2014年9月30日火曜日

NHK「マッサン」が始まった!感想。

秋、二学期、後期、いろいろな言い方があるが、ともかくテレビの世界では、新しい番組がたくさん始まった。
そして、私の大好きな、NHKの朝ドラこと朝の連続テレビ小説(私はテレビ小説、という言い方が大好きだ)「マッサン」も始まった。
今回の朝ドラは、主に大阪のNHK局が担当する。
これは、長い間、朝ドラを見ているとわかることであるが、4月から9月の前期は東京放送局、10月から3月の後期は大阪局が担当することに昔から決まっていて、日本全国放送ならではの、配慮かな、と思う。
「マッサン」というのは、ちょっと聞いただけではすぐにはわからないが、男性の呼び名だそうである。
今回の朝ドラは、夫婦、国際結婚、がひとつの大きなテーマになっていて、スコットランドからお嫁さんに来たヒロインが、夫の政春さんを「マッサン」と愛称で呼ぶところからきているそうだ。
とすると、ヒロインだけでなく、ヒロインの相手役であり、夫役であるマッサンも、主役、ということになる。

ヒロインのオーディションのときから、とても楽しみにしていたドラマが、きのう、第一回、始まった。
まず、とっても感動したのは、最初のシーンが、北海道のロケだったことである。
北海道の余市町から始まった。
この「余市」は、「よいち」と読む。

余市は、私は北海道にいたときから、何度も行ったことがあって、社会見学で、ニッカウヰスキーのファクトリーには、行ったことがあるし、その後も、友達も暮らしているし、ドライブのときには、小樽から足を延ばして、海沿いに走るときもある。
やっぱり余市というと林檎で、赤くてとてもおいしくて、冬は木箱に入った余市の林檎である。
それから、余市というと、有名なのは、宇宙である。
というのは、宇宙飛行士の毛利衛さんが、余市の出身なのである。
だから、余市の中心の公園には、スペースシャトルの銅像がある。
余市はとても素敵なところで、札幌から小樽へドライブして、小樽でおいしいお寿司をいただいてから、余市を見て回るととても素敵だと思う。

そうした余市のシーンから始まった。
あの独特の陽射しと、緑の木々と、青空のあの青は、北海道の夏の独特である。
たぶん6月の撮影ではないだろうか、と思ったので、ちょっと調べてみたら、やはりロケは6月だったようである。
それから、とても印象的な白樺並木であるが、これはスコットランドまでロケに行ったのだろうか?
私のよく知っているところでも、とても印象的な白樺並木があって、そことよく似ていた。
冬は雪の白樺並木となるところで、「マッサン」では、夏、初夏の、映像だった。
とても大好きな景色である。

こうして始まった、新しい朝ドラ、これから、寒い冬も、クリスマスもお正月も、そして、春3月を迎えるまで、楽しみに励みに、見ていきたいと思うのである。



2014年9月27日土曜日

NHK「花子とアン」最終週(第26週)「曲り角の先に」感想。

4月から楽しみに毎朝観てきた、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
きょう9月27日の放送をもって、「完」となった。
本当に、毎日毎朝、こんなにも半年間、毎回欠かさず見てきて、よかった、と心から思う。
一冊の本を読み終えたときのような充実感もあり、また自分自身がこの四月から半年間生きてきた毎日のことも、重ねて思い出すことができる。
なにかこう、自分自身に対して「この半年間、よくがんばってきたね」と言いたくなってしまうものだが、本当は、放送してくれて、番組を作って、電波に乗せてくれた「花子とアン」の製作者の皆さまに向って、お礼を言う場面なのだろうと思う。
私のブログで、「花子とアン」の感想を、毎週書いて発表するようになってからも、ちょうど半年間たっている。
ヒロイン花子と一緒に、特に女性の一生について、特に、教育を受けた女性の一生について、一緒に考えてきた気持ちだった。

最終週では、ヒロイン花子は、60歳代を迎えている。
そして、念願の、「赤毛のアン」を出版することになる。
出版までのいきさつは、とても長くて、困難な道であったけれども、花子はくじけずめげずに、この大切は翻訳の原稿をとっておいて、チャンスとあれば、出版社に見せて、そして、とうとう出版することができた。
ここで、花子の60代を考えてみたいと思う。
テレビ小説は青春時代が主になるものであって、花子の50代、60代は、それほど長く丹念に描かれたものではなかった。
けれども、得るものはたくさんあったと思う。
こうした、50代、60代、70代の年ごろの特徴は、これから私たちが高齢化社会で、高齢者を理解するためにも、自分自身が高齢になっていくときにも大切なことであるので、いくつか思うところを書いてみたい。

ひとつは、「これからは若い人の意見を大切にしなくちゃ」というところである。
年齢が高くなり、親や教師、友達も、年齢と共に老いていったり、亡くなったりもする。
花子もすでに、父親と、「赤毛のアン」の原書をプレゼントしてくれたスコット先生を亡くしている。
そうして、先輩や教師、上に立って教えて導いてくれる人たちを亡くしたあとは、自分が時代の最年長者になっていくものだ。
また、自分の子どもや、仕事を通して教えてきた子どもたち、花子にとっては、ラジオを聴いていたという少年や、読者であった子どもたちだが、そうした人たちが、花子を取り巻く社会には、増えていく、ということである。
年長者が減って、年下の人たちが増える。
そして、花子と夫・英治と、娘・美里は、子どもたちのための図書館を開く。
これは、花子が老いを迎えたときの、大きな仕事としてとても大事なことだと思う。
人生で仕事をなしとげた女性が、今度は若い人のために、とても大切な、人生上の決断であるように思う。

次に、年老いても、変わらないものは変わらない、ということである。
最終回でも描かれたが、花子は、新しい本に出会うと夢中になってよみふけってしまう。
これは、子ども時代から変わらない。
そして、女学校時代と同じように、初めての英単語にでくわすと、英語の辞書を探して夢中になって走り回るのである。
この、辞書を探して走り回るシーンは、花子の性格を表すシーンとして、とても印象的である。
この楽しい性格は、大人になってからも、50歳を過ぎてからも、60歳を過ぎて、有名作家になってからも、変わらない。
我が子が大きくなって、自分自身に白髪が増えてきても、変わらないどころか、ますます強調される性格になるようだ。
私たちも、身近な高齢者と接するときに、まるで子どもみたいな性質を目の前にして、驚くことがある。
子ども時代からの性質や性格は、どんなに曲がり角を曲がっても、どんなに人生上の困難を乗り越えても、結婚しても子どもを持っても、変わらないものだ、とつくずく思う。
高齢になればなるほど、もっともっと、子どもらしい性格が真ん中にストンと立ち上がってくるように思う。
また、こうして高齢になるまで残る性質が、彼女の人生を決定した、といっても過言ではないような気がする。
それくらい、子どもの時からずっと、本が好きだった。

次に、花子の「これから」である。
60代になって、ようやく代表作である「赤毛のアン」を出版することができた。
最終回で終わってしまったドラマをどうこういうのは申し訳ないが、このあと村岡花子は、「赤毛のアン」のシリーズを、9冊も翻訳して世に出すことになる。
75歳まで長生きするのである。
こうなると、まったく、時間との勝負、いや、寿命との勝負である。
私たちも身近な高齢者が、健康法や食事法にとても興味を持って真剣に語ったり情報交換したり、入れ込んだりするのを見ている。
あとは、寿命しだい、というところだ。

花子は、50代、60代、でひとつのステイタスを築くことができた。
あとは、よい本をどんどん翻訳していくのみ、である。
生きている限り、翻訳を続けたのだろうと思う。
これこそが、ライフワーク、と呼べるものだろう。

翻訳者・村岡花子が生まれるまで、実に、50年、60年かかったというわけであるが、そこまでの苦闘と、そこから生まれる喜びを思うと、とても素敵な人生である。

教育を受けた女性が、そうでない女性と比べて、どんなふうにちがった道を歩むことになるのか、もう一度、いま一度、よく考えてみたい。
ひとりの女性の人生を、半年かけて、ゆっくりと、毎日15分ずつ、追いかけてきた。
一緒に泣いたり笑ったり、考えたり迷ったりもしてきた。
そうした半年間を、大切に、何度も何度もかみしめていきたいと思う。
かけがえのない、花子の一生だった。
そして、かけがえのない、2014年の春夏秋であった。
ありがとう。
ごきげんよう。さようなら!

2014年9月25日木曜日

わたしのしたいこと。

わたしのしたいこと。
本当に、平和な社会を作りたい。
心の底から、安心して暮らせる社会を作りたい。
子どもたちが安心して伸び伸びと暮らせる社会を作りたい。
女性たちが、安心して伸び伸びと生きていける社会を作りたい。

今の自分がどうなってもいいから、どんなに苦労をしてもいいから、次の世代のために、平和な社会を作りたい。
何が幸せで、何が平和で、どうすれば平和になるか、わからないけれど、自分が信じた道を一生懸命やってきたけれど、うまくいかなかったみたいだ。
本当の意味で、人々が平和で平穏に暮らしていける社会を作りたい。

平和への道や、平和への手段がどういうものか、私にはよくわからなかったのかもしれない。
ただ、チームとなって力を合わせれば、きっと成し遂げられると信じてきた。
一生懸命やってきた。

でもよくわからなくなってしまった。
戦争を始めることは、私が望んだことではないし、私が計画したことでもないし、私に前もって知らされていたことでもない。
いつの間にか巻き込まれてしまった。
私は、不本意だ。
本当に心から戦争のない社会、平和な社会を望んできた。
集団的自衛権は、あるべきではないと思ってきた。
一生懸命協力して書いてきたら、こういうことになってしまった。
何度もやめようと思ったけれど、実際に戦争を始める気なのかどうか、よくわからなかった。
信じていたのに裏切られた気持ちでとても悲しい。
でもここで、平和運動を始めたら、私自身のいのちも危ないと思う。
安倍政権に関しては、衆議院選挙のときから、信用できないものを感じていた。
野田政権と一緒に、高福祉社会、北欧型社会を作ろうと思って、増税、消費税にも取り組んできた。
それが、税だけ上がって、福祉はしないで、戦争をするというのではあんまりだ。
私は、平和な社会を作りたいのだ。




安倍政権の目指したもの。

国際政治のなかで、世界の平和を目指したのではなく、国際社会の中でのランク付けにこだわり、国連の常任理事国になろうとした。
平和への道は、平和的手段によってしか進めない。
戦争のあとにあるのは、戦争のみである。
安倍政権は、平和を目指したのではなく、かつてのアメリカのように、世界のあちらこちらに口出しと軍隊の出動をして、脅威を見せつけたかったのではないだろうか。

わたしは、そう思う。

2014年9月24日水曜日

イスラム国への空爆と日本とこれからの暮らし。

イスラム国への、国際情勢が高まっている。
アメリカが空爆を始めた。
ヨーロッパもこれに続くと考えられる。
日本も、参戦すると考えられる。
これからの日本では、国内の暮らしとして、治安をとても重要にした、国民の対応がのぞまれるかもしれない、と思う。

たとえば、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」でよく見たように、女性と子どもたちは、質素倹約した生活が望まれると思われる。
ぜいたくを慎み、夜は出歩かない、等々の行動が必要である。
子どもたちも、もしかしたら、学校がお休みになるのではないだろうか。
あるいは、学校の行きかえりを親が送迎することも必要である。
国民は、ぜいたくを戒めて、不要不急の外出をしないで、お金も大事にして、しばらくの間、国の政策に従うことが重要である。

イスラム国をめぐる現状について。

中近東、イスラム圏をめぐる現状は、日々、変化している。
ついこの間までなかった「イスラム国」が、いつの間にかできている。
これに対して、アメリカからの空爆も始まっている。
イスラムをめぐる動きは、今年に入ってから活発になってきた。
イスラム、イスラエル、エルサレムを中心として、イスラム過激派の人たちが集まってきたようにも見える。
これに対して、平和を思う人たちは何をしているのだろうか。
国連は何をしているのだろうか。
国連安全保障理事会は、これに対して、戦略的で計画的な行動を、すでに開始しているように思われる。
たとえば、これは、各報道を見て、私が考えたことであるが、7月に、ウクライナ上空で、旅客機が撃墜された。
これに関してはさまざまな原因と理由が考えられるが、もしこれが、計画的になされたとすると、一体だれが考えて、誰が実行したのか。
「誰が考えた」というところは、私にはわからないが、もしかすると、国連かもしれない。
このウクライナ上空の旅客機の、飛行ルートと発着地を調べて線で結ぶ、地図の上で定規をもって行うとよい、そうすると、この線が、イスラムを取り囲むように、引かれていくのである。
つまり、他の墜落した飛行機や、他国の内乱を考えて、地図上で印をつけたり、線で囲んだりすると、イスラムの人たちが、中近東の土地に追い込まれて、包囲されたように、見える。
これは、気のせいでそう見えるのかもしれない。
すっかり包囲したので、本格的な攻撃態勢に入ったのではないかと思われる。
これは、私の気のせいで、そう見えるのだと思う。

こうしたことが、国連主導のもと、計画的に行われて、日本もそれに参加しているとすると、世界的にとても大きなことが起こっているように思われる。
そして、イスラム国の人たちが、人間観として攻撃するしかないような種族の集まりで、それは第二次世界大戦中のナチスドイツのような人格を持った人たとすると、とても、大きなことが起こっているように思われる。

でもそうだとしても、ウクライナ上空で、撃墜された飛行機に乗っていた、80人の幼い子どもたちのことを考えると、やはりどうしても、私は、こうした戦争に賛成する気持ちにはなれない。
これらの動きが、「自衛」なのか、「積極的攻撃」なのか、というと、私は、積極的攻撃であるように思う。
どちらにしても、人の命を犠牲にして大義を成し遂げようという考えには、反対である。

2014年9月23日火曜日

秋分の日

秋のお彼岸の中日となった。
日本の文化は、日本人の心にやさしい。
亡くなった人は、いったいどこへ行くのだろうか。
遠い山の向こうだろうか。
遠い海の向こうだろうか。
人の人生のその向こうには、何があるのだろう?

