2014年3月29日土曜日

春の小旅行のお報せ。

こんにちは。
朝倉聡子です。
いつも、わたしのブログを読んでくださって、ありがとうございます。
いつの間にか、桜の花が咲く季節になりました。
みなさまには、おかわりありませんか。

わたしは、これまでもこのブログを、毎日書き続けながら、それでも数か月ごとに、小旅行にでかけて、一週間から、長いときには、二カ月ほど、お休みをいただいたことがありました。
今回も、昨年の夏にしばらく休んでから、12月から、書き始め、それから、社会の変化の中で、ただ毎日、毎日、寒い日も雪の日も、書いてまいりました。
振り返ってみると、4カ月は書き続けてきたことになります。

自分自身では、筆の面での疲労は感じないのですが、毎年、春には桜の旅をしてまいりましたので、今年も小旅行に出よう、と思っていました。

文筆者の旅は、いつも突然に始まります。
きょう、出立することにしました。
小さなトランクと、春物の薄いコートを一枚携えて、列車に乗ることにします。
一週間ほど、旅してまいります。
その間、このブログはお休みします。
いつもながら、わがままをお許しくださいませ。

それでは、いってまいります。

朝倉聡子。

2014年3月29日。


2014年3月28日金曜日

袴田事件に思うこと。

先日、無実の罪で捕らえられていた、袴田巌さんの、再審が決定した。
袴田さんは、釈放された。
何十年も前の事件とはいえ、こうした「冤罪」という言葉には、何か独特な、重い重い、運命的な響きを感じさせるものだ。
いったい、どうしてこんなことになったのだろう。

北朝鮮に拉致された、横田めぐみさんのご両親も、また、このような重い運命を、感じていらっしゃるのではないだろうか。
事件がなぜ起こったのか、そして、それに対する、警察や検事、政府の対応はどうであったのか。
それにしても、なぜ、自分が、こうした、理不尽な冤罪に巻き込まれなければならなかったのか。

袴田さんの釈放の写真を、メディアで見ることができた。
袴田さんを、とても長い間、無実を信じて支えてきたのは、お姉さんである、という。
姉として、弟を思う気持ち、強い強い、深い愛情と信頼、このお姉さんの弟を思う気持ちが、実を結んだ結果なのだろう、と思う。

横田めぐみさんのことでも、ご両親の、娘さんを思う愛の強さに、心動かされずにはいられない。
家族への愛情と絆は、こんなにまで、深いものなのか。

いつの時代にも、姉が弟を思う気持ちは、どんなふうに年齢を重ねても、まったく、一点も変わりがないものだ。
文学作品でも、しばしば登場するテーマである。

冤罪、という理不尽な運命に立ち向かって、見事に再審の扉を開いた、姉の、弟を思う、強い強い愛に、今あらためて、心に呼応して、温めたい愛がある。


2014年3月27日木曜日

アリとキリギリス。

先日、晴れた日に、自転車を漕いでちょっと遠くのショッピングモールまで出かけてみた。
平日の午後で、明るい陽射しが降り注いでいる。
お客さんはそんなに多くなかった。
たいていが女性で、大きな黒いバッグを提げている。
あるいは男性客は、これはご年配のかたで、カフェの店内で、隣の書店で購入したものであろうか、本を読んでいる。
大きな厚い単行本である。

喫煙室は別になっていて、授乳室なども完備されているが、そちらのほうへ歩いて行くと、隅にうずくまっている老婦人の姿をみかけた。
小さな椅子でも置いてあるのかもしれないが、そこに腰かけて下を向いて、何か小さな本に一生懸命書き込みをしている。
わきに、大きなビニールバッグに入れた荷物を、ふたつも置いている。
身なりから、ホームレスさんではないことはわかる。
一度行き過ぎてから、もう一度ひきかえしてみた。
いったい、何を一生懸命こんなところで書き込みをしているのか、興味を持ったからである。
わきを通り過ぎながら、じっと見ると、その書き込みは、数独パズルであることがわかった。
ナンバープレイスとも呼ばれている人気のパズルで、たてに9個、横に9個の、マス目があり、そこに、1から9までの数字を入れていく。
たて、よこ、それぞれに、同じ数字が重ならないように入れていくものである。

「こんなところで数独パズル?」と思いながら、そのショッピングモールの100円ショップに入ると、まさに100円で、その数独パズルが販売されているのであった。

自宅に帰る途中で、友達の家に寄ったので、その話をしてみた。
友達も私と同じ世代で、こういった話にとても興味を持って、お茶をいれて、話をした。
いったい、この老婦人は、ショッピングモールで何をしていたのだろう。
友達の推理は、このようなものである、すなわち、
「この老婦人は、家に居場所がないんだろう」ということである。
「家はあっても、お嫁さんがいて、そのお嫁さんはとても意地悪で、家にいても針のむしろなんでしょう。それで、昼間からいる場所を探して、ショッピングモールに来ているんでしょう。パズルをしていたのは、認知症の予防のためで、大きなバッグには、老齢年金の通帳なんかも入っているんだと思う」
それは本当に、かわいそうな話、と思い、今の時代、今の世相を映した状況だと思って、また一口、お茶をいただく。
友達の話はまだまだ続いている。
「でもね、聡子ちゃん。そのおばあちゃんだって、若いころにはそのお嫁さんをうんといじめて、うんといびったんじゃないかしらねぇ。」
「えっ?」と思って聞き返す。
「そうだと思う。息子さんをかわいがって、お嫁さんをいじめた。お孫さんをかわいがって、うんとおもちゃなんかを買ってあげたんじゃないのかな。でも、年を取って、力もなくなってきたら、お嫁さんが実権を握って、息子さんには、そろそろいいんじゃないの?なんて毎日言われて、高校生になったお孫さんからも邪魔者扱いされて、それで居場所がなくなったんじゃないの?」
私は、なにか絶句してしまった。
「人間、してきたように、されるんじゃないのかしら」
「それってどういうこと?」
「人間、生きてきたようにしか、老いていけないものじゃないかしら」

特別養護老人ホームへの入居希望者で、待機している状態の人が、日本全国で75万人いるそうである。
老人ホームの待機、というのは、いったい何を待っているのだろうか。
「要介護」の度数というのは、つまり、認知症の進み具合の度合いである。
他の病気で、介護を必要とする場合は、年齢に関係なく、医療の看護が必要なので、高齢者だけに使われる「要介護」は、「認知症の度合い」を指すのである。

こうした状況であっても、老人ホームへの入居というのは、決まった順番で入れる人は入れるものなのだ。
つまり、まずは、入居料を払える人である。
これは、若いころから積み立てた貯金、財産があり、それを老人ホームの入居料に使える人である。
それから、子どもや親族がいて、入居する本人の、保証人となれるときである。
これは、入居中もその後も、きちんと手続きを行える、身元を引き受ける、見元保障人となる。
この親族が、「その後」も、きちんと入居料を支払うのである。

それから、この本人が、以前から、あるいはときには、若いころ、子どものころから、かかりつけの病院・医院・医師がいた、ということである。
これは、本人との人間関係、信頼関係である。
この病医院ですぐに引き受けることができなくても、人間関係があれば、別の「信頼できる」医院に、紹介をすることができる。

こうした、年齢のいった本人が、生きてきた間にしてきたこと、子どもとそのお嫁さんや孫たちとの信頼関係、医師や病院、地域での人間関係、そして、財産、こうしたものが、老後という、たいへんに「他人の手」を借りざるを得ない状況のなかで、モノを言うのである。
それはまさに、人間、生きてきたようにしか、老後が訪れないのだ、ということである。
老いは、誰にでも訪れるものであり、人間として避けられないものである。
身体も心も、老化を止められない。
認知症の予防策はあるだろう、しかし、その対策を、あたかもメタボ予防のように、がんばってきたかどうか、である。

今、3月年度末になって、あわてて増税前の買い置きをする人たちがいる。
あるいは、今このときになって、あわてて「増税反対」のデモ行進をする人がいる。
「遅すぎる」とは、思わないのだろうか。

人間が年を取ることは、誰もがわかっている。
4月から増税することは、誰もがわかっていたはずだ。
それなのに、手を打つのが、遅すぎはしなかっただろうか。

老後に対する手の打ち方も、早めに予測して、あらゆる対策を立てている人が、ちゃんといる。
その一方で、75歳も過ぎて、蓄えもなく、若いころには海外旅行で思い出作りをしてきた人が、高齢施設がないことに、不満を言っている。

ある、訪問看護をしている看護師さんに聞いた話だが、いまどき、介護をしているお嫁さんなんて、どこにもいないそうである。
訪問看護に行くと、応対をしてくれるのは、「実の息子」さんなのだそうだ。
それはそうだろう、と思う。
それにしても、介護が必要になる前に、もっともっと、お嫁さんに親切にしておかなかったものなのだろうか。

ケアマネージャーさんは、ピンからキリまでいるそうである。
どんなケアマネージャーさんがつくかで、介護サービスの受け方も、介護保険の使い方も、ちがってくるそうである。
優秀で公認のケアマネージャーさんを養成することが、必要だ、とその看護師さんは一生懸命、言っている。

あちこちで、いろいろな話を聞いて、いろいろな姿を目にしながら、私は思う、どうやって、どうすれば、この高齢化時代を、生き生きと、生きていけるのだろう。
先輩の高齢者にも、学べる人がたくさんいる。
そういった人は例外なく、後輩に親切である。

明日は我が身、のこの世である。
一寸先は闇、とも言われるこの世である。
30代の若い世代ほど、貯金にいそしみ、老後のためのマンションを購入検討するそうである。
アリのように一生懸命働いて、老後を温かく暮らすのも、キリギリスのように歌って人生の夏を過ごすのも、その人その人の、自由な選択かもしれない。
どの問題をとっても、どこかに、人生の哲学の必要性を、感じさせるものなのである。


2014年3月26日水曜日

連載・77 サラダビーンズ。

お料理エッセー・そら豆のひとりごと。
春。新学期。
新しく始まるものがたくさんある。
新しく何かを始めよう、と思っていることも、たくさんあると思う。
何かの雑誌で、「やりたいことを、春のせいにして、始めてしまえばいいんじゃないの」みたいなキャッチコピーがあって、「なるほど」と思った。
北海道にいたときには、なにしろ根雪があったので、雪が溶けてからじゃないとできないことが、たくさんたくさん、ありすぎた。
それで「雪が溶けたら」という意味で「春になったら」という言葉を、何度も使ったものだ。
「春になったら、ピクニックに行きたい」という言い回しとか、あるいは、「春になったら、車の免許を習いたい」ということをいう友達もいた。
「春になったら絵を習いたい」こんな言葉には、絵画教室に通うにも、バスの交通の確保がたいへんだから、という意味がある。

春になったので、そろそろ食生活をキチンとしたい、そういう人も、またたくさんいると思う。
身体にいい食べ物、とわかっていても、なかなか摂ることができなかったもの、お料理を習いたい人だって、たくさんいると思う。

きのう、ちょっと街に出てみたら、小さな、ひとり暮らし用のアルミの片手鍋がピカピカに光って並べてあって、「小さなひとり暮らしさん」を応援したい気持ちになった。

「小さなひとり暮らしさん」にぜひおすすめしたいのが、サラダビーンズである。
お豆は身体にとてもいい。
「畑の肉」とも呼ばれて、貴重なタンパク源である。
それでいて、植物性なので、カロリーの心配もない。

でも、調理するには、この固い豆を、どんなふうに煮豆まで仕立てたらよいのか、困ってしまうところである。
なにしろ、前の晩に洗って水にひたしておいて、水をしみこませる、ふやかす、この過程が大事なのだ。
だから、「明日、お豆の料理をします」という予定を立ててから、今夜と明日とで、まったく予定の変更がない生活のなかでしか、豆料理ができない、ということになる。
でも、現代人の生活は、そんな悠長なことはしていられない。
明日は明日で、臨機応変、融通の利いたスケジュールを準備しなければならない。

現代は素敵な時代だ。
こんなときのために、サラダビーンズがある。
これは、すでに水に浸して、煮てある。
そのまま食べられる状態のお豆、それもいろいろな種類のお豆さんが、真空パックに入っているわけである。
サニーレタスを洗ってちぎって、食器に盛る。
その上に、サラダビーンズのパックを開けて、きれいに盛り付けて、お好みのドレッシングをかければ、立派な栄養あるおかずになる。
サラダに気軽に使えるから、サラダビーンズという名前なんだろう、と思う。

