しい社会に対処していくべきなのである。

しかし、これらの「極左」ともいうべき作家陣は、世の中が、どんなわがままをしても許されるほど、甘ったるい場所である「べきだ」と言って、譲らないのである。

そうした、わがまま、エゴが、これらの人たちを、苦しみという柱に縛り付けているのである。

今後のドラマの展開に、期待ができるかどうか、可能性がないわけではないだろうが、何かと問題の多い脚本家陣が、我も我もとエゴをむきだしにして取り組み始めたところを見ると、今後の視聴者離れは、逃れられないようにも思う。

自分自身の、思想や考え方を、今一度、見直してみるべきである。
世の中は、厳しいところである。
感性の麻痺した女の子が、事件や事故に遭遇するのは、自業自得の出来事なのである。

私は、きちんとした女性が、きちんと人生を生きていくために、さまざまな知恵を書き記してきた。
しかし、わがままやエゴのひどい女性たち、作家たちが、どう生きていくかまでは、責任はもたない。
自分の人生は、自分が、責任と義務を背負って、生きていくものだ、と思う。
結果はすべての人に、それなりにきちんと、表れているのである。