欧米の文化では、そうしたことは、欧米なりの宗教文化で考えるようである。
でも、亡くなった人にまた会える、というような発想はないそうである。
人の人生は終わってしまったらそれで本当に何もかもおしまいなのだそうだ。
それで、苦悩を抱く人も少なくないようである。

日本では、たとえばお盆に、ご先祖様の魂が、家に帰ってきていますよ、という習慣がある。
あるいは、お仏壇のお位牌のなかに、魂がこもっている、とも言う。
あるいは、「あの世」というのがあって、「あの世」という世界に、亡くなった人がいて、時どき、往来ができるのだそうである。
「あの世」というのは、大きな河の向こう岸にある。
「こちらの岸」つまり、私たちのいる現実が「此岸」で、
「あちらの岸」つまり、亡くなった人たちのいる世界が、「彼岸」である。

春のお彼岸と、秋のお彼岸の時期には、この大きな河に、舟が渡るのだそうである。
亡くなった人と、心の交流ができる、というのである。

これは、宗教的なお話でもあるし、また日本の伝統文化という話でもあるから、事実かどうか、という話は場にそぐわない。
ただ、日本のこうしたお彼岸の習慣は、人の心にとても優しい、と思うのである。


2014年9月22日月曜日

札幌三越でぼや。

昨日9月21日午後5時ごろ、札幌市の百貨店・三越で、ぼやがあったそうだ。
1000人近くの人が避難したそうである。
札幌三越は、札幌市営地下鉄の大通駅と地下道・地下街でつながっている。
地下鉄大通駅を利用した人は、地下道を通って、デパートの地下2階からデパートに入る。
このあたりは、ポールタウン、オーロラタウンという地下街も、南北につながっていて、たくさんのデパートやショッピングビルが、地下道でつながっている。
三越の地下2階から、エスカレーターを使って、店内を見て回り、買い物をしながら、三越の一階に出て、地上の「出口」から、4丁目のスクランブル交差点に出て、この近辺でショッピングや街歩きを楽しむことができる。

つまり、百貨店の地下が、地下鉄と地上を結ぶ通路になっていて、誰でも通ることができる。
このようなシステムは、真冬に戸外がマイナス気温になって、雪道が凍っているときなどは、とても便利なショッピングモールである。

集団的自衛権の解釈決定に関して思うこと。

今年2014年7月1日、集団的自衛権に関する拡大解釈について、閣議決定が行われた。
あれから、三か月近くになろうとしている。
秋の臨時国会では、女性の活躍と地方創生が、討議の中心となる予定である。

私が、7月1日の閣議決定の際に思った、本当の気持ちとして、やはり政権はなにかうまくいかないことをした、しまった、というかんじがした。
それは、この集団的自衛権の解釈が、とても思想的であり、哲学的であり、とても深い人間観に即しているからである。
人間観とは、性善説か性悪説か、あるいはそれらの融合したものなのか、という点である。
今回の日本の、集団的自衛権の解釈は、「自衛権の解釈で軍を持つ」という考え方としては、フランスにもスイスにもオーストラリアにも、未だない考えで、とても高いレベルの考え方だそうである。

こうした考え方、哲学を理解するためには、基礎的な学力の上に、専門的な思索と、専門的な学問が必要である。
この基礎的、専門的な学問と理解とその習熟を、全国民が成し遂げるまでには、100年もかかるかもしれない。
それは、人間とか日本人をばかにしているのではなく、今回の集団的自衛権の解釈が、とても高度で、人類的進歩の高みにあるからである。
私は、国連における、人類的進歩である、人間に関する考え方、自衛や平和の考え方を、少しだけ学ぶ機会があった。
やはり、とても高度な基礎知識を身に着けたうえで、その上に成立する概念であるようだ。

こうした、高度な学問に基づいて、おそらくは日本政府は国連や国際的な学問の手ほどきを受けながら、集団的自衛権の解釈を進めて行ったのだろうと思う。
亡くなられた小松一郎氏も、そうした意味で国際的な活動をしていたかたであった。

とてもむずかしい概念ではあるが、将来的には、国民のためになるから、よいことであるから、理解をしてもらう時間をとらないで、どんどん決めてしまおう、としたのが、現政権だといえるかもしれない。
そして、この閣議決定に基づいて、その後、3か月、日本は国際社会において、どんどん活動を広げている。
もうあともどりはできない。

この閣議決定に関して、とても強い不満と恨みを抱く人たちがいる。
この理由のひとつは、集団的自衛権の解釈の内容が、申し訳ない言い方ではあるが、理解ができないのであろうと思う。
しかし、個人の力であっても、図書館などに通うという努力で、理解への道を克服することはできる。
「私は反対意見だ」ということは、意味をなさない。
まず理解してから、賛成か反対かを決めるべきであって、「私の意見」は、理解のための努力以前には、無効である。

もうひとつは、集団的自衛権の概念を、きちんと国民全員が理解し納得するまで、政府が時間をかければよかったところを、そうした民主的な手続きを取られなかった、ということで、この政府の手法が、独善的で、支配的であるように感じる、ということだろう。
確かに、それが国民のために良いことであったとしても、民主的ではない、一方的である、独断である、と感じさせる手法は、国民を混乱させ、意見を二分させることにもなるだろう。

よく勉強することが、この問題を克服するための、ただひとつの道である。


2014年9月21日日曜日

子どもたちの「いじめ問題」を考える。

今、教育の現場では、「いじめ問題」が、とても大きな課題となっている。
私はNHKのテレビ番組をよく視聴するが、教育テレビ・Eテレでも、子どもたちが自分で、あるいは学校で、地域の子ども会で観るために、いじめ問題をとりあげたテレビ番組が作られて放送されている。
そこでは、子どもたちが集まって話し合いを開いていて、「つい軽い気持ちで」
「メールで」と、体験談を発言しあっている。
特に、メールやインターネットでの匿名性は、いじめをエスカレートさせるようである。
いじめは、昔からあったと言われている。
子どものケンカであるから、放っておけばいずれなくなる、と考える人もいる。
しかし一方で、いじめは、大人社会の反映である、という考えもある。
子どもたちは、その真っ白な心に、大人の言動や態度を見て刷り込んで、そのまま真似をしているのではないか、という説である。

また、成績はよいのに、陰でいじめをする子どもの、「心の闇」も、とても大きな問題である。
こうした子どもは、家庭や性格に、問題を抱えていると思われる。
こうした子どもたちに対しては、親や教師がチームで、あるいは一対一で、しっかりと心の問題に取り組むことが、必要である。

また、からかい、冷やかしは、野次にも通じる。
やはり、大人社会の鏡となっているのが子どもたちの社会であるとは言えないだろうか。
大人は大人として、公開の場で、問題解決をすることができる。
しかし、子どもたちにとっては、もっと深刻な問題であるはずだ。
いじめられる子どもの心が深く傷つくことはともかくとして、いじめる子どもの心の問題、子ども社会の問題は、大人がもっともっと、専門家やたくさんのケアワーカーの力をもって、しっかりと取り組む必要があると思われる。

2014年9月20日土曜日

スコットランド独立否決・再び団結できる。


先日、スコットランドで独立の是非を問う、国民投票が行われた。
結果は、反対多数で否決であった。
私たちにとっては、遠くイギリス、イングランドで、独立運動が起こっていたなんて、まったく知らない話だった。
もしも、国民投票で可決されたら、イギリスはふたつに分かれてしまう。
それも、合法的にである。
これは、もしかすると、ロシアというか、東側からの、策略か陰謀だったのではないだろうか?
このところ、クリミア国も、ウクライナも、独立、独立、と言っている。

こうした東側の策略を、見破って回避できたのかもしれない、と思う。

スコットランド独立・住民投票について。

先日18日、英国スコットランドで、独立の是非を問いかけた住民投票が行われた。
結果は否決、反対多数で独立はなしとなった。
イギリスは興味深い国で、スコットランドとアイルランドが、それぞれに民族を異にしている。
そして、独立を主張している。
以前には、王族があって、それぞれに独立した国であったようだ。
その国のそれぞれに、王様や女王様、お姫様や王子様がいたのだ、と思うと、シンデレラや白雪姫の物語もリアリティをもって感じられる。
このスコットランドは、日本では、北海道と同じくらいの地理的条件なのだそうだ。
面積や緯度や暮らしなども、北海道ととても似ている。
それで、私も、北海道もスコットランドのように独立ができるかどうか、考えてみた。
北海道民の感受性としては、「やっぱり無理なんじゃないかしら?」というところである。
経済的に、税収というか、そのあたりで成立できないんじゃないかと思う。
スコットランドは北に油田やガス田があって、経済的に豊かに成り立つそうであるが、北海道は農業が中心である。
やはり本州とのつながりや経済的相互関係がなければ、成立できないんじゃないかしら、と思う。
このところは、北海道新幹線や第二青函トンネルの話題もとてもうれしいものだ。

気になるのは、函館から札幌までの予定路線区間で、これが、小樽まわりの函館本線となっている。
実際には、函館から札幌までの区間というと、千歳線、というのがあって、こちらのほうが営業キロ数としては多いのだが、平地を通るのと、千歳空港を通るのとで、現在では特急などの本数も、小樽まわりの函館本線と比べると、格段に多い。
というか、小樽まわりの函館本線は、現実的には、札幌への陸路としては、ほぼ全然使用されていないという状況である。

第二青函トンネルと千歳空港の関係でいえば、北海道にいたときに、エアカーゴ計画というのを聞いていた。
日本の航空貨物輸送の基地空港として、千歳空港を設置して、貨物輸送航空機をたくさん発着させる。
そして、その貨物を、陸路・鉄道・青函トンネルを通して、本州へ運ぶ、という計画である。
そのために作った青函トンネルである、と聞いていたからずいぶん前の計画であるが、どうなのだろうか?

こうして、青函トンネルと千歳空港、エアカーゴ計画が実現したら、この貨物輸送を貿易とするのだろうか、そうすると、北海道の独立王国も、可能となりそうだ。
面白い計画である。


NHK「花子とアン」第25週「どんな朝でも美しい」感想。

今週も、「花子とアン」で、朝を迎えた。
気が付けば、25週間となり、放送回数も150回で、残すところあと6回である。
こうなると、見ているほうもなんとなく、「最後まできっちり見終えたい」という気持ちになってくる。
一冊の本を読み終えようとするとき、残りのページ数が手でさわっても薄くなってくると、なんだかドキドキする。
本当に残りを全部読み終えて「完走」できるのか、「登頂」できるのか、不安になってみたり、読み終えることがこわくなったり、もったいなくなったりもする。
ちょうど、テレビ局でも、秋の番組改編の時期であり、会社でも、大学でも、年度の前期が終わり、後期が始まるころである。

花子の人生の物語も、あの登場人物はこう落ち着いて、この登場人物はこう落ち着いて、とあちこちで決着がついてくる。
これは、テレビドラマの終盤だから、という理由ではないと、私は思う。
花子の人生が、「決着のとき」を迎えているのではないか、と思う。

若い人たちは、親の世代やその上の世代を見ていて、「結果って表れるものなんだな」と思うことは、ないだろうか。
人生は、生きてきたようにしか死んでいけない、とも言われる。
自業自得、という言葉もあるし、努力は必ず実を結ぶ、とも言う。
誰の、どんな人の人生にも、山があって谷もあるが、結論が出るときがあるのではないか。
現代の世の中、孤独にひとり老後を迎える人もいれば、息子や娘、孫たちに囲まれて、老後をにぎやかに迎える人もいる。
仕事で成果を成し遂げる人もいれば、手の中に何も残っていない人もいる。
はっきりとした言い方かもしれないが、あまりにもはっきりとしているが、本当に自分のしてきたことの結果が、老いたときに表れるのではないか、と思う。

今週は、ヒロイン花子の翻訳家としての人生、教育を受けた女性としての人生の初めに、とても大きな影響を与えた、父親の吉平が人生を終えている。
花子という娘、兄妹たちを持った、父・吉平の人生も、語るにあまりあるものだ。

父と娘の関係というのは、面白いものだ。
このところは、父親不在とか父親がいらない、とかいう説もある。
父親がいなくても子どもは子どもとして立派に人権を与えられるのはともかくとして、果たして父親に「父性愛」「父性本能」がない、と言い切れるだろうか?

