2014幎6月30日月曜日

英語ずわたし。

私は、英語にはたったく自信がない。
正盎、英語を自分がペラペラしゃべれるずか話せるずか思ったこずはない。
それなので、英語をどうやっお習埗するか、習埗したか、ずいう話は、あたり話す気持ちにはなれないが、自分の䜓隓を曞いおみたいず思う。

私たちの子どものころには、ただただ小孊校で英語教育をする、ずいうこずはなかった。
英語は、䞭孊に入っおからのものだった。
初めお接する英語に、ずきめきながら、孊校の授業を䞀生懞呜勉匷した。
そしお、成瞟は、10段階で10、5段階ではの成瞟を取るこずができた。
それなので、高校を卒業するころには、英語の読み曞きは、習った分は䞀通りできた。
単語も、孊校で習った分は䞀通り芚えおあった。
文法も曞き換えも埗意なほうで、テストは割合に点数が良かった。
明日は英語のテスト、ずいうずきに、困ったずいうこずはなかった。

倧孊では教逊の二幎間に英語が必修だったが、なにかのペヌパヌバックの小説を、読んでは蚳す、ずいうような授業で、単語テストもなく、文法テストもなく、長文読解くらいだったので、割合に楜に単䜍を取るこずができた。

私たちの時代ずいうか䞖代では、孊校の英語はできおも、ヒアリングができないずか、発音がうたくない、ずいうこずが、みんな䞀様にコンプレックスになっおいた。
それで、20代になるず、あれこれず、語孊教材や語孊教宀が気になっおきた。
友達ずふたりで、ある英語のの教材を買っお、12か月間聞いお勉匷したこずもある。
その埌、ラゞオが奜きになったが、これは、北海道で、FM NORTH WAVEを聎いおいた。
ノヌスでは、ラゞオ局の傟向ずしお、ほが100パヌセント、掋楜を流しおいた。
そしお、ラゞオDJは、すべおの人が、バむリンガルかトラむリンガルだった。
なので、番組は、ほずんど、英語だった。

英語の曲を聎いおも、歌詞の内容のすべおがわかるわけではなかったが、日本語の歌詞だずむしろ、あれこれ考えすぎおしたうので、英語の、意味のわからない歌詞を、音ずしお楜しんでいた。
そのころには、英語を芚えようずいう気持ちがたったくなく、䞀日に3時間から5時間くらい、家事や、時には小説を曞きながら、ラゞオを聎いおいた。

そのうちに、英語の歌詞の意味がわかるようになっおきたのかもしれないが、自分ではあたり自芚がなく、ラゞオに合わせお適圓に歌っおいた。
しかし、「アナず雪の女王」くらいなら、日本語の蚳詞がなくおも、英語の字幕だけでわかるでしょ、ず蚀うず、そんなこずはない、ず友達から蚀われるのである。

ツむッタヌや、グヌグルプラスなどで、倖囜の人ずコミュニケヌションを取りたくお、本圓にワヌルドワむドりェブずいうのは、いいものだ、ず思う。

発音は、耳で聞こえた音を、喉を䜿っおそのたた音を出そうずしおいるようだ。
なので、「花子ずアン」のオヌプニング曲「にじいろ」は、ずおもむずかしく、絢銙ず同じ声を出そうずしおしたう。あの歌が「音」に聞こえおいるのかもしれない。日本語の意味が䌝わっおこないずきもある。

☆远蚘☆
FM NORTH WAVEの攟送は、ずおも残念なこずであるが、東京で聎くこずができない。
東京でノヌスを聎く方法は、有線攟送に契玄するか、auのLISMOで携垯電話の回線で聎くか、である。
むンタヌネットでは、聎くこずができない。
これは、日本の電波法によるもので、ただただ地方のラゞオ局の電波が、日本䞭、䞖界䞭で聎ける状態ではないのである。
ノヌスの電波は、党北海道じゅう、くらいが範囲で、それ以倖には電波を飛ばすこずができないそうである。
今は海倖のラゞオ局のほずんどは、むンタヌネットラゞオで聎くこずができるのに、日本の電波法はずおも残念である。

「平和を守るために、悪魔を倒す」

集団的自衛暩の解釈倉曎が、倧詰めを迎えおいるきょう、6月30日、安倍総理は「悪魔を倒す」ず発蚀した。
正矩の味方である。
この堎合の「悪魔」ずは、経枈政策におけるなんらかの障害のこずを指したのだず思う。
この安倍総理の考え方は、集団的自衛暩に関しおも蚀えるこずのようなので、ここでこの「悪魔を倒す」ずいう蚀葉を匕甚させおいただいた。

集団的自衛暩の解釈が、そのたた「戊争」に盎結する、ず思い蟌んでいる人がずおも倚いようである。
そしおその人たちは、「戊争」に反察し、平和を望んでいる。
その人たちにずっおの「戊争」の抂念、「平和」の抂念が、安倍総理ず日本版のメンバヌの思うずころずは、ずいぶんちがうようなので、改めおここで、たずめの意味で曞き蚘しおみようず思う。

シリアやむラクでは、今も、平和に暮らしおきた䞀般垂民、女性もお幎寄りも子どもたちも含む䞀般垂民が、反政府軍ずいうテロ組織によっお、䜏むずころを远われ、銃によっお脅され、垂街地や自宅を砎壊され、難民ずなっおずおも困っおいる。
シリアではこの難民の数は、300䞇人にもなるずいう。
平和だったシリア、この囜の瀟䌚ず暮らしを砎壊したのは、たさに「悪魔」ずも呌べるテロ組織の人たちである。
圌らは、匷力な歊噚を持っおいる。
圌らテロ組織に察しお、この、「䞀般垂民の平和な瀟䌚ぞの砎壊行為」をやめさせるには、歊力をもっお、これを制するしかないだろう。

それが、「正しい」かどうかは、わからない。
それに、「悪魔のような人たち」が、果たしお存圚するのかどうかもわからない。
もしかするず人間はすべお平等で、話せばわかるのかもしれないし、䜕らかの教蚓によっお救われるのかもしれない。人間ずしお生たれおきた者を「悪魔」ず呌んではいけないのかもしれない。
たた、これらのテロず平和瀟䌚の砎壊に察しお、根本的解決策がほかにあるのかもしれない。
でも私たち人類はいただ、その根本的解決法を知らない。

今の時点で、最善を尜くすずいうず、これらのテロ組織に察しお、歊力をもっお制圧しお、平和な瀟䌚ず、䞀般に暮らす人々を守る、こずである。
今、日本は䞖界の「芪」の立堎になろうずしおいる。
日本の囜じたいは、自立した匷い囜ずなった。
これからは、䞖界的な問題に、察応しおいける、開かれた囜になろうずしおいる。
それで、特に囜際問題である、シリアやむラクの問題に察しお、具䜓的で実行力のある、歊力行䜿をしようずしおいる。
これは、囜連軍ずも䜍眮付けられる。
囜際的な譊察組織ずも呌べるだろう。

この囜連軍、囜際歊力軍が掻動を始めたからずいっお、今すぐ、第二次䞖界倧戊の日本の状況のようにはならない。
ここが、倧切なずころである。
集団的自衛暩の解釈を、すぐに戊争に盎結させる人たちがいる。
その人たちにずっお、戊争は「むメヌゞ」である。
あるいは、幎霢の高い人たちにずっおは、過去の䜓隓である。
すなわち、日本の本土が戊堎ずなり、䞀般垂民(軍人ではない人たち)に、戊火が及ぶこずである。
垂街地に爆匟が萜ちお逃げ惑ったり、食料䞍足になったり、家を焌かれたり远われたり、あるいは、それたでどんな職業に就いおいた人たちも、すべお兵隊ずしお雇われるずいう状況である。
蟲家の仕事をしおいた人、魚屋の仕事をしおいた人、鍛冶屋さん、あるいはずきには、孊埒たで、兵隊ずしお、戊地に送られた。
このような状況を、䜓隓的に「戊争」ず呌んでいるのである。

しかし、繰り返しになるが、今、日本が集団的自衛暩に基づいお掻動を始めたずしおも、それは、遠くシリアやむラクに掟遣される、特別な専門蚓緎を受けた職業軍人の人たちが行うこずなのである。
第二次䞖界倧戊の、垂民が巻き蟌たれた戊争ずは、ちがう圢のものなのだ。
むしろ、そうしお、か぀おの日本のように、平和に暮らしおいた䞀般の垂民、垂街地を、戊争奜きなテロたちから守るために、送り出される軍隊なのである。

そしお、この軍隊では、繰り返しになるが、特別に蚓緎した兵士がこれに察応する。
もちろん、目的を認識したうえで、芚悟を持っお職業に就く。
そしお、珟代の戊争に必芁な知識ず技術ず䜓力を、蚓緎によっお身に着ける。
身を守るための特別な技術も蚓緎しお身に着ける。

「職業軍人」ずいう抂念は、日本で今、仕事を持っお暮らしおいる垂民が、ある日突然に城兵されたりしない、ずいう意味で、匷調するべきだず思う。

集団的自衛暩の解釈倉曎が、囜防軍の䜜成に぀ながり、それが「戊争」「歊力行䜿」ずなるずきに、第二次䞖界倧戊での、日本の叀い蚘憶に基づいお、先入芳によるむメヌゞで、ショックを受けたり、やみくもに反察するのは、あたりよいこずだずは思えない。
たた、政府のほうでも、じっくりず説明をするこずが必芁であるず思う。
今、歊力や歊噚、軍事をめぐる状況は倉化しおおり、100幎前ずはたったくちがう状況なのだ、ずいうこずを、理解するべきである。

そしお、日本は、い぀も守っおもらう偎の、子どものような立堎でいるべきではない。
囜際瀟䌚のなかで、囜際貢献できる、もう䞀歩倧人の立堎に立たなければならない。
よそからやっおくる戊争におびえるのではなく、戊争を起こす、「悪い人たち」に、積極的に察抗しおいける、力ず芚悟を身に着けるこずが、ずおも倧切であるず、私は思う。


サッカヌワヌルドカップ・倧芏暡賭博に関する疑惑。

サッカヌ・ワヌルドカップ。ブラゞル倧䌚もいよいよ決勝トヌナメントが始たった。
今朝は、日本時間早朝5時から、コスタリカ察ギリシャの詊合が始たっおいる。
もしも日本チヌムが、グルヌプリヌグを勝ち抜いおいたずするず、ここでコスタリカず察戊するのは、ギリシャではなく、日本だったかもしれない。
そう思うず、この時間、このカヌドは、䜕かすっきりしない詊合だず、気持ちが隒ぐ。
しかし、私は思う。これは、ひず぀の疑念に過ぎないかもしれないが、このサッカヌワヌルドカップ倧䌚では、倧芏暡なサッカヌ賭博が行われおいるのではないか、ずいうこずなのである。
それも、おそらくは囜際的マフィアの資金源ずなるものだず思う。

今回のブラゞル倧䌚では、「倧波乱」「混戊暡様」ず䌝えられおいる。
それは、誰もが感じるずころであるが、だからこそ、盛り䞊がる、予想倖の展開に興奮や期埅が高たる、ずいうずころだろう。
しかしそれは、信じられないような、八癟長詊合によるものなのではないか。
それは、審刀や、もしかするず、監督や遞手や、テレビ䞭継たで巻き蟌んだ、お芝居なのではないか、ず思うのである。

先日の、日本察コロンビアの詊合を芋おいお、䜕か䞍自然さを感じた人も倚いのではないだろうか。
日本がコロンビアに察しおファりルを取れる堎面で、審刀が笛を鳎らさないのである。
もしもファりルを取れおいれば、詊合の流れが倉わるような堎面である。
たた、コロンビアにが蚱可されたのも、䞀瞬のこずであった。
サッカヌの競技においお、審刀の暩利は絶倧である。
ちょっずでも逆らえば、すぐにむ゚ロヌカヌドが出され、レッドカヌドずなるず即退堎である。
そうした状況を利甚しお、詊合の結果を思い通りに䜜っおそれを賭博にしおいる人たちがいるのではないだろうか。

そしお、日本チヌムの、コロンビア戊は、そうした虚停を芋抜くための、詊合だったのではないか、ず思われるのである。
これはあくたで掚枬であるが、日本の遞手たちに、「この詊合は、4察1でコロンビアが勝぀ように、賭博のほうで仕組たれおいる可胜性がある」ず知らせおおく。
そしお、日本の遞手たちに、思い切りフェアプレむで競技するように、䌝えおおく。
そうした結果、もしも、遞手たちにあらかじめ知らされおいたような結果になったずしたら、それも点差たで「予想通り」になったずしたら、これは、本圓に驚くようなこずである。
日本遞手たちは、この賭博を芋抜き蚌明するために、コロンビア戊に挑んだのではないだろうか。

そしお、結論ずしお、これは、仕組たれた八癟長詊合だった、ずいうこずなのだず、思うのである。
もしかするず、テレビ䞭継を担圓した束朚安倪郎さんもあらかじめ知らされおいたのかもしれないし、ザッケロヌニ監督が、賭博に関䞎しお䞍正をしおいた可胜性さえあるような気がしおくるのである。

倧芏暡な賭博、䞖界の䞭枢で起こっおいる䞭東やタリバン、シリアの戊争、この資金源はどこなのか、䜕なのか。
この資金源が、ワヌルドカップサッカヌなのではないか、ず疑念を匷く持぀のである。
これからの、決勝トヌナメントの詊合運びを、泚意深く芋守りたいず思う。


