このところ、女性の活躍がめざましい。
女性の学者や研究者の振る舞い方も、とても注目されている。
女性の活躍がめざましい、というよりは、女性にスポットを当てようという、国政の方針があるからなのだろう、とも思う。
時代の要請に従って、あるいは、政府の政策としても、アベノミクスと並んで、ウィメノミクスに力づけられた女性たちは、数知れないと思う。
「我が意を得たり」とばかりに、女性の時代を謳歌し始めたのだろうか。
ところで、今回の、山梨市での講演会であるが、いったんは上野氏に講演を依頼したのだが、市民団体の反対などで、中止になったのだという。
この中止の理由などをめぐって、中止の撤回が行われた。
なんとも騒動を巻き起こしている状態である。
上野氏にも主張があるだろうけれども、山梨市の側にも、それなりの正当な理由、つまり講演会を中止にしたい理由があったようなので、そのあたりを考えてみると、上野氏の言い分にも何か理不尽さがあるように思えてしかたない。
というのは、市で主催する講演会というのは、市民税、市の予算を使って、おそらくは教育委員会あたりで、企画するものだからである。
市民税を使った講演会が、市民の教育、それも社会教育のために行う講演であり、講師への費用はもちろんのこと、会場は市の文化会館などを、準備するわけである。
そして、参加者は、市民であれば無料、ということになる。
市の事業、公の事業であるから、公平性は、ぜひとも満たさなければならない条件である。
それが、講師になんらかの、公平性を欠くような、思想性や主義主張があったりすると、これは市の事業としてはふさわしくない。
また、これを聴きにくる市民としても、さまざまな思想や考えを持った市民がいるわけであるし、税金を払っているわけであるから、この講演会の要旨に賛同する権利も、反対する権利も、持っているわけである。
これが、個人の立場で参加できる、民間で主催される講演会であれば、なんの問題もないのだが、市の事業であることには、大切な目的があるわけなのだ。
上野氏に、講演を依頼したのは、日程を考えると、昨年の末くらい、2~3か月は前のことだっただろうか、と推測される。
上野氏は、秘密保護法案に強く反対している立場を、ここ数カ月、表明している。
秘密保護法案も、集団的自衛権も、あるいは、自民党、政府与党を支持するかどうか、という点も、国民を二分する論議である。
こうした状況の変化のなかで、山梨市民としても、市民を二分する論議となっている思想やテーマに関して、明らかに公平性を欠くと思われる主義主張をしている講師を、本当に講演させてよいのかどうか、市民としても、良識的に訴える権利はあるだろう。
さまざまないきさつがあるなかで、「申し訳ないが、講演は中止とさせていただきたい」という山梨市の側の立場や、ご自身の主義や、もっと言えば、市で行われる講演会の、主旨、というところを、理解されていないように思う。
こうしたことを、理解しないで、ご自身の個人的見解を、通された上野氏に対して、これからも反対の声は続くのではないか、と思われる。
筋を通すのと、我を通すのは、またちがうことなのではないか、と私は思う。
これからも、女性が活躍する時代として、先頭を歩く女性研究者や女性学者のみなさまには、常識的な振る舞い方を、期待したいものだ、と思う。