娘たち、子どもたちは、父親なしで、本当に、佳い人生を生きていけるだろうか?

少なくとも花子には、父親が必要であったと思う。
お父さんも、花子を学校に行かせるために、とてもがんばった。
経済的にも、あるいは親の愛情としても、そして結婚のときも、地震のときも、戦争のときも、田舎にいて、田舎から出てきて、無償の愛情を注いだのは、父・吉平であった。

母親にできることはまず「産む」ということかもしれない。
父親の愛情は、母親とはちがって、むしろもしかして、縁もゆかりもないところに結ばれる絆だからこそ、尊いのかもしれない。
社会に出て活躍して生きていくためには、教育が必要で、一生を見守っていくことが必要だ。
父親の目と経済力と、深い父性愛が必要である。

花子の人生が、たとえば、英語でアメリカ人と対等に話をし、本を出版し、子どもたちを育て、家庭を育み、戦争を乗り越えて生きた証を現実にした、父の吉平は、その立派な教育の証を、目で見て耳で確かめるのである。

花子はラジオで、自分の人生を語り始めている。
人生と仕事と教育が実を結ぶとき、心に初めて浮かぶのが、たくさんの人たちに支えられたという、感謝の気持ちなのかもしれない。

2014年9月19日金曜日

NHK「花子とアン」感想・番外編・長男的運命「兄やん・吉太郎」

日本中に笑顔を涙と感動をもたらしている、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
ラストスパートに向って、物語が終結していく様子は、見ていて本当に充実感がある。
特にきょう、19日金曜日の放送では、花子の家族が何十年かぶりに一家全員集まるという、とても幸せな家庭となった。
そして、ずっと長い間対立してきた、父・吉平と、長男・吉太郎が、和解をする、というとても感動的なシーンがある。
この父は、農家の婿入りをしたのであるが、行商の仕事をしていて、なかなか家に帰ってこなかった。
この婿(花子の父親)と、舅(花子の祖父)も、対立していてなかなか家族のなかでは和解できなかったのだが、4月ごろの、まだ花子も吉太郎も子ども時代、というころでも、父と息子の対立は、端的に描かれるものであった。
なぜ、父と息子はこうして、対立し、反抗しあうものなのだろう。
これは、永遠のテーマなのだろうか。

私は、このように考えている。
父親も息子も、ともに男性である。
男性は、家庭のなかでも、男性社会を構成している。
一般的に、年長の男性が、この男性社会のトップである。
そして、一家の長として、リーダーシップをとるのが、この男性社会のトップである。
この、男性社会の上下構造がしっかりと組まれていないと、男性は家庭のなかで行き場をなくしてしまう。
花子の家でも、舅がいるときに、居場所をなくした婿は、外へ働きに出てしまう。
婿が家に帰ってくると、息子が兵隊に出てしまう。
これは、上下社会がうまく組まれていなくて、居場所が定まらなくてふわふわして居心地が悪いせいである。

この男性社会の「しっかりした組み方」の調整役をしているのが、この一家の女性たちである。
特に、舅にとっては娘であり、婿・吉平にとっては妻であり、長男・吉太郎にとっては母親である「ふじ」この女性が、男性社会のかじ取りを担っているのである。

男性にとっては、「居心地」と紹介したように、上下関係が収まっているほうが、やりやすいのである。
上下の下なら下で、立派で力あるリーダーのもとで働くのは、誇りを持てる役である。
しかし、この上下を、しっかりを定めないで、妻・ふじが、息子・吉太郎のほうを、とても甘やかして可愛がっていたとすると、男性たちのなかで、上下関係が逆転してしまうのである。

夫よりも息子をかわいがり、夫よりも息子のほうを、「立派だと思う、尊敬している」こういうお母さんがいる家庭は、要注意である。

男性社会をうまく行くようにするのも混乱させるのも、妻次第である。
妻は夫を立てて、きちんと尊敬することが大切だ。

きょうの放送では、父親が息子に話すシーンがあった。
ああいったことは、本来、ありえない。
男性は口が達者ではないし、こうしたことを、うまく伝えるのが男性の仕事ではないのである。
「お父ちゃんが、お兄ちゃんのことを、こう言っていたよ」
「お兄ちゃんは、お父ちゃんにこうしたことをわかってほしいのよ」
こうしたことを、日々、伝達役を果たしているのが、妻であり、母親である女性の役割である。

面と向かって話す必要に迫られるのは、男性にとって危機的状況である。
この状況を作りださないように、間に立つ女性たちは日ごろから、情報伝達の役割、男性には苦手な部分のフォローをしてあげるべきである。
それが、女性の女性らしさであり、役割なのではないだろうか。

男性社会の上下伝達がうまくいかず、上下関係もうまくいかない、この安東家では、時代背景から、兄やんが人生上の危機にまで追い詰められたときに、どうしようもなくなって、無理なストーリーをこしらえてしまった。
父と息子のやりとりは、女性しだいで素晴らしくよくなる。
このあたりを、綿密に描きこんでほしい、きょうの放送であった。


李香蘭とイサム・ノグチ。

先日、李香蘭こと、山口淑子さんが亡くなった。
私も、世代はちがっているものの、「蘇州夜曲」「夜来香」の歌は何度も耳にしたことがあり、よく知っていたので、とても興味をもって、李香蘭に関する記事やサイト文章などを読んでみた。
たくさんのミュージシャンが、「蘇州夜曲」をカバーで歌っていたようで、一番最初に歌ったのが李香蘭だとは、初めて知ったところである。
映画のストーリーも時代を反映したものであった。
たくさんの人から愛されていたようである。
どんな人だったのだろうか。

私は、李香蘭の人生で、一回目の結婚は、イサム・ノグチ、という点にとても興味を惹かれた。
イサム・ノグチの彫刻なら、何度も、触ったり写真を撮ったりよじ登ったり、したことがある。
そこで、イサム・ノグチについて調べてみると、やはり、ということだが、札幌の大通公園で、8丁目から9丁目にかけて、児童公園を手掛けていた。
よくよく思い出してみれば、確かに、8丁目から9丁目は、大きな木があって、緑のあるとても広い公園だったような気がする。
グーグルマップで確かめてみたら、果たしてその通り、今でも、8丁目と9丁目の間にだけは、道路がない。
碁盤の目に都市計画がなされている札幌の街であるから、これはとても面白いことである。

イサム・ノグチさんは、日本とアメリカのハーフだそうである。
お父さんがアメリカ人、お母さんが日本人、ということで、育つのも大学も、日本とアメリカを行ったり来たりしたそうだ。
もしかすると、イサム・ノグチさんと、李香蘭さんは、よって立つところがとても似通っていて、気持ちの通じ合うところが、あったのかもしれない。


つまり、「わが祖国とはどこなのか」「わたしは何人なのか」というアイデンティティの問いかけである。
今、世界のグローバル化にともなって、日本でも、帰国子女のアイデンティティには問題が起こっているそうだ。


札幌大通り公園の、8丁目と9丁目の間には、もともと道路があったそうだ。
その道路を撤廃して、子どもたちが仲良く遊べる児童公園にしたのは、イサム・ノグチさんの、心からの願いがあるような気がしてくる。
あの公園に、イサム・ノグチさんの経歴を書いた看板ひとつなかったのは、ノグチさんが、子どもたちに伝えたかったメッセージを、より穏やかな形で、残すためなのかもしれない。

連載・81 ウナギの不思議。

お料理エッセー・そら豆のひとりごと。

ウナギには、数々の不思議と謎があるそうだ。
なかでも、私にとって一番の謎、というのは、「日本人というのは、ウナギを食べるのだな?」という謎である。
北海道で育って、北海道の食文化に慣れてきた私にとっては、本州に来てみると、日本人のウナギ好きには、まいったものだった。
あの食べ物は、焼いている香りが街中に漂うのがよい、ということなのだが、要するにお醤油とみりんが焦げるにおいであって、ウナギそのものというわけではなさそうだ。
焼き鳥屋も焼きお煎餅屋も、同じ香りがする。

江戸前の寿司ネタに「アナゴ」というのがあるが、これもなんなんだろう?というかんじがする。
だいたい、火が通っているではないか。

こんなふうでは、欧米から日本やアジアが認められるのは、まだまだ先だ、というかんじがする。
食文化というのは固有のもの、個性であるから、大事に認められるべきだ、という論が一般であるようだが、私にとっては、「日本人は、いまだに、ウナギやクジラやイルカを食べているのだから、西欧から認められるわけがないわね…」とため息をついてしまうのだ。
奥さんが風邪をひいたら、まず牛乳と玉子、それから、バターの塊をひとつ口のなかで溶かしてあげる、これが常識ではないだろうか。
少なくとも私にとっては、風邪にはバターである。

やはり、日本の食文化は、全面的に見直しをはかるべきだ。
ウナギくらい食べなくても生きていけるではないか。
グローバリズムのなかにあって、協調性というのはとても大切である。
個性や伝統文化にこだわるあまりに、未来にある目指すものを忘れてしまわないように、「新しくなる」日本文化を、一歩先に、リードしたいものだ。

2014年9月16日火曜日

NHK「花子とアン」感想・番外編・愛される女性・カヨの物語。

NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
放送終了まであと2週間とない状況となった。
終結していく物語を惜しむべく、ここで、ドラマ感想の番外編として、ヒロイン花子の妹である「カヨ」のことを、いろいろに考えてみたいと思う。

カヨは、長女の花子が女学校に入るために、一家全員で経済協力体制をとったため、カヨ自身は女学校には進学できなかった。
そして、自分で決めて、製糸工場に女工として住み込みで働いた。
しかし山梨の製糸工場は労働環境がとてもきつかったようで、そこを逃げ出してきた。
考えてみると、花子の周囲には、厳しい環境から逃げてきた女性ばかりが集まってきたようである。
花子の腹心の友たる蓮子もそうであるし、花子・カヨ・モモの三姉妹として、モモも北海道の生活がつらかったということで、逃げてきた。
蓮子の元には、やはり苦境から脱してきた女性たちが身を寄せている。

カヨは、製糸工場から脱出してきたとに、花子が東京の女学校にいたコネクションで、洋裁のお針子さんとして働き口を見つけることができる。
これは、住み込みであるようだ。
現代ではそうでもないが、今よりももっと、当時はコネクションというのは、強い縁故となったようである。
縁故というのは、信頼の証としてとても大切である。
花子が東京で信頼を築いていたから、その血のつながった妹であるカヨも、住み込みの勤め口を見つけることができたのだ。
その後、花子は、女学校を卒業してから山梨で教員をするのであるが、一念発起して、作家になるために、出版社で働くことにして、上京してくる。
その時には、カヨはお針子さんをやめて、銀座のカフェの女給さんとなっている。
このカフェで、花子と職場の仲間たち、夫や友達も集まってさまざまなエピソードが繰り広げられるのであるから、場の中心として、花形として、とても重要な役柄となっている。
このときのカヨはすでに、「愛される女性」「愛を集める女性」としての性質を、開花させてきているように思う。

このカフェ・ドミンゴで、花子と夫である英治との恋愛が紡がれていく。
カヨは、ここで、一生涯の愛する男性・郁弥と出会う。
この郁弥は、姉である花子の夫の実の弟である。

カヨと郁弥との最初の出会いは、カフェに来た、郁弥からの「こんにちは」から始まる。
そして、郁弥の一目惚れらしく、郁弥はカヨに、小さな花をプレゼントしている。
それは「勿忘草(わすれなぐさ)」の花で、この一枝を、カヨの髪に差してあげている。
村岡印刷の次男であった郁弥は、イギリスのロンドンで、最新の印刷技術を学んで、帰国したばかりであった。
西欧かぶれ、あるいは、ちょっとバターの香りがするような、と表現するべきであろうか、きざっぽいところもありながら、にくめない茶目っ気があった。
そして、その茶目っ気と天性の無邪気さで、カヨにアタックするのである。