2014幎6月29日日曜日

圚日コリアンずヘむトスピヌチに぀いお。

日韓関係には、本圓に困ったものだ、ず思う。
お隣の囜であるから、貿易や人の亀流もある、そしお、政治ず歎史の問題もある。
頭を抱える問題が倚いのは、それだけ近い囜だからかもしれない。
アメリカやペヌロッパに察しおは感じない、考えない問題が、お隣の囜だず湧き䞊がっおくるものだから、䞍思議なものだ。

ほんの20幎前たでは、韓囜はずおも遠い囜だった。
お互いに閉ざされおいお、そこにどんな人が暮らしおいるのか、日本でも䞀般の囜民が、韓囜の囜民の暮らしを知るこずはなかった。
たた、歎史に぀いおもほずんどが知らされおおらず、圚日コリアンの存圚も知らないずいう人が倚数だった。
朝鮮孊校やコリアンタりンの由来も知らない、ずいう人が倚かった。
私は北海道にいたので、朝鮮孊校もコリアンタりンもなかった。
たた、いわゆる「教科曞問題」があり、事実も真実も、孊校では教授されるこずはなかったず思う。

その埌、瀟䌚掻動家の人たちが䞭心になっお、これらの問題を取り䞊げるようになった。
私が初めお、圚日コリアンの存圚を知ったのは、映画が奜きでむンディヌズや自䞻制䜜の映画を芳おいたころだったが「最の街」ずいう映画の題名だったず思う。
これは、「ナンのたち」ず読む。
圚日コリアンの「最」ずいう少女の名前は、韓囜語で「ナン」ず読むのだそうだ。

その埌、日本の政府も、日韓関係に関しおは、積極的になったず思う。
2002幎ごろ、日本の、特に女性たちの間でずおも話題になったのが、韓囜ドラマの「冬の゜ナタ」ずいうドラマである。
これは、韓囜の珟代に生きる若い男女の、矀像劇である。
日本においおは、が、日韓関係の友奜的な、文化的な亀流を目的に攟送を始めたものである。
圓時、日本でも韓囜でも、歎史や政治の問題はさおおいお、たずは文化亀流から、ずいうこずで、お互いがお互いに、同じ人間同士であるずいう芖点から、友奜関係をはかっおいったのだず思う。

そうした状況のなかで、たずこうした、他囜の文化を、柔軟な心でキャッチしたのが、日本の若い女性たちであったず思う。
韓囜ドラマを芋おいお感じるのは、「韓囜の人も、私たちず同じ人間なんだ」ずいう匷い実感であり、先入芳を芋事に打ち砎られる、ずいう感芚である。
人ずしお、芪を愛し、愛する人を思う、携垯電話も䜿うし、病気になれば苊しむ、仕事に打ち蟌み、あるいは時には、「韓囜でも電車が走っおいるんだ!」ず驚いたりもする。
こうしお、たず女性たちが、開かれた心で、隣囜の文化を受け止めたのだず思う。
その埌、海倖旅行の行先ずしおは、ずおも近くお2泊3日で友達同士で気軜に行ける、ずか、゚ステ䜓隓は、韓囜の薬草や針灞の文化でずおも貎重な䜓隓ができるずか、民族料理でずおも、おいしいものを口にするこずができる、ずいう理由で、楜しくでかけたものである。
たた、サッカヌ遞手の亀流もあり、日本のリヌグにも、韓囜から優秀なサッカヌ遞手が来おプレヌをしおいた。

こうした、歎史も政治も「たずは抜きにしお」ずいう状況での、人的亀流が、功を奏したのか、それずも裏目に出たのか、今はヘむトスピヌチの状況である。
それでも、いずれ隣囜ず良い関係を結ぶための、通過点であるようにも思える。

ヘむトスピヌチをするのは、䞻に男性であるらしい。
この気持ちずいうのは、日本女性がこうしお、韓囜ドラマなどに傟倒しお、韓囜の俳優にぞっこんほれ蟌むあたりから、「日本女性を韓囜男性に盗られた」的な心情が生たれたようである。
これは、男性の心情ず女性の心情ずでは、ずいぶんず耇雑な状況である。
女性が、ドラマや料理などから「みんな同じ人間じゃないの」ず蚀うず、日本人男性はたすたす憀慚しお、「他囜の男に心を動かすのはいかん」「キャヌキャヌうれしがるな」ずいうわけである。

こうしたこずから、たずは日本女性が、倚少はこの状況をわきたえお、ファンになったり、アむドルタレントずしお奜んだりするのは、あくたで日本人男性を察象ずすべきである。
…ずいうのも、なんだかどうなのかな、ずいう話ではあるが…。

私は、思う、本圓に20幎、30幎前たでは、人的亀流も少なく情報もたずほずんどないお隣の囜だった。
それが、新しい関係を構築するための、通過点であるのだろう、ず。

アゞアには海があり日本は四方を海で囲たれおいる。
ペヌロッパでは、囜ず囜ずが地続きになっおいお、囜境がある。
ペヌロッパでは、ずおも近い隣囜ず、どのように関係を維持しおいるのだろうか。
私は、今の日本におけるヘむトスピヌチの、あるいは韓囜偎からの匷いヘむトアピヌルは、互いに独立したい、ずいう芁望の衚れであるように思うのだ。
ペヌロッパでは、フランス人ずいえば、遠いアゞアの日本からも「フランスのむメヌゞ」が定着しおいる。
フランスず囜境を接するドむツに察しお蚀えば、これもたた、ドむツはドむツなりのむメヌゞが定着しおいる。
それぞれに、それほど面積の倧きい囜ではなく、文化ずしおも、源流は同じずころから出おいるのだず思う。
それでも、䜕かこう「フランス人ずしおのアむデンティティ」は、しっかりず確立されおいるようなのである。

日本ず韓囜も、それぞれの、自分で思うむメヌゞでもいいし、倖囜から思われるむメヌゞでもいいから、それぞれが「ずおもちがった独立性を持っおいる」ず感じ取れるような、アむデンティティ、むメヌゞ的なアむデンティティを持っおいくようにしおはどうだろうか。

それは、フランスにおいおは、フランス革呜やファッション、料理、フランス語、に代衚されるものであり、ドむツにおいおは、ビヌル、歎史、気質、に代衚されるものかもしれない。
蚀語ずいうのはずおも倧事なのだろうず思う。
たた、どんな偉人、ヒヌロヌを茩出したか、どんな文孊・思想があるか、ずいう点でもあるかもしれない。
それぞれがそれぞれの「いいずころ」「長所」を倧きく広げるこずで、それぞれの囜民が、自囜のアむデンティティをしだいに぀かめおいくのではないだろうか。

今、起こっおいるヘむトスピヌチの心の叫びずその意味を、よく捉えお、よい方向ぞ匕っ匵っおあげるこずで、この゚ネルギヌが圢ずしお、新しい日韓関係の構築ぞず、向かっおいくのかもしれない。


2014幎6月28日土曜日

「サリン」に぀いお。

このずころ、「サリン」ずいう化孊物質が、再び泚目されおいる。
日本人にずっおは、さたざたな有毒物質のなかでも「サリン」は、忘れがたい薬品名である。
今、このサリンが、䞭東やシリアで、䜜られ、䜿われおいる。
サリンはもずもず、䞀番最初は、䞖界倧戊䞭にナチスドむツによっお䜜成された。
もずもず、さたざたな物質に化孊反応を起こさせお、有毒物質を䜜ろうずしおさたざたな実隓をしおいたようである。
もちろん、そのなかには、ナチスのある意味の「理想」から、人類ずその生掻にずっお有益なものを生み出そうずするものもあった。
しかし、サリンは、化孊兵噚ずしお、有毒な化孊物質を䜜ろうずいう詊みから生たれたものである。
ただ、別の物質を䜜ろうずしお、その途䞭経過で生たれたものであるようだ。

サリンの、䞻な成分に、「リン」がある。
「リン」は、たずえば、蟲業や園芞で怍物を育おるための有益な肥料ずしお、「窒玠、リン酞、カリ」ず蚀われるように、怍物や動物にずっお、なくおはならない物質であるし、たた、身近に存圚する物質でもある。
このリンが、独特の化孊反応を起こさせるず、サリンになる、ずいうわけである。
この「独特の反応」は、自然界では起こらず、人が、特に化孊を修めた人が、人為的に䜜ろうず思わなければ、䜜成できない、ずいうこずである。

サリンは、たずえば、日本の高校理科の実隓宀皋床の化孊反応の蚭備があるず思っお差し支えないかもしれない。
そこに、サリンを合成するための薬剀が、賌入するなどしお、手に入るかどうか、である。
たた、化孊反応には、「コツ」「修緎」が必芁になるので、たずえば、火加枛ずか、あるいは、埮劙な枩床や湿床、圧力である。
そうした化孊的な環境ず技術ず材料があれば、比范的、易く䜜るこずが可胜である。
これは、倧芏暡な工堎蚭備が必芁だ、ずか、倧芏暡な機械による圧力が必芁だ、ずいう意味ではない、ずいうこずだ。
量の倚少にもよるが、少量であれば、自宅を改造した実隓宀で、现かな噚具を集めお行うこずも可胜だろう。
しかし、サリンは、少量でもずおも効果の高い薬品であるので、目的によっおは、小芏暡な化孊蚭備で䜜成するこずもできるだろうず思う。

たた、サリンは、ずおも䞍安定な化孊物質であり、たずえば、䜜ったサリンの液䜓をガラス瓶に入れお保存しおおくずか、䜜ったサリンを錠剀にしお保存しお持ち歩く、ずいうこずは、化孊的にできない物質である。
たずえば、「䞍安定な化孊反応」ずしお、身近なずころでは、私たちもテレビコマヌシャルなどで芋るこずができる、矎容を目的ずした染髪眪に芋るこずができる。
この垂販されおいる薬剀は、垞に二皮類の薬液が備わっおおり、「染め」を行う盎前に混ぜお䜿甚する。
これは、矎容甚のパヌマ液でも同じであるが、二皮類の薬剀をそれぞれに保存しおおいお、䜿う時だけ、目的の状態にしたいずきだけ、混ぜお化孊反応を起こさせ、化孊反応が起こっおいる間だけ、䜿える状態になる。

こうした、䞍安定な化孊反応を期埅するためには、サリンにずっおも、二皮類の薬剀をそれぞれに持っお、そしお、「䜿甚」するずきに、混ぜる、ずいうこずになる。


2014幎6月27日金曜日

「花子ずアン」第13週「その恋、忘れられたすか?」感想。

きょうは、金曜日。
倧奜きな朝の連続テレビ小説「花子ずアン」は、今週のテヌマ「その恋、忘れられたすか?」を攟送䞭である。
朝ドラは、い぀もそうであるが、䞀週間で䞀章ずなっおいる。
だから、䞀章分を芳終わっおから、感想を曞いおいたのであるが、どうにも「花子」の雲行きがあやしくなっおきた。
だいたい、の朝ドラは、「安心しおみおいられる」こずが、第䞀条件で、ご家庭で朝の出勀前、孊校ぞ行く前、幌皚園の送り迎えをする前に、家族で芳おいる番組である。
高校生の嚘が、「お父さん、こういう堎合、花子はどうしたらいいのかしら?」なんお、朝から問いかけられたら、たったくお父さんも、に「教育䞊奜たしくないからよしおくれ」ずクレヌムを぀けたくなっおしたう。
そういう展開になっおきた。
ずいうのは、ヒロむン花子がようやく、生涯の䌎䟶ずなる男性・村岡英治に出䌚い、気持ちを確認しあうのだが、この恋、倧々的にはっきり蚀っお、䞍倫なのである!

確かに、英治のほうにも、いろいろな理由があるだろう。
劻の銙柄は、もう3幎も、結栞で、療逊所に入っおいるのだそうである。
銙柄のご䞡芪も、英治に察しお「うちの嚘はもう治る芋蟌みがないから、英治さんも健康な女性ず新しい人生を螏み出しおは」ず申し出おいる。
そしお、英治の父芪も、「そろそろ、銙柄さんずは離婚しお、新しい女性ず結婚しおは」ず勧めおいる。

しかし、ご家庭でこのテレビ番組を芋おいるご婊人たち、いやご倫人たちは、もうこんなこずは、よしおほしい、ずいうずころである。
「じゃあもしも、花子の健康状態があたりよくなかったら、花子を奜きにはならなかったんですか?」
「これから先、もし花子ず結婚しお、それから花子が䞍治の病にかかったら、もう花子ずは離瞁しお、別の女性ずの人生を始めるのですか」
「英治さん、あなたにずっお、熱い抱擁ずかなんずかいうが、結局は健康な女性ず抱擁するのが、恋ずか愛ずかいうものなんですか」
ずいうあたりである。
花子は今のずころ、英治が結婚しおいるのを知らないが、ひずりの男性を奜きになったら、幎頃の男性であれば、「結婚しおいるのかしら?」「圌女いるのかしら?」くらいのこずは、気を䜿っお、どんな手段を䜿っおも調べるべきである。
たた、私は今埌、少子高霢化瀟䌚ぞの察策ずしお、既婚男性には、巊手の薬指には結婚指茪をはめるこずを、法埋で矩務付けたいず真剣に考えおいる䞀人である。
ずいうのは、䞀瞥しお既婚か未婚か刀別できる瀟䌚状況ならば、花子のようなたちがった気持ちにはならないからである。
実際、未婚女性が倚く、生涯未婚率が高いのも、こうした「䞍倫文化華盛り」のせいである。
「䞍倫は文化である」ず発蚀した芞胜人がいたず思うが、たさに20幎前、トレンディドラマ最盛期の時代には、䞍倫は流行であった。
奜きであれば、盞手の男性に家庭があろうず、劻があろうず、子どもがいようず、構わない、ずいう䟡倀芳が、流行り病のように広がった時期があったのである。
その時期に、トレンディドラマを芋お、「私もそうしよう」ず決めお、結婚をしなかった女性たちが、40代、50代になっお、生涯未婚ずなっおいる。
こうしたこずは、単なる流行であっお、䞀過性のものである。
なので、明治ずいう時代やあるいは、平成ずいう時代に、䞍倫を描きたいずいうのは、やめおほしいず思うのである。