このサラダビーンズ、あたたかい白いご飯にまぜまぜしても、おいしい。
ご飯を器に盛り付けたら、サラダビーンズを乗せてスプーンでよくかきまぜ、その上から、お好みのドレッシングをかけて、再びまぜまぜする。
お好みのドレッシングというと、白ゴマドレッシングだろうか、それとも、青ジソドレッシングだろうか。
チョイスを待ちながら、静かに静かに、冷蔵庫の扉の内側で、ドレッシングの小瓶たちが、私の指先を見つめている。


2014年3月25日火曜日

連載・76 いちご

お料理エッセー・そら豆のひとりごと。 
春の風は、日々の風景の彩りまで、かえていく。
空の青が、淡いかすみがかった、水彩絵の具の青になる。
ただただ茶色じみていた木々に、ほっと灯ったように、淡い緑色が色づき始める。
花の色はまだつぼみ、つぼみの色は濃いピンクで、花びらを開き始めると、まだまだ薄い絹糸の色である。

街にも、食卓にも、市場にも、色が灯り始める。
春キャベツのほんのりとした柔らかそうな緑色。
南の国からさっそく運ばれてきたバナナの黄色い温かい色。
そして、赤くほんのり灯るのが、いちごの色である。

以前には、ハウスで作られるいちごの旬は、真冬であった。
遠く、年末のクリスマスケーキには、いちごが欠かせない。
クリスマスケーキにいちごを乗せるために、たくさんのハウスは雪に包まれたまま、その家のなかで、イチゴを温めてきたのだ。

早春のこの時期も、いちごの旬である。
これも、ハウスで作られたものだ。
その昔、「硝子庭園」というと、なにか守られた桃源郷のような印象があった。
その「硝子庭園」のなかで、真っ赤ないちごが、宝石のひとしずくのように、温められて、育まれてきたのである。

甘くて、すっぱい。
このごろは、甘くて大きな粒や、ちょっとすっぱくて小さな粒も、まさに粒ぞろいである。
大好きないちご。
今年も白い花が、赤いいちごに、大きく育っていく。
ああ、ほら、いちごの葉っぱって、ふちの色がほんのり赤い。
ぜんたいで、ほんのり春の色に染まりながら、いちごは、その小さな粒で、甘く清らかな、春の想いを、伝えてくれるのだ。

2014年3月24日月曜日

桜前線。

3月もお彼岸すぎ、となった。
東京でも桜の開花が近づいている。
毎年、3月のおわりぐらいには、桜の開花がトップニュースに入ってくる。
「世の中にたえて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」
と詠ったのは、平安時代の歌人だっただろうか。
私たちの心は、その時代から、どうにもまったく変わらないようだ、と思う。

毎日、天気予報では、きょうは桜前線がここまで来ました、というイラスト入りの情報が入ってくる。
それも、きれいな桜色で、濃い桜色、淡い桜色、と、薄絹を重ねたようだ。
花の色、というのは、どんなに重ねても、くどくなりすぎない、不思議な色合わせだと思う。

私は、北海道に住んでいたので、桜というと、ゴールデンウィークが、見ごろだった。
年によってちがうのだが、やはり、5月の3日から5日くらいが、満開となって、円山公園でも旭山公園でも、ドライブがてら、出かけたものである。
そういう話をすると、本州の友達は、けっこう驚くものだ。

台風も同じく、桜前線も、東京を通り過ぎたあとも、北上して仕事を続けている、というわけだ。
北海道では、桜も梅も、同じ時期に咲くので、桜と梅の花の区別がつかない人もいる。
梅の立ち位置がどうにも薄くなるところもある。

北国の春はいっせいで、水仙もれんぎょうも勿忘草もムスカリもユリも、いっせいに5月に咲く。
本州では、もう1月から、蝋梅や黄梅が咲き始め、少しずつクロッカスが芽を出し始めるから、春は春、といっても、ずいぶんと幕の上がり方がちがうものだ。

これから、春四月の転勤で、北上する人は、東京の桜と北国の桜と、花を二度見ることになるだろうか。
桜前線とともに北上してきた、東京からの旅人を、心から歓迎していたあの、五月のお花見シーズンの風の爽やかさを、思う。



2014年3月23日日曜日

女性と食生活。

何年か前に、ある人生の先輩から聞いた話であるが、男性は女性を見て、健康状態や健康の回復法が、わかるのだそうである。
特に、夫は妻の健康状態が、とてもよくわかるのだそうだ。
それで、夫の責任として、妻の健康状態を管理して、よりよい状態にする、というものが、あるのだそうだ。
妻がとても健康そうで、いつもニコニコしている、時には、栄養状態が満ち足りていて、ふくよかで豊かそうである、こういう妻の状態を維持管理している、これが、夫たるものの、プライドになるそうである。
こうした、栄養の満ち足りた健康な妻を、連れて歩くのは、夫の成績表のようなものであるから、日曜日にデパートなどに、ぜひ、連れて行きたい、とこうなるらしい。

女性のほうからしても、男性の健康管理は、とても重要な問題である。
しかし、妻が夫に禁煙を申し渡して厳しく管理するような場合は、「将来、介護するのは私なんですよ」という、将来の自分の姿を、考えて、危機管理をしているのかもしれない。

とにかく、現代の女性の姿は、とても健康的とはいえない、これが男性から見た、とても心配な一面なのではないか、と思う。
特に、休暇をとっていない、睡眠をとっていない、そこに付け加えて、食事の内容が不適切である、ということである。

現代女性、特に働く女性の食事のようすを見てみると、「ダイエット」は、至上命題になっていて、とにかく、カロリーを少なくする、ここが大事であるようだ。
本当に、充分な栄養をとっているのだろうか。
人間の身体は不思議なもので、ふっくらとした体型であっても、その実は、栄養失調である場合もあるそうだ。
働く女性が、忙しさで、朝コーヒーだけ、昼は野菜サラダ、夕食に、ゼリー状の栄養バランス食やクッキー状のバランス食、などを、書類をめくりながら、いただく。
そして、特保の健康茶をペットボトルで飲む。
これで本当に、栄養が足りているのだろうか。

そして、その割には、甘いものが大好きで、ケーキ、クッキー、チョコレート、和菓子、と、「甘いものは別腹」を、どんな理屈から生じるものなのか、公言してやまないのである。

甘いもの、砂糖をたくさん使ったものは、「太る」というよりは、高血糖や低血糖を引き起こす場合もある。
もちろん、お菓子がだめだとは言わないが、きちんとした食事を摂ることは、人間として、ビジネスマンとして、基本中の基本ではないだろうか。

特に、働く女性は、なりふり構わず男性社会のなかで成果を上げるために、時間も労力も削って、仕事に打ち込む時間の長さで、自信不足を補ってしまおう、という気持ちがあるようだ。

きちんとした食生活、あるいは、食生活を根本から変えることは、とても努力と気力と時間のかかる、大切な課題になるだろう。
食生活を改善すると、花粉症が治る可能性があるという。
働く都会の女性が、口裂け女みたいな白いマスクを被っているのは、健康管理の不備と、食生活の乱れを、証明しているようなものだ。
伝統的な日本食が、健康に導く、とも聞いている。
働く女性こそが、まず食生活の改善から、生き生きとした活力を、確保していきたいものだ。


2014年3月22日土曜日

「幸福度」のはかりかた。

「しあわせってなんだろう?」この問いかけは、多分に思想的、哲学的な側面を持っている。
哲学的幸福論として有名なのは、アランの「幸福論」であろうか。
ちょっとものの考え方を変える、というようなことで、幸福のありかたは、心のありかたである、と言えるのかもしれない。
また、「しあわせを探す人が一番しあわせな人」というような歌の歌詞があったり、あるいは、「日々感謝できる人がしあわせな人」というような本がベストセラーになったりもする。

国際的な指標としては、「幸福度」というのは、もっと現実的で、事実をもとに測定した事柄となっているようだ。
さる国際機関が、この「幸福度」を、世界中の主な国で、計測して比べたものが、あるようだ。
とても残念な話であるが、この「幸福度比較」において、日本という国は、お世辞にも金メダルとはいかなかったようである。

それで、文明先進国、というか、他の問題は乗り越えてきた国としては、次なる目標、幸福の追求、という課題を、追い求める状況なのではないか、と私も思う。

この国際機関における、幸福度の測定基準は、本当にまさに、と、うなずけるほど、理にかなった基準である。
また、個人個人の目標としても、これを掲げるのは、とてもよいことではないか、と思われる。
幸福は果たして、ただ「心の持ちよう」の問題だけなのだろうか、もしもこれらの条件が満たされていない状況で、本当に「幸福」と言えるのかどうか、ひとつひとつ考えてみたいものだ。
その条件、基準、とは、このようなものである。

1、住宅
2、収入
3、仕事
4、コミュニティ
5、教育
6、環境
7、市民参加
8、健康
9、生活上の満足
10、安全
11、ライフ・ワーク・バランス

「幸福度」の尺度、みなさまは、どうご覧になるだろうか。

2014年3月21日金曜日

ライフ・ワーク・バランス。

日本人は、勤勉な国民性を、誇りとしている。
今はそうでもないかもしれないが、ずっと以前には、日本に来る外国人がとても驚くことは、日本人がとても勤勉で、熱心に精密に、よく働く、ということである。
そうした働きぶりのせいなのか、日本は、戦後に高度経済成長を遂げることができた。それも、急速に、である。
その姿が、ときには「エコノミック・アニマル」「働きバチ」と、揶揄されることになってしまった。
これが、もし、健康被害や、遅刻、仕事に関する事故などに直結することがなければ、日本人の特質として、そのまま、何を言われても、誇りにしていればよかったと思う。
しかし、これが、人々にとって、さまざまな悪影響を出している、ということがあれば、これは、問題にするべきであると思う。
育児休暇や有給休暇を取ることも、なんとなく罪悪感があって、それを取れないような、環境というか、人々の価値観、雰囲気というものがある。
昼休みさえ、12時にいったん仕事を終えて、社外に出る、1時間は個人的な時間を持つ、こうした雰囲気も、ない状況である。

これらが、健康被害や仕事の能率低下を引き起こすことを、たくさんの人が理解をして、積極的に休暇を取れるように、努力や工夫をしてもよいのではないか、と思う。

私の場合は、自分個人で、とても好きな趣味を、いくつか持っている。
たとえば、編み物である。
これは、電車のなかでも、銀行の待ち時間でも、ちょっとした座る場所があれば、バッグのなかから取り出して、編むことができる。
手指を動かすことで、何か気分がリフレッシュするようだ。

それから、ピアノがある。
熱心にピアノに向かっていると、音楽の世界に没頭できる。
練習もいいが、自由きままに、好きな曲を弾いて音を出すのがいい。

それから、春になると、ガーデニングのシーズンである。
春の空気は温かく、風も南風で、あわい緑色の草が、いい香りである。

私は案外、多趣味であるが、仕事の合間に、そのときそのときで、時には編み物にしたり、時には、これは季節に応じて、であるが、自然のなかでガーデニングをする。

しかし、である、私の仕事ぶりと生活を見たある、ほとんど医療関係に近い専門家などが、「あまりにもいろいろな仕事をしすぎる」「少し休んだほうがいい」と言うことがあるのだ。
「では、休む、とはどういう状態でしょうか?」と問い返すと、「何もしないで、横になる」というのである。
いったい、どうなっているのだろうか。
日本においては、「休む」という概念は、医療の面からも、何か堅苦しいものがあるようなのだ。

海外においては、ライフ・ワーク・バランス、という考え方が、すっかり定着しているようだ。
しっかり睡眠をとり、しっかりと有給休暇をとってバカンスをする、こうしたことが、むしろビジネスマンの、身体的、精神的な健康管理法として、重要なのだという。
むしろ、自分の身体を酷使して、「どれだけ寝ていないか」を自慢するようでは、ビジネスマンとしての能力は、疑われる、ということなのだそうだ。

有意義な仕事とその成果、そこに至るまでの、健康管理と、休暇の必要性、これが、ライフ・ワーク・バランス、ということになる。
これから私たちが、課題としていくべき、ライフスタイルの変容なのかもしれない。



2014年3月20日木曜日

連載・75 恋するフォーチュンクッキー。

お料理エッセー・そら豆のひとりごと。

AKB48の歌で、大ヒットした曲に「恋するフォーチュンクッキー」がある。
ちょっとテンポがゆっくりめで、歌いやすいメロディーのように思う。
一回聴いたら、ときどき口ずさみたくなるような、歌である。
サビのところで「恋するフォーチュンクッキー、未来はそうわるくないよ」というような、励ましの語りかけが入ってくるところが、歌ってみると自分で自分へのエールになってくる。