カフェ・ドミンゴを訪れるたびに、花のプレゼントである。
作者がどのような思い入れでこうした、弟・郁弥を描いたのかはわからないが、こうした天真爛漫な男性、その朗らかさは特に女性への恋愛表現として表れているのだが、そうした男性は、本当に素敵な存在である。
この郁弥青年は、兄・英治と花子との恋愛に、当初、割り切れない思いを抱いている。
それは、郁弥が「お義姉さん」と呼んでいたのは、英治の最初の妻・香澄だったからである。
兄・英治が、先妻との間柄に悩み、新しく出会った女性・花子への気持ちの板挟みになるときに、弟・郁弥は、「ぼくは割り切れない」「義姉さんがかわいそうじゃないか」と憤慨する。
そうして、兄の感情、その場の感情を代弁しているのである。
感情を代弁して発言することで、兄の気持ちも花子の気持ちも、むしろ浄化され、整理整頓されていくことができただろう。
こうした、感情の素直な男性は、群像劇には、ひとりはいて、その場の真実を、あたかも道化のごとく、口にするのである。
郁弥は、そうしたタイプの男性である。
そして、郁弥の気持ちのなかで、兄・英治と、のちの妻となる花子の関係が了承されていったときに、初めて英治と花子が、本当に夫婦として認められた、という状況にもなる。
ヒロイン花子にとっても、とても大切な存在であった。
本当のことを、言ってくれる貴重な人であったと思う。
英治と花子が結婚して家庭を築く。
この家庭とは、物理的に「家」を指したようなところがある。
英治と花子の結婚生活が始まったあと、この群像劇の主たる舞台は、ふたりの家、居間となる。
カフェ・ドミンゴという、社交の場から、もっと家庭的なサロンの場へと群像劇の舞台が移ってのち、郁弥はこの村岡家で、もっとカヨと親しくなり、そして、カヨへのプロポーズへと至るのである。

この時期まで、カヨの恋心については、あまり描かれないというか、注目されないところがある。
それは、視点がヒロインにばかり行っていたからではなく、カヨが、「愛される側」「選ばれる側」であったからである。

ヒロイン花子もそうであるし、その友・蓮子もそうであるが、こうした自立を求める女性は、恋愛に関して、女性が「選ぶ側」「愛する側」に、なりたがる傾向がとても強いように思われる。
そして、男性と女性と、どちらが先に愛し始めたか、という点において、「私が先に愛し始めた」という、決定打を打ちたいところがあるように思う。
つまり、恋愛関係における、積極性であり、主導権を握りたい、という強い決心のように思われるのだ。
そして、その主導権と自主性こそが、恋愛と結婚における、「女性の自立である」と強く強く訴えたいようである。

しかし、カヨは、受け身である。
まず先に、郁弥が一目惚れをして、カヨにアタックを始めたのである。
プロポーズも、郁弥のほうから決断をして、またそしてプロポーズの仕方も、弦楽四重奏の楽団を呼び、ロマンチックな場所を考え、時間を決めて、服装もびしっと決めて、前日には兄と義姉にも日程を伝えて、衝動ではない計画的な、ライフイベントを決断したのである。
私は常々思っているのだが、男性にも、「告白する権利」「プロポーズをする権利」「どんな素敵なプロポーズをしようか夢見て計画して決行する権利」があるのではないだろうか。
バレンタインデーには、女性は「勇気を持って」告白するのだが、それは、本当に、男性にとって、ありがたいことなのだろうか。幸せなことなのだろうか。
一時的には男性はバレンタインデーのチョコレートの数を自慢しあったりして有頂天であるが、最終的には、告白する女性たちは、男性の人生上とても素敵な体験と権利を、はく奪してしまっているのではないだろうか。
確かに、女性から「好き」と言ってもらえれば、男性にとっては、一見、楽に思えるかもしれない。
誰かを好きになって、遠くから見ていて、まず一声かけて、名前と顔を覚えてもらって、デートにさそって、お話をして、そのお話が意気投合して、と恋愛を進めるのは、とてもとても険しく曲がりくねった道なのである。
そのワインディングロードを一気に縮めてくれるのが、女性からの告白と、女性からの積極的な恋愛行動である。
こうした、恋愛ロードの短縮は、男性にとって、「彼女との一生の思い出」がないままに、結婚式になってしまった、という結果になる。
女性に主導権を握られて、どっちが誰を愛していたのか、本当に彼女と結婚をしたいと思って決断した理由がなんだったかわからないままに、結婚生活が始まり、続いていくことになる。

つまり、女性が主導権を握って愛し始めた状況では、男性にとっては、「だって、ボクのほうから君を選んだわけじゃないでしょ」「ボク、ひとこともそんなこと言ってないよ」「結婚したいって言ったの、君じゃないの、ボク言ってないよ」ということになる。
そして、困難があったり、妻のほうから言い出した話合いに、「ボク、関係ないからね」と逃げ出すことにもなったりする。
家庭のなかで「ここ一番」と男性に主導権を握ってもらいたいとき、決断してほしいときに、「ボク、君と結婚するっていつ決めたっけ?」となってしまうのではないか。

そうした結婚生活を続けていくのは、山坂ある人生、なんだかつらかったり、乗り越えられなかったりするものではないだろうか。

しかし、カヨのように、女性が恋愛に関して、受け身であると、男性は、「ボクが考えに考え抜いて決心した人」「ボクが選んだ人」ということになる。
そして、愛情もたくさん持って、この女性を大切に守るようになるだろう。
女性の立場からすると、積極的に「愛する」というよりは、男性から心づくしで「愛される」という状況になる。
愛に包まれ、思いやりに包まれ、男性の力強さと勇気と決断に常に守られている状況である。

カヨは、郁弥からプロポーズを受け、そのお返事をする前に、運命の打撃に遭ってしまう。
関東大震災がで郁弥が亡くなったのである。
このとき、カヨは人間として女性として、本当につらい体験をする。
この状況から立ち直るには相当の時間と気持ちが必要だった。
しかしカヨには、「愛された」という体験が残っている。
郁弥の愛は、カヨの身を包んでいるかのように見える。
愛される体験は、重ねてみないとなかなか、わからないものである。

どうして女性は、「選ばれる」より、「選ぶ」ほうを、自立だと捉えるのだろう?
誰かに選ばれてから、その人を愛することは、できないのだろうか。
どうにも女性は、誰かに先に愛されてしまうと、気が強かったり、主導権が握れないことが許せなかったりして、誰かから先に愛の告白を受けると、絶対に断らずにはいられない、というタイプの人が、いるようだ。
それも、たくさんいるようだ。

愛される女性・カヨの、「愛された」「花を贈られた」「プロポーズをされた」という愛され体験は、誰も描くことはないのだろうか。
郁弥に先立たれたあとも、カヨは、郁弥の愛に包まれながら、力強く、自分のライフワークである、新しいカフェ、自分のお店を開く。
これは、女性としては、とても力強い行動力である。
こうしたときに、カヨを支えているのは、郁弥を愛する思いと、愛された思いであるだろう。
店を続けることが、郁弥との思い出を紡ぐことになるのだろう。
郁弥の時計が、お守りのように、カウンターのうしろの棚に置かれている。

このお店はとても繁盛して、軍人さんたちもたくさん集まった。
人が集まる、ということは、たくさんの人から好かれる、愛される、ということである。
カヨはいわゆる、愛される性格になったのだろう。
戦争中にカヨは、婦人会の一員として、軍人さんを応援する立場になるのだが、それは、軍人さんつまり、男性の気持ちがよくわかるようになって、戦争のぜひや理屈はともかくとして、がんばっている男性を心から応援する気持ちに、自然な心の発露として、思ったのだろうと思う。

今週の放送では、カヨも40代なかばを越えているが、やはり独身のままである。
それは、言うまでもないが、郁弥を今も愛しているからである。
空襲を逃れた、郁弥の思い出の本を、抱きしめた。
形として作ったカフェは空襲にともなう火事でまたもなくなってしまったけれど、カヨには愛された思い、が残っている。
愛されることが、永遠の愛につながるかのように、カヨの笑顔はふっくらとして、故郷の林檎のように愛らしい。

2014年9月15日月曜日

縦並び社会と横並び社会のちがいについて。

このところ、日本女性の活躍が、とても世間から喝さいを浴びている。
政府の女性支援政策を追い風として、あるいは恵まれた環境として、言いたいことを言える、したいことをしてみることができる、というチャンスが与えられている。
その与えられたチャンスのなかで、女性たちは見事に成長してきている。
今、女性たちは、家庭のなかへと内向きであった顔を上に上げて、社会を眺め渡している。
そして、社会論まで展開して考え始めている。
社会は、縦並びのピラミッド型社会が一番よいのか、それとも横並びの社会にするべきなのか。
とても成長し、考えが進歩してきたようである。
横並びの社会を考え、理想とした人がいる。
思想家である。
この思想家の考えに従ってすでに、国造りがされているところがある。
この思想は共産主義であり、この国は、ソ連や中国、北朝鮮、といったところである。
支配階級はなく、すべての人が労働者として平等な権利を分かち合い、持つことになる。
こうして貧困を克服し、すべての伝統的・文化的慣例から自由になろうとしたのである。
今、日本の女性たちは、共産主義の思想に行きついたところである。
そうしたいなら、やってみたい。

おりしも世界情勢では、アメリカ・ヨーロッパ・日本を中心とした民主主義国と、ロシア・中国を中心とした共産主義国と、そして新たに勃興したイスラム国とのみっつの勢力に分かれてきている。
特に、民主主義と共産主義の対立は、溝が埋まるどころか対立が深まるばかりである。
こうしたときに、日本女性が、全体主義、コミュニストとして考えを持っているのは、本当に憂うべきことである。

それにしても、女性たちはなぜ、男性を憎むのであろうか。
昨日私は、男性は縦並び社会、女性は横並び社会を好む傾向にあるようだ、と書いたのだが、それがどうしても気に入らない、これからは横並び社会にしたい、共産主義国のように全体革命を起こしたい、とまで言う女性がいるのである。
ふだんは、「女らしくしなさい」と言われれば怒っている。
そのくせ、男のようなファッションをしている。
本当は、男性を憎んでいるのではなくて、男性が大好きで男性になってしまいたい、女性である自分を憎んでいるのではないだろうか。
そういった女性は、本当に心から、男性たちと信頼に基づいた関係を結んだことがないのである。
男性はさっぱりした友情の気質を持っている。
あるいは、愛情を持ったときにもとても深く濃やかな情愛を持っているし、その「守りたい」「いつくしみたい」という気持ちもとても大きく強いものである。
こうした男性から愛された体験のない女性ほど、男性を強く憎むようだ。
そして、結婚を拒否して、なぜか子どもだけは産むのである。

本当に男性の気持ちを理解し、尊敬して、信頼と友情と、仕事を通した同志愛というものを、育んでこそ、男性と女性とが共鳴しあい、共同参画できる社会ができるのではないかと思う。

社会のなかで、大きな仕事を成し遂げるときに、組織構成はぜひとも必要である。
これは、チームを形成する、ということである。
チームには、まず構成員がいるが、その構成員の全体を見渡し、チームの行動方針を決定するリーダーシップが必要である。
管理職は、このリーダーシップの役を担っている。
全体を見渡し、大局に立って判断し、部下の失敗は、リーダーが責任を取っている。

これは、家庭内においても同じである。
一家の主が、家庭というチーム社会のリーダーとなっている。
このリーダーは何もしていないようでいて、一家全体を見渡して、全員の希望を集め、一家の向かう方向を決定し、トラブルがあったときには対処し、謝罪責任があるときには、リーダーが責任をとって謝罪をする。
今、管理職はその仕事をしている。
ルーティンワークに時間を費やしているチーム構成員には、とてもわからないような、体験してみなければわからないような、重圧と責任がその肩にのしかかっている。
一社の社長もそうであるし、一国のトップもそうだろう。
そうした、目に見えない「責任」「いざというときの仕事」がわからないで、「何もしていない」は、目が見えているようで何も見ていない、社会というものを見ていないのである。

縦並び社会が女性に適用されると、ママ友カーストとも呼ばれる状態になる。
ママ友カーストでは、「夫の職業」が、カースト上位下位を決定する大切な要素になるそうだ。
男性社会にも、言わずもがなで、この男性カーストがある。
その際に、「妻の状態」が、カースト決定の重要要素になることは、男性諸氏がみなさんご存知のところである。
ママ友たちがそうであるように、男性諸氏も、愛なんかで結婚していないかもしれない。
もちろん、カースト上位になれるような女性と結婚しているのである。
婚活の際に、女性たちが見えないで苦心しているのは、男性にも選ぶ権利がある、ということである。
尽くすだけでなく、夫が社会的に上位に立てる妻になれるように、ぜひとも気品ある女性になってほしい。

横並び社会への革命を、たくさんの人たちが賛成賛同して、それをしてみる気持ちがあるなら、私も参加してみたいものだ、と思う。
ただこれは、男性陣と仲良く相談してから、決めるべきことだと思う。
社会は、女性だけが支配しているのではなく、男性もいるのである。
話し合いで決めるべきである。