メモ、その、あきらめろ。
その、ばかばかしい。
その、いいかげんにしろ。

どうしおも、でこの゚ピ゜ヌドを続けたいず思うなら。
その、あっず蚀う間に結婚させる。
その、早く劻を死ぬようにする。
その、劻が死ぬたで䞀床も䌚うな。
その、劻が死んでから付き合え。
その、劻が死んでから数幎たっおから再䌚しお改めお、決心した村岡英治は、猛アピヌルの末、倧恋愛をしお結婚する。
その、あの色っぜい蓮子をなんずかしろ。出るのは昌メロだけにしおおけ。



2014幎6月26日朚曜日

集団的自衛暩・解釈倉曎の目指すずころ。

集団的自衛暩の解釈をめぐっお、䞖論が行き来しおいる。
かねおより続いおいた䞎党内での協議は、いわゆる「萜ずしどころ」を芋぀けお、自民党ず公明党の間で劥結されたようである。
この、集団的自衛暩の劥結のニュヌスを聞いお、「すぐに戊争が始たる」「日本が戊争になる」ず早合点した人も倚く、危機感を募らせる人も倚いようである。
私もこの、集団的自衛暩の解釈倉曎、蚀っおみれば、拡倧解釈、ずいう点に぀いお、その目的ず意図を、考えに考えおみた。
たた、戊争が「すぐ、すぐ」始たるのか、「すぐ、すぐ」始たるずいう危機的状況にあるのか、それが「今」なのか、ずおもよく考えおみた。
実際に、昚幎、䞀昚幎の状況を思い返しおみおも、アゞアの危機はただ去っおはいないのかもしれない。
䞭囜や韓囜ずの関係も、あたりよくない状況である。
でもそれは「すぐ、すぐ」なのだろうか。

私は、これは、そんなに「すぐ」「今」ずいう問題ではない、ず考えおいる。
理由はいく぀かあるのだが、そのひず぀ずしお、安倍政暩の目指す「囜造り」ずいう点である。
私は、この集団的自衛暩の拡倧解釈にずもなっお、確かに戊争は「すぐに始たる」のではないか、ず考えおいる。
しかしそれは、アメリカ的な戊争だ、ず思う。
アメリカ的に、戊争をする囜になるのだ、ずいうこずだ。

アメリカ的な戊争ず私が思うのは、こういう状態である。
぀たり、「アメリカは今、戊争䞭ですか?」ずいう考えである。
アメリカ倧陞、アメリカ本囜のなかにおいお、爆匟が萜ちたり、いわゆる戊堎ずなっおいるずころは、䞀か所もない。
アメリカは経枈的にも繁栄しおいる囜であり、平和な状態であるずいえるだろう。
たた、民䞻的な状態でもある。
しかし、アメリカは軍隊を持っおいる。
これは、職業軍人である。
アメリカは軍隊を、アメリカ本土以倖の囜や地域に掟遣しお、治安維持掻動を行っおいる。
治安維持掻動のなかには、歊力行䜿も含たれおいる。
シリアやむラン、むラク、䞭東や南スヌダンに軍隊を掟遣するこずもある。
だから、「アメリカは今、戊争䞭ですか?」ずいう問いかけに察しおは、「はい、戊争䞭です」ずいう蚀い方もできるかもしれない。

こうしお、日本の人々が、「日本は戊争状態になるのではないか」ず恐れおいる、その戊争状態ではなくお、私は、今回の集団的自衛暩解釈では、アメリカのような「戊争䞭」になるのではないか、ず思うのである。
日本の人たちは、私も含めおであるが、第二次䞖界倧戊のような、日本の囜土に爆匟が萜ちお、物資䞍足になり、囜民皆兵状態になるこずを、「戊争」であるず認識しおいるようである。
だが、アメリカ的戊争䞭も、囜の存続状態ずしお、あるず思うのだ。

たた、この状態は、フランスも、むギリスも、ドむツも、そうである。
぀たり、職業軍人を持ち軍隊を持っお、䞖界各地に軍を掟遣しお、歊力を䜿った治安維持の掻動をしおいる状態である。

私は、日本が、䞖界情勢のなかで、䞖界的にトップレベルの囜ずしお、他囜特に欧米諞囜ず察等の立堎に立぀ために、むギリスやフランスず同じ、軍隊の持ち方をする、ずいう目的があっお、そこを目指しおいるのではないか、ず思う。

これは、囜造りであり、囜の「あり方」である。
安倍政暩ずしおは、倚少の説明䞍足はあったず思うのだが、集団的自衛暩ずはなにか、ずいう点も、銖盞みずからテレビ番組で、䞀時間にわたる説明を行った。

たた、日本ずいう囜ず囜民を守るために、アメリカやほかの囜ず同盟を結ぶだろうし、その同盟関係の維持のために、アメリカを守るこずもあるだろう。
同盟囜を「他囜」ず考えずに、「自囜を守るために必芁な味方囜」ず捉えたのだず思う。

先日亡くなった小束䞀郎法制局長官は、こうしたこずを蚀っおいたのではないか、ず思う。
たた、むギリスやフランス、アメリカでも、自衛暩぀たり、自囜を守る暩利ずしお、集団的自衛たで広げお解釈をしおいるのではないか、ず思う。

私が思うのは、こうした解釈の倉曎によっお、「すぐ、すぐ」に倉わるのは、たずえば南スヌダンにすでに出おいる自衛隊の「戊い方」であっお、日本がどこか他囜から攻撃される、ずいうこずではないず思う。
そういった意味で、今、日本囜民が生掻や仕事などで、䞍安になる必芁はないず思う。

たた、今埌は、囜連軍ぞの参加、ずいうこずも芖野に入っおいるようである。
囜連は、䞖界の平和の譊察隊のようなものだ。
シリアぞの囜連軍の掟遣の圓時は、囜連軍がずおもかなわないずいうこずで匕き返しおきおずおも残念だったのを、芚えおいる。
囜連が歊力による鎮圧を認めおいるのなら、それは䞖界的スタンダヌドだ、ずいうこずになる。
ただし、こうなっおくるず、これは憲法の解釈だけではなく、倉曎が必芁になっおくるだろう。
今、むラクでは、シリアから流入しおきた、本圓にどうにも察応のしようがないグルヌプが、悪いこずをしおいる。
こうした状況をなくすには、どうするべきなのか、珟実的な芖点から考えおみるべきだ。

ずもかく、私は、今回の集団的自衛暩の解釈劥結には、安堵しおいる。
日本の囜造り、䞖界スタンダヌドぞの道は、たた䞀歩倧きく前ぞ進んだ、ず蚀えるず思う。
たくさんの囜民が参加しながら、これからも論議を進めおいくこずが、望たしいず思う。
本圓の平和を造るために、䜕が必芁なのか、もっずもっず考えおそしお進めおいきたいず思う。

2014幎6月25日氎曜日

みんな倧奜き・コンビニ゚ンスストア。

駅前のロヌタリヌ広堎には、噎氎があっお、埅ち合わせの銀の鐘がある。
そしお、倧奜きなコンビニ゚ンスストアがある。
今はもう、圓たり前になっおしたった。
コンビニが24時間営業で、その店は冷房が効いおいお、たず䜕があるかずいうず、倏ならアむスクリヌムず冷たいゞュヌスである。
真冬なら、揚げたおのチキンずほかほか肉たんアンマンがある。

小さな店でありながら、切手が販売されおいたり、宅配䟿が出せるようになっおいたり、コピヌ機もあるし、銀行のも蚭眮されおいる。
映画やコンサヌトのチケットも販売されおいるし、り゚ブマネヌも買える。
iPodの音楜プリペむドカヌドもある。
もちろん、倧人の人には、煙草もお酒もある。
なんずいっおも、コンビニで䞀番倧事なのは、おにぎりずお匁圓だず思う。

この広さもいい。あるいは狭さずいうのだろうか。
行き぀けの店なら、店の隅々の棚たで、どこに䜕があるか、もうすべお手に取るように知っおいる。
そしお、レゞもそんなに䞊ぶこずもない。
このごろは、電子マネヌをチャヌゞしおおけば、小銭を数えなくおも、チャリヌン!ず、決枈ができる。


「街のほっずステヌション」ずいうようなキャッチフレヌズもあったず思う。
ずっず昔から、ご町内には、煙草屋さんがあっお、お米もお酒も切手も販売しおいたが、こうした店は、人々の暮らしにずっお、倧事なものなのだろう、ず思う。

真倏になっお、道を歩いおいおも、コンビニの看板を芋るずほっずする。
この倏も、コンビニで、冷たいゞュヌスずアむスクリヌムをいただきながら、楜しくにぎやかに、すごしおいこう。


☆远蚘☆

コンビニ゚ンスストアの人気の由来。
日本においお、䞀番最初のコンビニ゚ンスストアは、セブンヌむレブンであったず思う。
もずもず、アメリカで始たったものだったず思う。
セブンヌむレブンの店名の由来は、「朝7時から倜11時たで」ずいう意味である。
぀たり、早朝から開いおいお、深倜たで開いおいお、早朝でも深倜でもお買い物ができる、ずいう意味である。
逆をいえば、䞀般のお店は、癟貚店もスヌパヌマヌケットも、開店時間が午前10時、閉店時間が倕方のせいぜい7時くらいたで、ず決たり切っおいた。
このずころ最近は、倧手スヌパヌマヌケットは午前9時くらいに開店するずころもあり、倜も10時くらいたで営業しおいるが、それでも、朝遅く、倜早いこずに倉わりはない。

そうした早朝や深倜のニヌズずいうのは、䞀番は、緊急性の高い、お葬匏である。
今でも必ず販売されおいるものは、銙兞袋に黒いボヌルペン、女性の葬儀甚の黒いストッキングや、化粧品である。
たた、早朝や深倜に、シャンプヌやせっけんが急甚ずなる人もいるのだろう、そうしたもののミニボトルも必ずある。
぀たり、䞀般の店が営業しおいない時間垯に、必芁を感じる人は必芁なのである。

そうした、時間ずニヌズが合わさったずころで「コンビニ゚ンス」぀たり、あなたの需芁にぎったりマッチしたす、ずいう意味で生たれたのが、早朝から深倜たでの営業時間をモットヌずした、コンビニなのである。

い぀のころからか、コンビニは24時間営業ずなり、深倜や早朝、未明のニヌズに応えられるようになった。
銀行や薬局、郵䟿局は、午前9時から午埌3時たでしか「売っおくれない」のだが、コンビニであれば、急な発熱、急な芁望に応えおくれる。
本圓にありがたいのは、コンビニの、「急に応える」営業時間である。


2014幎6月24日火曜日

男女平等の瀟䌚を目指しお。

このずころの日本瀟䌚の目指すべきテヌマずしお、「今あらためお」ずいうこずだろうか、男女平等の瀟䌚、がある。
男性ず女性は、人間ずしお本来察等で、平等であるはずなのだが、どういうわけか、女性のほうが、「例」に芋られおいる、ずいう珟状があるので、男女が平等であるように、ず目的がある。
どうにもたわりくどい曞き方をしたのだが、私個人は、この瀟䌚のなかで、それほど䞀方的に、女性のほうだけが、「例」に芋られおいるずか、あるいは、立堎が䜎いず感じたこずは、あたりない。
それなので、この「男女平等」ずいうテヌマだけは、いろいろな女性たちの幞せや教育を思っおきた私にも、どうにも雲を掎むような話なのである。
その理由たで、さかのがっお考えなければならなかったのだが、自分自身を振り返っお、ひず぀は、北海道ずいう地域性があり、北海道は男女平等であった、ずいうこずである。
北海道で暮らしおいお、私が女性だからずいう理由で、ある意味「䞍圓な」扱いを受けた、ずいう経隓はない。
調べおみたずころ、北海道は、明治以降の開拓文化であり、その際に欧米の䟡倀芳が持ち蟌たれたために、男女平等の思想ず雰囲気が根付いおいるのだそうである。
たた、北海道は自然環境がずおも厳しいために、男性も女性も、ずもに働かなければならなかった。
たずえば、真冬の厳しい寒さから身を守るのも、「女性だから」ずいう理由で、雪ず氷に立ち向かわなくおも枈むずいうこずは、なかったのである。
たた、原生林の開拓のためには、男女問わず、同じ劎働ず責任を受け持ったのである。
女性も働いおいお収入もあり自分で自分のこずができる、ずいう状況のなかで、男女の平等が成立したのではないかず思われる。
これは、男性が「女性も立掟に自立しお働いおいる」ず認め、尊敬した結果であるず、私は思う。

今回、問題提起されおいる、ある女性議員が、議䌚぀たり職堎においお、「女性だから」ずいう理由で、䞍圓な蚀論を受けた、ずいう件であるが、私はなにかずいろいろなこずを思う。
ひず぀は、こうした男性議員の蚀論は、本州の男性に独特の䟡倀芳から発生するものであり、北海道にいたずきに、こうした発蚀をする男性は芋かけなかった、ずいうこずである。
私自身は、本州に来おからは、こうした䟡倀芳を持぀男性に遭遇するこずはある。
内心は思っおいるのだろうが、蚀葉にしない、ずいうタむプの男性もいるが、たいおいの堎合、そうした発蚀、぀たり、仕事に関係のない、プラむベヌトな発蚀が出るずきには、女性が、ずおも良い仕事ぶりを発揮したずき、ずおも才芚や知識のある仕事をしたずきである。
男性のほうは、こうした才気煥発な女性の仕事ぶりを芋るず、぀い、プラむベヌトな面を぀぀きたくなる傟向があるようだ。
こうした男性なりの「性栌」をよく知っお、察応しおいくこずもたた倧切であるように思う。

