2014年6月8日日曜日

ランドセル事件について。


2005年に、当時7歳だった女の子が、行方不明になった。
今、その事件にスポットがあたっている。
小さな子どものいたましい事件に関しては、本当に心が痛む。
なぜ、こうした事件を防ぐことができなかったのか、どうすればこの小さな命を守ってあげることができたのか、みなで力を合わせて、よくよく考えていきたいと思う。

私が思うことを、いくつかまとめて書いてみたいと思う。
ひとつは、こうした変質者が、ターゲットにする女の子には、それなりの理由がある、ということである。
犯人の側から見ても、ターゲットにしやすい子どもと、そうではない子どもとがいるようだ。
そうして、こうした悪意を持った犯人は、ターゲットを日ごろから観察して、選んでいるのである。

こうしたときにターゲットになりやすい子どもというのは、たとえば、他人から道端で声をかけられたり、叩かれたりつねられたりしても、大声を上げない子ども、という性格があるようだ。
また、外で起こったことを、家で両親に言わない、という性格もあるようだ。
こうした子どもの性格には、家庭の状況、両親の状況が大きく影響していることが多いと思う。

犯罪防止の理論に「割れ窓理論」がある。
この理論は、小さな子どもの心にもあてはまる。
子どもの心が「割れている」状態だと、そういう状態を見た犯人が、ますます悪いことをしかけるようになって、もっともっと破壊してしまうのである。
「心の割れ窓理論」は、いじめのターゲットになりやすい子どもにも、あてはまる理論である。

ではなぜ、この子どもの心が割れていたのか、その理由は、すでに家庭内において、心が割られていた、つまり、この家庭に、子どもへの虐待があった、と推測することができる。
こうした、両親との信頼関係がない子どもは、学校や家の外で困ったことがあっても、自宅に戻ってから、親にそれを伝えられない。
助けを求めることができない。
誰にも助けを求めることができない環境と人間関係、親子関係が、あるのである。

実際に、こうしたときに、ご両親が、社会運動や社会活動を始めることも、ご両親の性格を如実に反映しているとは言えないだろうか。

小さな子どもは、社会のなかで自然に守られる存在である。
大人であっても、子どもであっても、男性であっても女性であっても、もちろん私でも、電車のなかで、子どもだけがひとりで座っているようなことがあれば、目に留めたり声をかけたりするものだ。
そうしたときに、「守ってもらえない子ども」がいるとしたら、その子ども自身に、何か「へんな雰囲気」があったり、あるいは両親の仕事や性格がわかるなら、「関わりたくない」と思ったりする「何か」があるのではないだろうか。

社会の中で守られない子どもは、家庭のなかでも守られてはいないのではないだろうか。
子どもたちを、一生懸命、みんなで守っていきたいものだ。