2014年9月14日日曜日

女性が輝く社会へ。

このところ、「女性が輝く社会へ」というキャッチフレーズが、世間をにぎわせている。
実際に、女性たちが活躍する場が増えているようだ。
企業も、女性を登用することに積極的になっている。
これからは、女性にもスポットライトを当てて、その才能をいかんなく発揮できるように、日本の社会は、まず環境整備から、始まっているのである。
しかしここで、重大な問題が生じているように思われる。
それは、「女性が輝く」「女性活躍」という概念が、抽象的であり、それぞれの人によって思い描くところがずいぶんとちがっているようだ、という事態である。
ある人は、女性が「自由に」生きる、生き方をさして考えているようだ。この考えは、女性たちが、男性に比べて、社会制度や「あるべき姿」に囚われていて、自由度が少ない、という前提に基づいている。
ある人は、女性が、持てる才能を十全に発揮できることを考えているようだ。この考えには、今現在において、女性たちが、男性に比べて、才能を発揮できる機会が少ないという前提に基づいている。
つまり、「今現在の問題」と、「目指すべき姿」に一致点がなく、そのせいで、女性の活躍は、方向性を見失っている感があるのだ。

しかし、実際のところ、政府が思っているのは、具体的に表現すると、女性が、政治の場で、トップに立てる状態を目指す、ということである。
これは、どういう活動かというと、専業主婦たる女性が、会社勤めに出て、お茶くみやコピー取りにいそしもう、という活動目標ではない。
女性が、会社の管理職になって、リーダーシップを発揮してほしい、という非常に強くはっきりした姿がある。
この、管理職という社会的な仕事こそが、政治そのものである。

男性が築いた社会、男性社会ともいえるかもしれないが、この上下格差ピラミッド式社会、組織社会において、その組織社会のシステムを理解し、そのシステムのなかで、上をめざし、上に立ったからには、下部組織を指導する、リーダーシップの立場で働くことを意味している。

ところで、女性には、脳科学的にも心理学的にも、平等や横並びの性質があると言われていて、ピラミッド型社会は、もともと心の中に概念として持っていないという説がある。
そういった女性たちに、男性社会たる、ピラミッド型縦社会をインストールして使えるようにすることが必要である。
男性はもともと持って生まれた性質であるのに、女性には、この縦社会の政治的発想が生まれ持ってない、という状況のなかで、女性だけが持って生まれなかったものを後天的に身に着けなければならない、ということだ。
これが、今、待望されている、女性への教育である。
女性への教育は、あたかも、iPhoneに、アプリを新しくインストールするように、持っていなかった機能を掴みいれ、それを毎日使えるようにすることが、要望されているのである。
正直言って、今現在の女性たちには、この政治的性質がない。

女性は女性なりの観点で、社会に言論をしてほしい、と要望されると、毎日毎日、出てくるニュース記事は、子育て支援、食の安全、とこんな話題ばかりである。
なかには、社会問題であるにも関わらず、「子どもたちがかわいそう」という、感情論、感傷論で結論付けて、討論をそらす癖のある女性記者もいる。
仕事を持とうとする女性たちは「女性は家事と育児」と言われると、ヒステリーを起こして怒るくせに、社会に女性なりの視点からの発言、といわれても、相変わらず家事と育児の話題しか、脳のなかに、ないのである。

今年が明けてからの半年以上、社会問題となるのは、食への不安、子どもたちが痛い目にあっているというニュースそればかりである。
命に関わる不安になるだけに、社会不安を煽っているようにも思える。
問題提起をするだけで、解決は男性政治家に任せている、これは、家庭の主婦が、やれお金がない、食べ物がない、と依存している姿勢そのままである。
また、悲観的であるのもよくない。
何がそんなに不安なのかわからないが、女性は不安になりがちである。
その不安感を、社会に広げるのはよくない。
女性に求められているのは、その現実感覚に根差した、安心感と笑顔、安定した大地のような穏やかさなのである。

女性が活躍する社会は、母性本能だけではいけない。
本能は克服すべき欲である。
本能は理性で乗り越えてコントロールしなければならない。
本能的不安を乗り越えたところに安心立命があるのではないだろうか。
また、女性らしさを「母性」と置き換えるなら、先に述べたように、大地のように安定した精神状態である。
ヒステリーを起こした女性の嘆きと叫びであってはいけない。
そうした心情があったとしても、社会のなかで、役を持つときには、その感情を抑えて、理性で部下をコントロールすることが必要なのである。

これからの、女性が輝く社会は、女性が管理職に就く時代、とはっきりと言うことができる。
そこにわがままは許されない。
男性と比べて2倍、3倍働くことは、当たり前である。
環境に甘える前に、自己を磨くべきである。

討論、論戦の仕方も、男性に見習って、感情的にならないように、正論だけで丸め込まないように、技術的なところを習熟すべきである。
文章の書き方も、もっともっと訓練するべきである。
また、キャリアウーマンが正論を唱えているのになぜ嫌われて、提案が受け入れられないのか、自己自身でよく問い直し、男性と上手に付き合っていく方法を、よくよく考えて、学んで、物柔らかな物腰を身に着けるべきだ。
「私は正しいのに誰も受け入れてくれない」というわがままで尊大な態度が、働く女性の言い分であり、その言い分は誰からも耳を貸してもらえない。
また、世の中はもともと平安であるのが普通の状態であり、私が苦労するのは、理不尽だ、という考え方も、世界観が狭すぎる。
世間はとても厳しいところであり、男性同士では、自己の意見が受け入れられないのは当たり前のことで、こわい事件が起こるのも当たり前の、ジャングルなのである。
ジャングルで生き残るのが厳しいのは当たり前で、そういうときに、家庭という巣のなかが安全で温かい場所なのではないか。
女性は、母性本能のためか、社会全体が温かい巣のような家庭でなくてはいけない、と思っている。
そして、それを誰かが「私のために」用意してくれていて当然、といった態度で、嘆き、悲しみ、不満を訴えている。

そんなに社会に不満があるなら、自らの手で建設することを始めてみればいい。
誰かに用意してもらう社会ではなく、社会に対して主体的になり、社会建設の参加者になるべきだ。
不満を言い募っているだけではなく、建設者となるべきだ。
ほしい法案があれば、自分で創る、自分で訴えることも必要だ。

これからの、女性が輝く社会は、女性が自ら自分で自分を律して、政治能力を一生懸命身に着けることが大切である。
そうして、男性社会のなかで、家事と育児の分野だけでなく、政治も、経済も、社会問題も国際問題も、一家言持つほど、勉強することが大事である。
そうして、男性でさえむずかしい、管理職への登用を、実力で勝ち取ることが必要である。
幸いにして今は、男性と政府と企業が、全面的に女性たちの活動をバックアップする体制にはいってくれている。
こうした環境に甘えず、喜んで感謝の気持ちを表して、その気持ちに応えて、一生懸命がんばることが大切である。

それから、そのためにも、女性が女性同士、仲良くすることが大切である。
「女の敵は女」であってはいけない。
特に、年上の女性が年下の若い女性を、厳しく叱る場面がある。
何を思っているのか知らないが、これが母性が本能的に表れた瞬間なのである。
女性たちが、仲良くしようと努力しない、これでは、せっかくの女性たちへの支援が台無しである。
女性は女性同士、本音でわかりあえるはずではないか、と男性諸君は思い込んでいる。
男性の期待に応えることも、大切である。

男性が求める姿である、女性が輝く社会へ、目標をひとつにしたときに、その願いは必ず、実現する。


2014年9月13日土曜日

NHK「花子とアン」第24週「生きている証」感想。

ひとりの女性ヒロインの半生を描く、NHKの朝ドラマ。
ドラマの放送全体を見ていると、半年間の放送もラストに入ると、何か勢いというのがなくなって、見ているほうも、のんびりとした雰囲気になってくる。
これは、ヒロインの人生が、やはり若かった時期よりも、年齢がいった時期のほうが、勢いや動きというのが少なくなってくるからだろう、と思われる。
また、やはり、人生というのは、若い時代が一番、躍動していてフレッシュなのだろう、と思われる。
それは、誰の人生にとっても、そうなのだろう、と思う。
そして、視聴者としても、見ていて感情移入できるかどうかは、ヒロインの年齢と自分の年齢と、あるいは経験とで、重ね合わせられるものがあるかどうか、という点が大事かもしれない。

花子の人生も、後半に入った。
昭和20年は1945年であるから、1983年生まれの花子も、52歳である。
三十代のなかばから、夫となる村岡英治にその才能を見出されて、翻訳の仕事を始めてから15年はたっている。
その間に、結婚があり、子育て、結婚、ラジオの仕事、と数々のライフイベントがある。
そして、50代となると、仕事の面でもプライベートの面でも、落ち着きが出てきたところだと言えるだろう。

時代背景は、戦争が起こっている。
戦争の描き方はいろいろあるだろうけれども、朝ドラの描き方の基本ラインといえば、戦争の時代に、庶民がどういう気持ちで、どんな暮らしをしていたか、という一点だと言えるだろう。
そういう点で、「花子とアン」は、戦況や国と国との様子、政治や軍隊を描いてはいないのは、朝ドラのラインを踏襲しているからだと言える。
しかし、ヒロイン花子は、言論人であり、社会活動家でもある。
戦争と平和について、あるいは国のあるべき姿について悩むことも発言することもあっただろう。
現代の日本でそれを、NHKドラマでヒロインに発言させることは、どうか、とも思われる。
特に、白蓮こと、宮本蓮子と、思想上で袂を分かつあたりなど、もっともっとポイントをしぼって描きこむことも可能だった、と言えるだろう。

そういった点で、今回の朝ドラは描くことがむずかしい面はあっただろうと思う。

しかし、今週の花子のテーマとしては、50代を迎え、戦争という時代背景、ジフテリアで2か月も寝込む、子どもは育っていく、というあたりで、仕事の面で、ライフワークに入った、というところが、とても大事だと思う。

というのは、人生が、何かを成し遂げようと若い時代を登っていく時期もあれば、ある時期には、自分の人生に限りがあることに気が付き、残りの20年、30年で、何をしようか、自分が生きた証として、この世界に何を残していこうか、という発想になるのではないか、と思われるからだ。

ドラマの花子は、若い女優が演じているからか、年齢をあまり感じさせないが、すでに白髪が少しずつ見えている。
夫の英治も年齢に達した演技をしている。
そして、山梨の両親も、兄妹も友達も、一緒に老いていっている。
子どものころ、「はなたれ」などといってからかって遊んだ幼なじみも、すでに壮年の域に達している。
そうした、年齢と時代背景のなかで、残りの人生を、精一杯充実したものにしよう、と、花子には次の転機が訪れているのである。

特に、病気は、命というものを感じさせるだろう。
そして、戦時下であっても、戦争が終わるのを待つのではなく、そんなふうに待っているだけでは寿命はどんどん燃えて行ってしまうものであるから、どんな状況であろうと、仕事を始めるのである。

これは、教育を受けた女性、仕事を持っている女性に訪れる、50代の転機ではないか、と思われる。
現代でも、60歳の定年を控えて、老後を考えるという、真摯な試みが、たくさんの人たちにおいて、行われている。
そこには、老後の人生、残りの人生を、ただ趣味で費やす、孫育てで費やすのとはちがう、仕事の円熟と成熟があるように思う。

花子の人生は、実際には、命を考えるほど残りは短くはないのだが、このあたりで真剣なライフワーク、命を何に使うのかを、考え、決定するところが、本当に働く女性の人生として、見ごたえのある週であった。

2014年9月12日金曜日

連載・80 ソーメンチャンプルー。

お料理エッセー・そら豆のひとりごと。

ソーメンチャンプルーの作り方。
まず、ソーメンを茹でる。
茹でて水にさらしたソーメンを、フライパンに油を熱して、炒める。
唐辛子(ラー油)で辛みをつけて、できあがり。
沖縄には、チャンプルー文化がある。
チャンプルー文化とは、「ごちゃまぜ文化」である。
有名なのは、ゴーヤーチャンプルーであるが、要するに、「まぜまぜする」料理がチャンプルーなのである。
だから、ただの「チャンプルー」という料理名はない。
ゴーヤーチャンプルーなのか、ソーメンチャンプルーなのか、使う食材で、料理の内容がちがってくる。

イタリアのパスタ料理で、「ペペロンチーノ」というものがある。
これは、やはり油と唐辛子、ニンニクで、麺を炒めたものである。
ソーメンチャンプルーは、このイタリアのペペロンチーノと、とても近い料理である、と言えそうだ。

沖縄は、南洋に浮かぶ島々である。
そこは海の往来がある。
中国、ベトナム、フィリピン、台湾、海の文化圏なのである。
日本もそこに位置している。
沖縄では、チャンプルー文化つまり、ごちゃまぜ文化で、日本、中国、南洋の島々の文化を、自在に取り入れてきた。
そこには、心の広さ、寛容な文化がある。

日本の料理では、京都の懐石や、幕の内弁当のように、皿やおかずがそれぞれに分かれていて、それを箸でつまんで食べる様式になっている。
しかし、チャンプルー文化は、ごちゃまぜ、言ってみれば、中華料理風である。
中華料理でみんなが大好きといえば、回鍋肉、青椒肉絲がある。
どれも、肉と野菜を油で炒めて、辛くした料理である。

沖縄の文化、沖縄の人々、琉球民族を考えてみるときに、中国や南洋の影響、そこから醸し出された沖縄独特の文化を、よく理解することが必要である。



2014年9月11日木曜日

9月11日・2001年から今日まで。


きょうは、9月11日である。
あの怖ろしい2001年9月11日から、もう何年経つというのだろう。
私たちは、あの日から「9・11」を忘れない。
そして今年の9月11日、アメリカは、シリアに対する攻撃を宣言した。
日本としては、集団的自衛権の解釈が決定したばかりである。
アメリカに合流することはまちがいないだろう。
しかし、このアメリカは、NATO北大西洋条約機構に加盟している。
ここ数週間で、世界情勢も日本を取り巻く状況もどんどん変化して、今、日本の自衛隊は、NATOに参加する話となっている。
NATOと国連軍は、ほぼ一体となる活動をしている、といっても過言ではない。
NATOと国連とアメリカと日本、つまり、ヨーロッパとアメリカと日本は、一体となって、イスラム国を、攻撃して滅ぼそうとしているのである。

これは、数カ月かけて、いや数年かけて、アメリカとヨーロッパと国連と日本とで、イスラムのテロ組織、イスラム過激派を、なくするための、戦略だったといえる。
イスラム過激派、イスラム急進派に対して、今、世界は、大きな、平和のための、一手を打とうとしている。



2014年9月10日水曜日

テニスのプリンス・錦織圭選手おめでとうございます!