今、女性たちに脚光が圓たろうずしおいる。
女性の瀟䌚進出、掻躍、生き生きずしたラむフスタむルが、求められおいるし、男性たちもたたそれを支えようずしおいる。
そのずきに、仕事を持ち、男性瀟䌚に矜ばたいおいく女性本人も、匷く気持ちを持たなければならない、ず思う。
察等に芋られたかったら、察等な仕事をしお、がんばろう、ず思う。
颚圓たりの匷さは、承知の䞊ではないか。
ナヌモアでかわすくらいの、朔さも持ちたい。
これからの男女平等瀟䌚に向けお、たず女性たちが、誇りをもっお、がんばっおいきたいものだず思う。






2014幎6月23日月曜日

五朚寛之「芪鞞」完結線・いよいよ倧団円。

この䞀幎間、2013幎の7月からずっず、東京新聞玙䞊で連茉されおきた小説「芪鞞」が、いよいよ倧団円、ずいう状況である。
はっきりずしたお知らせはないものの、䞞䞀幎ずいうのは、連茉小説ずしおは、ちょうど、完結する節目ではないだろうか。
䜜家の五朚寛之氏が、数幎にわたっお、小説・「芪鞞」を曞き続けおきお、その䞻人公の芪鞞が、物語のなかですでに80歳を過ぎおいる。
芪鞞の人生の終焉が、この小説の完結であるず考えおも、読者の捉え方、受け止め方ずしおは、正しいものであるだろう。

新聞小説の連茉ずいうのは、䞍思議なものである。
毎日、䞀段の小説を、日々読んでいく。
そしお、䞻人公の芪鞞ず共に、2013幎から2014幎を、䞀緒に生きおいくようなものである。
思い起こしおみれば、たずこの「完結線」は、芚蓮坊ずいう䞀人の僧ず、商人の垞吉が暗倜に密䌚をする堎面から始たった。
芚蓮坊が䜕を䌁んでいるのか、垞吉の出自がどうなのか、たったくわからない状態で、読者ずしおも、暗倜に船を挕ぎだすように、読み進めお行ったのである。
その埌、芚蓮坊が、法然䞊人の匟子であり、芪鞞もたた法然の匟子であったこずから、お念仏に関しお、それぞれの分掟ずもいうべき、信仰䞊のちがいが決定的であったこずが刀明しおくる。
぀たり、芪鞞が専修念仏を説いたのに比べお、芚蓮坊は、どちらかずいうず、暩力や栌差瀟䌚のなかの䞊局郚に取り入るような念仏を説いたのである。
たた、芪鞞が、栌差瀟䌚のなかの、どちらかずいうず䞋局郚、あるいは、河原で暮らす人々や、重い病気で苊しむ人たちの救いを説いたのに察しお、芚蓮坊は、そうした栌差の䞋局郚の人たちをさげすみ、憎んだのである。

法然の念仏が広がったころ、芪鞞や匟子たちがただ若い僧であるころに、こうした信仰䞊の察立が起こり、そのずきに、宗教的匟圧が起こる。
若い僧たちが、斬銖刑に遭うのである。
竜倫人ずいう女性が関わっおいた事件であった。
竜倫人はその埌、さたざたな流転を経お、宋に枡り、倧商売人ずしお、日本囜に垰っおくる。
斬銖刑の際の若い僧のこずを、埩讐ずたでは呌ばないだろうが、この䞖に残すためである。

「芪鞞」完結線では、信仰䞊の察立ず、宗教ぞの匟圧ず、それに関わる女性たちや䞋局階玚の人たち、その人たちの心の悲しみず人生ず、救いが描かれおきた。

たた、芪鞞ずいうひずりの人間が、家族を持っお、その家族ずの心の亀流も、深く慈しみをもっお描かれおきたように思う。
特に、実の息子である善鞞が、立掟な僧である父芪のもずで、自己の確立のために葛藀するさたは、本圓によく䌝わっおきた。
誰もが、芪からの自立のずきに、このような思いをするものではないだろうか。
その善鞞を支える劻・涌の気性が、女性のさがずしお描かれおいたこずも、ずおも印象的である。

結果ずしお、信仰䞊のちがいから、善鞞は芪鞞から断絶されるこずになる。
そしお芪鞞は、京の郜で、晩幎を迎えおいる。
それは、静かな晩幎である。
心から信頌できる匟子・唯円が、身の回りの䞖話をしおいる。
芪鞞の毎日は、穏やかに写経をしお過ぎおいく。
竜倫人ずその圓時のこず、竜倫人が建おた寺のこずも、たた小説の圓初に登堎した商人の垞吉、察立した芚蓮坊も、䞖を去った。

静かな晩幎の暮らしに寄り添うのは、実の嚘の芚信である。
この芚信は、劻である恵信ずの間に生たれた実の嚘である。
劻の恵信は、か぀お流眪された新期の地に残しおきた。
恵信ず嚘の芚信は、母嚘らしく、䟿りを出しお、それを芪鞞に結んでいる存圚である。

物語の終結たであずほんの䞀週間くらいであろうか。
幎老いお人生を終えようずする芪鞞ず、そこに寄り添う嚘ずの、暮らしず、嚘の県から芋たひずりの父芪、ひずりの人間像が、深く心にしみおくるこのごろの連茉である。


2014幎6月22日日曜日

最初で最埌の課題ずしお。

い぀だったか、ずいぶん前の孊生喫茶で、それは文孊喫茶でもあったのだが、女流䜜家の卵である友人ず、ずいぶん長い話をしたものである。
それは、孊生らしく、あるいは文孊を目指す者らしく、戊争ず平和、ずいう課題であり、そしお、男ず女ずいう課題でもあった。
私ず圌女の合意点は、ずどの぀たり、戊争が起こるのは、男ず女の察立に根本原因があるのではないか、ずいうずころである。
今の日本は、平和である。
地震もないし、接波もない。
あるのはただ、男ず女の察立のみである。
「男らしさ」ずは䜕か。
倊たず匛たず、戊い続けるこずかもしれない。
闘争的であり、勝ちあがるこずかもしれない。
「女らしさ」ずは䜕か。
垞に生産的であり、傷を癒し、慰めず安らぎを醞し出すこずかもしれない。
では、平和ずはどんな状況なのか。

私は、男は男の人らしく、持っお生たれた性分を掻かしきれるこずが、男の幞せではないか、ず思っおきた。
そしお、その「男の幞せ」を支えるために、闘争的であるこずをむしろ奚励しおきた。
それはたずえば、スポヌツの䞖界であったり、経枈的な闘争であり、「奜き」ラむバルであったりする。
そうしたなかで、勝぀こずが、男の幞せなのではないかず思っおきた。
どうせ仕事をするなら、成功したいず思うのが自然ではないか、玠盎で率盎な気持ちではないか、ず思う。
仕事をするにも関わらず、成功しおもしなくおもいい、ずいうのは、いささかひねくれおいるず思うのだ。

あるずき、ある囜の倧統領が戊争を始めた。
私ず、その友人は、その倧統領の劻や嚘たちの行動が報道されおいたこずもあっお、おそらくその倧統領は、家のなかで、「男らしさ」が瀺せないのだろう、ずいう話になった。
劻や嚘が、この倫であり父芪である倧統領を、男らしいず認めないのかもしれない。
それで、この倧統領は、ちょっず戊争でもしお、それで男らしさを認められたいず思ったのではないか。
家のなかで、倫が父芪が男らしいず認められおいるかどうか、ずいうこずは、䞀囜が戊争を始めるかどうか、ずいう倧きな問題にリンクしおいくものなんじゃないだろうか、ず話したものだ。

䞖の䞭は、平和である。
家が波に流されおしたった人の呜に切迫した問題は今はない。
そのかわり、男ず女の問題が、これでもか、これでもか、ず私たちにせたっおくる。
最近の研究のテヌマでは、男性ず女性のちがいが、分かれおきおいる。
以前は、医孊の領域においおも、男女のちがいを明確にするこずは避けおいたようだ。
今は、心理孊から脳の䜜甚、教育方法たで、男女のちがい、ずいう点に目を向けおいるようである。

男性ず女性は、もずもず持っお生たれた性質が、こんなにちがうものなのか、ず思う。
男性ず女性が、それぞれの性質を理解しあっお、尊重しあっおいけたらいい、ず思う。

あの文孊喫茶での、私たちのちょっずした結論はこんなずころにあった、぀たり、男女の仲ずいうのが、䞖界が平和になるための、最終課題ずなる。
それは、最初で最埌の課題ずなる。
これを乗り越えられたら、きっず本圓の、男も女も幞せになれる瀟䌚を、造るこずができる。


2014幎6月21日土曜日

「花子ずアン」第12週「銀座のカフェヌで䌚いたしょう」感想。

女孊校を卒業しおから、10幎が経った。
山梚で教員生掻をしおから10幎、ずいうこずである。
花子は次の曲がり角を曲がり、東京ぞ䞊京しお、花の生掻、職業婊人のラむフシヌンに移るこずになった。
初めお芋る、ずいうわけではなかったはずだが、職業婊人ずなっおからの「倧人の」東京は、たたもっず、楜しみが増えたようである。
それが、「銀座のカフェヌ」ずいうわけである。
この時代の職業を転々ずしおいる効のカペが、この銀座のカフェヌ・ドミンゎで、序絊さんをしおいる。
花子の職業婊人ラむフも、この銀座のカフェヌ・ドミンゎず䌚瀟ず自宅を行ったり来たりしながら、進んでいくようである。
考えおみれば、職業をテヌマずしたドラマでは、必ず「カフェヌ」ずいう飲み物や食べ物が出おくる店があっお、そこでのプラむベヌトな語らいが、物語のストヌリヌを豊かにふくらたせおくれるようである。
「あたちゃん」では、喫茶リアスがあったし、今床7月から始たる月9の「」でも、仕事が終わっおから行く店が、ずおも重芁な圹割を果たす。
「花子ずアン」では、カフェヌ・ドミンゎが重芁な舞台ずなるようだ。

考えおみれば、誰もがそうだず思うが、孊生時代や職業時代もずっず、カフェヌでの埅ち合わせ、カフェヌでの語らいは、ずおも倧きな友情や恋愛の舞台であったず思う。
私も、行き぀けだったカフェヌを思い出した。
そうしたずころで埅ち合わせをするのは、楜しかったず思う。
それは必ず、コヌヒヌず軜食のおいしい店だった。
私の思い出では、クラブサンドむッチがずおもおいしい店で、人気があったず思う。

誰にずっおも、仕事も友情もはずせない倧切な堎所、それがカフェヌである。
これは、明治時代に始たった文化なのだろうか?
それずも、江戞時代から茶店くらいはあったような気もする。

文孊喫茶ずいうのも、ずおも懐かしい。
「そうそう、あんなかんじ!」ず手を打っお喜んでしたった。
必ずああいった、独自の文孊論をぶ぀曞生颚の男子がいお、舌を巻いたものである。
シェむクスピア、チェヌホフ、舞台のこずや、瀟䌚颚刺もあった。
なかなか魅力的な文孊喫茶である。

花子はここで、将来の倫、村岡英治ず亀流をあたためるこずになる。
たた、腹心の友である、蓮子ずの再䌚もこの堎所である。
村岡英治ずの、結婚にいたる経緯぀たり、恋愛の進み具合であるが、の朝ドラずしおは、ここが䞀番のクラむマックスなのだから、しっかり進めおほしいずころであるが、正盎、「告り」のシヌンでは、本圓にがっかりした。
こんなありきたりな「告り」じゃあ、残念至極である。
ラブストヌリヌの本圓のポむントずいうのは、ヒロむンが初めお告る堎面であり、ふたりが気持ちを確かめ合う堎面である。
ここにどんな玠晎らしい詩的な芁玠を組み入れるこずができるか、ここがフィクションの腕の芋せ所ではないか。

それが、雚の倜…(ありきたり)
偶然ふたりきりになり…(あちがち)
颚が飛んで…(どっかでみたこずある)
偶然ふたりの肩がぶ぀かっお…(どこだっおそうなる)

そしお、肝心の「告り」が、蚀葉で「奜きです」だなんお、本圓にそれが、䜜家なんだろうか、翻蚳家なんだろうか……。

韓囜ドラマだっお、こんなこずは絶察にない。
もちろん韓囜ドラマの人気は「告り」のシヌンのポ゚ムにあるわけだ。
䌊藀巊千倫の「野菊の墓」だっお、日本情緒あふれる矎しい蚀葉のやりずりがあった。
日本文化の恋歌、盞聞だっお、䞇葉集だっお、景色にたずえ、季節にたずえ、恋の気持ちを衚珟したものである。
それが、雚の倜に傘を萜ずしお「ガバッ」っおのは、がさ぀にもほどがある…。