フォーチュンクッキーは、何かテレビ番組で見かけたのだが、実際に作られて、食べられているクッキーだそうである。
ゴーフルのように薄い、小麦粉で練ったクッキーの丸い地に、メッセージを書き入れた紙切れをはさんで、二つ折りにして、その端と端を丸めるようにする。
カリッと焼いてあるので、一口食べると、中のメッセージカードが出てくる状態だ。
そのメッセージカードに、「きょうの運勢」が書かれているので、占いができる、というわけだ。

歌では、「まあ、占ってみましょうよ。未来は今あなたが悲観しているほど、わるくはないわよ」と、そういう表現となっている。
乙女たちに人気の「占い」であるが、クッキーという、バニラの甘い香りがする、お砂糖のたっぷりかかったお菓子にすることで、かわいらしい歌になった。

海外でもこうした習慣があって、フランスの焼き菓子では、フェイヴという、小さな陶器のおもちゃのようなものを、入れるのだそうだ。
そして、これは大きめのパイなどであるが、何人かで切り分けたときに、フェイブが入っていた人が「当たり」「幸運」「きょうのお姫様」となる、面白い趣向である。

ここから連想するのが、ロシアンシュークリームで、小さなシュークリームが六つ大皿の上に乗っているのだが、ほかの五つは、中味は、甘いクリームなのだが、ひとつだけ、辛子とわさびの特製クリームとなっている。
お笑い番組の、タレントのお遊びで、こんなことをしていたような気がする。

3月、4月の、新入学のシーズン、緊張する友達や恋人、あるいは我が子に、楽しいフォーチュンクッキーを焼いてあげるのも、ちょっとした楽しみである。
中のメッセージカードには「大丈夫。きっとすべてよくなるよ」と、かわいらしいチョコレート色のペンシルで、書き記して贈ろうと思う。


2014年3月19日水曜日

マレーシア機のハイジャックについて。

マレーシア機が、行方不明になって、もう10日もたつ。
3月8日の日本時間の未明にクアラルンプールを出立し、その後2時間ほどで連絡を絶った。
到着するべき北京に、時間になっても到着していない、ということで、初めて騒ぎになった状況で、いったい何がどうなったのか、と思う。
私たちは当初、墜落、という最悪の事態を想像して、何かとても不安な気持ちになったが、その「墜落」の証拠さえ、出てこない状態である。
もしも、海の真っただ中に落ちてしまったのなら、確かに、機体の一部も、漂流物も、何も見つからない、ということかもしれない。

しかし、もしもハイジャックだとして、まだ、乗員乗客も安全だとすると、これは、まだ、ハイジャックとの交渉が続いている、ということになる。
そして、ハイジャックされた飛行機は、あちらこちら、と空港をさまよいながら、燃料を補給しては、飛んでいる、ということになるだろうか。

このハイジャック犯と、交渉をまとめて、なんとか無事に着陸してもらうには、どうしたらいいのだろうか。

それにしても、不明なのは、中国当局の態度である。
乗客のなかに、中国国籍の人たちが、100名はいる、という情報であった。
それなのに、中国としては、なんの声明も出していない、というのは、どういうことなのだろう?
捜索に対する態度も、積極的ではないように感じられる。
また、中国国民の態度も不明である。
もしも、家族がこの航空機に乗っているとしたら、国民としても黙っていないはずではないだろうか。
また、中国のツイッターでも、大騒ぎになっていて当然であるが、それがないのも、不自然である。


すでに、中国の国内にどこかで着陸しているのではないだろうか。
あるいは、中国のどこかに、墜落しているのではないだろうか。
そして、中国当局がそれを隠しているのではないか、とも思われてくる。

中国は、国内の治安に関して、このところ、連続しているテロに、とても警戒している。
中国の治安に関しては、近隣諸国から手をさしのべてもいいですよ、ということで、事故の内容や、乗客の安否は、確認させてもらえないだろうか。
それとも、日本とは、外交上のやりとりがあるから、情報を明らかにできない、ということだろうか。
どちらにしても、共産主義国家の、悲しい現実を突きつけられる状況である。
人命第一と考えて、極秘でも構わないから、他国に助力を要請してほしい、と願うものである。




クリミア半島のロシア編入について。

ロシア、クリミア半島で、緊張した状態が続いている。
クリミアではすでに、ロシアに編入を希望する住民投票が行われており、これに反対しているのは、欧米諸国である。
クリミアは、歴史をさかのぼっても、地理的な位置関係から、ヨーロッパとロシアの国境にあり、さまざまな利害関係もある場所である。
しかし、ウクライナの状況がうまく行っていないことを考えても、今のクリミアが、大きな力を持つ、ロシアに、編入を申し入れても、不自然なことは何もない、と思う。

アジアで考えてみると、韓国と北朝鮮が、歴史的に見て、「韓」と総称されるような、ひとつの国であったことを考えると、韓国と北朝鮮の人々が、統一を心底願っているのは、よくわかることだ。
それと同じように、クリミアでも、この地域一帯の安全と、平和の保証を、願っているのだと考えることができる。

ヨーロッパやアメリカとしては、ロシアの勢力が強まるとか、ロシアが領土を拡大しようとしている、と捉えて、東西冷戦の時代を思い出して、不服なのかもしれないが、まず第一に、クリミア半島に暮らす人々の、心情を思ってほしい、と思う。
そして、平和の方向へ、平和の方向へと、考えて進めて行ってほしい問題だと思う。




ベビーシッター・ブルース。

先日、本当にみなが心を痛める事件が起きた。
ベビーシッターの男性が、預かった小さな子どもを…、という事件である。
安心・安全であるはずの、小さな子どもたちの養育に関して、こうした痛ましい事件が起きると、なにかどうにも、がっかりしたり、心配したり、本当に世の中、どうなっているんだろう…?と思ってしまう。
ただ、やっぱり頼もしいのは、世論であり、またこれに対応する政府の姿勢である。
今、日本社会は、女性と子どものために、できるだけのことはしたい、という論調が高まっている。
今、まったく今現在、国会で予算案が組まれようとしていて、子育てのための支援をどれくらい出せるか、討論の最中である。

今回の事件は、知られている限りの情報を見る限りでは、いろいろな全体像が浮かび上がってきたり、あるいは、疑問点も浮かび上がってきたりする。
今回は、まずお母さんの年齢が22歳であった、ということで、本当に「まだ若い」という印象がある。
また、亡くなったご長男の年齢が2歳ということで、本当にまだ小さい、オムツも取れたか取れていないか、という年齢である。
そして、弟は8か月、ということで、この小さな子は、無事に保護されている。
この幼い兄弟の父親、という姿はどこにも見当たらない。
発言もないようであるし、「○○さんかたの」という名前での、ご主人の名前も記されないようである。

この若いお母さんは、離婚をしたか、初めから結婚していなかったか、ともかくシングルマザーであるようだ。
そして、このベビーシッター紹介サイトであるが、これは、無料提供だったそうだ。
どうして無料提供か、というと、もともと、さるソフト関連会社が設立したベビーシッターサイトで、それは、「お客さんからアンケートをとった結果、要望が多かったから」だそうである。
これは、どんな仕事の「お客さん」なのだろうか…?

ここまで考えると、どうにももしかすると、出会い系サイトなのかな?というかんじがしてくるが、これは印象である。

また、この若いお母さんが、足掛け三日間、小さな子どもたちを、シッターに預けた理由である。
これは、14日の金曜日の夜7時から、16日の日曜日まで、ということなのだが、金曜日の夜から、土曜、日曜と、いったいどんな用事があって、子どもたちの養育ができなかった、というわけなのだろうか…?
出会い系サイトで出会った男性と会うために、出会い系サイトが作ったベビーシッターサイトで子どもたちを頼んだ、ということなんじゃないだろうか…?
…とこれはあくまで、一般的な推測である。

ここまで推測してみて、思ったり考えたりすることは、ひとつは、この若いお母さんが、どれだけ人生とか世の中ということを、知っていたのだろう?ということである。
若くして子どもを授かることは、とても幸せなことだと思うが、苦労もつきまとうものだ。
私はまず、やはり、若い女性たちへの教育ということを、とても考える。
結婚する覚悟、子どもを産み育てる覚悟、あるいはその準備や学問というもの、とても必要なものなのではないか、と思う。
恋愛にしても、結婚にしても、大人の責任というものがある。

この若いお母さんの、ご両親はどんなふうにしていらっしゃるのだろうか。
とても心配である。
私は、社会全体で、若い女性の教育ということに、取り組んでいくことが必要なのではないかと思う。
それは、「幸せとはなにか」という教育であり、常識とか良識とか、世間の仕組み、という教育であるかもしれない。

次に、小さな子どもたちに関しては、社会全体が、神様からの預かりものとして、大切に育てる、という態度や制度が必要ではないか、ということである。
ずっと昔は、村全体で、子どもを育てたものだ。
お母さんも家の仕事を持っていて、その合間に育児ができるように、子守がいた。
子守や、村の人、近所の人、地域社会のなかで、子どもが育てられるようになっていて、若いお母さんが孤立する、ということはないようにできていた。

現代社会を、昔の村社会に戻そうという働きもあるようだが、現実的ではないのかもしれない。
でも、地域で子ども会や育成会を作って、無償で面倒を見るところも、あるようだ。

それから、子育て支援としても、今回の件からも、正規のベビーシッター制度を設けることは、とても賛成である。

海外、特にアメリカでは、ベビーシッターの制度は、すでに出来上がっている。
ハイスクールの上級生くらいになると、学校から推薦という形で、ベビーシッターのアルバイトに登録ができる。
もちろん、家族との面接もある。
私は、高校生や大学生に、こうしたベビーシッターのアルバイトができるような制度を設立してはどうか、と思う。
今、高校生も大学生もアルバイトをすることは当たり前になってきている。
ファストフード店で店員のアルバイトをすることも、社会経験になってとてもよいことだと思う。
それでも、やはり、幼い子どもたちと接する機会を作ることができるし、学校推薦、家庭の両親も賛成、また、ベビーシッターの仕事に就く前に、一定の研修を受ける、きちんとした仕事・アルバイトとして、賃金を払うということで、よい制度になるのではないか、と思う。




2014年3月18日火曜日

山梨市長と上野千鶴子氏。

このところ、女性の活躍がめざましい。
女性の学者や研究者の振る舞い方も、とても注目されている。
女性の活躍がめざましい、というよりは、女性にスポットを当てようという、国政の方針があるからなのだろう、とも思う。
時代の要請に従って、あるいは、政府の政策としても、アベノミクスと並んで、ウィメノミクスに力づけられた女性たちは、数知れないと思う。
「我が意を得たり」とばかりに、女性の時代を謳歌し始めたのだろうか。

ところで、今回の、山梨市での講演会であるが、いったんは上野氏に講演を依頼したのだが、市民団体の反対などで、中止になったのだという。
この中止の理由などをめぐって、中止の撤回が行われた。
なんとも騒動を巻き起こしている状態である。

上野氏にも主張があるだろうけれども、山梨市の側にも、それなりの正当な理由、つまり講演会を中止にしたい理由があったようなので、そのあたりを考えてみると、上野氏の言い分にも何か理不尽さがあるように思えてしかたない。
というのは、市で主催する講演会というのは、市民税、市の予算を使って、おそらくは教育委員会あたりで、企画するものだからである。

市民税を使った講演会が、市民の教育、それも社会教育のために行う講演であり、講師への費用はもちろんのこと、会場は市の文化会館などを、準備するわけである。
そして、参加者は、市民であれば無料、ということになる。
市の事業、公の事業であるから、公平性は、ぜひとも満たさなければならない条件である。
それが、講師になんらかの、公平性を欠くような、思想性や主義主張があったりすると、これは市の事業としてはふさわしくない。

また、これを聴きにくる市民としても、さまざまな思想や考えを持った市民がいるわけであるし、税金を払っているわけであるから、この講演会の要旨に賛同する権利も、反対する権利も、持っているわけである。

これが、個人の立場で参加できる、民間で主催される講演会であれば、なんの問題もないのだが、市の事業であることには、大切な目的があるわけなのだ。

上野氏に、講演を依頼したのは、日程を考えると、昨年の末くらい、2~3か月は前のことだっただろうか、と推測される。
上野氏は、秘密保護法案に強く反対している立場を、ここ数カ月、表明している。
秘密保護法案も、集団的自衛権も、あるいは、自民党、政府与党を支持するかどうか、という点も、国民を二分する論議である。