昨日、テニスの全米オープン男子で、錦織圭選手が、見事に準優勝に輝いた。
本当におめでとうございます!
実をいうと、私はテニスにはそんなに詳しくなくて、でもどの学校にもテニス部というのがあって、どちらかというと、ハイクラスなスポーツという印象があったように思う。
コミックでも、「テニスの王子様」という題のものがあって人気である。
ずっと以前では、「エースをねらえ!」というコミックがあって、これも「お蝶夫人」というハイクラスな優雅な選手が出てきて、なんだかそういうイメージがあった。
でももしかしたら、日本においてはまだまだ、すそ野はあまり広くないスポーツなのかもしれない。

昨夜は、素敵な満月であった。
ここ数年、「月ブーム」とも呼ぶべき状況が静かに浸透しているように思う。
遠い天体を見上げることは、地球環境エコブームともつながるのだろうか。
新月や満月などのマークが、カレンダーに記されるようになったのも、ここ数年であるように思う。
月の影響が、人の心や身体にどれほど影響を及ぼすのかまだよくわからないところであるが、影響がある、ともいわれている。
その影響は、ひとことで言えば「癒し」ということだろうか。
「癒し」は、一過性のブームではなく、すでに人の気持ちに定着しているものである。
月の癒しと、太陽の活躍。
錦織選手の闊達なスポーツと活躍とテニスという種目は、太陽のようである。
とかく物静かである、と言われがちな若者層にあって、錦織選手の活躍は太陽の輝きそのものである。
太陽をめざし、夜には、月に癒される。
静かで穏やかでそれでいて元気いっぱいに、人間は自然のリズムと、やはりいつも一緒なのかもしれない。

2014年9月9日火曜日

雅子さまと紀子さま。

昭和天皇のご記録が出来上がり、国民にも公表された。
「謎の遊び・クロックノール」というのも、何かとてもユーモラスで楽しい。
昭和天皇というかたは、とても身近な雰囲気をお持ちのかたであったように思う。
そして今は、平成26年である。
私はこういうことは、案外ケロッとして口にしてしまうほうなのだが、平成の次はどんな元号になるのだろう?
「平成」の元号が発表されたときに、どこでどんなふうに、そのニュースを聞いたか、覚えていますか?
時代が大きく変わっていく不思議な気持ちがしたものでした。
それは、歴史の中に生きている、という実感のようなものだったと思う。

ところで、平成天皇のお次の天皇陛下は、いったい誰なのかしら?とこれも、私はケロッとして口にしてしまうのだが、実は国民の誰もが、いや女性たちなら誰もが、陰に隠れなくても、表だって、井戸端会議というやつで、話し合っているもっかの話題である。
日本国の女性なら誰しも、天皇陛下は人間なのである、と学校で習った覚えはあって、きっと人間なんだろう、と思うけれども、すごくえらいのかどうかまでは、なんだかよくわからない。
すごく威張っている人はすごくえらいのだと思うけれど、あまり威張らないで、お仕事も民間の人とにこやかに握手をする内容なので、やさしい人なのだと思う。
それでも、この世の中には、「お姫様」とか「王様」「王子様」というかたがたが存在するのだ、と思うと、なんだかその存在と、その人々を尊敬することが、心のなかでとてもうれしい、誇らしい気持ちになる。
王族、という存在は、ワールドワイドな世界状況になって、ますますいろいろな価値を持ってくるものだと思う。
フランス人だって、フランス革命以来、王様を探している、という話ではないか。

私たち女性国民とすると、皇太子殿下というか、次の天皇陛下が誰になるか、という問題は、日本国民を代表する女性トップは誰なのか、という問題になる。
これは女性一般論であると思うし、私も女性の友達とあれこれお茶飲み話をした結論であるが、やはり、美智子妃殿下、皇后陛下は、とても立派でおやさしくて、すばらしいかたであると思う。
そうして、女性週刊誌でも書かれている通り、話題として、「雅子さんと紀子さんと、あなたはどちら派?どちらが好き?」という話になる。
これは、本当にお茶飲みの話題だから、誰もがしていることとして許してほしい。
私も、友達も、たいていの友達も、みんな紀子さまのほうが大好きである。
紀子さまは、謙虚で、おとなしくて、それでいてしっかりしているかんじがする。
お子さまを見ればあきらかである。
お子さんは、お母さんの鏡であって、どんなに取り繕っても、子どもさんの笑顔までは、お母さんが取り繕うことはできない。
三人のお子さま、眞子さん、佳子さん、悠仁さまを、あんなに立派に育て上げることができたのは、ひとえに紀子さんの「女性力」の高さであると思う。
女性力というのは、女性たちが、たとえば「ママ友カースト」なので、自然と感知している、女性としての力である。
夫を支えて、幸せな家庭を作る力であるし、そもそも、夫の仕事が成功するのは、妻の力である、というふうに判断する。
それから、お洋服のセンスであるとか、お子様に着せるお洋服のセンスもここには入ってくる。
お子様の持ち物や服装も、紀子さまはとてもきちんとしていらっしゃる。

紀子さまご自身も、ご公務の際には、やさしいやわらかい、ふわっとしたワンピースを着ることが多く、女子力高い、と思わせる。
一方で、雅子さまは、キャリアウーマンらしく、ご懐妊中も、スーツ姿を崩さなかった。
固い雰囲気があるし、何よりも傲慢なご表情をしていらして、勝気なかんじがする。
東京大学を卒業したことも、ハーバード大学へ行ったことも、素晴らしいキャリアであるが、それを鼻高々に顔に表しているようなかんじがする。
…これはすべて、私の友達が、お茶とケーキの合間に、くつろぎながら話した内容である。

それにしても、昨年4月のオランダ訪問のときの、雅子さまの態度というと、女性たちの間でも話題になったものであった。
専用の飛行機がオランダの空港に着き、慣例ながら、飛行機のタラップの階段を、皇太子殿下とご夫婦おふたりで、降りていらっしゃる。
そして、出迎えの人たちのところに、皇太子殿下が背筋を伸ばしてまっすぐに歩いて行こうとしたときに、うしろを歩いていた雅子様が、皇太子殿下の背中をうしろからたたいたのである。
「あちらに日本からのメディアがいらしてますよ。カメラのほうに挨拶なさったら」という合図だったようだ。
しかし、このとき、皇太子殿下に必要だった仕事は、日本のカメラに手を振ることだったのだろうか。
これから、オランダで重要な儀式が始まるところで、緊張と覚悟を定めて仕事に挑もうとしている男性の背中、SPもたくさんいる、危険もあるその歩行の最中に、妻だからといって、なれなれしく背中をたたくものだろうか。

男女平等が身についている、といっても、飛行機から出迎えの人たちの元まで歩くのに、男性のうしろを歩くのが、そんなに気に入らないのだろうか。
こうした、妻としても女性としても、ご公務に就かれる皇族としても、なんだかそぐわない振る舞いが、日本国民の女性たちから「なんとなくあの人嫌い」みたいな状況を作ってしまうのではないか、と思う。

紀子さんの場合は、飛行機の、これはタラップ階段を登るときなのであるが、秋篠宮殿下の手首をしっかりと握りしめて、一段あとから登っていく姿勢をしている。
これは、階段の足元の確保なのだろうけれども、この方法、夫君の手首をしっかり握る方法は、美智子皇后から教わったものなのだそうである。
お姑さまから学ぶ姿勢のあるお嫁さん、という点でも、紀子さまは、とても尊敬できる女性である。

悠仁さまが、皇位継承者であることはすでに決定している。
これから先、「天皇陛下と皇太子殿下」が、並んで歩くときに、親子でないという状況は、ちょっとなんか違和感あるんじゃないかしら…?

…と、きょうも日本女性たちは、うららかに井戸端会議をしている。


2014年9月8日月曜日

宇宙開発と技術開発について。

今夜は、中秋の名月である。
月を眺めれば、自然とロマンチックな気分になる人がいる。
歌など詠むのも、とてもすてきなことだ。
一方で、あの月にロケットを飛ばそうとする人もいる。
性格は人それぞれなのだろうか。
月には、すでに人類が足を踏み込んだ、という話だ。
アメリカの月ロケット・アポロが、相当前に、たぶん30年以上は前に、月面着陸を行っている。
その後、アメリカは、月へは行っていない。
月へのプロジェクトはやめて、スペースシャトルとか、国際宇宙ステーション、そして、火星探査、木星探査と、遠くへより遠くへ、と探検を始めているようである。
どうもこうした、より遠くへ、という探査は、アメリカだけが行っているような気がする。
ロシアや中国も、ロケットを作成しているが、「より遠くへ」という気持ちも経済的基盤もないようだ。
でもこれは、アメリカ人の気質であるように思える。

かつて、南極大陸がそうであったように、宇宙開発、月や火星の土地や政治や資源の分割は、協力体制が組まれるのが一番よい、と思う。
そうしないと、ずっと以前の歴史に残る、アフリカ大陸の発見、アメリカ大陸の発見のように、「早いもの勝ち」の、領土の奪い合いになってしまうからだ。
しかし、歴史の法則というのはそういうものかもしれないが、開発や開拓というのは、最初は植民地的に行うものかもしれない。
もしこれから月開発、開拓、資源の発掘を行うとしたら、植民地的な政策をとられるだろう。
今後は、宇宙空間や宇宙領土に関しても、政治はとても必要になってくるだろうと思う。
それは、地球上の政治がとても関連してくるだろうと思う。
地球の政治が、宇宙空間に持ち込まれるのだろう。

しかしまた、開墾、開拓、というと、以前アメリカの映画(遥かなる大地へ)を観たが、アメリカ大陸の開墾には、「その地をならして住宅地や農地にした人が、その土地の持ち主になることができる」ということで、早いもの勝ちで、土地区画を手にできた状況だった。
北海道開拓においても、その土地を開拓した人が、その土地の持ち主になることができた。
確か、ハワイにおいても、ブラジルにおいても、日系人は土地をもらえる、ということで、新天地を求めて、開拓に出かけたはずである。
こういうスタイルで、宇宙開発に、新天地を求めることは、あるのではないか、と思う。

経済や税の使い道としては、宇宙という未知数のロマンにお金をかけるよりは、国内の福祉政策に使うべきだ、という声も圧倒的であると思う。
けれども、たとえば東京オリンピックにしても、「そんな夢のようなことを」という声が圧倒的であったにも関わらず、決まってしまえば、東京中いや日本中の、将来の展望となることができた。
人には、夢や希望が必要なのだ、と思うのである。

アメリカのNASAでは、宇宙開発の途上で産生された新しい材質が、とても保温性のある毛布になって、発売されて、人々の生活の向上に貢献している。
宇宙開発というひとつの、人類的な高みを目指すことで、人類の意欲や学問や新発見は、上へ上へと、上昇していくものなのではないだろうか。
人は、高みへと成長を目指すべきであると、私は思うのである。


2014年9月7日日曜日

新設された地方創生相への大きな期待と夢と希望。

新しい内閣が始動している。
次々に新しい動き、さっそくの動きが始まって、本当にわくわくする。
やはり、地方在住が長かった私としては、新設された地方創生相には、たくさんの期待と夢と希望がある。
これは、単に、地方から国の中央省庁への要望になるかもしれない。
しかし、これから地方の活性化に、国が重要政策として力を入れてくれるというと、地方としては、これほどうれしい未来はない、ということになる。
私は特に、北海道にいたので、北海道からの、期待があるので、そういったことを書いてみたいと思う。