ずいうわけで、半幎間の長きにわたっお朝ドラを芋るための、䞀番の芋どころで、がっかり、ずいうわけだ。
あ~あ。

それにしおも、ヒロむン花子の酒癖の悪さずいうのは、働く女性ずしおどうなのかず思う。
仕事を持おば、酒の垭はあるだろうし、倧人ずしお䞀杯くらいは飲めないずいけない。
それでも酒癖で呚りに迷惑をかけるのは、女性ずしおはしたない。
私は、もずもずアルコヌルは匷い方ではないので、これは、家庭で父芪ず䞀緒に飲んでみたり、孊生時代に女子孊生同士で、どこたで飲めるか確かめおみたりしお自分の酒量や酒のタむプを確認したからであるが、やっぱり倖でいい倧人の女性が、自分を芋倱うほどお酒を飲むのは、みっずもないからやめたほうがいいず思う。

珟代の日本でも、女性がお酒を飲むのは、圓たり前になっおきおいるが、それでもやはり、自宅で、家族やうちずけた友達ず飲むにずどめたほうがよいのではないだろうか。
そしお、䌚瀟の宎垭では、雰囲気ず付き合いのために、最初の也杯はするけれど、ひずくち、ふたくちでやめおおいお、あずはりヌロン茶やオレンゞゞュヌスにしおおくのが、女性ずしおのたしなみではないか、ず思う。

2014幎6月18日氎曜日

ワルいこずはすべお、お父さんから教わった。

カゞノ法案が提案されおいる。
おりしも、サッカヌのワヌルドカップ䞖界倧䌚が開催䞭であり、明日どのチヌムが勝぀か、誰もが興味がいっぱいあり、勝぀チヌムはどこか、ずいうこずで、個人的に賭けをしおいる人だっおたくさんいるだろう。
私も、おや぀やビヌル䞀杯くらいは、賭けおいる状況である。
カゞノ法案には、反察の意芋もたくさんあるだろう。
治安、ずいう面で䞍安な気持ちを持぀人もたくさんいるず思う。
でも、カゞノ、賭け、ずいうのは、人間の持っお生たれた、才胜であり楜しみである、ず私は思う。
ちょっずした遊びずしお、楜しめるほうがよいのかもしれない。

私は小さい子どものずき、よく父に連れられお、家族でパチンコに行った。
ひずり500円、ず手のひらにコむンを握りしめ、䞀時間以内、ずいうこずで、それぞれのパチンコ台に解散する。
コむンをパチンコ玉に替えたら、侀玉、侀玉、ポツン、ず打っおは別の台にたた移ったりする。
そのうち、なぜか倧フィヌバヌになっお、じゃらじゃらず出始める。
お隣のご婊人が「あらたあ、倧きな箱を持っおらっしゃいよ!もったいないじゃない!」などず、声をかける。

そうしお、䞀時間ののちに、父は煙草ふた箱、母は空手、効も空手、私はチョコレヌト10ç®±、の戊利品を手にしお、意気揚々ず家に垰る。
家に垰ったら、効ず私で、チョコレヌト䞉昧である。
楜しい。実に楜しい。

このごろのパチンコ店は残念ながら「パチプロ」ず呌ばれる人であふれおしたっお、
䞀回に䜿うお金も䞇単䜍だずいう。
子どもや女性が、あるいはファミリヌが入れる雰囲気ではなくなっおしたった。
残念である。
こうしたこずもふたえお、公的なカゞノが、芳光地に䜜られるこずは、ずおも楜しい詊みではないかず思い始めた。
このずころ、小䞭孊生の子どもたちでも、ゲヌセンずいう、぀たりゲヌムセンタヌが倧奜きで、100円のワンコむンで、いろいろなゲヌムを楜しみ、おたけずいうか戊果も持ち垰っお集めたりしおいる。
たた、ファミリヌで出かけるようなアミュヌズが人気を集めおいるが、遊園地やショッピングセンタヌだけではなく、ワンコむンで賭け事ができるのも、たた楜しいず思う。

映画などでよく芋かけるカゞノは、アメリカのラスベガスである。
ここでは、華やかなショヌビゞネスもあっお、ずおも豪華なホテルやサヌビスもあっおずおも楜しめる。
私が芳お「ベガス」ずいうこずで玠敵だった映画は、トム・クルヌズの「レむンマン」である。
ベガスのシヌンが効果的にストヌリヌに織り亀ぜられおいたず思う。

私の尊敬するフランスの女流哲孊者ドミニック・ロヌホヌさんも、ずおもシンプルな生掻スタむルをしおいるのだが、ずきおり、コむンを賭けに䜿うのだそうである。
それは、50セントを、スロットマシヌンに䜿う、ずいうような賭け方であるらしい。
人生には賭けが必芁だ、ずいう哲孊なのだそうである。

カゞノには、日本のいろいろな地域が、すでにピックアップされおいるようである。
私は、熱海あたりに、カゞノ斜蚭ができたらいいのにな、ず思う。
すでに枩泉斜蚭ずしおは老朜化しおいお、敬老斜蚭が軒を連ねおいる状況である。
枩泉も海もあっお暖かくお立地条件もよいし、東海道新幹線で぀っず行くこずができる。
暪浜もいいかもしれない。
枯に繋げた豪華客船の䞭でルヌレットをしたら、気分も最高である。

もちろん、治安の面も倧切だ。
女性も子どもたちも、ファミリヌで安心しおいけるカゞノ郜垂を、繁栄させおほしいものだ、ず思う。


2014幎6月16日月曜日

小鳥たちの歌声。

倏至が近い。
朝が早くなっおいる。
ただ3時ごろなのにすでに明るくなっおきお、小鳥たちがさえずり始める。
い぀も思っおいた、小鳥たちはどうしお、なにがうれしくお、あんなに楜しそうに啌いおいるのだろう?
私は今、小鳥を飌っおいる。
ベランダのサンのずころたで来お、定䜍眮でチュンチュンさえずっおいる。
「チュン倪」ず名前を぀けた。
フリヌ契玄である。

小鳥たちもなにか、蚀葉を亀わしあっおいるのだず思う。
どんな䌚話をしおいるのだろう?
「ああ、朝だ、うれしいなあっ!」
「きょうも空が青くお、晎れ晎れするなあっ!」
「ちょっずあの枝たで飛んでみようっず、さあ、翌を広げお」

小鳥たちは、この䞖界を満喫しおいる。
この䞖界に生たれおきたこずを、䜓䞭で楜しんでいる。
限られた短い呜かもしれないが、この䞖界に身䜓を持っお生たれおきたおかげで、目が開いお空の青さや花の赀さを感じるこずができる。
波の音や、颚の音、友達の歌う声を聎くこずができる。

矜぀くろいをすれば、翌を広げれば、この䞖界を感じるこずができるし、おいしいごちそうも味わうこずができる。
䜕しろこの䞖界はずおも広くお、いろいろなものがたくさんある。
新しい堎所も、ただ知らない堎所もたくさんあるし、倧きな海や、倧きな山や、透明な湖や、真っ癜な冬の山もある。

䞖界を五感で満喫するために、小鳥たちはこの䞖界に生たれおきお、そしお「楜しい、楜しい」ず歌っおいるのだろう、ず思うのだ。

人間だっお、本圓は呜ある生き物だから、そうしお小鳥のように、楜しい楜しい、ず生きおいけるはずだ。
でも人間は、心を持っお生たれおきおしたった。
゚ゎも自尊心もある。
友達ず仲良くしたい、できるだけ奜かれたい、ずいう気持ちもある。
だから、なかなか、䞖界を楜しめないのかもしれない。

でも、人間だけが生たれ持っおきた「心」ず「自尊心」は、人間にしかできない䜕かを、生み出したり䜜り出したり、するこずができるかもしれない。
知性や頭脳だっおそうである。
なたじ頭が良いばかりに、知識がたくさんあるばかりに、なかなか䞖界を楜しめないのかもしれない。
でも、人間にしかない知性ず頭脳で、たくさんのこずができるのではないだろうか。
そしおそれが、人間にしかできない、地球の楜しみ方かもしれない。

心や知性、自尊心を、䞊手にコントロヌルしお、そしお、人間にしか生み出せないコミュニティや瀟䌚や政治や文化ずいうものを、たくさん䜜っおいくこずができたら、もっず䞖界を楜しめるのではないだろうか。
ただただ克服しお抑えるのではなく、人間ずしお生たれおきたこず、心ず頭脳ず自尊心ず、コミュニティを䜜りたい気持ちを、いっぱいに生かしたずきに、人間ずしお生たれおきたこずを、心から充実しお楜しめるのではないか、ず思う。

人間が、小鳥のように䞖界を楜しむために、叀今東西、たくさんの知恵があり、それが瀺されおいる。
生たれたおの子どものように、䞖界を遊ぶためには、たくさんの努力ず知恵が必芁だけれども、それができたずきには、地球ずいうフィヌルドで、遊びたわむれるこずが、きっずできるのだず思う。



2014幎6月15日日曜日

憲法20条の解釈・思想信条の自由・集䌚結瀟の自由・政教分離の原則。

今幎2014幎の囜䌚䌚期末たで、あず䞀週間である。
倧詰めになっおいるのは、憲法9条、集団的自衛暩の解釈の問題である。
ここで、折衝が続き難航しおいるのは、連立政暩である公明党が、この解釈をめぐっお、「平和の党」ずしお、自民党ずぎりぎりの攻防を続けおいるからだろうず思う。
公明党支持者だけではなく、日本䞭の平和を望む囜民の期埅を背負っお、公明党が今、自民党ずせめぎあいをしおいる。
考えおみれば、野党筆頭である民䞻党ずの党銖蚎論もなんずなくもやもやず終わっおしたったものだった。
民䞻䞻矩の政治が、このたたでよいわけがない。

そしお、折衝の論点ずなっおきたのが、公明党をめぐるさたざたな問題提起である。
たずえば、公明党ずいう政党が、日本では珍しく、宗教団䜓を支持母䜓ずしおいる政党である、ずいう点である。
日本では珍しいず曞いたのは、海倖では、宗教を思想基盀ずした政党は、決しお珍しくなく、むしろ垞識的なこずであるからである。

ずもかくこの、公明党の支持母䜓が創䟡孊䌚ずいう宗教団䜓であるこずで、䟋の「政教䞀臎」ずいう批刀が飛び出しおきた。
公明党の政治に関しお、必ず飛び亀うのが、この「政教䞀臎」「政教分離」ずいう蚀葉である。
そしお、憲法20条の、政教分離の原則の照らしお、この公明党の存圚が、憲法に反するのではないか、ず批刀するのである。

このあたりでそろそろ、憲法20条の政教分離の原則に぀いお、正しい認識をみなが共通で持぀ようにしおはどうか、ず思う。
「政教䞀臎」ずいっお思い出されるのは、たいおいの人たちが、孊校の矩務教育でならった、歎史のなかの、政教䞀臎の政治を行った政治家のこずである。
道鏡ずいうあやしげな宗教者のいうこずを、党面的に聞き入れた政治家がいた。
そうするず、僧が暩力を握るこずになる。
それで、宗教で政治刀断をするこずが、政教分離なのではないか、ず思い蟌んでしたった感がある。

実際には、珟行の憲法における政教分離の原則の、発生するずころは、別の政治事象によるものである。
すなわち、珟行の憲法が䜜られた、第二次䞖界倧戊埌の状況である。
日本の第二次䞖界倧戊は、囜家神道、぀たり神道が囜家暩力から、囜民に察しお、抌し付けられた圢になった。
神道の囜教化である。
たた、倩皇ぞの信仰も、同じく、暩力から囜民に匷芁されたものである。
こうしお、思想・信条を厳しく取り締たっお、囜内の集結をはかったのが、圓時の軍郚政府である。

倧戊圓時、治安維持法があり、この法埋に觊れたのは、平和を説くすべおの人々、すべおの団䜓であった。
だから、囜家神道ずはちがう、日本叀来のお寺、仏教なども、匟圧されたのである。
そしお、「神颚が吹く」ずいうような、日本囜民挙げおの、あやうい粟神状態に持ち蟌たれたのである。

憲法は、暩力を瞛るもの、暩力が行き過ぎるのを抑制するものずしお、制定されおいる。
珟行の憲法を芋るず、暩力が、暩力を持った人が、どんな発想でどんなこずをするのかが、よくわかっお、ちょっず興味深いずころもある。
第二次䞖界倧戊においおは、暩力は人々の「心の自由」を拘束し、瞛り䞊げたのである。
そしお、宗教ず思想をコントロヌルするこずで、人々の発蚀を奪ったのである。

そういった意味で、集䌚・結瀟の自由、蚀論の自由が、同憲法20条で保障されるこずずなった。
第二次䞖界倧戊䞭には、戊争反察を説く、共産䞻矩者、瀟䌚䞻矩者、お寺のお坊さん、平和を蚎えたパンフレット、平和ず平等を蚎える街頭挔説たで、すべお凊眰されたのである。

民䞻的な政治をしお、民䞻的な䞖の䞭にするためには、宗教・思想・蚀論の自由が保障されなければならない、これが、囜家暩力によっお囜民に宗教を抌し付けおはいけない、ずいう、政教分離の原則である。

こうしたいきさ぀を考えるず、珟圚の公明党には、それはあおはたらない。
公明党が政治的な力を䜿っお、囜民に宗教ぞの垰䟝をせたった、ずいう話は聞いたこずがない。
珟圚問題ずなっおいるのは、宗教を持った人たちが政治を行うのはどうなのか、ずいう個人的な批刀であるように思われる。

こうした、憲法20条の原則をあおはめるず、たずえば、総理倧臣が個人的な思想信条の自由をもっお、靖囜参拝をするこずは、憲法に抵觊する行為ではない。
しかし、総理倧臣が自分が靖囜神瀟ぞの信仰を信じおいるからずいう理由で、日本囜民に神道ぞの垰䟝を求めるずしたら、これが政教䞀臎である。

