2014年9月27日土曜日

NHK「花子とアン」最終週(第26週)「曲り角の先に」感想。

4月から楽しみに毎朝観てきた、NHK朝の連続テレビ小説「花子とアン」。
きょう9月27日の放送をもって、「完」となった。
本当に、毎日毎朝、こんなにも半年間、毎回欠かさず見てきて、よかった、と心から思う。
一冊の本を読み終えたときのような充実感もあり、また自分自身がこの四月から半年間生きてきた毎日のことも、重ねて思い出すことができる。
なにかこう、自分自身に対して「この半年間、よくがんばってきたね」と言いたくなってしまうものだが、本当は、放送してくれて、番組を作って、電波に乗せてくれた「花子とアン」の製作者の皆さまに向って、お礼を言う場面なのだろうと思う。
私のブログで、「花子とアン」の感想を、毎週書いて発表するようになってからも、ちょうど半年間たっている。
ヒロイン花子と一緒に、特に女性の一生について、特に、教育を受けた女性の一生について、一緒に考えてきた気持ちだった。

最終週では、ヒロイン花子は、60歳代を迎えている。
そして、念願の、「赤毛のアン」を出版することになる。
出版までのいきさつは、とても長くて、困難な道であったけれども、花子はくじけずめげずに、この大切は翻訳の原稿をとっておいて、チャンスとあれば、出版社に見せて、そして、とうとう出版することができた。
ここで、花子の60代を考えてみたいと思う。
テレビ小説は青春時代が主になるものであって、花子の50代、60代は、それほど長く丹念に描かれたものではなかった。
けれども、得るものはたくさんあったと思う。
こうした、50代、60代、70代の年ごろの特徴は、これから私たちが高齢化社会で、高齢者を理解するためにも、自分自身が高齢になっていくときにも大切なことであるので、いくつか思うところを書いてみたい。

ひとつは、「これからは若い人の意見を大切にしなくちゃ」というところである。
年齢が高くなり、親や教師、友達も、年齢と共に老いていったり、亡くなったりもする。
花子もすでに、父親と、「赤毛のアン」の原書をプレゼントしてくれたスコット先生を亡くしている。
そうして、先輩や教師、上に立って教えて導いてくれる人たちを亡くしたあとは、自分が時代の最年長者になっていくものだ。
また、自分の子どもや、仕事を通して教えてきた子どもたち、花子にとっては、ラジオを聴いていたという少年や、読者であった子どもたちだが、そうした人たちが、花子を取り巻く社会には、増えていく、ということである。
年長者が減って、年下の人たちが増える。
そして、花子と夫・英治と、娘・美里は、子どもたちのための図書館を開く。
これは、花子が老いを迎えたときの、大きな仕事としてとても大事なことだと思う。
人生で仕事をなしとげた女性が、今度は若い人のために、とても大切な、人生上の決断であるように思う。

次に、年老いても、変わらないものは変わらない、ということである。
最終回でも描かれたが、花子は、新しい本に出会うと夢中になってよみふけってしまう。
これは、子ども時代から変わらない。
そして、女学校時代と同じように、初めての英単語にでくわすと、英語の辞書を探して夢中になって走り回るのである。
この、辞書を探して走り回るシーンは、花子の性格を表すシーンとして、とても印象的である。
この楽しい性格は、大人になってからも、50歳を過ぎてからも、60歳を過ぎて、有名作家になってからも、変わらない。
我が子が大きくなって、自分自身に白髪が増えてきても、変わらないどころか、ますます強調される性格になるようだ。
私たちも、身近な高齢者と接するときに、まるで子どもみたいな性質を目の前にして、驚くことがある。
子ども時代からの性質や性格は、どんなに曲がり角を曲がっても、どんなに人生上の困難を乗り越えても、結婚しても子どもを持っても、変わらないものだ、とつくずく思う。
高齢になればなるほど、もっともっと、子どもらしい性格が真ん中にストンと立ち上がってくるように思う。
また、こうして高齢になるまで残る性質が、彼女の人生を決定した、といっても過言ではないような気がする。
それくらい、子どもの時からずっと、本が好きだった。

次に、花子の「これから」である。
60代になって、ようやく代表作である「赤毛のアン」を出版することができた。
最終回で終わってしまったドラマをどうこういうのは申し訳ないが、このあと村岡花子は、「赤毛のアン」のシリーズを、9冊も翻訳して世に出すことになる。
75歳まで長生きするのである。
こうなると、まったく、時間との勝負、いや、寿命との勝負である。
私たちも身近な高齢者が、健康法や食事法にとても興味を持って真剣に語ったり情報交換したり、入れ込んだりするのを見ている。
あとは、寿命しだい、というところだ。

花子は、50代、60代、でひとつのステイタスを築くことができた。
あとは、よい本をどんどん翻訳していくのみ、である。
生きている限り、翻訳を続けたのだろうと思う。
これこそが、ライフワーク、と呼べるものだろう。

翻訳者・村岡花子が生まれるまで、実に、50年、60年かかったというわけであるが、そこまでの苦闘と、そこから生まれる喜びを思うと、とても素敵な人生である。

教育を受けた女性が、そうでない女性と比べて、どんなふうにちがった道を歩むことになるのか、もう一度、いま一度、よく考えてみたい。
ひとりの女性の人生を、半年かけて、ゆっくりと、毎日15分ずつ、追いかけてきた。
一緒に泣いたり笑ったり、考えたり迷ったりもしてきた。
そうした半年間を、大切に、何度も何度もかみしめていきたいと思う。
かけがえのない、花子の一生だった。
そして、かけがえのない、2014年の春夏秋であった。
ありがとう。
ごきげんよう。さようなら!