まず、道州制についてである。
道州制というのは、厳密に言えば、都道府県の境界線を見直しをして変えて、もっと住みやすく地方自治がしやすく、というたくさんの複雑な地方の見直しであるらしい。
しかし、私は、北海道に住んでいたころ、道民がみな口にしていた道州制とは、北海道が州となり、東海道や山陰道、東北道、と「道」で分けられるところを分けて、そこを、「州」として、アメリカ合衆国のように、「合州国」にする、という概念であった。
北海道は、中央首都である東京からとても遠く、気持ちの上での遠さかもしれないが、北にある地域柄や文化風習から、北海道は北海道だけで、自治をしたい、という気持ちが強かったようだ。
実際には、東京や内地とのつながりがない状態で、経済や政治が成り立ったのかどうかわからないが、たとえば、国際都市として、ロシアとのほうが、地理的に距離が近いので、ウラジオストクやサハリンなどと直接貿易をしたり、サマータイムを導入して、これは、東京やほかの日本の地域とはビジネスタイムがちがってしまうということであるが、サマータイムは、朝が一時間ほど早くなる状態で、午後4時には仕事を終え、白夜に近い夏の夜の長さを楽しんで、その分を休養や経済効果にあてよう、という試みである。
また、北海道の人に限らず、北海道の地理的な条件を考えて、「北海道王国」のようなものを作りたい、というロマンチストがいるようである。
私も、それはとても興味がある。

次に、やはり現実的には、日本の一地方として、国とのもっともっと密接な関わり、ということを考えてみたいと思う。
地方として、どうしても国の力が入らなければどうにもならない問題がある。
たとえば、国立のさまざまな施設である。
国立大学であるとか、国立病院、国道、これは、現在は国で運営しているものではないが鉄道、それから、国立公園である。
こうしたところに、中央省庁からの目配りというのが、なかなかない、というのが現状である。
たまには、せめて、見に来てほしい、足を運んでほしい、と思うこともある。
国立の各施設はすでに老朽化していて、できればほんの少し予算がほしい。
以前、北海道出身の鈴木某議員が、涙を流して悔しがっていたのは、国からの予算、たとえば箱ものであったとしても、北海道からどんなに足を運んでも、箱モノをつくらせてもらえない、ということであった。

また、民間の企業の問題も、地方にとても大きな影響を及ぼしている。
たとえばある一企業が、いくつも支店を作って、全国展開しようとする。
そうすると、東京本社であるものが、大阪支店の次は名古屋支店、福岡支店、と作るのだが、北海道支店は最後の最後である。
それだけならまだ、仕方ないかもしれないが、この企業が業績不振に陥ったときに、まず一番先に「切る」のが、北海道支店なのである。
以前、西武系、プリンス系、が、業績不振から企業の再建をはかったときに、一番先に切ったのが、北海道のさまざまな商業施設であった。
これは、北海道民としては、遠くからやってきた東京の人たちが勝手に商業を始めて、そこに雇用されたり、買い物に行ったりしてみたものが、ある日突然、消えてしまった、という現実である。
都会に利用された、という感のいなめないものである。

小樽市では、運河を中心にした観光名所があるが、ここも、東京資本である。
せめて観光業務だけでも、地元に収益があるようにできないものだろうか…。

次に、学校の問題である。
北海道はその広い大地に町々が点在しているために、いわゆる「へき地校」と認定される小学校、中学校が、日本一多い地域である。
これは、義務教育であるから、一クラスに一年生から六年生まで合わせて10人であっても、学校の先生が遠くから赴任してきてくださって、学校教育を受けることができる。
しかし問題は、高校進学である。
自宅から通える範囲内に、高校が、ないのである。
もしも高校進学がしたかったら、家から出て、札幌や旭川、釧路といった地方都市に下宿するしかない。
しかし、親としても、そんな経済的余裕はない、というのが現実である。

バスや電車といった交通機関はもとより、道路も細い。
すべての子どもたちが、高校に進学できるようにできないものだろうか。


2014年9月6日土曜日

デング熱の予防について。

東京都内では、今、デング熱の感染が広まっている。
もともと、海外から渡来したヒトスジシマカという蚊であるが、これが媒介して起こる感染症である。
蚊に刺された人が感染して発症する病気なので、蚊に刺されなければ、発症することはない。
そういった意味では、「人から人へ」伝染する病気ではない、ということを、よく覚えておくことが大事である。
そして、予防としては、この蚊に刺されないようにすることが、必要である。
蚊は、夏がさかんに飛び回るように思うかもしれないが、少し涼しくなった秋のはじめごろは、一番活発に活動している。
蚊は、水のあるところで、成長するので、水の周りを用心することが必要である。
すでに東京都内の下水道や、水路、樋、川、などから、広がっている可能性はあると私は思う。
水で広がるものなので、都内はすでに用心に用心を重ねるに越したことはない、と思う。


NHK「花子とアン」第23週「アンとの出会い」感想。

春、桜咲く4月から半年間のお付き合い、大好きなテレビのお友達「花子とアン」もとうとう秋9月にはいった。
今週は、物語もラストクライマックスにはいり、とうとう花子はアンと出会う。
「アンとの出会い」というタイトルが、とても不思議な可憐なかんじがする。
アンという少女は、「赤毛のアン」という小説の主人公であるが、まるで生きている少女であるかのように、この小説との出会いを、主人公との出会いに見立てた表現である。
私たちも、小説のなかの主人公、役柄、ドラマや映画のなかの役柄を、実在する人物のように、友達や恋人のように思ったりする。
世界的名作文学には、そうしたファンがたくさんいるようで、アンも、たくさんの女子たちのお友達である。

当時、海外文学を日本に紹介する作家や出版社、翻訳家は、少なかったのかもしれない。
英語に習熟して、原書を読む力のあった花子は、そうした状況のなかで、日本に海外文学を紹介する能力と役割があったといえる。
それでも、たとえば、花子の語学力に着目して、「こうした本を紹介したい」「こうした本を紹介してください」と、周囲の人たちが、原書を持って花子のもとを訪れて、依頼することは多かったようだ。
翻訳者・花子自身の着眼点や選択眼も重要であるが、こうした周囲の人たちの働きかけも大事だったといえるだろう。

そして、その中の一書が、「赤毛のアン」であったということである。
おそらく当時、花子のもとにはたくさんの原書が持ち込まれたであろうし、また花子の仕事としても、時間と労力には限界はあるものだから、選ばれた一書というわけである。
その「赤毛のアン」を持ってきてくれたのが、花子の女学校時代の恩師である、スコット先生である。
4月からずっと、花子の少女時代のときも、テレビを毎日見ていた私には、とても印象的な場面で、本当によく覚えていた。
女学校では、寄宿舎も含めて、全員が英語だけで話をしなければならないときがあり、特に授業は英語だけであった。
山梨から出てきて方言もまだ抜けない、東京語というか標準語もまだ話せない花子にとって、言語の壁は本当に厚かっただろうと思われる。

そのときに、美しいメロディーとともに、花子の耳と心に入ってきたのが、スコット先生の歌う、歌であった。
寄宿舎から抜け出そうと思ったり、塀のところまできて家族と話をしている花子の耳に、夜のしじまに、その歌声は響いてきた。
スコット先生は、カナダからきた教師である。
あの時代、明治時代に、はるばるカナダから太平洋を越えて、アジアの日本の女性たちの教育のために、一生を捧げる覚悟で渡ってきた、女性教師である。
その心は、どんなものだったろう、と思う。
寄宿舎の夜では、遠くカナダの恋人を思い、手紙を書きながらこの歌を歌っていた。
どんなに恋人を恋しく思っていただろう。
それでもスコット先生は、アジアの女性教育のために、覚悟を定めて、日本に来ていたのだ。
そうして、修和女学校の女学生たちを育てた。
そのなかのひとりが、村岡花子だったわけである。
どんなにか、うれしかったろう、と思う。

恋人を思う歌と、教育への覚悟、美しい歌声に、スコット先生のあふれる慈しみを感じる。






The Water Is Wide (スコットランド民謡)

The water is wide, I cannot cross over.
And Neither have I wings to fly.
Give me a boat, that can carry two,
And both shall row, my love and I.

「女性の活躍」について。

9月3日に、新しい内閣が発足した。
すぐに、つぎつぎに、新しい内閣の仕事が始まっているようで、本当にわくわくする。
地方創生は、きょう、看板を掲げた。
地方の活躍は本当にうれしいものである。

また、新設された「女性活躍」も、とても楽しみなことである。
これからどんなふうに、女性の活躍に具体的な法が出されるのか、誰もが期待している。
今、女性の問題は、とても多くのテーマを抱えている。
これは、時代がどんどん新しくなり、進んで行って、また国際化、欧米化がすすめられていっている、という意味でもある。
そういった意味で、日本はまだまだ、女性の社会参加、女性の人権問題に関しては、後進国である、という認識を、まず新たにしなければならない。
これは、アジア全体の問題である。
もともと、アジアには女性と男性のそれぞれの認識や文化があり、その伝統文化と思想を背景とした女性の立ち位置があった。
それらを、アジアとして尊重することが、大切なのではないか、と私も考えたことがある。
一概に、欧米化することだけを、「好し」とするのでなく、日本は日本なりの、アジアはアジアなりの、男性と女性の在り方が、あるのではないか、とも思ったものである。
しかし、「人間として」つまり、人権として考えてみると、やはり日本とアジアの女性の人権と社会的地位は、尊厳が守られているとはいいにくい。
こうした前提にたって、まずは欧米を見習う気持ちで、女性の人権、立場、社会的存在価値を、希求していくことが大切であると、私は考える。

これは、安倍内閣がしきりと訴えている「積極的平和主義」に通じるものであり、決して、経済政策というわけではない。
「平和」と一言に口にするが、実際には、「平和学」という学問があり、学問には派閥もあれば、高い学問、そうでもない学問もある。
今、国連で、つまり世界の最高峰で展開されている「平和学」は、「積極的平和主義」である。
積極的平和とは、ただ単に国家間の戦乱や地域紛争がない状況ではなく、社会における貧困や差別がない状況を指している。
だから、日本で今行われている、経済政策は、貧困対策と通じているといえる。
そして、女性活躍の政策は、男女差別の是正という、積極的平和の建設なのである。

確かに、女性が社会に出て、ある意味、会社に出て働くほうが、国全体としてみて、経済効果は上がるだろう。
生産能力の向上である。
それは、日本という国にまだまだ眠っている労働力の発掘である。
他国と比較してみると、家庭に眠らないで会社に出て働いている女性が99パーセントであるフランスと比べれば、その「眠れる資源」は、とても大きいものだろう。

そうしたことは、特に男性の目から見ても明らかなのだろう。
時に、一家の主婦が専業主婦であり、子育ても終わって、友達とランチやショッピングで一日の大半を過ごすような場合、夫から「うちの不良債権」と、あだ名をつけられてしまう。
女性の在り方は、本当にこれでよいのだろうか?というのは、男性の目から見ても、率直な疑問なのではないだろうか。

また、女性の立場に立ってものを考えると、私自身もこうして社会に目を向けて政治や経済、社会問題に視点を持ち、ひとつの仕事を持っていて痛感するのは、仕事を持つことは幸せだ、ということである。
同じ年ごろの女性の友達、同級生たちを見ていると、働く女性たちにとっては、これは明らかなことである。
仕事を持たないで専業主婦になった女性たちは、20代においては、ウエディングドレスのイメージそのままに、とても幸せそうである。
しかし、30代には、子育てに追われ、40代には子どもたちが巣立ち、年齢をひしひしと感じる年ごろになって、自分の人生が、からっぽ、なのである。
そして、ここから一念発起して、働きたい、小さなお店を始めたい、と言ってみても、重ねてきた仕事経験を比べると、本当になにもない、むなしい状態なのである。
そう考えると、20代、大学を卒業してからずっと仕事を続け、キャリアを積み、40代、50代を迎えることが、「人間として」幸せな人生だとはっきりと言えるのである。
こうした、幸せで充実した人生を生きるために、政策を行う、というのが、女性活躍政策の、根本であると私は思う。

しかし、女性たちというのはこういうものなのか、とため息をついてしまうのだが、「ああ言えばこう言う」という具合で、「わざわざ政策を作られて働かされるなんて」と文句を言っているのが、当の本人の女性たちなのである。

女性が、旧習から解放されて、社会の中で生き生きと活動し、自力の経済力を持ち、その能力と才能を充分に発揮して、人として生きることの充実を味わうことができる社会、これが、女性活躍の社会であると、私は思う。
文句ばっかり言わないで、女性後進国である日本の女性が、まず自分ががんばることが、大切であると私は思う。

