東芝のパワー半導体の9割を造る加賀東芝エレクトロニクス(石川県能美市)。5月に完成したばかりの新工場棟には、続々と真新しい製造装置が搬入されていた。9月までにパワー半導体としては最新鋭の直径300ミリウエハー対応のマシンが100台並べられ、加賀の生産能力は2021年度の2.5倍になる。
1月に能登半島地震が襲い、元日も稼働していた加賀東芝の工場も大きく揺れた。半導体製造装置の中核部材である石英の多くが破損し、クリーンルームに欠かせない排気ダクトも100カ所以上が崩れ落ちた。
東芝は地震発生から5日後には復旧作業を開始。国内に複数ある半導体拠点から集められた55人はいずれも加賀の経験者だった。まだ電気が通らず薄暗い中でも作業ができるほど「土地勘」のある人を選抜した。東芝にとっていかに重要な工場かを物語る。
ふたつの不祥事
パワー半導体は5月に発表した中期経営計画でも中核事業に据えられた。ただパワーは半導体部門の中でも長年、メモリーの陰に隠れた脇役的な存在だった。
「メモリーの投資額はケタ外れ。なんであっちは社内の承認がすぐ通るのにこっちは通らないのかと思いました」。パワー&小信号営業推進第一部シニアマネジャーの高島英彰はこう振り返る。高島がパワー半導体担当となった2006年当時、メモリーへの投資額は単純計算でパワーの15倍だった。
そんな脇役が主力に指名された背景にあったのは、社内外の2つの不祥事だ。1つ目は東芝自身の失点。長年にわたり組織ぐるみで続けられていた不正会計だ。
2015年5月に発覚すると、債務超過を避ける目的で医療機器、白物家電を売却。その後、16年12月末に米原発子会社で巨額損失が判明し、メモリーやパソコン、テレビなど次々と主力事業を売り渡した。この際に残ったのがパワー半導体だった。
もう一つがくしくも不正会計の4カ月後に暴露された独フォルクスワーゲン(VW)によるディーゼルエンジンの排ガスデータ捏造(ねつぞう)事件だ。
不正を受けてVWは強みを持っていたディーゼルから、電気自動車(EV)への移行を決断した。これを機に世界的なEVシフトが加速した。高い電圧や大きな電流を扱い、EVの電源周りなどに使われるパワー半導体の需要が一気に拡大。「売れ残り」だったパワー半導体が主役に躍り出た。
「パワー半導体の数が足りない。もっと欲しい」。23年秋、米西海岸のシリコンバレー。米テスラの調達担当役員と商談した高島は、調達方針の変化を感じ取った。
それまで東芝の扱いは、他のメーカーを介してテスラにパワー半導体を供給する「ティア2」に相当していた。ところがテスラは直接、東芝との取引を持ちかけてきた。この頃、すでにEVの減速が始まっていたが、再び普及が加速する時期の到来を見越してサプライチェーンを強化していたのだった。
相次ぐリストラ、「あまりに絵が甘い」
事業構造の転換は苦難の道のりだった。花形だったフラッシュメモリー事業は分社化をへて連結対象から外され、リストラは3度にわたり断行された。
「東芝に売られた」
マーケティングエグゼクティブの小田泰子は、部下の言葉が今も忘れられないという。20年当時、リストラに際して重点顧客担当営業部部長として面談にあたった。怒りなのか、失望なのか、手の震えが止まらない社員もいた。かつて営業担当として顧客であるソニーやキヤノンを一緒に行脚した社員も対象に含まれていた。
変わるゲームのルール
では、東芝に残されたパワー半導体は世界の頂点をつかめるのだろうか。現状は厳しいと言わざるを得ない。市場シェアは首位の独インフィニオンテクノロジーズに続いて米オン・セミコンダクター、スイス・STマイクロエレクトロニクスなど欧米勢が名を連ねる。国内でも三菱電機と富士電機の後塵(こうじん)を拝する。
新たな中期計画では、数少ない成長戦略としてパワー半導体に3年間で1000億円を投じると表明した。だが、実は1000億円は過去3年の投資規模とほぼ同じ。いわば「巡航速度」だ。かたやインフィニオンは1年で28億ユーロ(約4900億円)を投じる計画で、その背中は遠ざかる一方にも見える。
ただ、メモリーなどと違い、単純な規模の論理で語ることができないのがパワー半導体の世界だ。顧客の要望にきめ細かく応じる多品種少量生産が前提となるからだ。近い将来、我々の身の回りの様々なモノに人工知能(AI)半導体が搭載されるエッジコンピューティングの時代が到来する。AI搭載の「モノ」の形は千差万別で、それぞれに最適なパワー半導体が求められる。
備えは進めている。東芝の手掛かりとなるのが、半導体事業の中で主力製品を入れ替えた経験だ。1980年代末に東芝をNECに次ぐ半導体世界2位に押し上げたメモリーのDRAM。90年代に世界的な競争が過熱してコモディティー(汎用品)化が進むと、2001年に撤退を決めた。当時の東芝がDRAMに代わるメモリーの主軸に据えたのが「NAND型フラッシュメモリー」だった。
DRAM工場からフラッシュメモリー工場へと生まれ変わったのが、三重県にある四日市工場(現キオクシア・四日市工場)だった。主役交代に際して神奈川県内の開発拠点から技術者が大量に送り込まれた。入社以来、DRAMの回路の作り込みに携わってきた甲斐徹哉もそのひとりだ。
「またコンタミ(ごみ)が紛れ込んだ」「装置が正常に動かない。原因不明。すぐに来てくれ」――。生産現場からは日々、こんな報告が届く。そのたびに机を離れ、歩いてクリーンルームへと向かう。研究所では分からなかったリアルな課題と向き合った。
工場と開発の一体運営戦略を、再び巡ってきた主力交代でも取り入れた。
20年間、メモリーと向き合ってきた甲斐は今、加賀東芝に駐在してパワー半導体の改善にあたる。熱効率、抵抗、電気の流れ方……。「パワー半導体は求められる性能の変数がとにかく多い」のが特長だという。エッジデバイスではその「変数」が飛躍的に増える。甲斐たちエンジニアには、さらにきめ細かい作り込みが求められる。
活路となりうるのが、同業のロームとの提携だろう。一般的な半導体に使われるシリコン製は東芝、高い省エネ性能が特長の炭化ケイ素(SiC)はロームが担う。互いの強みを生かす役割分担だ。
産業史に残る日欧名門企業の汚点をきっかけに、東芝を背負うことになったパワー半導体。ロームとの提携には「弱者連合」との嘲笑も聞こえてくるが、そんな前評判を覆すことができるだろうか。かつての脇役の勝敗は、東芝再出発の行方を左右する。