こうした状況の変化のなかで、山梨市民としても、市民を二分する論議となっている思想やテーマに関して、明らかに公平性を欠くと思われる主義主張をしている講師を、本当に講演させてよいのかどうか、市民としても、良識的に訴える権利はあるだろう。

さまざまないきさつがあるなかで、「申し訳ないが、講演は中止とさせていただきたい」という山梨市の側の立場や、ご自身の主義や、もっと言えば、市で行われる講演会の、主旨、というところを、理解されていないように思う。
こうしたことを、理解しないで、ご自身の個人的見解を、通された上野氏に対して、これからも反対の声は続くのではないか、と思われる。

筋を通すのと、我を通すのは、またちがうことなのではないか、と私は思う。
これからも、女性が活躍する時代として、先頭を歩く女性研究者や女性学者のみなさまには、常識的な振る舞い方を、期待したいものだ、と思う。



2014年3月17日月曜日

マレーシア航空機の謎。

3月17日。週明けの月曜日である。
昨夜も、輝く丸い月が、空のてっぺんを飾った。
今夜は満月になる。

きょうからは、いろいろな、国際情勢の変化がありそうだ。
というのは、昨日16日に、ロシアのソチ、冬季パラリンピックが、無事に終了したからである。
ソチの閉会式を待つまでは、何かそわそわと、ソチの無事を祈り、落ち着かない日々であった。

週明けには、アメリカが、クリミア半島情勢に対して、ロシアの態度に、軍事介入する、という。
これは、ソチのパラリンピックの終了を待ったものだと思われる。

そして、今月8日、先々週の金曜日であるが、この日に連絡を絶ったまま消息不明のマレーシア航空機、この消息が、いくらなんでも、はっきりしてくる、と思う。

なんらかの、「結果発表」が行われるのではないだろうか。
私は、さまざまな情報を耳にして、これはもしかするとハイジャックではないだろうか、と考えていた。
ハイジャックだとすると、国際的なテロ、ということも考えられる。

予想の上に予想を組み立てると、ハイジャック、飛行機テロ、というと、中東とアメリカの対立や、9・11の同時多発テロを思い起こすところである。

もしかすると、クリミア半島の情勢と、今回のマレーシア航空機のハイジャックテロとは、関連があるのかもしれない。
関連がなかったとしても、同一犯人グループではなかったとしても、私たちにとっては、世界のあちこちで、テロや国際問題が起こっていることには、変わりがない。

ハイジャック機が無事に発見されて、乗客乗員が全員無事であることを、祈っている。
もうすでに、どこかマレー半島とは別の場所で、着陸して、対応が進んでいるのではないか、と私には思われる。
そうしたことは、もちろん、国際的な協力のもとで、当人や乗客やその家族を安全に導くために、極秘で行われてきたことだろう。

もしかすると、もう発見されて、乗客の状況も、発表できる状態ではないのだろうか。
犯人が捕らえられたとしても、そうでなかったとしても、これは、ハイジャックが起こったというだけで、国際問題に影響してなんらかの火種となることは、まちがいなさそうである。

週明けになるまで、平和の祭典・パラリンピックが終わるまで、テロリストたちに対する強い対応や発表を、待った、とも言えるのではないだろうか。

北朝鮮に関する情勢では、かねてより問題のあった、拉致の問題に関して、新しい展開が見えてきている。
娘さんを拉致されてしまった、横田夫妻が、お孫さんにあたるヘギョンさんに、これはモンゴルという地で、再会する機会があったと、報道があった。
これは、事後の報道である。
もちろん、安全を考えると、そうなるだろう。
しかし、場所がモンゴル、というのは、どういう意味なのだろう?

それと同時に、北朝鮮では、連日のように、ミサイルの発射を行っている。
これはいったい、世界各地で、平和の天使と、戦争の鬼が、戦っているようなふうにも見えてくる。
なんだか、ざわざわしている。

今週は、日本国内では、春の甲子園大会と、日曜日には大阪市長選挙の投開票がある。
社会は、増税前であったり、卒業、入学、春休み、そして引っ越しシーズンでもあり、あわただしい。
この、社会のざわざわした状態を、乗り越えていくためには、心強く持たなければならない、と本当に思う。

何かありそうな、何か不穏な、週明けの月曜日である。






2014年3月16日日曜日

小保方晴子さんのSTAP細胞研究に思うこと。


小保方晴子さん、そんなに言わなくてもいいのに、と思ってしまう。まだまだ若い研究者で、未来もある。研究の世界は一生「試験管洗い」で終わってしまう、成果の出せない研究者もいて、その人たちのデータの上に成り立っている世界だ。華々しい成果を出せなくて悶々としている研究者たちがいる。

一生を試験管洗いで終わるような研究者たちの、基礎研究のデータの上に、ひとりの研究者の華々しい成果発表がある。そうした研究者の世界の、妬みなのではないか、と思う。それは研究の世界の上下関係や古い構造によるものだ。

小保方さんには、成果を出した人は、批判も妬みも、悪い評判も、言われて当たり前のことなのだから、がんばってほしい、と思う。

日本の女性研究者を支えるスポンサーは、資生堂やエイボンなど、化粧品会社がバックアップしていることが多い。民間の研究は、そういった方向へ進まざるを得ないのが現状だ。研究にはなんといっても、お金がかかる。

化学・生物実験の際には、白衣を着る、これには大きな意味がある。白いことで、薬品から守ったりする。社会的意義もある。アクセサリーは金属なので研究結果に影響を与えたり、アクセサリーのほうが傷んだりするので、つけないのが鉄則、その鉄則・常識を守らないのも、批判の的になった。

山中教授のiPS細胞の研究が10とすれば、STAP細胞の研究は、0・5くらいなものだろう。それでも、若手研究者の芽で、大切に守り育ててあげたい。

本当は私は、大学の格差や上下関係もあり、こうしたことは言える立場ではないが、一女性として、ひとりの女性の活躍を見守り支えてあげる、日本の土壌を期待している。

論文が「コピー&ペースト」だったと言われているが、どんな文献であっても、研究論文ならなおさら、引用があって当たり前である。ほとんどの論文が、あの引用、この引用、そこから、自論を展開する、書き方として定着している。


★ ツイッターに投稿したものを、まとめてみました。

スプリングセール。


毎日のお楽しみ、というといろいろなものがあるけれど、私の、このごろの楽しみは、毎朝のチラシを見ることである。
一枚一枚、丁寧に隅から隅まで見ることがある。
そんなに毎日、チラシに釣られて、買い物に出かけることはないけれど、きれいな赤や青のラインとか、レトロっぽいデザインとか、どんなものがいくらで販売されているとか、あるいは、期間限定のお得なクーポンがついていたりして、これがなかなか楽しい。
今年の春、3月に入ってからは「増税前の」という言葉が必ず大きく入ってくる。
8パーセントはよくよく計算してみると、そんなにお得ではないのでは?という、消費者センター的な専門家の話もあるし、4月になったら、むしろ本体価格が値下がりするのでは、という話もある。
それでも、びっくりマークと数字の踊ったチラシは楽しいものだ。

今、みんな、どんなものに興味があるんだろう?と思う。
小学生や中学生には、塾のチラシが毎日、毎日である。
いろいろな塾があるものだ。
大手の全国展開の塾もあれば、一対一の個人レッスンが効果的、とうたうところもある。

春のフォーマルも、あの店とこの店とでは、お値段がゼロひとつ分くらいちがったりして、どこがどんなふうにちがうものなのか?朝から考え込んでしまう。

スーパーマーケットのチラシは、季節と旬を伝えてくれる。
ひな祭りからお彼岸、卒業や入学のお祝い膳まで、スケジュール管理にアラートを鳴らしてくれる。

時には、お墓や墓石、葬祭場のチラシまで入ってきて、このごろの墓石は、デザインも豊富、「旅立ち」「悠舞」などと、名前もつけられている。

割引クーポン券は、何か特別な切符のように見えてくる。
20パーセント引き、これは計算機が必要だ。
なかには、ミシン目まで丁寧に入っているものもあって、手できれいに一枚一枚切り取って、ポケットに入れておけるようになっているのだ。

小さなお財布の、小さなコインで、どこでどんなものを手に入れましょうか。
小さなコインは、小さな自由でもある。
気晴らしにちょっとお金を使う、というのも楽しい。
色鮮やかなチラシたちは、私たちに、「あなたのコインの使い道」について、やさしいアドバイスを配ってくれている。
私は急ぎの用事の道すがら、春の色のショーウィンドウを見てみては、小さなコインをてのひらで、また裏返しては表に返す。



2014年3月15日土曜日

連載・74 春のキッチン。

お料理エッセー・そら豆のひとりごと。

少しずつ、だけど確かに、陽射しが強くなった。
今年はまだ、水がとても冷たいけれど、キッチンはちょっと厚めのカーディガンを羽織れば、気楽に動けるほど、温かい。
空気が温かいというのは、気分のよいことだ。
私は北海道育ちだからだろうか、それともみんながそうなのだろうか、冬の間はじっとして部屋でインドアな編み物をしていたとしても、春になると、少しからだを動かして、何かしてみたくなる。
春の陽射しには、なんだかそんな魔法の力があるみたいな気がする。

友達に誘われて、キッチンの整理整頓をしてみることにした。
女性たちが、「しようと思っていてなかなか手が付けられないこと」のひとつに、「片づけ」があるそうだ。
それも、日々の片づけというよりは、大々的に、「この棚ひとつ全部きれいに片づけなきゃ」というような規模である。
これが、なかなか手をつけられないので、友達とお誘いあわせの上、一緒に片づけに取り掛かることにする。

携帯メールで連絡を取り合って、「いったん休憩しよう」「次はどこに取り掛かろう」「こんなものが出てきた」「ここはこんな洗剤を使おう」と、互いに状況報告しあいながら、つまり、励ましあうというか、同類項で力を合わせる、というわけである。

毎年、春になると、そうして一部屋一部屋片づけてみるのだが、今年はキッチンに取り掛かっている。
新しいカフェカーテンも、新しいカレンダーも、新しい食器もカトラリーも、次々に買い足しては、棚に入れてある状態だ。
それを、いったん見直して、もう3年も使っていなかった食器は、きれいに洗って包んで、奥の棚にしまう。
5年もしまっておけば、きっとまた、懐かしくなって出してくることになるだろう。

そして、また互いちがいに、8年も前にしまっておいた、古い食器も出てくる。
それらを水にひたして、「これ大好きだった」「あの店で買ったのだった」と思い出すのも、また楽しい。

キッチンの仕事は、毎日の仕事である。
一日に何回も、水仕事、火の仕事をする。
食事という、人々の生活は、それが営むということなのだろう、毎日、たんたんと続けていくよりほかはない。
あるときに、ふと速度をゆるめて、全体を見直す、ということは、とても大事なことだと思う。

冷蔵庫のなかから出てきた野菜と、食料庫のなかから出てきた調味料と缶詰と乾物とで、煮物を始める。
鍋にお湯を沸かして、固型コンソメを溶く。
えのきだけをサクサクっと切って、鍋に入れる。
ベルギー産の小さな丸いじゃがいもの缶詰を開ける。
それから、豆の缶詰も、思い切って全部入れてしまう。
冷凍のホウレンソウも使い切る。
ホールトマトも賞味期限がせまった。
トマト風のスープになりそうである。

コンロで煮物をコトコトと続けながら、またキッチンの上の棚に、のぼってみる。
ひと段落したら、また友達にメールして、きょうの分を片づけ終えて、そしたら、あたたかいスープをいただこう。
ひよこ豆のやわらかい粒に、ふと微笑みがこぼれる。



2014年3月14日金曜日

小松一郎法制局長官。

国政の場で今、小松一郎法制局長官の動向が、話題となっている。
国会ではなく、委員会の場において、不適切な言動があった、ということらしい。
その態度を見咎められて、民主党議員から、更迭を要求する声が上がっている。
これは、発言の内容そのもの、というよりも、態度が問題なのではないか、と私には思われる。
かなり、声を荒げて、怒鳴るように、顔と顔を突き合わせるようにして言い合いをしたようだ。
その内容も、「小松さんは頭の体操をしている」「それなら頭の体操のリストを出してさしあげましょう」というような、売り言葉に買い言葉、的な言い合いであって、とても大人の論争とは言えない状態だったようだ。

国会では、先日も、アントニオ猪木氏が、大きな声を出して、注意を受けている。
どうも国会も国政も、おだやかではないらしい。
私は思うけれども、それは、論議がとても白熱している、ということで、白熱するほどの国会というのは、むしろ好ましいものではないだろうか。
以前は、牛の歩みのような、国民がちょっとなんだか思うような場面だってあったのだ。