しかしもずもずは、第二次䞖界倧戊䞭の囜家神道の総本山は、靖囜神瀟であったわけである。
だから、その靖囜に今も参拝する、このこずのほうが、戊争䞭の囜家神道ぞの逆戻りを意味するのではないか、ず囜内倖から慎重論が持ち䞊がっおいる次第である。

思想・信条の自由のなかには、「垃教掻動の自由」が含たれるこずも、忘れおはならない。

憲法20条の論議は、これからたくさんの人々が、自由に信仰を持ち、心の自由を保障されるように、掻発に行われるこずが期埅される。


2014幎6月14日土曜日

「花子ずアン」第11週「グッバむ!はな先生」感想。

今週の「花子ずアン」は、花子の人生の転機ずなる堎面だったようだ。
特に、家族、ずいうずころに、ポむントが眮かれおいたように思う。
今週の「グッバむ!はな先生」のストヌリヌは、女孊校を卒業しおから、故郷の山梚に戻っお就職した花子が、次の倢を目指しお東京に䞊京するたでの経緯を、描いたようである。
タヌニングポむントずなる今週は、花子の呚囲でいろいろなこずが起こる。
考えおみれば、䞀教垫ずしお䞀生を故郷で生きる぀もりだった䞀人の女性が、䞀念発起しお䞊京するずいうのは、倧倉なモチベヌションを必芁ずするものだ。
私自身も、北海道から東京に出る、ずか、矀銬県から東京に出る、ずいうのは、倧倉な人生のテヌマであった。
特に北海道にいたころには、倧孊を遞択するずき、就職先を遞択するずきには、「東京に出るかどうか」ずいうのはずおも倧倉なこずで、友達がいち早く䞊京を決めるず、寂しさや人生の道行きずいうのを考えお、自分の将来を、眺めおは立ち尜くすような気がする。

䞊京を決める花子の呚囲で起こるこずは、特に、家族関係の倉化である。
倉化ずいうよりは、ゎタゎタであるかもしれないが、ここで花子の人生ず教育に倧きな圱響を及がした祖父・呚造が、その生涯を閉じるのである。
花子の初めおの小説を芋届け、孫である䞀家の長男の出埁も、孫嚘たちの就職も北海道ぞお嫁にいった「もも」もいた。
たた、行商で家を空けるこずの倚かった婿殿・吉平も、戻っおくる。
こうした、家族ひずりひずりの、人生のタヌニングポむント、節目、ラむフむベントが、同時に重なるずきなのである。

祖父は、幎霢を重ねおきた分、こうした、嚘や嚘婿、孫たちの人生を、遠く、たるで家の奥から、静かに芋守っおきたような気がする。
これたで正盎蚀っおあたり存圚感がなかったような気もするのだが、その老父たる存圚はやはり確かなものであった、ず実感させられるのである。

そしお、花子を女孊校に送り出した時ず同じ蚀葉をいう。
私もこの蚀葉はずおも印象的に芚えおいたので、この人生蚓が、花子の人生遞択に倧きな圱響を䞎え、その埌も、圌女の仕事に察するスタンスになったず思うので、ずおも倧切だず思う。
それは、「その手でしかできない仕事をしお、みんなに芋せおください」ずいうものだった。
女孊校ぞず送り出すずきには、花子の手を握っお「この手はもう、蟲家の仕事をする手ではないんだよ」ず蚀ったのである。

その人には、その人にしかできない、人生の「仕事」ずいうものがあるのではないか、ず思いたい。

そしお、花子は、東京の出版瀟から申し出を受けおいたこずを、承諟しお、挑戊する気持ちで東京に出おみるこずにする。

ラむフむベントは、家族のそれぞれが、増えたり枛ったり、あるいは、「これからも家族ずしお絆を続けおいきたすか?」ずいう倧きな問いかけにぶ぀かるずきかもしれない。
そうした時期は、たるで、時代の空気や、人生の雰囲気が、ずおも倧きく倉わるような気がするのだろう。

花子のお埗意の空想では、「はな」だった名前が「花子」ず呌んでみるだけで、呌吞をするこずも、空の色も、倉わっお芋えるのだずいう。
このずころ、時代の空気ずいうのが、ずおも倉化しおみえる。
家族や友達や、時代ずいうのが、ずおも倧きく倉化しおいる、ラむフむベントのずきかもしれない。
その倧きな曲がり角を曲がった先には、きっずいいものがあるのだ、ず思う。
花子は、人生の次のステヌゞに、立ち向かっおいく。


2014幎6月12日朚曜日

サッカヌトトカルチョ。

今幎もたた、眠れない倏がやっおくる。
今幎2014幎は、2月に眠れない冬があった。
冬季オリンピックである。
時差ずいうのは䞍思議なものだ。
地球の倧きさを実感させおくれる。
ずいうわけで、今幎は4幎に䞀床のサッカヌの祭兞、 ワヌルドカップサッカヌが始たる。
今幎はブラゞルでの開催である。
6月12日から、ずいうこずでカレンダヌに䞞印を぀けおあったのだが、時差の関係で、開䌚匏はこれから13日の未明、3時過ぎずなり、第䞀詊合のブラゞル察クロアチアの詊合は、日本時間の早朝5時にキックオフである。
私は、クロアチアが勝぀ず思う。
ずいうわけで、身近なお友達ず、すでに賭けをした。
楜しい楜しいサッカヌトトカルチョである。

こうした賭け事は、特にスポヌツに関するものでは、䞀応法埋的に犁止、ずなっおいる。
しかし私たちは、賭けが犁止だず知る以前から、賭け事をしおはいなかっただろうか。
たずえば、私はそれがトトカルチョだずは知らずに、高校野球の詊合をテレビで芋ながら、匟ず賭けをしたものだ。
「おねえちゃんは、こっちの高校が勝぀ず思う」
「がくは、あっちの高校が勝぀ず思う」
「じゃあ、勝ったほうが、倕方のお茶碗掗いをする」
ずいうような具合である。
たた、効ずは、たいおいの堎合、おや぀の分け合いで、ケヌキを半分に切ったのを、倧きい方を取る、ずいうようなこずを賭けた。
ずいうわけで、個人で楜しむ堎合においおは、トトカルチョは蚱されるものではないか、ず刀断しおいる。

今幎の優勝囜の予想もすでにすでに始たっおいる。
私の友達は「もちろんサムラむブルヌだ」ずいう。
いるんだよね、そういう人…。

しかし、日本は、䞀次リヌグでグルヌプを勝ち抜いたずしおも、䞀䜍であっおも二䜍であっおも、決勝トヌナメントで組ず察戊しなければならない。
組の䞀䜍ず二䜍は、おそらくはむタリアずむングランドであるこずが予想される。
ずするず、日本は、むタリアでもむングランドでも、勝おる状態にもっおいかなければならない。
…。…。…。

そういうわけで、私は、優勝候補はやはり、日本、ずいうこずにしおおく。
トトカルチョでは、ポテトチップス䞀袋を提案した。



2014幎6月11日氎曜日

ビッグデヌタず䌚合に぀いお。

このずころ、瀟䌚党䜓の話題ずなり、政策や「雰囲気」ずなっおいるのが、女性の瀟䌚参加であり、教育であり、たた、組織的な系統を持぀こずや発蚀力の高さである。
そこで私も、ある近所の友達が、女性団䜓に所属しおいる、ずいうこずで、昚日いろいろお話をうかがっおきた。
この団䜓の䌚合には、私も䜕床か参加したこずがあり、そのずきの䜓隓をもずに、曞いおみたいず思う。

この団䜓は、所属人数も膚倧であり、組織的な掻動を行っおいお、東京に本郚があり、各地方に支郚がある。
その支郚にたた、たくさんの小さな組織が所属しおいる、ずいう圢態ずなっおいる。
もちろん、ここから集められる情報も、膚倧なものである。
実際のずころはどうなのかわからないが、呚知の事実ずしお、このたくさんの情報は、ビッグデヌタずしお、倧きなコンピュヌタヌにかけられ、分析されお、毎日の団䜓運営のために、掻甚されおいる。
もちろん、遞挙の際には、非垞に有効な基瀎デヌタずしお、掻甚されおいる。

この団䜓は、教育団䜓でもある。
すでに倧孊教育を卒業しお、䞀家の䞻婊ずなったり瀟䌚人ずなったりした女性たちが、生涯教育を受ける堎ずもなっおいる。
この団䜓の機関玙は、毎日発行される新聞であったり、子どもの教育を専門にした月刊誌であったりするが、これが教育のテキストずなっおいる。
䌚合では、これらのテキストを持っお集たり、読み合わせをし、講垫が解釈を教える、あるいは、それぞれの個人が、感想や意芋を出し合い、意芋亀換を行う、質問䌚が行われ、講垫が質問に答える、ずいうこずが行われる。
倧きな䌚合では、挔壇に講垫が登っお話をする講挔䌚匏であるが、少人数の䌚合では、ワヌクショップのような、個別の意芋亀換が行われおいる。
この䌚合に䜕回か参加したが、女性だけの䌚合ずあっお、なぜかこの集たりでは、いい匂いがする。
その銙りが、お化粧によるものなのか、銙氎によるものなのか、䌚堎に垞に食っおある花のせいなのかは、よくわからない。
壁はクリヌム色で、絚毯は桜色である。
倧きな掛け時蚈があっお、きれいな陶噚の人圢が食っおあったりする。
たた少人数の䌚合や、長時間人が集たる打ち合わせでは、おっかさたのような婊人が、いなりずしや唐揚げを倧きな入れ物に入れお持っおきおくれる。
こうした、おいしそうなおかずの匂いもたた、ずおもいい匂いである。


教育ずいう意味では、テキストのない、人ず人ずの集たりである堎を䜿っお、幎配の婊人から埌茩の若い婊人ぞの教育や盞談も行われおいる。
たずえば、子育おに関する悩みなどは、幎配の経隓豊かな婊人が、若い母芪に、知恵袋ずしお教えおあげたり、するようである。
たた、䞻婊ずしおの経隓の浅い若い奥さんに、お料理の仕方や家事の仕方を教えおあげたり、䞻婊業ずしおの情報亀換も盛んに行われおいる。
こうしお、女性ならではの、ネットワヌクが、人間関係ずいうずおも有機的なものを媒䜓ずしお、分厚く圢成されおいる。
それはあたかも、珟代瀟䌚が倱いかけおいる、幎長者ず幎少者の関わり、「ムラ」のようなものである。
たた、母子家庭や小さな子どもを持぀母芪が、孀立しないための、人間関係が育たれおいる。
孀立しないずいうこずは倧事なこずで、ある母子家庭の家で、小さな䌚合が開かれお婊人たちが集たるずいうこずになれば、地域瀟䌚でも倧切にされる、ずいうこずでもある。

ビッグデヌタずいうこずも、最先端の機械を䜿っお、最善のこずをする、ずいう意味で倧切であるが、基本的に、人ず人ずの関わりのほうを重芁芖しおいるずころがある。
地方ず東京の連携に際しおは、地方のトップ幹郚が、月に䞀床は䞊京しお、察面匏での指導䌝達や盞談䌚を行っおいるようである。



2014幎6月10日火曜日

集団的自衛暩をめぐる、䞎党内の状況に぀いお。

集団的自衛暩の解釈に関しおの蚎議が、癜熱しおいるようである。
今幎も1月から始たった通垞囜䌚は、今月6月、梅雚の真っただ䞭で、䌚期末を迎える。
あず10日ほどである。
この10日のなかで、珟圚の議題ずなっおいるテヌマに決着を぀けるこずが必芁で、もし決着が぀かないず、囜䌚は䌚期延長ずなる。
䌚期延長は、むしろ囜䌚議員にずっお、あたり奜たしくない事態ではないだろうか。
もう半幎も、囜政にたずさわっおいるのである。
氞田町に猶づめ状態になっおいる議員もいるだろう。
これから梅雚から真倏にかけお、倏䌑みを取りたい議員もいるだろう。
だから、順調に「終わらせたい」ずいうのが、本音かもしれない。

しかしここたで長匕いお、集団的自衛暩の解釈倉曎は、難題にさしかかっおしたった。
連立䞎党である、自民党ず公明党の、察立である。
公明党で話題になっおいるずいえば、あちこちの報道やニュヌス解説で芋かけるずころであるが、支持母䜓である創䟡孊䌚のそれも、女性䌚員たちの動向である。
聞いた話であるが、創䟡孊䌚のトップであろうず、公明党の囜䌚議員であろうず、このたくさんのご婊人たちの連携や組織力、いわゆる「女性力」には、かなわない、ずいう話である。
ご婊人たちだけで倧きな䌚掟を持っおいお、その婊人郚の発蚀力には䞀家蚀あり、創䟡孊䌚の本郚や理事䌚でも、倧きな䜍眮を占めおいるずいう話である。
創䟡孊䌚では率先しお女性の幹郚登甚を行っおいお、「女性グルヌプのトップ」ずいうのが、すでに存圚しお掻動しおいるらしいのだ。

たた、これは、海倖からも泚目されお、芋孊や亀流䌚を持぀テヌマであるが、創䟡孊䌚の女性の組織力は、䞖界でも類を芋ないほど、卓越しおいるのだそうである。
女性はもずもず、「組織」ずいう圢態になじたない性質を持っおいるようだ。
それを、組織ずしお䜓系づけお、珟圚も掻動をしおいるのは、ずおも珍しいこずであるようだ。
たずえば、日本のさたざたな団䜓を芋おも、「婊人郚」「女性郚」ずいうのは、きっちりずした組織䜓を維持掻動させるこずはできないようである。

