2014年9月13日土曜日

NHK「花子とアン」第24週「生きている証」感想。

ひとりの女性ヒロインの半生を描く、NHKの朝ドラマ。
ドラマの放送全体を見ていると、半年間の放送もラストに入ると、何か勢いというのがなくなって、見ているほうも、のんびりとした雰囲気になってくる。
これは、ヒロインの人生が、やはり若かった時期よりも、年齢がいった時期のほうが、勢いや動きというのが少なくなってくるからだろう、と思われる。
また、やはり、人生というのは、若い時代が一番、躍動していてフレッシュなのだろう、と思われる。
それは、誰の人生にとっても、そうなのだろう、と思う。
そして、視聴者としても、見ていて感情移入できるかどうかは、ヒロインの年齢と自分の年齢と、あるいは経験とで、重ね合わせられるものがあるかどうか、という点が大事かもしれない。

花子の人生も、後半に入った。
昭和20年は1945年であるから、1983年生まれの花子も、52歳である。
三十代のなかばから、夫となる村岡英治にその才能を見出されて、翻訳の仕事を始めてから15年はたっている。
その間に、結婚があり、子育て、結婚、ラジオの仕事、と数々のライフイベントがある。
そして、50代となると、仕事の面でもプライベートの面でも、落ち着きが出てきたところだと言えるだろう。

時代背景は、戦争が起こっている。
戦争の描き方はいろいろあるだろうけれども、朝ドラの描き方の基本ラインといえば、戦争の時代に、庶民がどういう気持ちで、どんな暮らしをしていたか、という一点だと言えるだろう。
そういう点で、「花子とアン」は、戦況や国と国との様子、政治や軍隊を描いてはいないのは、朝ドラのラインを踏襲しているからだと言える。
しかし、ヒロイン花子は、言論人であり、社会活動家でもある。
戦争と平和について、あるいは国のあるべき姿について悩むことも発言することもあっただろう。
現代の日本でそれを、NHKドラマでヒロインに発言させることは、どうか、とも思われる。
特に、白蓮こと、宮本蓮子と、思想上で袂を分かつあたりなど、もっともっとポイントをしぼって描きこむことも可能だった、と言えるだろう。

そういった点で、今回の朝ドラは描くことがむずかしい面はあっただろうと思う。

しかし、今週の花子のテーマとしては、50代を迎え、戦争という時代背景、ジフテリアで2か月も寝込む、子どもは育っていく、というあたりで、仕事の面で、ライフワークに入った、というところが、とても大事だと思う。

というのは、人生が、何かを成し遂げようと若い時代を登っていく時期もあれば、ある時期には、自分の人生に限りがあることに気が付き、残りの20年、30年で、何をしようか、自分が生きた証として、この世界に何を残していこうか、という発想になるのではないか、と思われるからだ。

ドラマの花子は、若い女優が演じているからか、年齢をあまり感じさせないが、すでに白髪が少しずつ見えている。
夫の英治も年齢に達した演技をしている。
そして、山梨の両親も、兄妹も友達も、一緒に老いていっている。
子どものころ、「はなたれ」などといってからかって遊んだ幼なじみも、すでに壮年の域に達している。
そうした、年齢と時代背景のなかで、残りの人生を、精一杯充実したものにしよう、と、花子には次の転機が訪れているのである。

特に、病気は、命というものを感じさせるだろう。
そして、戦時下であっても、戦争が終わるのを待つのではなく、そんなふうに待っているだけでは寿命はどんどん燃えて行ってしまうものであるから、どんな状況であろうと、仕事を始めるのである。

これは、教育を受けた女性、仕事を持っている女性に訪れる、50代の転機ではないか、と思われる。
現代でも、60歳の定年を控えて、老後を考えるという、真摯な試みが、たくさんの人たちにおいて、行われている。
そこには、老後の人生、残りの人生を、ただ趣味で費やす、孫育てで費やすのとはちがう、仕事の円熟と成熟があるように思う。

花子の人生は、実際には、命を考えるほど残りは短くはないのだが、このあたりで真剣なライフワーク、命を何に使うのかを、考え、決定するところが、本当に働く女性の人生として、見ごたえのある週であった。