小松一郎氏が昨年8月に任命された、法制局長官、という仕事の内容は、私たち国民がどんなふうに政治を勉強しても、なかなか理解しずらい役である。
もともと、国会というのは、今ある法律の是非を審議したり、これから新しい法律を制定したりするために、審議して決議を行うところである。
この国会の審議に提出するための法案を、提出する前に、一度、目を通しておいて、「こういう法律なら問題ありませんよ」と認定するのが、法制局の仕事だそうだ。

この法制局が制定されたのが、明治の初めであるから、新しい法律を制定するために、まずは法案として国会に出せる内容なのかどうかを、あらかじめ「誰か」が、認定する必要があったのだろうと推測される。
なにしろ、明治時代というのは、民主化が始まったばかりのころなので、まだ法律というのがよくわからなかった国会議員が、とてつもない法案を、提出しようとしたのかもしれない。
あるいは、「だれか」にとって都合の悪い法案が、国会に提出されることが、あったのかもしれない、と推測される。
いずれにしても、かなり古い時代の制度である。

この法制局の長官に、小松一郎氏が抜擢されたのは、昨年の8月である。
小松氏は、国際法が専門であるようだ。
当時の日本の状況は、「すわ、戦争か」という時期であった。
アメリカやヨーロッパとの対応に、国際法に詳しい人材を、副大臣クラスの、総理大臣の相談役として、置く必要があったのではないか、と思われる。
そして、その役にふさわしい履歴が、小松氏にはある。
国際法の専門家として、スイス、リヒテンシュタイン、フランスで駐在して、外務の仕事を歴任している。
スイス、リヒテンシュタイン、と言えば、言わずと知れた、永世中立国である。
この永世中立国は、永世中立であるために、軍を持っている。

今の世界情勢のなかで、軍を持たないで中立を保つのは、現実的ではない、というこのものの考え方が、私は好んで考えていることである。

こうした、永世中立と軍隊を持つことの意義を、日本の社会のなかで、人に説明するのは、本当に、とてもむずかしい。
しかしこの社会状況のなかで、誰もセキュリティもしないで平和を維持できるのだろうか。

憲法において、「自衛」は保障されているが、どこからどこまでが「自衛」に当たるのか、それは、外からの働きかけによるものではないかと、私は思う。

私は、スイスやリヒテンシュタインの法律には詳しくないが、もしかすると、スイスの永世中立の基礎となる概念に、軍隊を持つことは「自国の自衛のためである」という考えが、あるのかもしれない。
それで、小松氏の考えとしては、日本が軍隊を持つ際に、憲法を改正する必要はなく、「自衛」の概念を変えていくことで、軍隊を持つことができる、ということなのではないだろうか。
わざわざ「国家安全保障基本法」を作る必要はない、ということではないだろうか。


集団的自衛権の解釈が話題となっている。
小松氏は、その「自衛」が、国際法的に見て合法であることを、日本社会で解説することに、とても苦心しているのかもしれない。

「自衛」の概念は、むずかしい。
無防備に、自転車の前カゴに、大金の入ったハンドバッグを入れておいて、その状態で街を歩いて、カゴからバッグを取られない社会が理想である、と夢見るのはたやすい。
しかし、現実的には、自転車のカゴのバッグは、ひったくりに会うのである。
ひったくりから「自衛」するのが、カゴにネットをかけておくことだろう。
そのくらいは自分でしておかないと、お巡りさんに訴えても取り合ってもらえない。

集団的自衛権の解釈は、「世の中の状態がどのくらいで、どの程度自衛しなければならないか」の現実直視である。
この世界情勢のなかで、軍隊を持つことは、集団的自衛権の範囲なのではないだろうか、と私は思う。

小松氏は、高い国際意識が、国会議員に伝わらなくて、ちょっとイライラしただけなんだろう、と思う。
共産党や民主党に、どんなふうに嫌がらせ発言をされても、がんばって高い国際意識を、貫いてほしいものだと思う。

2014年3月13日木曜日

移民と人種・民族問題について。

お花見の季節となった。
花の便りを聞けば、毎年、どの公園でどんな人たちとお花見をしようか、楽しみに計画を始めるものである。
今年、上野公園では、いわゆる「ゆるきゃら」が登場して、お花見のお客さんに、マナーを守るように呼びかけるそうだ。
お花見というのは、日本の伝統的なしきたりや、親や先祖から受け継いだ、身体に自然に染みついた、マナーがある。
それらを守れない人たちがいると、花の美しさを楽しめない。
どこにあっても、どんな場所で何を楽しむにしても、そこの場所には、言わずと知れたマナーがある。

「郷に入れば郷に従え」とは、よく言ったものである。
知らない、では済まされない。
有名な温泉地に行って、「郷に入った」にも関わらず、「郷」における、文化や習慣を知らないばかりか、教えられても守らない、あるいは、初めから知ろうとしないで、
出身国の文化や「やり方」で通そうとする外国人がいる。
こうした人たちに対して、「マナーを守ってください」と、まず伝えるべきだ。
それでもマナーを守らないので、「出て行ってください」と言われるわけだ。
こうした、マナーを守らない一部の人たちに、私たちの楽しみや文化を簡単に奪われて、許しておくべき理由は、
何一つない。どこにも見当たらない。

異文化への危機感、というのは、実は本能的なものである、と私は思う。
自分とちがう振る舞いや言葉、服装や表情を見て、違和感を感じる。
それは、自らの命と生活を守ろうとする、生物としての、基本的な生体維持の本能である。
私たち人間は、人間らしい生活を送るために、この違和感を、慎重に検討してから、
「この人物は自分の生命と生活にとって、危険はない」と判断する。
そして、ようやく、気心が知れて、胸襟を開いて、話し合うこともできるのではないか。
そうした、感性、感受性というものを、無視してはいけないと、私は思う。
自らの感じる「違和感」というものに、時には率直に向き合うことが大切だ。

韓国や中国に対する、自然に感じる違和感は、誰もが持っているものだ。
それを、どう自分のなかで考えていくかは、個人の自由であり、判断であるかもしれない。
しかし、その「違和感を感じる感性」までも否定することはできない。

これから、日米韓の対談が行われようとしているときに、なにもヘイトスピーチまですることはない。
韓国や韓国人、韓国文化に対する違和感は、心のうちに、そっとしまっておけばいい。
あるいは、ツイッターでつぶやいてみるのも、ひとつの、感情対処の方法ではないだろうか。
確かに「やりすぎ」の行動はあるだろう。
しかし本音であることは、本人にとって、確かなのだろう。

グローバル化にともなって、日本にも、たくさんの外国人がやってくる。
そして、日本にとっても、移民を受け入れるか否かは、目の前の現実として、せまってきていると私は思う。
それは、東日本大震災からの復興や、東京オリンピックの準備のための、労働力に表される。
これは、いわゆるブルーカラーであり、肉体労働、ということになる。
日本人はすでに、お母さまから「大学まで出したのに」と言われて、ブルーカラーを徹底的に嫌い、ホワイトカラーであることを夢見る状況になった。

しかし、男性はもともと、スポーツのような感覚で、日払い・日雇いの肉体労働は、好きなんじゃないだろうか、と思うこともしばしばである。
若いうちはそのありあまる身体エネルギーを、肉体労働、建設労働に注いでも、よいのではないだろうか。
学生アルバイトとしても、よいのではないか、と思うのだ。

こうした、肉体労働、いわゆる3Kと呼ばれる職業に関して、外国から、特にアジアの新興国、中東からもイスラムを信仰する人たちが、すでに職と住処を求めて、日本に入ってきている。
彼らは、労働ビザで来日して、住居を定めているのであるが、この人たちを、日本人として、正式に移民政策で受け入れるかどうか、世界中から、日本の移民政策は遅れている、と言われているのだ。

ここで、「異文化に対する、感受性としての危機感」を思い出したい。
私も、そして、日本の世の中のほぼすべての「お父さん」たちが、イスラムの顔立ちに対しては、我が子を守る本能から、我が町には一歩も踏み込ませたくない、と強く強く思っている。
断固として思っている。

そこに、平和主義や平等主義の理想が、建前となって立ちふさがって、にっちもさっちもいかなくなっているのだ。

ヨーロッパでは、国境が地続きになっていることがあり、民族間の対立が、歴史的にどうしても避けられなかった。
ここは、四方を海に囲まれた単一民族である日本と、欧米諸国とのちがいである。
日本においては、ヨーロッパよりも、民族間の問題は、もっともっと、問題提起されるテーマとなるだろう。

ヨーロッパでは、キリスト教圏において、「もっとよい場所を求めて、住処を変える」「どこか別のところに住み替える」ということが、当たり前になっているような感がある。
キリスト教の聖書でも、「出エジプト記」があり、「ここがだめなら、もっと住みよい国へ」という発想があるようだ。
しかし、日本に来る外国人は、「もっとよい場所」というよりは「もっとよい政府へ」と言っているのだと思う。
自分たちで国や政府を作る気持ち、国民として政府を維持する気持ちが、ないのである。

そして、こうして、国から国へと渡り歩く人たちは、国を維持して故郷に住んでいたいと思う人たちと比べて、ごく一部の、ヒッピー的思想を持った人たちなのである。
流れ流れるヒッピーに、手厚い福祉政策を与えることが、果たして理想通りのことなのだろうか。

ヨーロッパでは、人種間の平等に、むしろ固執するあまり、中東から、イスラム系の人たちがたくさん移住してきたものを、積極的に受け入れた。
しかし彼らは、「郷に入れば郷に従え」という発想はまるでなく、ヨーロッパの街並みのなかに、モスクを建設して、朝からコーランのお経を、大きな声で唱えるのである。
これは、人間としての権利かもしれない。
しかし、自国の文化を守るのも、人間としての権利ではないだろうか。

日本に来る海外からの観光客は、日本の日本らしい文化を、見て体験するために訪れる。
それは、京都、奈良、浅草など、建物や街並みでもあるが、日本らしい質素な生活態度や、絆、や江戸しぐさ、といったところではないだろうか。
ここに、何かとてつもなく無防備に、移民という平等思想を持ち込むと、京都の街中で、由緒ある寺院の横に、モスクの金色の建物が立つ、ということに、なってはしまわないだろうか。
どこに行っても同じような、文化も伝統もまざった状態になることが、グローバル化、と呼べるものなのだろうか。

京都ではすでに、文化伝統を守るための、条例がある。
そうした条例を、それぞれの自治体が町ごとに、定める権利は、あると私は思う。

今後の日本の、移民政策に対する課題は、日本の伝統や文化を踏まえて、慎重に行われるべきである、と私は思う。




2014年3月11日火曜日

原子力発電の仕組み・運動エネルギーから電気エネルギーへ


運動エネルギーから電気エネルギーへの変換の仕組みについて。

原子力発電は、放射性物質がエネルギーを発生するところから始まる。
エネルギーを発生する性質を持った物質を「放射性物質」と名付けた。
その物質から発生するエネルギーで水を沸騰させる。
沸騰した蒸気が上がる力を使って、回転エネルギーへ、上下運動のエネルギーへと伝道していったのが、蒸気機関である。
蒸気がタービンを回して、上下運動するピストンへと運動エネルギーにしていく。

運動するピストンから、どのように電気を発生させるか、
ここに注目してみてみよう。

電磁石という仕組みがある。
銅線をぐるぐると巻きつけた束を「コイル」と呼ぶ。
これ自体は金属の塊であって、電気は流れていない。
この金属の塊に、もともとのS極・N極の「磁性」を持った磁石の塊を、
近づけたり、離したりする。

ふたつの金属の塊があって、片方は磁性を持っている。
この塊が、近づいたり、離れたりすることで、
「磁場」が生まれ、
もう一方の塊にも「磁性」が発生する。
そのとき、極の端から端へ電気が流れる。
コイルに電気が流れる瞬間である。

コイルはもともと銅線(電線)の束であるから、
この電線に、初めて電気が流れることになる。

上下運動するピストンは運動エネルギーを持っている。
運動エネルギーが電気エネルギーに変換されるのが、
この「磁場」の特徴である。




原子力発電の仕組み・放射性物質から運動エネルギーへ。


すべての物質は、原子でできている。
小さい原子が集まって、ひとつの物質を作っている。
原子がひとつ集まると、水素という物質ができる。
原子が26集まると、鉄という物質ができる。