䞎党自民党ずしおも、今埌の女性の掻躍登甚は、瀟䌚の基盀造りのために、重芁な柱ずなっおくる。
創䟡孊䌚のご婊人たちの、意芋、意志、思想が、日本の女性たちの䞖論を動かしおいる状況は、今埌の集団的自衛暩や憲法改正、戊争を行うか吊かの決定に倧いに関䞎しおくるのではないかず予想されおも䞍思議ではないような気がする。

2014幎6月9日月曜日

連茉・78 フレヌバヌティヌ

お料理゚ッセヌ・そら豆のひずりごず。

6月も梅雚の季節ずなった。
これから、6月、7月ず、初倏から真倏の季節にかけお、楜しみなのは、ハヌブの栜培である。
ハヌブは、ペヌロッパの薬草・銙草である。
「銙草」ずいうだけあっお、「草」なので、やはり春から初倏にかけお、さかんに茂っお成長しおいくのが、うれしい。
秋や冬には、この葉を、也燥させお保存しお䜿うのであるが、初倏から倏は、フレッシュで楜しむこずができる。
このフレッシュの楜しみ方を、意倖ず知らない人も倚いかもしれない。
収穫しお也燥させお䜿うだけでなく、倏には倏の楜しみ方をしおみたい。

今幎は、「フレヌバヌりォヌタヌ」ずいうのが、ちょっず人気があるそうだ。
確かに真倏には、氎分補絊が必芁なこずもあっお、たくさん冷たい氎を飲む。
この氎に、ゞュヌスずは蚀わないたでも、ほんのりず銙りを぀けお、冷やしお楜しむのだそうだ。
ガラス瓶のなかに、フルヌツ類を刻んで入れお、それからその䞊にたっぷりず氎を泚いで、冷蔵庫で冷やすのだそうだ。
これは、真倏になったら詊しおみたいず、ご近所の奥様もおっしゃっおいた。

ハヌブのフレヌバヌティヌの楜しみ方も、これず䌌おいる。
ハヌブの、薬草ずしおの効胜を期埅するなら、しっかりず煮出したり、アルコヌルで浞出させたりするほうがよいかもしれないが、銙りを楜しむならもっず手軜である。

このずころ、どこのお宅のベランダにも、ラベンダヌの鉢のひず぀は、眮いおいないだろうか。
そのラベンダヌの花が、玫色の぀がみを、぀け始めおはいないだろうか。

フレヌバヌティヌは、基本的に玅茶である。
ストレヌトの玅茶で、セむロンやダヌゞリンくらいの、もずもずのフレヌバヌが䞻匵の少ない穏やかな飲み口のものがいい。
それをいれるずきに、ベランダの鉢から、ラベンダヌの花を、花は集たっお咲いおいるので、この集たりを、指先でちょんず摘むずいい。

それは、ひず぀でいいので、ティヌポットに玅茶ずラベンダヌを入れお、熱いお湯を泚ぐ。
銙り、ラベンダヌの銙り。

初倏の季節に生たれた人は、初倏が䞀番、気分がいいのだずいう。
これから倏を迎えるずきに、たさにあ぀あ぀の気持ちず爜やかな颚ず、緑いろを濃くする季節に、生たれた人は、どんな運呜ずどんな颚を、持っおいるのだろう。

きっず、ワヌルドカップサッカヌの、あの遞手たちが駆け抜ける、グリヌンのグランドのような颚なのだろう。

颚にグリヌンやラベンダヌの銙りが぀きはじめるこのごろ、䞀杯のフレヌバヌティヌが、さたざたな蚘憶を、呌び芚たしおくれる。


2014幎6月8日日曜日

憲法改正たでの道のり。


憲法改正ぞの議論が、高たっおいる。
もはや、解釈の倉曎だけでは、瀟䌚の倉化ず囜民のニヌズには、察応しきれない、ずいうずころだろうか。
私も、憲法改正には、ずおも期埅しおいる。

ずはいっおも、日本囜の根本ずなる憲法なので、熟慮の末の結論であるべきだろう。
たた、囜民総意の結論ずしお、憲法の改正があるこずが、望たしいだろう。
それは、囜民投祚によっお決定されるのが、䞀番望たしいずいうこずだろう。
もずもず、憲法の改正には、囜民投祚による、ず決められおいるずころであるし、こうしたきちんずした手続きにのっずっお、手順通りに決められたなら、その結果に察しお、誰も文句のひず぀も蚀う暩利がない、ずいうわけである。
囜民䞖論を二分する論であるだけに、ここは、しっかりず民䞻的に、投祚によっお決定を行いたいものだ。

それにしおも、である。
私も生たれおこのかた、囜民投祚ずいうのを、䜓隓したこずがない。
それなので、どういうものなのか、よくわからない点がいく぀もある。
たずえば、たず「囜民投祚をいたしたしょう」ずいうこずは、囜䌚で決めるずいうこずはわかったが、その埌、衆議院遞挙のように、「40日以内に」ずいうような日皋の取り決めはあるのだろうか。
遞挙管理委員䌚は、囜政遞挙ず同じ仕組みで䜜られるのだろうか。
街角にポスタヌが貌られるのだろうか。
街頭挔説がなされるのだろうか。
街頭挔説がなされるずしたら、それは、政党が行うのだろうか。
「候補者」は、いない…?

むンタヌネットで遞挙運動をしおもいいのだろうか。

たた、投祚甚玙は、○×匏ずなるのだろうか。
もしかしたら、最高裁刀所の投祚甚玙のように、いく぀か候補が䞊んでいお、そこに○を぀けたり、×を぀けたりするのかもしれない。

ずなるず、憲法の改正案が、遞択肢ずしお぀くらいは䞊んで、そのうちのひず぀を遞んで、○を぀けるこずになるのだろうか。

それずも、改正案はひず぀で、賛成か反察か、それだけを蚘入するこずになるのだろうか。
それずも、賛成の人だけ投祚に行っお、反察の人は投祚に行かなければ×ずいうこずになるのだろうか…?

具䜓的なずころがたったくわからない状況である。
やはり日曜日に行われるずは思うのだが…。

これから、6月の囜䌚䌚期末たでに、囜䌚で提案されたら、7月、8月で遞挙運動をしお、9月の颚が爜やかになっおきたころに、皆で囜の将来を、決めおいきたいものだ。
秋には、新しい日本の囜で、出発したいものだ。


ランドセル事件に぀いお。


2005幎に、圓時7歳だった女の子が、行方䞍明になった。
今、その事件にスポットがあたっおいる。
小さな子どものいたたしい事件に関しおは、本圓に心が痛む。
なぜ、こうした事件を防ぐこずができなかったのか、どうすればこの小さな呜を守っおあげるこずができたのか、みなで力を合わせお、よくよく考えおいきたいず思う。

私が思うこずを、いく぀かたずめお曞いおみたいず思う。
ひず぀は、こうした倉質者が、タヌゲットにする女の子には、それなりの理由がある、ずいうこずである。
犯人の偎から芋おも、タヌゲットにしやすい子どもず、そうではない子どもずがいるようだ。
そうしお、こうした悪意を持った犯人は、タヌゲットを日ごろから芳察しお、遞んでいるのである。

こうしたずきにタヌゲットになりやすい子どもずいうのは、たずえば、他人から道端で声をかけられたり、叩かれたり぀ねられたりしおも、倧声を䞊げない子ども、ずいう性栌があるようだ。
たた、倖で起こったこずを、家で䞡芪に蚀わない、ずいう性栌もあるようだ。
こうした子どもの性栌には、家庭の状況、䞡芪の状況が倧きく圱響しおいるこずが倚いず思う。

犯眪防止の理論に「割れ窓理論」がある。
この理論は、小さな子どもの心にもあおはたる。
子どもの心が「割れおいる」状態だず、そういう状態を芋た犯人が、たすたす悪いこずをしかけるようになっお、もっずもっず砎壊しおしたうのである。
「心の割れ窓理論」は、いじめのタヌゲットになりやすい子どもにも、あおはたる理論である。

ではなぜ、この子どもの心が割れおいたのか、その理由は、すでに家庭内においお、心が割られおいた、぀たり、この家庭に、子どもぞの虐埅があった、ず掚枬するこずができる。
こうした、䞡芪ずの信頌関係がない子どもは、孊校や家の倖で困ったこずがあっおも、自宅に戻っおから、芪にそれを䌝えられない。
助けを求めるこずができない。
誰にも助けを求めるこずができない環境ず人間関係、芪子関係が、あるのである。

実際に、こうしたずきに、ご䞡芪が、瀟䌚運動や瀟䌚掻動を始めるこずも、ご䞡芪の性栌を劂実に反映しおいるずは蚀えないだろうか。

小さな子どもは、瀟䌚のなかで自然に守られる存圚である。
倧人であっおも、子どもであっおも、男性であっおも女性であっおも、もちろん私でも、電車のなかで、子どもだけがひずりで座っおいるようなこずがあれば、目に留めたり声をかけたりするものだ。
そうしたずきに、「守っおもらえない子ども」がいるずしたら、その子ども自身に、䜕か「ぞんな雰囲気」があったり、あるいは䞡芪の仕事や性栌がわかるなら、「関わりたくない」ず思ったりする「䜕か」があるのではないだろうか。

瀟䌚の䞭で守られない子どもは、家庭のなかでも守られおはいないのではないだろうか。
子どもたちを、䞀生懞呜、みんなで守っおいきたいものだ。



「花子ずアン」第10週「乙女よ、倧志を抱け!」感想。


6月2日~6月7日
この週に描かれるのは、「切ない恋愛暡様」ずいうずころである。
ただただ若い女の子、男の子、あるいは倫婊愛、ずいうずころもある。
たずは、花子の「腹心の友」蓮子の状況である。
九州にお嫁に行った蓮子の姿は、山梚の花子の姿ず同時進行で描かれおいる。

蓮子は、お芋合い結婚の盞手ず、どうにも合わないようだ。
最初から政略結婚であり、あたり期埅はしおいなかったかもしれないが、倫が女孊校の蚭立を手掛けおいるこずが、唯䞀の垌望だった。
その倢を打ち砕かれお、自宅でたいそうぜいたくなサロンを開くようになる。
たた、奜きな短歌の歌集を、倧金持ちだけが取り柄な倫のお金で出版させおもらうこずになる。ずいう筋曞きである。
しかし、この蓮子ず䌝助の倫婊も芋おいおいろいろず、思うずころもある。
䞀代で財産を築き䞊げた䌝助にも、男性ずしお成功者ずしお、ずおも玠晎らしいずころがある。
字が読めない、教育を受けおいない、これが䌝助の劣等感だずあるが、それでも瀟䌚の䞭で男ずしお立掟に仕事を成し遂げおいる。
蓮子にはこうした、男ずしお、瀟䌚の䞭で立掟に仕事をしおいるずいう姿が、芋えないようである。
そしお、文孊奜きで芞術奜きの蓮子にずっおは、倫の䌝助も、矩理の嚘も、「私が教育をしなおしお差し䞊げたす」ずいう察象にしか芋えないのである。
これでは、倫も家族も、芋䞋げられおいおかわいそうである。

自宅にクラシック音楜の挔奏家を招いお音楜䌚を開いたずきに、音楜にうっずりしおいる蓮子の暪で、倧きな音を立おおせんべいをかじりはじめた倫、この倫は、自分の存圚を䞻匵しようずしたのではないだろうか。
倧切な倫よりも、目の前の音楜にうっずりしおいる劻であっおは、どうにも劻らしいずはいいかねる。
これでは、䌝助も立堎がない。
どんな出䌚いであっおも、倫婊ずしお絆を育んでいこうず思えばできるこずではないだろうか、ず私は思っおしたうのだ。

それでも、口げんかをするようなシヌンでは、感情的になる蓮子ず、頑固な䌝助は、確かに䌌た者同士の倫婊にしか芋えないずころが、なんずも䞍思議である。
こうしお、蓮子は、ずうずう歌集を出版しお、山梚の花子に送るこずになる。

蓮子にずっお花子ずの別れ、結婚をする際に、ちょっずやけになっおいた蓮子は、花子に冷たくあたっおしたったので、どうにも䜕か蚀い出しずらいずころはあったのだろうが、歌集を莈るずきには、ずいぶんずたた、挑戊的なお手玙を぀けおきたものである。
「あなたはい぀、安東花子の名前で出版をなさいたすの?」ずいう口調である。
これもたた蓮子らしいずころであるが、「腹心の友」は、ラむバルでもある、ずいうこずだろうか。
こうしお、蓮子は、䜕か぀じ぀たの合わない家庭生掻の䞭で、歌人ずいう自分の道を苊しみながら芋出しおいくようである。
炭鉱で事故が起こっおここでは、倫の剛䞉の看病をしおいるので、蓮子の話はただただ先がありそうだ。

次に、舞台は山梚で、花子の末の効、「もも」ちゃんの初恋ず瞁談である。
花子に背負われお小孊校に「通った」ももちゃんも、もうそんな幎ごろずなった。
ここぞ、父芪がたた、行商から垰っおきお、ずいぶんなお土産を持っおきた。
ももちゃんの瞁談である。
盞手は北海道で開拓をしおいる森田くんである。
これは、非垞によい瞁談である、ず芋おいた私は本圓にうれしくなった。
さすが、行商をしお党囜を、広い䞖界を芋おきた父芪である。
これからは北海道の時代である、ず挔説をたくしたお、ももちゃんに北海道に行くこずを勧めるのだ。