次に、夫婦別性論議について思うことである。
日本では、伝統的に、結婚すると女性は、男性(夫)の姓に変わる。
これは、戸籍の問題でもあるが、結婚を「家にはいる」と捉える文化が背景にある。
ずっと昔から、女性と子どもとお年寄りは、いや誰もが、ひとつの集団である「家」に属する決まりがあった。
これは、生計を立てることや防犯上、社会秩序の維持といった目的があったと考えられる。
それで、結婚を当人同士のふたりだけのこととは考えず、ひとりの女性が、「家から家に移動する」「所属する家を替える」といった見方をしたのではないかと思われる。
それで、所属する家の姓を名乗ることが、社会秩序上、必要だったのだと思う。

さて、ここで、女性が社会参加、特に仕事、ここではビジネスという言葉が適しているが、ビジネス上で、一生の間に、姓が変わることは、どんな影響があるかということである。
たとえば、ある女性が医師となり、医院を開業したとしよう。
この女性の独身時代の姓が「木村」であったなら、「木村医院」となるだろうか。
しかし、この女性医師が結婚して姓が変わって、中居という苗字になったなら、病院の看板まるごと「中居医院」に替えなければならなくなる。
これは、仕事の上で、ハンディともいえる状況ではないだろうか。
人生の途中は仕事の途中である。
政治家、議員であっても、名前の浸透はとても重要なことなので、せっかく浸透した名前を途中で替えるのは、とても不利である。

ある女性が、娘時代には、正岡、一度目の結婚で中原、再婚して二度目の結婚で泉と姓が変化したとしよう。
この女性は、職場で電話を受け取るときに、最初は「正岡さんお願いします」と言われ、そのあと「中原さん」そのあと離婚したときには、「ごめんなさいね、私、離婚いたしましたので正岡にもどりました」とプライベートな説明をし、そのあと再婚の際にはもうなんだったか名前がわからなくなっている。
これが、男性だと、プライベートを取引先に打ち明ける必要はないし、一生名前もはんこも、実印も変わらない。

姓名というのは、とても大切なものである。
そして、ビジネスでは、またもっとたくさんの価値を持つものである。
それなので、やはり女性が活躍できる社会では、夫婦は別性にしたほうが、よいのではないだろうか。もちろん、選択式ということであるが…。
それでも、結婚したときに、息子のヨメが、苗字は別にしたい、と言ったら、お姑さんもおしゅうとさんも、たいそう怒ることだろう。


2014年9月4日木曜日

9月3日の内閣閣僚人事について。

昨日、第二次安倍内閣の内閣改造が行われた。
閣僚人事である。
数か月前から予告されていて、日程通りの実施となった。
新設される役や、新しく入閣される議員など、話題が盛りだくさんであった。
私も、予想から始まって、あれこれ人事のゆくすえを見ていた。
昨日の発表と、皇居での儀式、記者会見と初入閣の儀典など、とても心躍る光景であった。
政治というのは、歴史の核心であると思う。
たくさんの人が集まって国が出来上がり、そこに社会が構成され、社会の屋台骨となるのが、政府であり政治であり、人事である、と心新たにした。
私が、こうして一市民ながらブログ記事を書くときに、特に政治に関する視点としてとても大切に思っているのは、「至誠」ということである。
誠を尽くす人、こうした政治家こそが、本当の、国民のための、大きな政治家であると私は思う。

今回の人事は、留任も多かったようであるが、大切な法案が継続している最中なので、これは大事なことである。
新入閣の若手もいれば、経験豊かな政治家もいて、とてもバラエティに富んだ状況になっている。
特に私が思ったのは、「若手の育成」ということである。
政治は、経験して実務で覚えていくところがとても多いのだと思う。
その点で、若手にチャンスと経験の場を与えた人事は、とても好印象である。

また、全体に安定感があるのは、とてもよいことである。
そして、これからの政治の指針として、国民に是が非でも訴えたいことは、女性の活躍だろうと思う。
その意思が、まさに「女性活躍相」となって表れて、とてもうれしく思う。
今後の活躍が、本当に期待されて、わくわくする。

この安定感のある第一次安倍内閣を、私の考えとしては、衆議院の任期満了の4年間、ずっと継続してほしい、と思う。
というのは、メンバーの顔触れが変わらない安定した政治は、国内外から高く評価されるものであり、新しく始まった法案を、発足させ、発展させるために、とても大切なことだからである。
また、「日本という国は安定している」「政治的に信頼できる」との高い評判も維持することができて、外交にとても有利だろうと思う。
国家100年の計を準備し、発足させて、その初期を活動させるためには、4年間は長いようで短い。
すでに始まった重要政策がたくさんある。
この第一次安倍内閣は、戦後もっとも長い内閣であると言われているが、政権が安定しているとこんなにもたくさんの法案が可決され、山積した課題が解決のために手を付けられるものか、と本当に感動する。
これからも、息の合ったメンバーで、100年の計である政治を、たんたんと、順調に続けてほしい、と思うものだ。

そのためには、安定した政権運営が必要である。
もうひとつには、女性の活躍を本当に願うならば、安定した政権と安定した社会環境が大切である、と思うことである。
平安時代にも江戸時代にも、政治が安定した時代には、女性たちが豊かな文化を築き上げた。
女性が安心して活動するためには、どうしても安定した社会環境が必要である。
そのための環境整備のために、内閣は安定した政権を営んでほしい、と心から思うものである。

ここからは、秋の臨時国会が始まり、国際的な会議も多くなる。
年末には、いよいよアメリカとのガイドラインの作成が決定される。
こうした政治日程を考えると、どうしても、「解散総選挙」の五文字が、脳裏に浮かぶものである。
衆議院の政治には、常に、「解散」の言葉がついてまわる。
それだけ不安定であるとともに、何か「これがうまくいかなかったらすべて元の木阿弥」というような、危うさをもっているのが、衆議院かもしれない。
しかしそれは、政治的な柔軟性でもある。

私が、解散総選挙に賛成できるとしたら、こうした場合である、すなわち、新しい国会議員を、国政に呼び込みたい場合、である。
東日本大震災以降、インターネットの普及とともに、たくさんの人たちが「自分の声を発信できること」「本当の事実の情報を手に入れること」「自分自身で判断すること」を覚えた。
そして、討論、激論をかわすことも覚えた。
その結果、政治に対する熱意が深まり、「今、政治は盛り上がっている」と言える状況であると思う。
これは私だけなのかもしれないし、たくさんのインターネット利用者、そして、たくさんの女性たちが、同じ思いでいるかもしれない。

昨年夏の、参議院議員選挙は、大いに盛り上がった。
一昨年の、衆議院議員選挙も、多いに盛り上がった。
今、国民ひとりひとりが待望しているのは、あの選挙のときのような、討論の盛り上がりかもしれない。
そして、政治に参加することかもしれない。
政治に国民が直接参加できて、影響を及ぼすことができるのは、選挙である。

新しく、議員になりたい、政治家になりたい、という人が、とても増えてきているのではないだろうか。
また、次の選挙となれば、新しく政党を結成したい、という人たちもいるかもしれない。
また、これは女性議員に関して思うことであるが、女性たちは、ここ数年で、以前より活動的になり、発言を多くするようになり、政治にも関心を持って、政治をしてみたい、と思うようになったのではないだろうか。
もっとたくさんの、女性議員がいてもいいし、その機運は高まっている。

次に衆議院議員選挙があったら、立候補してみたい、と思う人がいるかもしれない。
また、立候補させてみたい、と思えるような人がいるかもしれない。

そうした、新しい動き、新しい議員、新しい政党の台頭、という点があるのならば、政治は成熟したということであり、成熟から次の新しい風が起こっても不思議ではない、と思う。

今、メディアと、女性と、若手、との間で、とても熱心で、とても熱い「不満」が高まっているようである。
それは、「私も政治に参加したい!」という強い熱気なのではないか、と思う。
そうした、若手や女性の息吹を、その芽を、摘んではいけないと思う。
そうした熱気があるのなら、以前の衆議院は解散をして、新しい若い新芽を伸ばす、そのチャンスが、とても大切かもしれない。

社会が、時代が、大きく変わろうとしているときに、若い芽吹きを、大きく活かせるようなチャンスがあるとしたら、それが、この2年間の政治の成熟そのものである。
成熟にともなう、次のチャンス、という意味で、解散総選挙にも賛同することができる。

2014年9月1日月曜日

9月1日・防災の日。

今年も9月1日・防災の日がやってきた。
子どものころ、母に教えてもらったものだ、9月1日がなぜ「防災の日」なのかというその理由を。
大正12年9月1日に、関東大震災があったのだという。
それはお昼時であった。
「みんなね、ちょうどお昼ご飯の支度をしようと思って、台所でガスの火をつけたところだったの。それが大地震が起こって、そのまま逃げだしたので、関東大震災の被害は、一番は火事だったのよ。そのときまで、地震というとまず逃げる、ということだったらしいんだけれど、関東大震災のときから、まずは火を消す、ということになったのよ。だから聡子ちゃんも、地震だ、揺れた、といったら、まず火を消そうね」
母はこんなふうに言って、地震と火の元を教えてくれた。

毎年、8月が終わり二学期の始まりは、まず防災訓練からである。
私も、大人になってからも、毎年、一年に一度は、避難用のバックパックを見直すことにしている。
電池や、自分の住所を書いた紙、保険証のコピーや缶詰、水などは、入れ替えを必要とするので見直しが必要だ。
いろいろなお宅があるもので、9月1日には、非常用持ち出し袋の入れ替えをして、そのなかに入っていた、賞味期限の近づいた缶詰で夕食を摂るのだという。
夕食のテーブルで、避難や防災の打ち合わせをするのだろうか。

ところが、自宅や家族で避難や防災の打ち合わせをする家は、案外少ないそうである。
この「少なさ」は、防災警報のときに、「逃げるか逃げないか」という「少なさ」にも関わっている。
あるデータによれば、海岸地域で、深夜に津波警報が出されたときに、すっかり寝入っていた住民が、実際に着替えて高台まで避難行動を起こす率は、40パーセントに満たないという。
この「少なさ」は、どういう意味なのだろうか。
一般常識では、命に関わる警報なのだから、すぐにでも飛び起きて、100パーセントの住民が恐れおののいて避難を始める「はず」である。
それなのに、60パーセントの住民が、「まあ、いいや」「なにかのまちがいだろう」「大丈夫大丈夫」と自分に言い聞かせて(なんの根拠もなく)また自宅で眠り続けてしまうのだそうである。

私もこの「現象」について、とても興味を持って、いろいろ調べたり考えたりしてみた。
たとえば、学校時代には、火災報知機が突然なりだしても、生徒たちはおろか、担任までもが「あー、えーっと、そのうち何か放送があると思うからそのまま」と言って授業を続けたものである。
そういった経験はないだろうか?

また、私自身の体験で、アパートで真昼間に、火災報知機が鳴りだしたことがある。
私はアパートの自室にいたのだが、正直、よそのアパートで鳴っているのではないか、と思った。
私のアパートでは20軒の入居があって、当日その時間に在宅した住民はとても多かったと思う。
ステレオの音楽もどこかから鳴り響いていた。
私は警報をしばらく聞いていたのだが、やはり3分もたたないうちに、「ぼやかもしれないが、自分のアパートかもしれないし、ぼやだったとしても、119番には通報しなければならないから」と思って、携帯電話ひとつを持って、アパートの集合玄関まで出た。
途中、煙や火のようなものは見えなかった。
アパートの集合玄関を出て、道路に出ると、近所の大人の男性たちが3人ほど集まってきて、それから大家さんが来た。
「やあやあ、出てきたの朝倉さんだけだったなぁ~」というお言葉である。
消防の人たちはすでに出動してきていた。
やはり自分のアパートだったのである。
消防の人たちが念入りに調べたところ、アパートの屋根裏部分が太陽光でとても熱くなっていて、それで警報が鳴ったのだという。

そのときに、大家さんから教えてもらったのは、「朝倉さん、責任感が強いんだ」という言葉である。
大家さんはこうしたときのことをよく考えていて自分なりに勉強していたのだそうである。
警報が鳴った時に、自分が逃げるか逃げないか、は、実際は「誰かを助けようか助けまいか」という意識に基づいているのだそうだ。
たとえば、一家の主が、「家族や子どもたちを守らなければならない」と常日頃強く責任感を持って考えていたとすると、「万が一」の「最悪の」場合を、考えてみることができるのだそうである。
そして万が一の備えと、「万が一本物の警報だったら、子どもたちを助けなければならない」という責任感から、避難行動を始めるのだそうだ。
そうして、結果としては、責任感が強く、他を助けようとするリーダーシップのある人が、生き残るのだそうである。

一般の人は、心を守る働きがあって、最悪の場合を想像すると心の弱さからこわくなってしまうので、想像しないように、心理が働くそうだ。
しかし、もしかするともっと怖がりで、常に最悪の状況を考えてしまう人のほうが、リーダーシップと責任感は強い、向いている、ともいえるのだそうである。

きょうは、防災の日。
まず自分が助かるだけでなく、多くの人を助けよう、という精神に立ってみるのも一案かもしれない。
火災報知器の誤作動だとしても、その誤作動に感謝して、まず火の元の用心である。