鉄は、永遠に原子の数が変わらないし、
鉄の性質も変わらない。
たいていの物質は原子の数を変えることはないし、
性質が変わることもない。

ところが、放射性物質は、原子の数が時間が経つにつれて、
少しずつ減っていく。
200だった原子の数が、100へと減っていく。
200だったものが半分の100まで減るまでの時間を、
その物質の「半減期」という。
文字通り、原子の数が半分に減っていくのである。

原子が減っていく過程で、
そこから、離ればなれになった原子と、エネルギーとに分解される。
このときに発生するエネルギーが、放射性物質に基づくエネルギーということになる。
小さな石のような塊が、熱も力も加えることなく、ただエネルギーを発散し続ける。
こういった性質を指して「放射性」と名付けた。

この性質を持った物質に、別の物質をぶつけると、「核分裂」と呼ばれる反応を起こす。
もともと崩れやすかった原子の構造が、つぎつぎに崩れていき、エネルギーを発散しながら、別の物質へと変化する。

このエネルギーは、熱であったり光であったりする。
放射性物質が放つ光はエネルギーである。

放射性物質から出された熱エネルギーでお湯を沸かすのが、
原子炉の主な仕事である。
だから、原子炉の釜のまわりには、水がある。
これは沸騰したさいに不純物が出ないような、
化学合成された純粋なH2Oであることが望まれる。

放射性物質を、厳重な釜の中におさめ、
そのまわりに水をめぐらして、放射性物質から伝わる熱で、水を沸騰させるので、
放射性物質がそのまま、水に接することはない。

蒸気機関とは、産業革命の際に発明され、使用され、
人間の歴史に大きな転換をもたらしたものである。
やかんでお湯を沸かすと、沸騰したときに、中のお湯が蒸気となって、
熱い空気でふたを上げる。
上げられたふたは、再び、重力で下がる。

地球上には重力が働いているので、モノを手放せば自動的に落ちていく。
ここにはエネルギーは必要ない。
しかし、ものを上にあげるのには、エネルギーが必要である。
沸騰した水蒸気は、ふたなり、モノなりを、重力にさからって、上にあげる。
この力がエネルギーである。

ここに「杵」に似た棒を取り付ければ、
蒸気の力で上がったり下がったりする。
この上下運動を利用して、さまざまなエネルギーとして、使う。

運動エネルギーである。

2014年3月10日月曜日

3・11-ーあれから3年。

今年も、3月11日がやってくる。
季節はめぐり、時は流れていくもの、と頭ではわかっていたかもしれないが、
こうして、3・11からの3年が流れていくと、
それは、人生で初めての体験であるかのように、
「時は流れていくもの」と思わされるのだ。

あの春も、寒かった。
揺れが来たとき、どこにいて何をしていたか、
もう誰も語らなくなっている。
でも、心のうちでは、あのとき、
どこにいて何をしていたか、よく覚えている。
ガラスが扉を開く音も。

今年も、3・11が近づいてきて、
年明けからはめっきり、「あれからどんなふうに人生を…」と、
語ることが多くなっている。
不思議なことだけれど、3年より前のこと、
震災前の自分とか、震災前の人生とかいうのが、
はっきりと思い出せなくなっている。

そして、震災の年の2月になにをしていたか、とか、
3月にどんなふうだったか、とか、
5月、6月、そして、夏にどんなふうだったか、
その季節の記憶だけが鮮明すぎるほど鮮明だ。

日本では、ちょうどツイッターのブームが来ていた。
2011年の1月に、エジプトでツイッターで集ったメンバーの、
デモがあったのを覚えている。
ハッシュタグは1月25日を表すものだったろうか。

日本でも、そういったインターネットを使ったデモが起こるんじゃないか、
と思われていたころだった。
それで、私もツイッターのアカウントをとった。

日本では、ツイッターブーム、デモの動きは、
震災と共に起こった。
私も、何か言わなければならない、という気持ちになって、
ツイッターやブログ、そのあとにフェイスブックのブームがきた、
夢中で何かを、言葉を、発し続けたように思う。

誰にとっても、震災は大きな、大きな、ことだった。
あのとき、あの東北の状況を見て、
人生を変えた人、ライフスタイルを変えた人は、たくさんいると思う。
私もそのひとりだ。
できるだけ早く、命を燃やし尽くして、書き始め、書き続けよう、
どんな形でもいいから、言葉を発してから、命をつなげよう、と、
本気で思ったのだった。

3月が近づくたびに、あちこちで、特集が組まれる。
これから日本においては、永久に、3月の特集が組まれていくのだろう。

福島の人々は、「まだ私たち被災地が復興していないのに、
東京でオリンピックを開くなんてどういうこと?」と怒りもあるようだ。
でも、あの震災でつらかったのは、被災地のその当地の人たちだけじゃないんだ。
それをわかってほしい、と思う。
私たちは、みんな一様にとてもつらかった。
それで、未来に向けて、日本の国が、前を向いて歩いていくための、
何か明るい希望が、すごく必要なんだということを、
被災地の人々にも、わかってほしい、と思う。

私は、誕生日が3月である。
あの年、私には、誕生日のプレゼントもお祝いの膳もなかった。
これから毎年、誕生日には、生きる変節となったこの3月を思いながら、
年を重ねることになる。

陽射しがどんどん強くなり、
毎日が新しく生まれ変わるこの3月に、
また今年も、もう一歩、
前に前にと、しがみつくようにであっても、
進んでいきたい、と思うのだ。




2014年3月8日土曜日

四月からのNHK講座。

今年も、3月となった。
年度末である。
4月からは年度初め、ということで、新入生がたくさん、
学校に入学する。

私たち社会人も、こうした「新入学」の体験をすることができる。
それは、NHK教育テレビ・Eテレの、学習番組を見ることである。
私も、私の両親も、3月のこの時期になると、
4月から始まる新講座の選択に、余念がない。
テレビでもラジオでも、語学講座が始まる。
4月から始まるので、この第一回の放送は見逃せない。

語学だけではなく、お料理、園芸、デザイン、近ごろではスマートフォンの使い方やゴルフの上達レッスン、歌唱のレッスンもある。
どれも、楽しく見て、勉強になる講座である。

私は、裁縫に興味があるので、裁縫の基礎から、しっかりと学べる講座を、
放送してほしいと思っている。

これまでの裁縫のレッスン講座は、「すてきにハンドメイド」という題で、
木曜日の午後9時30分から放送されてきた。
少しでも手芸に興味のある人なら、見てわかると思うのだが、
初心者にとってはむずかしすぎて、
熟練者にとっては、簡単すぎる、
あるいは、材料も道具も手に入りにくい、
という番組内容である。

オールマイティに、エンターテイメントの番組として、
「見て楽しければいい」という趣旨で作られているのではないか、と思う。
「きょうの料理」も、どうしても、ある程度、料理の基礎ができる人が、
見て楽しい、という番組作りになっている。
つまり、初心者にはむずかしすぎて、
熟練者にとっては、物足りない状況なのだ。

せめて四月は、学生たちも、単身赴任のお父さんも、
料理や裁縫を基礎から自分でしてみたい、という視聴者も多いと思うので、
じっくりと、道具のひとつひとつから、
NHKのテレビだけ見ていてできました、という番組作りをしてほしいものだ。

私の母も、料理の基礎は、NHK「きょうの料理」を、
毎日そのまま、夕食メニューとして作って練習したのだ、という。

私は、まず若い女性たちが、今、流行の、
手作り手芸や、洋服のリメイク、サイズ直しや、バッグ作り、
手縫いもミシン縫いも編み物も、基礎の基礎が本当にできるようになるまで、
じっくりとレッスンしてほしいものだ、と思う。
若い女性たちにとって、社会勉強にもなり、とても充実した教育番組になると思う。


2014年3月7日金曜日

宿命のライバル。


仕事で知り合った、ある男性の友達に、
「あなたには宿命のライバルはいるか?」と尋ねてみたら、
「いる」と答えた。
実は、私にもそうした、宿命のライバルがいる。

それは、小学校のときから、同じクラスだった女の子だったり、
中学校は中学校でライバルがいたし、
文学の世界には文学でのライバルがいた。
そして、そのライバル関係が、学校卒業と同時に自然に消えてしまうこともあるけれど、なんとなく、一生のライバルになっている場合もある。
人生を生きてくると、その人生が長くなった分だけ、
ライバルとの数々の戦いの日々が、長くなってくる。

ついこの間であるが、冬季オリンピックで、
日本の女子フィギュアスケートの浅田選手と、
韓国のスケート選手のキム・ヨナさんが、
これも宿命のライバル、と評されていて、
私は、「真央ちゃん、負けるな!」という気持ちで応援していた。

ところが、やはりこの対決に関して、
「なんで真央ちゃんばかり応援するの?」
「ちがう国だからといって、別に敵でもないし、
けんかする必要なんてないんじゃないの?」
「みんな仲良くすればいいじゃないの」
という声が、相変わらず聞こえるのである。

私は、最近、女性からはともかく、男性からも言われているのだが、
「どうしてそんなにけんか好きなのか?」
「どうしてそんなにけんかが強いのか?」
そして、「世の中ではいじめ問題が深刻化しているが、
もしかするとあなたは、いじめる側なんじゃないのか?」
とまで、
と言われてしまうのである。

そういえば、アメリカともけんかしたし、
中国ともロシアとも韓国とも、かなりけんかしたような気がする。

しかし、私の考えというか、感覚のなかでは、
ライバルというのは、あくまで好敵手、である。
ライバルがいるから、向上も成長もある。
このごろの運動会では、一等賞もびりっけつもなく、
みんなが一等賞だというが、解せない話である。
そんな横並びの精神が、いったいどこから出てきたのだろうか。

私が思うには、横並びの精神というのは、
女性の特質だという話である。
なんでも、最新の脳科学によると、女性の脳と、男性の脳は、
構造がちがうのだそうである。
それで、女性は生まれつき、横ならびの女性社会を組み立てるのだそうだ。
逆に、男性は、縦並びの社会を構成する傾向があるそうである。

男性の縦並びの社会というのは、いわゆる、上下関係のある、
ピラミッド社会であるが、
これは、差別でもなんでもなくて、
社会を構成する、組織体の問題である。
おおぜいの人が群になって同じ行動をするときに、
指揮系統というものは、やはり必要なのではないだろうか。

そのときに、上にたって指示する役になるか、
それとも、下にたって、指示を受ける役になるか、
これが、組織体である。
上になるか下になるか、どちらかであって、
横並び、ということはないわけだ。

それでも、人間としての尊厳は同じ価値であることには、
変わりはないと思う。

この上下関係、組織体が、男性社会である。
男性たちは、自然に、生まれついたままに、
この上下関係を作って、どちらが上かどちらが下か、
ほんの30分もふたりで一緒にいれば、
すぐに決まるのだそうである。

こうした男性社会の仕組みが、世の中全体を動かしているわけであるが、
その男性社会のなかで、女性たちがどのように、仕事をしていけるのか、
これは、大切な問題である。
すでに出来上がってしまっている、上下関係とピラミッド状態である男性社会のなかで、この社会を、横並びの女性社会に、変革してしまおう、という試みは、成功したという話をいまだかつて、聞いたことがない。
やはり、出来上がっている男性社会のなかで、自分が、上下という立場のなかを、生きていくしかない、と思うのである。

そのときに、大事になるのが、「どちらが上でどちらが下か」という問題である。
それを決定するための儀式的決闘は、別に、けんかでもなければいじめでもない。
正当な人間関係である。
上にならなければ、下になってしまう。
上下があるのなら、下よりも上のほうがいいに決まっている。

横並びの社会は、女性同士でしていればいいことだと思う。
それに、やはり、「好敵手」であるライバルがいて、
必死で戦うことは、とても楽しい。
生きていて一番楽しいことは、自分が向上していくときの、
息を切らすようなギリギリの苦しい呼吸であるかもしれない。
そして、成長するための苦しみというのは、
人生の充実の喜びとイコールである。

私は、楽な人生は、生きたくない。
気楽で仲良しというのもよいのだけれど、
走って走って、息が苦しくて、見上げれば空が青くて、
風が通っていく、そういう人生を生きていきたい。

宿命のライバルは、そうした人生をいやおうなくせまってくる。
大事な人生を、けんか腰と言われてもいいから、
元気よく生きていきたいのである。




2014年3月6日木曜日

ドラクロワ「聖母子像」。


美術館には、よく足を運ぶ。
このごろの近代では、印刷技術がとても発達してきて、
きれいに印刷された絵でも、絵画を楽しむことは、できるのだが、
どうしても、画家が描いた「本物」でしか、
体験できない印象というのがある。
これは、本当に不思議なことだ。