ずころが、なんずしたこずか、ももちゃんは、北海道に行きたくない、ずいうのである。
どうしおだろう?
私なら絶察に飛んでいくず思うのだが…。

なんず、ももちゃんには奜きな男の子がいたのである。
その男の子ずは、花子の幌なじみである、朝垂くんなのである。
その朝垂くんは、花子のこずを奜きなのだが、花子にずっおは、朝垂くんは、幌なじみ、同玚生、友達、ボヌむフレンドにすぎない。
「異性」ずしおは党然芋おいないのである。
そしお、花子は、ももちゃんの気持ちに気づいお、朝垂くんずなんずか仲良くさせようずいうのだから、本圓に困ったものである。
でも、䞭孊校のずきも、高校の時も、クラスメむト同志のなかで、こんな人間関係があったように思う。

そういうわけで、ももちゃんの初恋は成就せず、それでも、きちんず蚀葉で気持ちを䌝えおから、北海道ぞず旅立぀こずになる。
私は本圓によかった、ず思った。
初恋くらいは、幌い時に誰もが䜓隓するものだ。
それが近所のお兄さんだったりしお、その初恋は、女の子の人生にずっお、いわば小孊校の初恋授業のようなものだ。
本圓の、倧人の女性ずしおの恋愛、倫婊愛ずいうのは、ただただ先の話である。
北海道に行けば、きっずいいこずがある。
䜕しろ倧陞気質で土地は広いし、雪は真っ癜できれいだし、開拓は自由の気颚があっお男女平等だし、食べ物はおいしいし、第䞀、北海道に開拓に行こう、ずいう男の人には、勇気ず決断力ず男らしいタフな根性がすわっおいる。
ぜったいにいい男性に決たっおいるからだ。

ももちゃんを送り出すずきの、山梚の家族のようすは、本圓に心あたたたる、玠敵なシヌンだったず思う。
そしおヒロむン花子にずっおも、この週は、倧切なこずがたくさんある。
ひず぀は、九州の蓮子から、先を越されお、歌集が送られおきたこず。
もうひず぀は、遠く北海道ぞ枡る効のももちゃんから「おねえやんの曞いた物語が読みたい」ず蚀われたこずである。
先週では、孊校の生埒から「花子先生の物語が読みたい」ず蚀われおいる。
こうしたたくさんの人たちからの觊発ず、「あなたの物語が読みたい」ずいう読者の声が、花子を突き動かすこずになる。
たたここで、䞀方は九州、䞀方は北海道、たた生埒は䜏所知れず、ずいうずころも、倧切な芁玠かもしれない。
ずいうのは、蚀葉で話しおは通らないほど遠くだが、掻字になれば、花子の蚀葉が䌝わる堎所だからである。
掻字になる、本にする、ずいう意味を、匷く思った花子なのである。

Girls be Ambitious !
私もこの、「ガヌルズビヌアンビシャス!」でこれたでの人生をずっず生きおきた。
開拓粟神、フロンティアスピリットで、人生に挑戊しおいきたしょう!


「花子ずアン」第週「はな、お芋合いをする」感想。


山梚で小孊校の教垫ずなった花子は、子どもたちに囲たれるように、教員生掻を始める。
しかし、ふっおわいたように、瞁談がはいる。
この週は、このドラマ「花子ずアン」のテヌマずなる恋愛ず結婚の問題が、重点的に描かれる週であったず思う。
花子にずっお、そしお女性たちにずっお、ずおも倧切な、恋愛ず結婚。
そこで、どんなこずを思い、どんなこずを考え、どんな決断をするのか。

私が面癜いず思ったのは、花子らしい、「パルピテヌション」の思い方である。
埗意の空想を掻かしお、「もしも朝垂なら…?」「もしも望月さんなら…?」「もしも、村岡印刷さんなら…?」ず、いろいろな呚りの男の人たちず、お話をするシヌンを空想するのである。
空想するのは、そのずきの「自分の気持ち」であるかもしれない。
「この人ず䞀緒に暮らしたら、どんな気持ちになるかしら?」ずいう気持ち確認䜜業である。
これは、実はどこのどんな女の子でも、行っおいる、日垞茶飯事の空想ごっこである。
「もしもあこがれのあの王子様ず、結婚するこずになったら、毎朝の朝ごはんには、目玉焌きずカフェオレ…癜いテヌブルには、小さな花瓶…、カヌテンの色は癜いレヌスで…」ずいうような空想ごっこである。
これは、そんなにあなどれるこずではない。
たずえば、幌なじみの子どものころからの遊び友達ず、だったら、朝ごはんは「あなた、自分でごはん炊いお」ずなるかもしれない。
「ボク、はなちゃんのために、魚も焌いおあげたし、挬物䜜りも趣味なんだ」ずいうような男子もいるかもしれない。
盞手によっお、「ふたり」の生掻も、そのずきの気持ちも、こんなにちがうものなのである。
なので、花子のこの空想シュミレヌションは、けっこう倧事だ。

その空想シュミレヌションをしおみお、花子にずっおは、このお芋合い盞手である望月さんに察しおは、胞の錓動、ドキドキ感、パルピテヌションを感じない、ずいうこずなのである。
これが、この瞁談を断る、最倧の理由ずなる。

たた、この時期に、四幎も留守をしおいた父芪が垰っおきたこずも、ずおも倧事だず思う。
父芪には、嚘にずっお䞀番幞せになれるダンナの盞手が、わかるのだずいう。
男を芋る目は、やはり男だ、ずいうこずなのだろうか。
それで、この父芪は、花子のお芋合いには、猛反察するのである。

それにしおも、ずおもお金持ちで、誠実なお人柄で、花子や花子の家族の面倒たで芋おくれお、お嫁さんに入ったら、家事をする人を雇い、花子には、奜きな本を読んでいおもいい、そうそう、実家の借金も肩代わりしおくれる、ずいう、こんないい話はあるだろうか?

私はここに、脚本家の䞭園ミホさんの、ひず぀のポリシヌを芋るような気がする。
䞭園ミホさんのドラマで、私が芋たものずいうず「やたずなでしこ」であるが、ここでも、ヒロむンの女性が、結婚するずきの男性遞びがテヌマになっおいるのである。
そのテヌマの重芁なポむントは、「条件よりも愛」ずいうずころだろうか。
たあそれは、女性にずっおは氞遠のテヌマでありながら、思う人には思われず、思わぬ人に思われお、呚囲の祝犏がある結婚には愛を感じられず、呚囲の反察を抌し切る結婚のほうに、愛がたっぷりある、ずかいう状況なのである。

実際に、結婚においお、「条件」を重芖する女性も倚いのかもしれないが…。

ずもかく花子は、これだけ呚囲の人からも、「こんな最高の人いないじゃん」ず勧められながらも、「胞の錓動を感じられない」぀たり「奜きじゃない」ず蚀っおしたう。
そしお、瞁談盞手の望月さんに「なかったこずにしたしょう」ず蚀わせるこずになる。
これが、花子の決断なのである。

すべおの女性たちにずっおこれが本圓にあおはたるかどうか、私にはうたく蚀えないずころがある。
しかし、呚囲に祝犏されるこずも、経枈的に䜙裕があるこずも、女性のこれから先の人生にずっお、ずおも倧切なこずではないだろうか。
䞀目惚れのようなずきめきは感じなくおも、䞀緒に暮らしお行けば、倫婊ずしお、枩かくお堅実な愛情は、生たれお育たれおいくものではないだろうか…。

花子のいう「パルピテヌション」ずは、「運呜の人」ずいう意味でもあるかもしれない。
い぀の時代も女性たちは、「運呜の人」を倢芋るものなのかもしれない。


「花子ずアン」第週「想像のツバサ?」感想。


花子は、山梚に垰っお、小孊校の教員になった。
ここで、らしく描かれるのは、圓時、若い女性が働く女性ずなったずきに、職堎で䞊叞にどんなこずを蚀われるか、どんな扱いを受けるのか、ずいうこずである。
圓時の時代背景や女性を取り巻く環境があったこずはたちがいないので、そこは、孊ぶ気持ちで受け止めようず思う。
花子は、初めお生埒たちを受け持っお、教垫ずいう仕事のむずかしさを知る。
そのずきに思い出すのが、修和女孊校での、䜕人もの女性教員の姿である。
こうしお、先茩ずなる女性がいるこずは、ずおも心匷く励みになるものだ。
たた、教垫の気持ちがわかり、生埒の気持ちもわかる、ずいう状況になっおくる。

そしお花子は、自分が小孊校の生埒だったずきの状況ず、ずおもよく䌌た女の子に出䌚う。
タ゚ちゃんである。
タ゚ちゃんは、幌い匟を背䞭におんぶしお孊校にやっおくる。
そしお、男の子たちにからかわれる。
貧しいずころも、同じである。

花子は、タ゚ちゃんに「想像する」「空想する」ずいう抂念を教える。
花子自身が小さい生埒だったずきに、おなかがすいたずきにも空を芋䞊げたずきにも、想像の翌を広げお、苊しさや悲しみを乗り越えおきたのである。

聞いた話であるが、どんな個性を持った人も、教垫に向いおいない、ずいうこずはないのだそうである。
ずいうのは、その個性の教垫には、その個性にしかわかっおあげられない生埒がいるから、ずいうこずなのである。
聡子が教垫になったずしたら、聡子みたいな人生や感性を持った生埒を、教えたり導いたり育おたりしおあげられる、ずいうこずなのである。
花子はそうしお、花子にしか導いおあげられない、生埒に出䌚う。
この生埒の「かけがえのなさ」は、教垫である花子にも、䜕かを教えたり、むンスピレヌションを䞎えたりするこずである。
たさに教垫ず生埒はこのようにしお、教えたり教えられたりするものなのだろう。

タ゚さんの芁望にこたえお、花子は、ものがたりを䜜る。
それを話しお聞かせる。
その話を、同僚であり幌なじみである朝垂くんが「応募しおみたら」ず勧めおくれる。
花子の個性が党開ずなっおいる「みみずの女王」。
タむトルだけでも、本圓に花子らしいかんじがする。

芋事、圓遞しお、児童雑誌に掲茉され、東京で、授賞匏が行われる。
花子の、䜜家ずしおの第䞀歩が、生埒からの觊発であるずころは、ずおも花子らしいずころである。
就職掻動のずきに、地元に戻るこずが、遠回りであったように思えたが、本圓に花子らしい、䜜家ずしおのモチベヌションを埗るために、生埒たちずのふれあいは、ずおも倧切だったのではないだろうか。

幌い生埒タ゚ちゃんも、遠くから芋守っおくれおいる。
花子の瀟䌚人ずしおの第䞀歩は、本圓にたくさんの人たちに芋守られながらの、぀たづきず詊行錯誀の連続で、始たっおいくのである。


2014幎6月6日金曜日

残業代れロの働き方ずラむフワヌクバランス。


今、働き方が倉わろうずしおいる。
以前は「働き蜂」ずたで呌ばれた、勀勉な日本人であるが、このずころは、ラむフワヌクバランスずいう蚀葉が浞透しおきた。
そしお、「残業代をだしたせん」ずいう培底した、仕事の胜率化が迫られおいる。
この「残業代れロ」に関しおは、劎働者の暩利や健康状態が守られない、仕事の仕方が守られないずいう蚀い分で、問題芖の声もあるようだ。
しかし、実際には、「時から時たで」が培底するこずで、時に垰りたいワヌキングマザヌが、仕事がしやすく、たた垰りやすくなるずいうメリットがある。
たた、実情ずしお、「時で終わっお自宅に垰っおも、テレビでも芋おぶらぶらしおいる時間だから」ずいうこずで、䌚瀟に残っお、時間を぀ぶすこずで、残業代を皌ぎ出そうずいう瀟員がいるこずも、たちがいないだろう。
こういった瀟員は、時から時たでの定時の間には、ぶらぶらしおろくに仕事に集䞭しおいない堎合が倚い。
雇甚する偎ずしおは、こうした瀟員は困ったもので、倚倧なコストずなる。
人件費がコストずみなされお、機械を導入した方が「よく働いおくれる」ずいうこずでは、人が働く意味がたすたす薄くなるではないか。

こうした、「時間皌ぎ瀟員」に、なんずか意識啓発したいずいうのが、ラむフワヌクバランスであり、残業代れロの働き方である。
なんずしおも、䜜業効率を䞊げお、時間内に仕事を終わらせるような、充実した働き方をさせたいのだろう。

私は、以前、時から時たでの仕事に぀いお、働いおいたこずがある。
こうしたずきには、たず、課長、係長の長の付く立堎の人が、率先しお垰る準備をするこずが必芁である。
課長が垰らないのに、䞀瀟員が垰れない。
たた、䞀瀟員が垰らないのでは、課長も垰れない、ずいうわけである。

たた、時が近づくず、時半には、女子瀟員は、お茶碗掗いを始めた。
係長もきょうの曞類の点怜ず机の䞊の敎理敎頓にかかっおいる。
そしお、時分には、だいたい仕事を片付け終わっお、カヌディガンを矜織ったり、ただロッカヌルヌムには行けないが、いよいよパ゜コンの電源を萜ずしたりしおいる。

考えおみれば、時間で働く人は、それはそれでいるものだ。
それは、窓口ずか電話番であるかもしれないが、こうした仕事には、終業時間が、窓口が閉たるのず同時に蚪れるものだ。

効率的な働き方は、時以降の、䌑息や、充電、運動や勉匷、家事、家庭サポヌト、睡眠などなど、ずおも充実したラむフスタむルに充おられるこずだろう。
そうした時間に、映画や子育お、ディナヌのおでかけに、䞞いものを䜿うこずになれば、経枈効果も抜矀である。
どちらにしおも、この「残業代れロの働き方」は、雇甚する偎、経団連あたりから出たようなアむディアのようにも思う。
雇われる偎にもメリットのある、この働き方を、日本人のワヌキングスタむルずしお、敎えおいくのも䞀案である。