2014年6月8日日曜日
NHK「花子とアン」第9週「はな、お見合いをする」感想。
山梨で小学校の教師となった花子は、子どもたちに囲まれるように、教員生活を始める。
しかし、ふってわいたように、縁談がはいる。
この週は、このドラマ「花子とアン」のテーマとなる恋愛と結婚の問題が、重点的に描かれる週であったと思う。
花子にとって、そして女性たちにとって、とても大切な、恋愛と結婚。
そこで、どんなことを思い、どんなことを考え、どんな決断をするのか。
私が面白いと思ったのは、花子らしい、「パルピテーション」の思い方である。
得意の空想を活かして、「もしも朝市なら…?」「もしも望月さんなら…?」「もしも、村岡印刷さんなら…?」と、いろいろな周りの男の人たちと、お話をするシーンを空想するのである。
空想するのは、そのときの「自分の気持ち」であるかもしれない。
「この人と一緒に暮らしたら、どんな気持ちになるかしら?」という気持ち確認作業である。
これは、実はどこのどんな女の子でも、行っている、日常茶飯事の空想ごっこである。
「もしもあこがれのあの王子様と、結婚することになったら、毎朝の朝ごはんには、目玉焼きとカフェオレ…白いテーブルには、小さな花瓶…、カーテンの色は白いレースで…」というような空想ごっこである。
これは、そんなにあなどれることではない。
たとえば、幼なじみの子どものころからの遊び友達と、だったら、朝ごはんは「あなた、自分でごはん炊いて」となるかもしれない。
「ボク、はなちゃんのために、魚も焼いてあげたし、漬物作りも趣味なんだ」というような男子もいるかもしれない。
相手によって、「ふたり」の生活も、そのときの気持ちも、こんなにちがうものなのである。
なので、花子のこの空想シュミレーションは、けっこう大事だ。
その空想シュミレーションをしてみて、花子にとっては、このお見合い相手である望月さんに対しては、胸の鼓動、ドキドキ感、パルピテーションを感じない、ということなのである。
これが、この縁談を断る、最大の理由となる。
また、この時期に、四年も留守をしていた父親が帰ってきたことも、とても大事だと思う。
父親には、娘にとって一番幸せになれるダンナの相手が、わかるのだという。
男を見る目は、やはり男だ、ということなのだろうか。
それで、この父親は、花子のお見合いには、猛反対するのである。
それにしても、とてもお金持ちで、誠実なお人柄で、花子や花子の家族の面倒まで見てくれて、お嫁さんに入ったら、家事をする人を雇い、花子には、好きな本を読んでいてもいい、そうそう、実家の借金も肩代わりしてくれる、という、こんないい話はあるだろうか?
私はここに、脚本家の中園ミホさんの、ひとつのポリシーを見るような気がする。
中園ミホさんのドラマで、私が見たものというと「やまとなでしこ」であるが、ここでも、ヒロインの女性が、結婚するときの男性選びがテーマになっているのである。
そのテーマの重要なポイントは、「条件よりも愛」というところだろうか。
まあそれは、女性にとっては永遠のテーマでありながら、思う人には思われず、思わぬ人に思われて、周囲の祝福がある結婚には愛を感じられず、周囲の反対を押し切る結婚のほうに、愛がたっぷりある、とかいう状況なのである。
実際に、結婚において、「条件」を重視する女性も多いのかもしれないが…。
ともかく花子は、これだけ周囲の人からも、「こんな最高の人いないじゃん」と勧められながらも、「胸の鼓動を感じられない」つまり「好きじゃない」と言ってしまう。
そして、縁談相手の望月さんに「なかったことにしましょう」と言わせることになる。
これが、花子の決断なのである。
すべての女性たちにとってこれが本当にあてはまるかどうか、私にはうまく言えないところがある。
しかし、周囲に祝福されることも、経済的に余裕があることも、女性のこれから先の人生にとって、とても大切なことではないだろうか。
一目惚れのようなときめきは感じなくても、一緒に暮らして行けば、夫婦として、温かくて堅実な愛情は、生まれて育まれていくものではないだろうか…。
花子のいう「パルピテーション」とは、「運命の人」という意味でもあるかもしれない。
いつの時代も女性たちは、「運命の人」を夢見るものなのかもしれない。