文筆をしている人にとっては、活字は、活字のままである。
印刷されても、「言葉」の持つエネルギーが、
変化したり、伝わらなくなったりは、しないものである。
時には、翻訳されても、ストーリーの意味は伝わるし、
そこに描かれた人物や人生や、ものの考え方も、
伝わるものである。

しかし、絵画、ときには、音楽も、
その場に居合わせないと味わえない芸術体験というのが、あるものだ。

私は、イタリア、ローマ、フィレンツェの、ルネッサンスの時期の絵画が、
けっこう好きである。
不思議なもので、一時期はモダンアートやシュールレアリズムに傾倒した時期もあったのだが、やはり、ルネッサンスに心が戻ってしまう。
たとえば、ボッティチェリの春であるとか、ヴィーナス誕生とか、である。
また、レオナルド・ダ・ヴィンチの人気も、今も昔も、あきるということがない。
そこには、中世という暗黒の時代から抜け出そうとする、人間の、人間らしい息吹が感じられるのである。

キリスト教文化圏においては、その思想や精神世界が、絵画のモチーフとして描かれることが多いように思う。
静物画や人物画もいつの時代も興味深いけれども、
私はこの、宗教芸術というのが、好きである。
というのは、それがキリスト教であれ、ギリシャ神話であれ、
一度、活字で読んだ物語や概念が、絵画として表現されていて、
それぞれの芸術家が同じモチーフで、さまざまな描き方をするからである。
「さまざまな描き方」というのは、表現や解釈の問題でもあるし、
その芸術家が持っている才能や努力の表れでもある。

たとえば、先日は、オリンピックのフィギュアスケートで、
「オペラ座の怪人」や「ロミオとジュリエット」が演じられた。
これは、ずっと以前から使われてきたモチーフで、
それを、この選手本人が、どのように解釈して演じるか、
そこは、「だれだれさんのロミオ」「だれだれさんのジュリエット」となるところである。
私の好きな大文豪の作品も、何度も映画化されている。
そうすると、「だれだれさんのナターシャ」「だれだれさんのコゼット」というように、表現がさまざまに開花して、監督や俳優の、個性と才能を、味わうことができる。

絵画でいうと、中国では敦煌の仏教芸術も、宗教絵画のひとつである。
日本ではシルクロードをテーマに、日本画を極めた芸術家もいる。
古来から、仏教画は、わかりやすく宗教の概念を教えるために描かれたものであるが、それよりも私は、やはり、目に見えない宗教の世界は、画家にとって、とても魅力的なテーマであったのだろう、と思う。

私が、好んで観ているのは、キリスト教圏の、「聖母子像」である。
これは、幼子キリストと、その母マリアを描いたもので、
母が幼い子どもを抱き上げたポーズが、ほぼお決まりとなっている。
この、「母」をどのように描くか、ここに、芸術家の才能の極致があると、
私は思う。

私が実際に観て、感じて、「これは本当にすばらしい」と、
しばらく絵の前から動けなくなったのは、
ドラクロワの聖母子像である。
地方であろうか、麦畑の収穫の背景に、
素朴な姿の母と、ふくよかな幼子が描かれている。
その母子像の、輝くような徳というのは、どのように言い表せばよいのだろう。

この美術展では、ほかの絵画も何枚も展示されていたのだが、
ドラクロワだけ、光り輝いて、観覧者の足を、止めていた。
あの、絵画が持つ力は、なんなのだろう?

帰りの雪道を、感動を身にまとったまま、サクサクと歩き続けると、
歩道の背後から、なにか高ぶったような少年たちの話し声がした。
「やっぱり、表現力かな?」
「そうだよ、表現力だよ」
近くの美大の学生たちである。
「そうかな」
私は心の中で思う。
「それはやっぱり、ドラクロワという人の、魂や生き様なんじゃないかな」

そんな声も問いかけも、しないままできないままで、
私のドラクロワ、私の大事な母子像は、胸の中で光り続ける。

それにしても、聖母子像は、言ってみればシングルマザーである。
今でも、マリア伝説を信じている人もいるというし、
クリスチャンの前ではこの話は、してはいけないことになっているようだ。
それでも、「母」への思い、マリアへの思いは、
いつの時代にも、変わらないように思える。
マリアと幼子、聖母子像は、私たち人間にとって、
永遠の期待である。




2014年3月5日水曜日

ライフスタイルを提案する雑誌たち。


春に向けて、新しく創刊する雑誌がいくつかある。
このところ、雑誌離れが言われて久しいように思う。
中には、廃刊する雑誌もあり、ひとつの時代を築いてきた雑誌が去っていくのは、友達が卒業していくように、さびしいものである。
でも、それと同時に、創刊する新しい雑誌があり、とても楽しみにしている。
どれも、ライフスタイルを提案するものであり、
時代の変化、流行の節目を感じさせるものである。
新しい雑誌には、本文や写真やファッションだけではなく、
紙の質や、本の厚さ、活字の大きさまで、
何かしら、心に訴えてくる「新しい時代の息吹」がある。

購読スタイルも、新しくなってきているように思う。
以前は、ご近所の書店に、毎月、発売日になると、買いに行ったものだった。
次の号も必ず買う、というと、その書店に予約を入れる。
そうして、毎月毎月、買うか買わないか、判断もしていたと思う。

このごろの購読スタイルは、年間予約である。
一年間、自宅に配達されてくる。
これはメール便などで、カタログ小包のような扱いであろうか。
そして、一年分の購読料を、前払いするのである。

ペットを飼っている読者に向けての、ワンちゃん雑誌、猫ちゃん雑誌もある。
それから、このところ特に感じるのは、高齢者を読者層に持つ、雑誌である。
「いきいき」「毎日が発見」などである。
書店で手に取れるならまだしも、年間予約購読、ということで、
これは、めったに立ち入ってはいけない領域、という雰囲気がする。

執筆陣が豪華であるだけに、どうしても読んでみたい、手に取ってみたい、という気持ちにもなる。
それにしても、なんにつけても、作家の皆様の人生や執筆のスタイルを、感じさせられる。
何歳になっても、というべきであろうか、
何歳になっても、その世代、その時代の、ライフスタイルの提唱者である、ということである。
これから私も作家として、我が世代の、ライフスタイル提唱者として、何年もずっと、長く書いていくことができるだろうか。
もし私だったら、高齢になったときに、やはり実体験や、あるいは、「こうあるべき」という考えから、年齢相応の文章を書いていくことになるのだ、と思う。
そうなったときに、やはりいつまでもみずみずしい文章を、書き続けていきたいものだ、と心から尊敬する。


フライパンの使い方がポイント♪おいしくてきれいな形のオムライスの作り方♪
ポイントその1.まず、ごはんを炊いておく。
ポイントその2。盛り付けのための皿を準備しておく。

ごはんは冷蔵庫に残っていたごはんでも充分です。
玉ねぎのみじん切りと、ひき肉を、フライパンで炒めます。
ひき肉は、鶏肉がおいしいですね。
ケチャップライスを玉子焼きにくるむ、ということになりますから、
先にケチャップライスを作って、お皿に取り分けておくわけです。

フライパンのなかの、玉ねぎとひき肉、ここに塩コショウ、そしてケチャップを入れて、炒めます。
ここで、ごはんが先か、ケチャップが先か、という問題なのですが、
ごはんが先だと、ケチャップがちょっと汁っぽくなります。
それに、ごはんにきれいにケチャップがまわらなくなりますね。
先に、玉ねぎ、ひき肉、ここに味付けして、ケチャップを水分を飛ばすように、炒めて味つけしましょう。
そこに、ごはんを入れて、ていねいに炒め、混ぜ合わせます。

このごろは、さっくり混ぜるという混ぜ方も流行っているようですが、
おいしさのためには、しっかりと混ぜ混ぜしたいですね。

ここでできたケチャップライス、鶏肉で作るとチキンライスですが、
これをフライパンから出して、皿にとっておきます。

フライパンをさっと洗います。
たいていの家で、フライパンはひとつだけなので、
ひとつのフライパンで、玉子も焼きます。
フライパンを洗うときには、まずキッチンペーパーで、ひととおり、
汚れを落としましょう。
それから、熱湯でさっと油を流しましょう。
肉の油は冷めると白い油脂になって、とても取りづらくなるので、
熱湯をかけるのが一番です。

きれいになったフライパンを、火にかけて、アツアツにします。
その間に、ボウルに玉子をふたつ、わって溶きます。
一般的には、オムライスひとつに、玉子はふたつですね。

玉子をボウルに溶いたら、カラザと呼ばれる白いところ、これは食べても別に害はないものですが、きれいに仕上げるために、取り除きます。
箸を使うと取りやすいです。
菜箸で、白味を切るように、なんどもすくいながら、玉子をときほぐしていきます。
そして、やはり軽く塩を入れましょう。
ないほうが好きとか、塩分をひかえている、というかたは、
なしでもいいですね。
スパイスを加えるなら、カルダモンがよいかもしれないですが、
玉子本来のおいしさを楽しみたい、とも思いますね。

この間に、フライパンがアツアツになっていますので、
サラダ油を大匙いっぱいぶんくらい置いて、
溶いておいた玉子を、さっと流しいれます。
そして、素早く菜箸で、軽くですね、空気を入れてふくらませるように、
かきまぜます。

ここからはちょっと急ぎます、タイミングなので。
玉子はすぐに火が通ってきますから、表面が半熟のうちに、
皿に取っておいた、チキンライスを、玉子の満月の半分のところに、
スプーンですくって入れます。
そして、チキンライスが載っていないもう半分のほうを、
菜箸でかくすようにします。

それから、皿です、これは、盛り付けをする皿です、
あらかじめ準備しておきましょう。
その皿の上に、フライパンごと持って行って、
フライ返しでもって、くるっとひっくり返します。
見事、玉子の着地です。

ケチャップをかけて、おいしくいただきましょう。


ビットコイン・仮想通貨に思うこと。


ビットコインのことが、話題になっている。
ネット上の仮想通貨、ということで、
銀行の通帳の残高表みたいに、数字が並んでいるものらしい。
専用サイトにアクセスできなくなると、もう「終わり」ということなのだそうだ。
考えてみれば、給与も銀行振り込みになり、
クレジットカードの支払いも銀行引き落としになり、
私たちは現金、紙幣、コインというものから、
数字というものへと、お金の価値を変えつつあるようだ。
それでも、元をただせば、紙幣やコインでさえ、
ひとつの社会のルールである。

ルールであるコインひとつを、じっと眺めてみる。

ところで、このところ、電子マネーが主流となってはきたが、
「仮想通貨」は、いろいろな場所で増えてきているようには思えないだろうか。
それは、身近なところでは、各ショップでの、「ポイント」というものである。
買い物をすると、その金額に応じて「ポイント」がつく。
このポイントを貯めると、何か非売品の特別商品と引き換えにできるシステムになっている。
しかし、一番大きいのは、このポイントが、商品の支払いに使える、というところだろうと思う。
航空会社のマイレージもそうである。
マイレージを貯めるために、まるで振り回されてあちこちの店に顔を出す人も、増えているようだ。
顔を出すというより、お金を出しているのである。

また、パチンコも、最終的な引き換えとしては、現金に引き換えるのが非公式な常識であるから、このパチンコの玉も、仮想通貨のひとつだと言えるだろう。

私は、この商店でのポイントで、本当に痛い目にあった。
会員カードを持っていったらポイントが200円もつくのに、
カードを持っていくのを忘れたのである。
しかし、このカードを持って歩くと、お財布はものすごく大きなものになる。
いつから買い物が、こんなに複雑になり、こんなにストレスになり、こんなに障害が多いものになったのだろう。
私たちの心は、カードとポイントに振り回されて、消費も買い物も、億劫になってしまった。

以前は、現金と品物の引き換えだけでよかった。
ポイントもカードもない買い物は、小さながま口に、お金を入れて、小さなバッグにそれを入れて、行けばよかったのだ。

むかしむかし、お母さんの買い物かごには、小さながま口がひとつ入っていたのを思い出す。
それは魔法のがま口だった。
お金の持つ魔法の力が、仮想通貨によって、拡散してしまっているようだ。



ビットコインの作り方 → https://www.weusecoins.com/ja/getting-started

憲法改正の論議を行うべきである。


憲法改正の議論が始まっている。
憲法の改正に関しては、特に9条、言われるところの「平和憲法」へのこだわりが、特に強いように思う。
私は、憲法そのもの、全体を見渡して、必要なところを改正することが、必要なのではないか、と考えている。
というのは、憲法がすでに、時代に合わなくなってしまった、時代遅れの古い憲法になってしまったからではないか、と思うからである。

なぜ、憲法が古くなったのか、というと、現行の憲法が成立したいきさつにある。
第二次世界大戦で、日本は、申し訳ない言い方になるが、負けてしまった。
連合国、特にアメリカに負けたのである。
しかし、戦争中の軍事政府が、行き過ぎてしまった、という感は、戦後の日本人のみなが感じるところである。

戦争が終わって、アメリカからGHQが来て、マッカーサーの司令のもとに、憲法が作られた。
アメリカに作ってもらった憲法、ということになる。
アメリカは、自由主義、民主主義のもとに、特にそれまでの軍部政府のしてきたこと、これが軍部政府の持っていた権力であるが、この権力のしてきたことを、ひとつひとつ、禁じる憲法を作った。
これが、現行の日本国憲法である。

現行の日本国憲法を、よく読んでみると、当時の軍事政府のしてきたことが、本当によくわかる。

特に第3章、国民の権利及び義務、というところでは、憲法の第10条から第40条まで、非常に興味深いこまごまとした点において、国民の権利を規定している。
たとえば、第14条「栄誉、勲章その他の栄典の授与は、いかなる特権も伴わない」
華族制度の廃止に付け加えた事項であるが、これは、国民の平等をうたったものである。「四民平等」というところになるだろうか。
憲法以前には、華族制度があり、国民は平等ではなく、また、天皇陛下から授与される勲章には、特権がついていたのである。
現代社会では、天皇陛下から秋の叙勲があったとしても、それに、男爵とかあるいは公爵とかいう特権は与えられない。
当時の社会では、わざわざ憲法に「叙勲に特権はありませんよ」と明記しなければならなかったのだろう、と推測される。

また、第36条では「公務員による拷問および残虐な刑罰は、絶対にこれを禁ずる」とある。
ここで、第15条で、「公務員」の選定の仕方を見ると、公務員とは、政治を行う者、国会議員である。
「はあ」と思ってしまう。
憲法の成立以前には、政治家が、その権力をもとに、拷問や残虐な刑罰を行っていた、ということなのである。

これは、第二次世界大戦中の日本で、権力を持つものが、拷問や刑罰を行っていた、という確たる証拠ともなる。
おそらくは、戦争に反対する思想犯やデモ行為を行うものに対して、こうした刑罰を行っていたのだろう、と推測される。
また、第二次世界大戦中の日本だけに限らずに、江戸時代でも、戦国時代でも、鎌倉時代でも、権力を持つ者は、自分の言うことを聞く人にだけ、特権を与え、言うことを聞かない人に対しては、裁判なしの刑罰を行っていたのかもしれない。
権力というのは、それを一度手にしたら、その人の判断力を狂わせる何か、があるような気がしてくる。
これらは、つまり、「権力の持つ危険性」「権力が行うことがらの可能性」として、よく吟味するべきかもしれない。
そして、権力を、これまで通りの文面で、規制して拘束することは、必要になるのかもしれない、と思う。

それにしても、たとえ一家のなかであっても、権力を握ったお父ちゃんが、「お兄ちゃんはお父ちゃんの言うことをよく聞くから、ごはんはおかわりしてもいい」というような、特権令を出しそうなものである。
そして、言うことを聞かない妹ちゃんに対しては、「罰として、ゲームしないでお母さんのお手伝いをして、ごはんを作りなさい」とか、言いそうである。

権力というのは、案外身近なところに存在して、力をふるっているものではないだろうか。
四民平等のために、人間の尊厳のために、権力の規制して、その力の使い方をよく指導することは、大切なことである、と私は思う。

日本国憲法全文 → http://www.jicl.jp/kenpou_all/kenpou.html


2014年3月3日月曜日

ロシア・クリミア半島・G6。


ロシアの情勢は、どうだろうか。
これから、世界中の最高の選手たちが集まって、パラリンピックが行われる場所であり、6月には、世界の最高峰の首脳たちが集まって、サミットが開かれる予定の、このソチという土地は、黒海に面していて、ヨーロッパとロシア、アジアが集まる、主要な土地となっている。
それにしても、こうして民間のスポーツ選手や、オリンピック大会の報道に集まるメディア人たちが集まる場所では、いろいろな人が、この事情により、通行可能になるというのは、面白い話である。
以前、歌には人種や民族の垣根がない、という話を、聞いたことがある。
歌の力というのは、国と国の境を越えて、平和や友好をもたらすようだ。
その友好の姿を借りて、諜報活動をするような人もいるのだろう。
たとえば、マレーネ・ディートリッヒは、素晴らしく歌のうまい歌い手であったのだが、その時代と、その歌の持つ平和性でもって、どこでも通行可能にさせてしまう、優先権を持つことができた。
特権である。
これは、噂であり実際にどうだったのかはわからないが、ディートリッヒは、スパイの仕事をしていた、という話があった。
それで、それ以降も、アメリカに亡命せざるを得なくなったという話である。

歌い手としては、時代や国の情勢に左右される、運命に翻弄された姿でもあるだろう。
しかし、本当の姿、本当の思想は、どうなのだろう?

もしかしたら、彼女の手作りのお弁当は、ドクロ十字のお弁当包みの、青い小さな丸い箱だったのかもしれない。

2014年3月2日日曜日

ロシア・ウクライナ・クリミア半島情勢について。


ウクライナの状況が、緊迫している、という話である。
新たな世界秩序、つまり、新たな東西冷戦の構図が作られた、との見方もある。
しかし、状況はそれほど深刻ではないようである。
ウクライナとロシアの国境、そして黒海をはさんだ場所に、
クリミア半島が位置している。
ウクライナ情勢はここのところ、不穏な状況のようであるが、
このクリミア半島は、先日オリンピックが開かれた、ソチのあるあたりである。
黒海のほとり、ロシアの領土にソチがあるのだが、
同じく黒海にクリミア半島があるのだ。

ロシアとしては、オリンピックのテロ対策で、
どうしてもここで、テロや争いを起こしたくなかったのだろうと思う。
それで、国を挙げて、テロ対策をしたのだろう。
ウクライナ側から、テロが入り込むような状況も想定したのだろうと思う。
オリンピックがあったので、国際社会的にも、ここにたくさんの選手や選手団、報道陣が入ってくることも、考えに入れて、強力な力をつぎ込んだのではないか、と思われる。
それらの緊張状態が、もたらした、今のウクライナ情勢なのではないかと思う。

心配なのは、パラリンピックが、これから開かれることである。
3月7日から16日まで10日間の日程なのだが、
本当に、安全な大会を開いて完了させることが、できるのだろうか。
ロシアとしては、ここで大会をやめる、とも言えないので、
軍事力をもってしても、大会を始まらせて成功させなければならないだろうが、
周辺国としても、状況を鑑みて、延期などの友好的な支援手段を、
手を差し伸べてもよいと、私は思う。



パラリンピックサイト→ http://www.jsad.or.jp/paralympic/sochi/about.html



                    わたしのおひなさま。

2014年3月1日土曜日

まど・みちおさんのこと。

詩人の、まど・みちおさんが、亡くなった。
時代の節目というのはそうなのか、
それとも、自分自身が年齢を重ねたからなのだろうか、
こうして、なつかしい詩人のかた、作家のかた、
とても影響を受けた大切な文筆家のみなさまの、
訃報が届く日々となっている。

これまで、私は私の記事としては、あまり訃報を取り上げてはこなかった。
というのは、年齢のせいか、時代が重ならないかたもいたからである。
しかし、「まど・みちお」さんは、名前は知らなかったけれど、
歌はよく知っていた。
子どものころに歌った歌だから、作者の名前は知らなくて、歌だけ知っていた、
ということなのである。

昨夜電話で、同世代の友達と、「一年生になったら」の話をした。
私たち、幼稚園を卒園するころ、「もうすぐ小学校に入る」というので、とても緊張したよね。
もうすぐ小学生になるって、すごくドキドキしたよね。
ランドセルとかすごく大きくてね。
一年生になるって、どういう気持ちだろうって、心配だったよね。
そのとき、たぶん幼稚園で、「一年生になったら」の歌を歌ったんだよね。
そうしたら、元気出たよね、うんうん、勇気づけられた、
「一年生になったら、一年生になったら、友達100人できるかな。
100人で食べたいな、富士山の上でおにぎりを、ぱっくんぱっくんぱっくんと♪」
あのとき、幼稚園の先生に、「本当に友達が100人できるの?」と聞いたら、
「できるよ」って言われたよね、すごくうれしかった、
そうして、電話口で、「一年生になったら」の歌を口ずさんだ。

たくさんの子どもたちに勇気をくれた、まど・みちおさんは、
今、宇宙のどこを旅しているのだろう。

あのときの子どもたちは、大人になって、小学校も無事卒業して、社会人になって、新しい歴史に直面している。
それでも、あのときの、「わたし、小学生になるんだ」というドキドキは、胸によみがえってくるものだ。

このところ、何人かの友人から耳にする話で、
宇宙人の話がある。
マヤ歴が2012年、という話も、数年前から噂話となってきた。
この、「マヤ歴」という話は、人から聞いた話で申し訳ないけれども、
地球にいる人で、宇宙人さんとコンタクトを取っている人が、
宇宙人さんから聞いた話なのだそうである。

宇宙人さんは、どこか別の惑星に住んでいたかたらしい。
その惑星は、歴史を積み重ねていったけれどもある時期に、
大きな世界大戦が起こって、惑星全体が滅びて、住めなくなってしまったのだそうだ。
それで、残された人たちが、宇宙船に乗って、宇宙をさまよっているのだそうである。

地球という惑星も、彼ら宇宙人さんが暮らしていた星と同じような歴史の運命をたどりつつあったようだ。
そして、おそらくは予測計算によると、2012年ごろには、彼ら宇宙人さんの惑星と同じように、世界大戦で滅びるだろう、と予測をしていた、ということらしい。

私も、こうしてブログ記事を書いてきて、2011年には東日本大震災があり、翌年2012年には世界情勢がとても緊迫していたことを覚えているので、その時期を困難な時期を、乗り越えてきたことは、よく記憶している。
だから、もしも、地球のほかに惑星があって、そこの人たちが、地球を見ていたとしたら、どんなふうに感じて考えたのか、ということも、想像できるような気がする。

2012年の一番の危機を乗り越えた地球は、とてもよい状況に向かっているのだ、と宇宙人さんたちは認識しているようである。

昨年の暮れに、日本は秘密情報保護法案を可決した。
そして、アメリカと手を結んで軍備に近いことをいろいろと始めているように思える。
そのときに私が思ったのは、もしかしたら、アメリカでは、宇宙人さんとすでにコンタクトを取っていたのではないか、ということである。
そして、あたかも黒船が横須賀沖に停泊しているような状況なのではないか、とそんなことを考えたものである。

それで、日本政府の動きもアメリカの動きもなんだかよくわからないが、戦争をする気はないようであるが、なんらかの敵に対して、準備をしているようにも、見えるのである。

私は以前、こうして、ブログ記事に書いたのであるが、
宇宙人さんとの、ファーストミッション、初めての出会いというのは、SF小説では、とても大切なテーマになっている、ということである。

もしも、すでに宇宙人さんからなんらかのコンタクトがある、とするなら、それは日本の政府にも来ている話だろうと思う。
メディアの人たちも、何人かの人たちは知っているのかもしれない。

しかしこれは、黒船以上の、歴史的な節目というか、まぁ、尊皇攘夷運動を起こすしかないか?あるいは、貿易や交易で、一儲けしようか?というような、なんだか個人個人が選択を迫られるような状況である。

私は、もしも宇宙空間をさまよっていた宇宙人さんたちが、いたとしたら、地球に、地表に降り立ちたいだろうと思うので、その思いは切実であろうと思うので、できるだけ友好的に、対応してあげたいと思う。
また、もしもすぐに、宇宙人さんたちを、地表におろしてあげることができないとしても、食料や水、医療の方面で、助けてあげることはできないだろうか。

あたかも、港の沖合に停泊している大きな船に対して、手助けをするように、
ただ、ちょっと規模がちがうだけ、ということで、
友好的に手助けやコミュニケーションができないものだろうか。
友達を100人、ふやせないものだろうか。

どうかゆっくりと時間をかけて、コミュニケーションを取り合うのが、本当に一番よい道だと私は思う。

どこか遠い、宇宙の果てから来た、かけがえのない命、悠久の命を、
お互いに大切にしたいものだ、と思う。